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ジェンダーバッシングやバックラッシュにめげない世代が日本を切り開く

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【14】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

 元参院議員の円より子さんが1993年に「女性のための政治スクール」を立ち上げてから来春で30年。多くのスクール生が議員になり、“男の社会”の政治や社会を変えようと各地で奮闘してきました。平成から令和にかけて、「女性」をはじめとする多様な視点は政治にどれだけ反映されるようになったのか。スクールを主宰する円さんが、自らの政治人生、スクール生の活動などをもとに考える「論座」の連載「ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」。今回はその第14話です。(論座編集部)
※「連載・ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」の記事は「ここ」からお読みいただけます。

 1994年カイロで開かれた国際人口開発会議で「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の概念がはじめて公式に提唱された。しかし、自民党の安倍晋三氏や山谷えり子氏は、性の自己決定権は「誰とでもみさかいなく性交する自由」と曲解し、猛烈なジェンダーバッシングを行なった。

 93年8月、細川護熙政権が誕生した。この7月の衆院選で初当選したのが安倍晋三さんだ。私は同月に参議院に繰り上げ当選したので、いわば“国会議員同期”だ。

 安倍さんは祖父(岸信介元首相)も父(安倍晋太郎元外相)も与党議員だったのに、安倍さんの出発は野党議員からだった。38年続いた自民党政権が、細川さんを首班とする非自民連立政権に権力をあけわたしたからだ。当選はしたが、複雑な思いだったかもしれない。

安倍、山谷両氏がジェンダーフリー教育を大批判

「思春期のためのラブ&ボディBOOK」

 2001年秋、安倍さんは『思春期のためのラブ&ボディBOOK』を大批判する。05年4月には自民党内に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」ができ、座長に安倍さん、事務局長に山谷さんがつき、この本は廃刊に追いこまれる。

 国会の外でも石原慎太郎都知事が「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪」と発言し、女性たちの怒りを買ったが、この頃、都道府県の教育委員会では、ジェンダーフリーという言葉を使わないよう県立学校に通知するなど、自民党の安倍・山谷両氏の意見に従うところが多かった。都議会では、まともな性教育をしていた都立七生養護学校が猛攻撃を受けた。

 99年に男女共同参画社会基本法が成立したが、これを執ように妨害したのも、安倍・山谷両氏だった。2005年5月、自民党本部8Fホールで「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム」が行なわれ、二人はパネリストとして参加。萩生田光一氏が司会をしている。

自民党の反対でつぶされた夫婦別姓法案

 こうしたジェンダーバッシング、バックラッシュは選択的夫婦別姓にも及び、多くの地方自治体で夫婦別姓反対決議が行なわれた。大手新聞社のひとつ産経新聞は90年代前半までは夫婦別姓を容認していたが、96年に法務大臣の諮問機関である法制審議会が夫婦別姓法案を出すやいなや、「夫婦別姓は日本の文化を破壊する」と述べ、強烈な男女平等たたきを始めた。

 私は当時、新進党の人権部会長を務めていて、法務省の出した夫婦別姓法案が自民党によってつぶされると、即座に新進党から議員立法で出すことにして、賛成派反対派両方の有識者を呼んでの政策勉強会を始めた。部会も総務会も通して、参議院に提出したのだが、これも自民党の強固な反対に遭い、審議すらされないで終わった。

 『ラブ&ボディBOOK』は過激でもなんでもなく、思春期だけでなく、大人の女性や男性にとってもわかりやすい良い本だった。七生養護学校問題もその後、「こころとからだの学習裁判」が行われ、2010年に学校側が勝訴している。

 安倍さんや山谷さんの、信じられないほど過激な曲解やバッシングの背後には何があるのか。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の影響はなかったのか。

 旧統一教会の信者は圧倒的に女性が多いらしい。保守的な家族観を持ち、女性のセクシャリティを管理している。女性が性や自分のからだ、健康について自己決定するなど許しがたいと思っている。安倍・山谷両氏の考えと共通しているように見える。

