戦後日本の問題を示した安倍元首相国葬 岸田政権失速で権力闘争が始まった自民党は…
2022年11月03日
令和の政治が抱える課題とそれへの対応を福島伸享(のぶゆき)衆院議員が考える連載「福島伸享の『令和の政治改革』」。6回目のテーマは、安倍晋三元首相の国葬や世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題などで大揺れの日本政治の現状と今後の展開です。支持率が低迷する岸田文雄政権と旧統一教会問題に振り回される自民党の行方、臨時国会での野党の構え、世界が歴史的な転換点にある今、政治に何が求められているか……。令和の政治改革を追い求める福島さんが語ります。(聞き手・構成/論座・吉田貴文)
※連載「福島伸享の『令和の政治改革』」の1~5回は「こちら」からお読みいただけます。
――岸田文雄政権が失速しています。世論調査では内閣支持率が軒並み低迷し、求心力の低下は否めません。官邸は“起死回生”に躍起ですが、先は見通せません。7月の参院選で自民党が勝利を収め、政権は「黄金の3年間」を迎えるなどと言われたのが噓のように、安倍晋三元首相の国葬を巡る世論の分断や、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題に見舞われ、政権のみならず自民党も大揺れです。
福島 安倍元首相の国葬は戦後日本が抱える幾つかの問題をあらわにしたと感じています。まず、戦後の日本の国家意識の希薄さが浮き彫りになりました。戦争に負けた後、国とはいったい何かを考えない、あるいは考えることから逃げ続けてきたツケが回ったかたちです。
――どういうことでしょうか?
福島 今回、国葬に反対した人の理由は、かなり乱暴に分けると、大きく二つありました。一つは、国葬が思想信条の自由を侵害する憲法違反だということです。左派に属する人たちが主張していますが、私は実際に行われた国葬を見てみればこの主張は的外れだと考えています。
そもそも、国葬の日に半旗を掲げているところは、公共の施設でもほとんどありませんでしたし、葬儀が行われた武道館の周辺にこそ人がいっぱいいましたが、他の場所では弔意を表すような空気はほとんど感じられませんでした。この主張は極めてイデオロギー的で、多くの国民の共感は得ていないと思います。
もう一つの理由は、「安倍元首相が嫌い」ということです。安倍元首相を好きな人は怒るかもしれませんが、安倍元首相を国葬で送ることが単純に嫌だというのが本音です。
逆に国葬に賛成する人の理由は、「安倍さんが好き」ということに他なりません。国葬を巡る対立が、安倍元首相に対する好悪でいいのか。ことの本質はそこですかと、私は言いたいのです。
国が葬儀をするからには、送られるのは国を代表する人のはずです。確かに安倍氏は首相をつとめ、在任期間は史上最長かもしれません。でも、首相は国民の付託を受けて政府を運営する責任者ではありますが、政府はあくまでも立法、司法を並ぶ三権のひとつにすぎないのであって、国そのものではない。首相だからといって即、国を代表する人というわけではありません。
それでは、安倍元首相は国の葬儀に見合うだけの業績をあげたのか。国葬を行うからには、その人が国に対して何をしたかが、評価の基準であるはずです。国葬に値する業績としては、国の独立を守った、他国の侵略を防いだ、国の崩壊を止めた、革命で新しい政体を樹立した、などが考えられますが、安倍元首相の場合はどうでしょうか。
安倍元首相の仕事として、平和安全法制やアベノミクスなどが挙げられますが、どれも政府の仕事の枠内で行われたことにとどまり、国の根幹にかかわるものではありません。にもかかわらず、国葬という発想が出る時点で、自民党や安倍元首相が好きな人たちは、実は国という概念があまりない、極めて戦後的な人たちなんだろうと思わずにはいられません。
――国による葬儀を出すこと、国が弔うことの意味が、日本人には分かっていないと。
福島 たまたま時期が重なったエリザベス女王の国葬と比べてみてください。亡き女王の冠を棺の上に置いて埋葬し、その後を皇太子が継ぐという過程を、目に見えるかたちで荘厳に示したあの葬儀は、イギリスという国が、王室を中心に歴史を紡ぐ国であることを、国の内外に明らかにしました。国民はイギリスという国の根幹を見送ったのです。
一方、安倍元首相の国葬で国民は「何」を見送ったのでしょうか。安倍元首相を見送ったのは確かですが、その死を受けて、国の何が継承されるのか、あるいは何が新しくなるのかといった国の根幹にかかわるものは、あのいかにもお役所的な葬儀からは何も見えませんでした。「国葬」といいながら、国家意識なき国葬と言ってもいい。国について正面から考えてこなかった戦後の日本のあり方を象徴しています。
――逆説的に言えば、極めて日本的な国葬だったと。
福島 そうです。もっと言えば、極めて日本的というのは、別の観点からも言えます。
――別の観点ですか?
