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「女性、生命、自由」イラン・ヒジャーブ抗議運動の深層

1人の若い女性の不条理な死への怒りが、なぜこれほど燃え広がったのか

ケイワン・アブドリ

 2022年9月13日、あるクルド系の若い女性がイスラーム的ドレス・コードに違反したとして警察の「指導パトロール」部隊に拘束された。拘束された数時間後、彼女は拘置所で倒れ、病院に搬送され、3日後に死亡した。女性の名はマフサー・アミーニー。22歳の彼女は9月21日開始の新学期から、地元から200キロ離れたウルーミエー大学に入学予定であった。彼女の死は、誰にも想像できなかったほどの大きな波紋をイラン全土に広げた。

地元紙拡大テヘランでヒジャーブの着用が不適切だとして逮捕後、死亡したマフサー・アミーニーさんの事件について報じる地元紙=2022年9月20日

 指導パトロール部隊(注1)は2006年に設立された組織だ。いわば「道徳警察」である。非常に暴力的で、とくに若い女性に恐れられている部隊だ。構成員は体格は良いが教育水準は低い男女の警察官たちで、警棒やときに拳銃を使って、「社会のモラル」を維持しようとする。だが彼らが担っているのは、実際のところ、モラルの維持ではない。現在のイランの全体主義体制を支える機能の一つ、「イデオロギー的価値の強制」である。

注1)「指導パトロール部隊」は日本のメディアでしばしば「風紀警察」や「道徳警察」と訳される。この訳語は間違いではないが、その背景にある理念を十分に伝え切れていないように感じる。つまり体制側の理念によれば、警察の「指導パトロール」の仕事は「取締り」ではなく「指導」である。なぜならイスラーム的ドレス・コード(ヒジャーブ)に反する者はヒジャーブの必要性を「理解」していないから、彼らを正しい道に「指導」しなければならない、というのである。これはまさに全体主義体制の論理である。もちろんこれはあくまでも理念の話であって、「指導パトロール部隊」がやっていることは他の国の「風紀警察」と変わりなく、人々の「取締り」である。因みに革命後に、「文化・芸術省」の名前は「文化・イスラーム指導省」に変更されたのも同じ理由である。こうした背景を踏まえ、ここでは敢えて「指導パトロール部隊」という表現を用いる。

 イランのイスラーム共和国は、43年前に大勢の国民が参加した革命運動の結果として樹立された。この革命にはさまざまな社会層が参加したが、実態は同床異夢だった。革命が成就する前、指導部が約束したことは「王政より自由で平等な社会の実現」であった。しかし権力を掌握するやいなや、政権はあっという間に豹変し、優先すべきはイランの「イスラーム化」であると宣言した。国家の暴力装置を使い、イスラーム法に基づく社会の再構築を目指したのである。彼らは政治的自由や経済的平等という革命時の公約実現を反故にしただけではなく、王政下で定着しつつあった社会的自由までも市民から奪った。奪われた代表的権利の一つが、女性による服装の選択の自由であった。イスラーム共和国樹立から間もなく、全ての女性は、たとえイスラーム教徒ではなくとも、イスラーム的ドレス・コードとして、「ヒジャーブの正しい着用」の順守義務を課された。女性は外出する時、顔や手、足元を除いて、全身を隠さなければならない、という義務である。マフサーが拘束された理由はこの義務を怠ったことだった。だが実は女性たちは自らの権利を剥奪するルールに素直に従ったわけではない。あらゆる方法で抵抗を示してきた。この43年間は、イスラーム体制と自らの服装を自由に選択したい女性たちとのあいだの闘争の歴史でもあったといえるだろう。

「ヒジャーブ」は日本では「ヒジャブ」と表すのが一般的ですが、イラン出身の筆者の表記を尊重しています。以下、イランの人名や地名などの表記も同様です(編集部)

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筆者

ケイワン・アブドリ

ケイワン・アブドリ(keivan abdoly) 

 1967年テヘラン生まれ。10代でイラン・イスラーム革命(79年)とイラン国内の大弾圧(80年代初期)、イラン・イラク戦争(80~88年)を経験。東京在住30年。神奈川大学非常勤講師。専門は中東地域研究/イラン経済/経済学。近著に「イランにおける企業発展の歴史と現状―「国家資本主義」と「権威主義」の狭間で―」山本博史編著『アジアにおける民主主義と経済発展』文真堂、(2019年)、「20世紀における日本とイランの経済関係史」原隆一・中村菜穂編『イラン研究万華鏡―文学・政治経済・調査現場の視点から―』大東文化大学東洋研究所(2017年)、「イラン―政治の底流にある諸派閥攻防の歴史と展望」後藤晃・長沢栄治編『現代中東を読み解く―アラブ革命後の政治秩序とイスラーム』明石書店、(2016年)、「イランにおける映画産業の発展史」貫井万里・杉山隆一編著『革命後イランにおける映画と社会』所収(2014年)等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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