内閣府の選択的夫婦別姓をめぐる世論調査の調査票。設問につけられた別表に世論調査の専門家から疑問の声があがった=2022年4月7日

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政治家の非科学的な曲解に憤り~早乙女智子さん

 早乙女智子さんは産婦人科医として、「思春期のためのラブ&ボディBook」にも関わっており、政治家の非科学的な曲解による介入等を苦々しく思っていた。さらに、女性のからだに優しい低用量ピルがなぜ認可されないのか、これらを変えていくためには専門知識をもった人間たちが、しっかり声をあげていかなければと思った。

 「平気でウソをつける政治家に対抗したい」と、産婦人科医の堀口雅子さんを初代会長に、科学的根拠にもとづいた情報を発信する組織として「性と健康を考える女性専門家の会」を立ちあげる。1997年のことだ。

 私もこの会に所属、低用量ピルの認可については、当時の小泉純一郎・宮下創平両厚生大臣に認可の陳情などさまざまに活動した。小泉さんは「えっ、認可してないのは我が国と北朝鮮だけ? それってまずいよなあ」と感想をもらしたものだ。

 1999年に低用量ピルは認可になったが、早乙女さんからみると、「ちっとも女性は変わらない」。どうしてなのか、と考えた。

 たとえば、DV(配偶者暴力)を受けて望まぬ妊娠をした女性、生活保護を受けていて経済的余裕のない女性と会うにつけ、中絶手術や避妊に国の補助があれば、助かる人が多いのではないかと思う。緊急避妊薬にしても、72時間の効果しかないのに、コンビニなどで手軽に手に入れることができない。医師の処方が必要なのはおかしくはないか。

「スクール」に入校、都議選に挑戦

着物姿で街宣活動中の早乙女さん。2021年都議選で。

 早乙女さんは、ちょっと困っているふつうの人の悩みを吸いあげられる医師になりたい、医療と福祉のはざまにある問題を解決したいと「専門家の会」の活動や現場の医療活動を通じて感じるようになった。それが政治につながる。

 7年前、赤松良子さんが主催する赤松政経塾に、そして3年前には、私の「女性のための政治スクール」に入校。2020年夏の都議選に、無所属で出馬した。

 選挙区は新宿区だ。長年、病院勤務をしていて、知りあいも多い。政治スクール生や私、赤松政経塾の仲間などがボランティアでかけつけた。着物姿でユニークな選挙戦を展開したが、惜敗。

 しかし、「手作り選挙は面白かった!素晴らしい経験だった」と意気軒昂。「出馬する前と後では世界が変ってしまった」という。「富士山の頂上の雲が晴れ、あそこに登りたいとの思い」がますます募ったらしい。

 来春の統一地方選に向け、準備を進めている早乙女さんは、次回は自宅のある神奈川で県議選に挑戦する予定だ。横浜市の人口370万人、神奈川は800万人。「県議のほうが、より広く医療にたずさわれると思うから」と、2人区で厳しい選挙区だが、毎日、産婦人科医としても働きながら選挙活動に余念がない。

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パートナーシップ証明書第1号で参院選出馬~増原裕子さん

 東京都渋谷区は2015年11月、全国に先駆けて「渋谷区パートナーシップ証明」を開始した。

 わが国では同性同士の婚姻が法的に認められていないため、公営住宅に家族として入居できなかったり、病院で家族と認められなかったり、さまざまな不利益がある。パートナーシップ制度により、結婚に相当する関係として、渋谷区が初めて条例を制定した。

 その証明書を受けとった最初のカップルの一人が増原裕子さん。彼女はその前に、パートナーとディズニーシーで結婚式も挙げたが、最初は「どちらかがタキシードを着て、異性のカップルに見えるようにしてくれればOK」といわれ、「ハァー」と思ったという。

 彼女は慶応義塾大学大学院を出た後、フランスに留学、スイスのジュネーブ公館に勤務した。そうした海外での経験が、自立した生き方に繋がっている。

 帰国後、増原さんは経営コンサルタントとして、会社を経営する傍ら、LGBTに対する差別禁止法をつくる活動をしている「LGBT法連合会」の事務局に入る。国会でロビー活動をしている中で、政治を手段として使うためにも、もっと勉強したいと、「女性のための政治スクール」に通い出す。

 そんな折り、立憲民主党が、2019年参院選に向けて専門分野で活躍している人を候補者として募集していることを知り、手をあげる。全国的な活動をしていたので比例を希望したが、京都選挙区で挑戦することになった。

