藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト
元朝日新聞記者。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
自民党右派が主導してきた日台関係の裾野が広がる可能性も
それから9年後、安倍氏は首相就任後初の外国訪問先として中国を選んだ。99年の小渕恵三氏以来の首相公式訪中だった。北京でトップの座に就いていた胡氏と会談、世界の課題の解決にともに取り組む戦略的互恵関係を築きあげていくことで一致した。
私はこの時も北京特派員をしていて、人民大会堂前で開かれた歓迎式典に臨む安倍氏を間近で見ていた。安倍氏は緊張した面持ちだったが、歴代首相とは異なり、初の外国訪問に米国ではなく中国を選んだ意気込みも感じた。
8年ぶりの共同文書となった日中共同プレス発表で、中国側は日本の戦後の平和国家としての歩みを文書の形で初めて評価した。会談では97年の訪中も話題になったという。先に紹介した中央対外連絡部の幹部は、「安倍氏は期待した通り首相になり、いい仕事をしてくれた」と得意げに話していた。中国側の見込みは当たったというわけである。
一方、首相就任後も安倍氏の台湾への愛着は変わらなかった。台湾の対日窓口である台北駐日経済文化代表処の代表を務めた羅福全氏は、「安倍さんの台湾への思いに終始ブレはない」と語る。私は台湾で「安倍氏が権力の座にある間に台日安全保障の強化をしてほしい」との声を何度も聞いた。
安倍氏もこの声にこたえ、安全保障面での連携の重要性を、繰り返し内外で呼びかけてきた。首相就任後は外交関係のない台湾と距離を置く政治家が多い中で異例だった。
公にはしなかったが、訪日した李登輝元総統と会談したこともある。自民党青年局のメンバーが台湾を訪問した際は必ずと言っていいほど、安倍氏に成果を報告した。安倍氏は中国から禁輸とされた台湾産パイナップルを自身のSNSで宣伝したり、コロナ禍で台湾へのワクチン提供に尽力したりした。
その安倍氏が死去した。蔡英文総統率いる民進党政権は総統府に半旗を掲げ、哀悼の意を表した。全土の行政機関や公立学校でも半旗が掲げられた。安倍氏遺族の弔問のため、頼清徳副総統を派遣した。国葬には王金平・元立法院長(元国会議長)らが参加、他の国の出席者と同様に祭壇へ献花した。
蔡総統は8月、自民党月刊誌「りぶる」の取材に対して、「ロシアによるウクライナへの侵略が始まった時、安倍元総理は台湾の安全保障を大変気にかけてくださいました。国際社会に向けて『台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である』と発言され、いつも台湾のことを思い、台湾の国際参与も積極的に支援してくれました」と語った。
そのうえで、「安倍元総理の後を受け継いだ菅義偉前総理、岸田文雄総理も台日関係を非常に大切にされ、両者の関係はここ数十年で最も良い状態にあることを実感しています。台湾に心を寄せてくださった安倍元総理の思いを忘れずに、これからも台湾と日本は手を合わせて協力し、両者の友好関係をさらに深化させていくことに努めます」と述べている。
蔡氏が指摘するように日台関係は良好だ。日本台湾交流協会が1月に台湾人約1千人を対象にした世論調査結果では、「最も好きな国・地域」として日本を選んだのは60%、「今後最も親しくすべき国・地域」も46%で過去最高だった。現在の対日関係を「良い」と答えたのは70%、日本を「信頼できる」としたのは60%で、いずれも過去最高だった。
一方で台湾与党の民進党と自民党との関係は複雑だ。自民党は独裁政権時代に民主化運動を弾圧した国民党と強い絆を持つ。民進党の原点は国民党と人権や民主めぐり闘った活動にある。そのリベラルな民進党と、反共保守の色合いが濃い自民党の友好関係は、現実的ではあるがやはり奇妙ではある。
安倍氏の国葬をめぐって世論が割れたように、日台関係における安倍氏の存在に違和感を感じて距離を置いたり、「中国をまったく忖度(そんたく)しない」(古屋会長)という日華議員懇談会を敬遠する政治家も少なくなかった。