福島 それは国葬をめぐる岸田政権の意志決定です。日本では戦後ずっと行政主体の国家運営が行われてきました。民主的なプロセスで国民から選ばれた立法府が行政府をコントロールするのではなく、立法府は形式的なもので、選挙で選ばれない行政組織が与党を利用して事を進めてきた。今回の国葬政権の決定では、それが図らずも露わになりました。
行政府は、選挙によって選ばれた立法府の作った枠組みに従って動かなければ、民主的な正統性はないというのが、議院内閣制のもとでの統治機構のあり方です。しかし今回の国葬は、立法府の関与がないまま、首相の一存で行政府の決定である閣議決定で決められました。
私は、法律的根拠がなければ、国の儀式が一切できないとは思いません。実際、そのような行事はたくさんある。とはいえ、国の根幹にかかわる国葬は、行政府だけで決めてはいけないという憲政の常道意識が、首相にないということが問題なのです。行政機構がいびつに肥大化し異常な権力を持つに至った、官僚統制国家・日本の実態が、今回の国葬決定プロセスではっきり見えたのです。
――安倍元首相の不在で、名実ともに「ポスト安倍」の局面に入ります。このところ岸田政権の失速が際立っていますが、政治の流れは今後どうなると見ますか。
福島 国葬における二つの追悼の辞、政府代表の岸田首相、友人代表の菅義偉前首相の弔辞が象徴的です。
岸田首相の追悼の辞は、政府を代表した挨拶でもあり、あまりに情緒的なものにはできないとはいえ、安倍元首相がやってきたことを並べただけの、いかにも官僚作文的な無味乾燥な内容でした。この国の首相が、官僚組織に乗っかった空虚な存在に過ぎないことを明示したとも言えます。
これに対し、菅前首相の弔辞は聴衆の感動を呼びました。凶報を聞いて奈良に駆けつけた場面からはじまり、焼き鳥屋で自民党総裁選に立候補するよう安倍さんを口説くシーン、そして主なき議員会館の部屋の机の上に置かれた岡義武著『山県有朋』の描写まで、聴く人の頭にドラマか映画のように鮮明な映像が浮かびます。
なかでも私が注目したのは、本にマーカーが引かれていたという山県有朋の歌です。「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。これは山県が、先立たれた長年の盟友・伊藤博文を偲(しの)んで詠んだ歌で、菅前首相は「この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と言っています。
山県は同じ長州人である伊藤と若い頃から盟友であり、ライバルなわけです。光は常にまず伊藤にあたり、山県はいつもその後。二人の関係には微妙で複雑なものもあったでしょう。でも、山県は伊藤に尽くした。菅さんはそんな山県に間違いなく自分を重ねています。
自分は安倍さんに尽くした。その人が先立った。今より後の世をいかにせむ。これは、一見嘆いているようにみえますが、次は自分が世の中を引っ張っていかなければという主体性を窺わせる葉です。菅前首相はこの歌を2回、追悼の辞で詠んでいる。安倍元首相の後継者として、自分が権力を握ると宣言しているようにしか聞こえません。私はこれは歴史的な弔辞だと思います。
ちなみに、実際に伊藤博文の死後、山県有朋は枢密院の議長になり、約20年間この国の実質的な最高権力者になります。
国葬によって、岸田首相は政治的なパワーを著しく消費しました。そんななか、次の世は自分が担うという宣言を、菅前首相は追悼の辞でしたわけです。安倍元首相という重しがなくなった自民党内では、権力闘争が始まることでしょう。岸田内閣が近いうちに終焉(しゅうえん)するということは、すでに織り込まれているのではないかと思います。
――日本でも世界でも、歴史に名を刻んだ大物が次々と亡くなっています。エリザベス女王、ゴルバチョフ元ソ連連邦大統領、日本でも安倍元首相や、新党さきがけを旗揚げした武村正義氏、東京都知事を務めた石原慎太郎氏といった、平成時代に活躍した政治家が世を去っています。
福島 経済界でも京セラの稲盛和夫さんが鬼籍に入られましたね。振り返れば、昭和から平成に代わった年も、歌手の美空ひばりや実業家の松下幸之助といった、戦後の焼け跡から日本が這い上がり、伸びていく時代を象徴する人たちが亡くなっています。今年はその後の平成のグローバル化の時代に頑張ってきた人たちが死去しています。平成の初めに感じたのと同じ空気感があります。
――平成初めの空気感とは。