 多様性を認め合う社会をめざしたいと訴えたが、自民・共産の候補者が当選。国民民主党は候補者を降ろして、増原さん支援にまわったが、共産とは1.2%の得票率で負けるという残念な結果だった。「選挙ってやりがいもあるけど、厳しいな」と思ったという。

 参院選の選挙区は広い。京都府全域だ。「労働組合とのつきあいとかで、あちこち挨拶にいかなきゃいけないし」 、「もう、国政はいいかな。別の形で、多様性を認める社会づくりに切りこみたい」 と言う。

明石市の「性の多様性を認める専門部署」で活動

明石市の職員として、小学生への出前講座で話す増原裕子さん

 兵庫県明石市で、「性の多様性を認める専門部署」ができ、専門職員を募集していることを知り、応募。現在は専門職として、パートナーシップ制度を創設しただけでなく、学校での教職員への研修、子どもたちへの出前講座、啓発・相談にとりくんでいる。

 「自治体レベルでのバックラッシュももちろんあるが、自治体でやれることを積み重ねていくことに手応えを感じている」という増原さん。だが、国レベルではLGBT差別禁止法はまだまだ無理だと言う。「旧統一教会を含む宗教右派の影響が強い自民党議員が政権を牛耳ってる限りムリ」

 増原さんの働く明石市の市長は泉房穂さん。私とは民主党時代の同僚だ。3年ほど前、明石市に視察に行き、久しぶりに会った。

 明石市は高校3年生まで医療は無料。中学生まで給食無料。第2子以降の保育料も完全に無料。0歳児には毎月、紙おむつや粉ミルクなどを市の研修を受けた見守り支援員が届け、育児の悩みを聞いたり、情報を届けてくれる。

 常にそうやって子どもに会っていれば、虐待も防げる。病気の子どもを預かる施設もある。いたれりつくせりで、他市から明石への転入が多く、人口が9年連続増え続け、出生率も2018年に1.70と全国平均1.42よりも高い。少子化の危機が叫ばれながら、有効な施策を打てていない国政に愛想を尽かすかのように、自治体議員たちは、明石市に見習おうとしている(10月12日、市長への問責決議案が賛成多数で可決され、泉さんは今期限りで引退すると表明した)。

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子どもの頃の志を胸に立候補~永野裕子さん

 豊島区議の永野裕子さんもそんな一人だ。

 2003年、民主党公認で豊島区議に初当選。豊島区では歴代最年少だった。だが、初選挙は大変だった。

 行政書士の資格を取り、事務所も開いていた。「女性のための政治スクール」で経験者から話も聞いてはいた。だが、選挙の苦労は想像を超えていた。党の公認といっても、資金やスタッフを潤沢に出してもらえるわけではない。街宣車なし事務所なしで、行政書士の友人たちのボランティアだけで戦った。

 選挙にと声がかかった際はずいぶん迷ったという。そんな時、偶然、「20年後の私」という小学校2年生の時の作文が出てきた。「広島のピカ」というテーマの感想文で、永野さんは「平和な世の中のために政治家になる」と書いていた。

 そうか、小学生の頃から、私は政治家をめざしていたのか――。迷いが消えた。子どもの頃の志は、今も永野さんの根っこになっている。

乳飲み子と2歳の子を抱えて選挙に「死ぬ思い」

円より子の応援に駆けつけてくれた永野裕子さん=2019年7月

 5年後、2期目の時、35歳で出産。3期目の選挙の時は第2子の出産後で、2歳の長男と乳飲み子の長女を抱えていた。

 「大げさではなく、死ぬ思いでした」という彼女。実家の母が来て、ウィークリーマンションに泊って2人を見てくれたが、母一人に任せるわけにいかない。永野さんの夫は渋谷区議で同じく選挙だった。しかし、彼は夕方5時に遊説をやめ、子ども二人を風呂に入れてくれたという。

 選挙は幼い子どもがいるときついが、議会活動も子どもがいることはハンディになってしまう。

 2017年、熊本市議が生後7カ月の長男を連れて議席に座り、議長らと押し問答になって、本会議開始が約40分遅れたというできごとがあった。「議場に子連れはよくない」との意見が目立ったが、ニュージーランドは違うようだ。本会議で質問する議員の赤ちゃんを、議長が抱っこしてあやしている写真を、ニュージーランド大使館から見せてもらったことがある。