福島 平成元(1989)年、米ソの冷戦が終結し、ベルリンの壁が崩壊し、中国では天安門事件が起きた。日本では消費税が導入され、リクルート事件が政界を直撃するなか、参院選で土井たか子氏率いる社会党が大勝するあたりから政治が動き始め、平成4(1992)年には細川護熙氏が日本新党をつくり、平成5(1993)年にはその細川氏を首班とする非自民連立内閣が誕生しました。また、同じ年に欧州ではEU(欧州連合)が正式に成立しています。
平成元年を境に世の中が動き、5年ぐらいで新しい体制が出現した。そういう何かが変わる空気感です。
――2020年代の今も世界、日本が大きく動く気配がすると。
福島 20世紀的な西洋の近代は今、転換期にきています。二度の世界大戦を経て帝国主義の時代が終わり、各地の植民地が独立して国際連合が形成される一方、世界が民主主義陣営と共産主義陣営が分かれて対立。その後、平成元年に冷戦が終結してイデオロギー対立の時代から、グローバル化の下での経済競争の時代に入るというのが、20世紀的な西洋の近代。『歴史の終焉』などという本も出されました。世界中で国民国家が成長し、富が広がっていった時代と言えます。
思えば、エリザベス女王の生涯は20世紀そのものでした。在位中に、大英帝国は解体、英連邦の各国は自立を強め、まとまりは失われていきました。しかし、サッチャリズムの下でグローバル化の流れに乗って、経済は復活。EUには遅れて入ったイギリスですが、結局はその後ブレグジットで抜けたところで、女王は亡くなりました。
一方、第二次世界大戦後のレジームである冷戦を終わらせ、グローバリズムへの扉を開けたのがゴルバチョフ氏です。この二人が今年、相次いで亡くなったことは、20世紀的な西洋の近代の終焉を告げているように思えてなりません。
――日本はどうでしょうか。安倍元首相の死去も二人と同じように位置づけられますか。
福島 安倍元首相の場合、安倍元首相一人で考えない方がいいかもしれません。お祖父さんの岸信介元首相から父の安倍晋太郎元外相、そして安倍元首相にわたる「岸・安倍三代」でとらえるほうが分かりやすい。
安倍元首相という政治家は、前回「『自民vs立憲』に飽き飽きした世論~安倍政治を超克するために何が必要か」で述べたように、昭和を映した鏡のような政治家です。冷戦終結でイデオロギー対立が終わった平成に、昭和型のイデオロギー対立の構図を再び持ち出すことによって、国民の間に分断をつくり、それをテコにして権力を維持したのが、安倍元首相でした。
安倍元首相の国葬に反対する人の多くは安保反対世代。50年前、岸政権に反対していた人たちです。彼らは安倍元首相の背後に岸元首相の幻影を見ています。一方、安倍元首相にシンパシーを感じるのも、岸元首相の頃の東西冷戦のなかで高度成長を謳歌する「三丁目の夕日」的な日本を懐かしむ人たちでした。
別の言い方をすると、東西冷戦の下、国の独立や自立など考えずアメリカに身を委ね、経済成長に邁進(まいしん)できた時代を再現すべく、国を左右に分断し、国の行く末に思いを致さず、アベノミクスを掲げて株価を挙げるという、戦後昭和を想起させる花火を一時的に打ち上げたのが、安倍元首相でした。そういう意味で、安倍元首相の死は日本の戦後の幕引きをしたと言えると思います。
エリザベス、ゴルバチョフ、安倍の死が、21世紀的なる時代の終わりを告げる象徴だとすれば、これからどんな時代が始まるのか。これはまだ私の個人的な考えですが、「トランプ現象」や「ブレグジット」を見ていると、いま一度、「土着の時代」に戻るんじゃないかなと思っています。
――土着の時代?
福島 けっして原始的な「鎖国」の時代というわけではありません。世界とつながりながらも、自分が実際にいる土地とか人、モノと結びついて幸せになる時代でしょうか。
グローバリズムの時代、世界が一つになり、競争を通じていい果実が得られると信じて、人間は無理を重ねてきました。また、ネットやAI(人工知能)が進歩し、バーチャルな世界で様々なことができるようになりました。そんななか、多くの人が、お金は得ても満足感は得られなかったり、自分の居場所はないという寂寞感に襲われたりしています。また、競争からこぼれ落ちた層の人たちは、他にぶつけようのない不満感を充満させています。
そういう人が最後に戻るべきところは、人間的な身体性しかない。自分はどこで生まれて、どこで行き、どこに帰るのかが大切になる時代。まだ生煮えですが、それが「土着の時代」に込めた意味です。
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