 子どもはいつ、泣き声をあげたり、走りまわったりするかわからず、議場の進行を妨げられるのを心配する気持もわかる。子どもの月齢年齢等々でも違うが、かつては学校の教師も子連れで教えることがあったし、読売新聞の前身の新聞社では、女性記者が子連れで仕事をしていた(NHKの連続テレビ小説「はね駒」のモデル)。ただ、経済成長優先の中、職場に子どもを連れていくという風景もなくなってしまった。

「出産議員ネットワーク」を結成

 現在、女性は有権者の約52%を占めるが、地方議会議員に占める女性の割合は特別区で30.2%、都道府県で11.6%、市議会16.2%、町村議会で11.3%。1人も女性がいない地方議会は、市議会で29、町村議会では269も存在する。

 内閣府は、第5次男女共同参画基本計画で、政治分野における女性の参画拡大に向け、「すべての市区町村議会において出産が欠席事由として明文化されるよう」要請した。そもそも出産は想定されていず、2000年に参院議員の橋本聖子さんが妊娠を公表したが、参院規則には国会の欠席理由は「公務・疾病」などしかなく、あやうく「事故」として扱かわれそうになったという。

 その後、欠席理由に「出産」がつけ加えられ、衆院でも改正が行われた。地方議会でも改正は進んだが、未だに出産を事故として扱っている議会も残っているし、産休を認めているのも全体の1割だ。

 そこで永野さんは、出産を経験した議員たちと2017年、「どんな立場にあっても安心して妊娠・出産できる社会の実現」を目的に、「出産議員ネットワーク・子育て議員連盟」を結成。2021年にはマニフェスト大賞を受賞した。現在、全国の自治体議員250人が参加。こうした活動が自治体を動かしてきたのだ。

 豊島区は2040年までに若年女性数が50.8%減って2万4666人になると推計され、東京23区の中で唯一、消滅可能性都市として名前があがった。ショックを受けた区は女性の視点でさまざまな施策を考え、2020年には約3000人増となった。

 5期目の永野さんは、区民の誰もが楽しんでくらしていける区をめざし、明石市の泉市長の施策などを参考にしながら、区政に邁進する毎日だ。

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ポスター貼りのさなかに破水~名切文梨さん

 論座のこの連載では、これまで鹿児島県南さつま市議の平神純子さん、ふじみ野市議の民部佳代さんなど、出産と選挙が重なった人、出産直後だった岐阜県議の野村美穂さんを取り上げた。厚木市議の名切文梨さんもそんな一人だ。

 それまで藤沢市で暮らしていた彼女だが、厚木市に引越し、小学生の娘2人が、給食が不味くて食べられない、と言い出した。

 藤沢では、校内で手作りしていたのが、厚木では給食センターから運ばれてくる。藤沢市のようにできないものかと市に相談に行ったが、「承りました」と言われるだけ。

 PTAを動かすしかないと考えた名切さんは、その旗ふりをやっていたが、突然、市議選に出てほしいとの話が来た。夫と民主党の県議が知りあいだったからだ。2007年のことだ。

 当時、彼女は妊娠中。厚木市の選挙は6月で、出産予定日は5月。とても無理。4年後にしたいと言ったら、「えっ」と娘たち。4年後では娘たちは小学校を卒業だ。夫も、なんとかなるさ、頑張れと言う。決心した。

 活動していると、お腹の子が降りてくるのがわかる。妊娠経験のある人ならわかると思うが、臨月近いと、お腹の子は降りてくる。名切さんは降りてくる子に、「まだ、生まれないでね」と話しかけていたが、二連ポスターを貼ろうとしたその時、あっ、破水! 慌てて病院へ。そして出産。生まれたのが5月。選挙は6月だった。

「物言う女性はたたかれる。でも、社会を変えたい」

当選して達磨に目を入れた名切文梨さん=2015年7月。

 「いろいろ言われましたよ。あの人、市議になったらすぐ産休をとるんじゃない。そんな人、議員にしていいの、とかね」。だから、選挙期間の1週間、「破水したことも、生まれたばかりの子どもがいることも一切言いませんでした」

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