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地方の暮らし、農業、食の安全、子どもの教育を守りたい~女性たちの決意と挑戦

「女性のための政治スクール」30年の歩みから考えるジェンダーと政治【15】

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

 元参院議員の円より子さんが1993年に「女性のための政治スクール」を立ち上げてから来春で30年。多くのスクール生が議員になり、“男の社会”の政治や社会を変えようと各地で奮闘してきました。平成から令和にかけて、「女性」をはじめとする多様な視点は政治にどれだけ反映されるようになったのか。スクールを主宰する円さんが、自らの政治人生、スクール生の活動などをもとに考える「論座」の連載「ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」。今回はその第15話です。(論座編集部)
※「連載・ジェンダーと政治~円より子と女性のための政治スクールの30年」の記事は「ここ」からお読みいただけます。

 2011年3月11日に起きた東日本大震災では、岩手・宮城の両県だけでも2000万トンを超すがれきが出た。津波で破壊された家々や家財道具ががれきと化したからだ。

 「円さん、鎮守の森のこと知っていますか」。そう細川護熙元総理から電話があったのは震災後ほどなくしてのことだった。

「森の長城プロジェクト」で広がる緑の防潮堤

 原発事故の処理をどうするかに、民主党政権は頭を悩ませ、対応に追われていたが、膨大な量のがれき処理もまた、大きな問題だった。

 「あの津波でも鎮守の森はやられてないんですよ」と細川さん。人間が材木生産を優先して人工的に作った針葉樹林は津波でやられたが、鎮守の森の常緑広葉樹は地中深く根を張るため、倒れずに残ったのだという。

 膨大な量のがれきを埋めた上に常緑広葉樹を植えて森をつくれば、がれき処理だけでなく、防潮堤にもなる。それが細川さんからの私への伝言だった。

 がれきは焼却すれば二酸化炭素が出るし、広域処理ではコストがかかる。地元での有効活用が一番だ。そうした前例は幾つもあると言う。横浜の山下公園は関東大震災後にがれきを活かしてつくられた公園だし、ロッテルダム、ミュンヘン、ベルリンの立派な森の下には、第2次世界大戦後のがれき、戦車さえ埋まっているという。

 コンクリートの巨大防潮堤より、がれきを埋めて、常緑広葉樹の森をつくったほうが津波にも強いし、美観もいい。どんぐりから苗木を育てて植えるという行為を、子どもたちや大人が一緒にやるのは素晴らしい。豊かな森のミネラルが海に注がれ、漁業や養殖業が盛んな海を一層豊かにできる。一石二鳥どころか、三鳥四鳥にもなる。

 私はすぐさま、常緑樹の森づくりを世界中で広めていた生態学者の宮脇昭先生と細川さんに、がれきの処理に悩んでいた細野豪志環境大臣や平野達男復興副大臣と会ってもらった。さまざまに鎮守の森構想を説いたが、結局、細野さんはがれきは広域処理で焼却し、宮城県の村井嘉浩知事は、海と人を遮断する巨大なコンクリートの防潮堤に着手した。

 100年後、いや1000年後を見すえた森の防潮堤は政府には顧みられなかったが、細川さんは諦めず、宮脇先生と共に「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」を立ち上げた。東日本大震災から10年、今、東北の海沿いに多くのボランティアによって植樹された緑の防潮堤が広がりつつある。

初回の植樹をする故・宮脇昭氏(左から2人目)。左は碇川豊前町長で、右から細川護熙元首相と細野豪志環境相(当時)=2012年4月、岩手県大槌町小鎚

東日本大震災を経験し東京から安曇野へ~小林陽子さん

 その東日本大震災の際、2人目の子どもを産んだばかりの小林陽子さんは、「東京ではくらせない、子どもを育てられない」と感じたという。「産後うつだったのかもしれないけれど、計画停電で街中は暗いし、あたりまえと思っていた生活が足もとから崩れるような本能的危機感をもった」という。

 このまま東京23区でくらしていていいのか。もっと地に足のついたくらしをすべきではないか。子どもを連れて、夫の実家の安曇野市に行った時に口にしたアスパラガスの何と美味だったことか。いつしか農業をしながら安曇野で子育てをしたい。夫とそんな話をするようになった。

 とはいえ、夫は大学から東京に来て、都内の一流銀行につとめる銀行員。農業をしたことはない。彼女も津田塾大学を出た後、企業に勤めた。すぐに仕事をやめて農業というのは現実的ではない。上の子が社会人になるまでの5年間を準備期間と決めた。

 その間に、ファイナンシャルプランナーとして仕事の幅を広げた。そして計画通り、上の子は社会人として東京に残り、小林さんは夫、5歳になった二男と安曇野に移り、夫の実家の小林農園を継ぐ。新鮮なおいしさが衝撃的だったトマトやアスパラなどの栽培に、夫の両親の助けを得て精を出した。

「彼女は、僕より向いているんじゃない」

 1年後、夫の友人たちが、市議選に夫をかつぎたいと言ってきた。夫は農業の「いろは」がわかり始めたばかり。他のことに手を出す気にはなれない、せっかくの申し出だが、と断る。

 同時に夫は代替案を出した。「彼女はどう? 僕より向いているんじゃないか」。夫をかつごうと説得にきた友人たちはびっくり。「えっ、女が政治? 女が市議に?」。そんなことは想像もしていなかったようだ。

 「夫の友人たちだけではないんです。子育て中の女性と政治というのがまったく結びつかない土地柄で、私が出馬すると決めた後も、近所の人やさまざまな人から『女が選挙に出て何するの』と言われました」

 夫が彼女を推した時、一番驚いたのは彼女だったかもしれない。しかし、移住してきてから日々、「若い人が町にいない」と感じていた。若い人が住みつづけたい町にしないと、このまま衰弱するのではないかと、危機感を深めていた。

 夫は「君ならやれるよ」と言う。10月の選挙を控えた7月、小林さんは小林農園で採れたトマトとアスパラをもって私の東京の事務所をたずねてきて、「女性のための政治スクール」にも入校した。

 私のアドバイスにしたがい、彼女は近辺の女性たちを集めて野菜をつかった料理と食事会を始めた。子どもや家族の悩みごとも話す。毎月のやりくりや老後の資金の相談は、ファイナンシャルプランナーのお手のものだ。

新宿駅構内での安曇野市農産物をPRするイベント(あずさマルシェ)に参加した小林陽子さん

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学校給食での地産地消率を60%にしたい

 夫の両親や夫も、地縁を活かしてさまざまなところに声をかけてくれた。小林さんは最年少で当選を果たした。

 「最年少といっても46歳。20代はほとんどいない地域なんです」。彼女がまず政策の柱にしたのは農業の振興だが、名物の米・りんご・わさびでさえ大変なのが実情だった。

 「農業資材も肥料もほとんどを海外から輸入していて、2倍近い価格になっている。農業では食べていけないのが現実なんです。何とか食料自給率を上げて、農と食を守りたい」

 小林さんは今、学校給食での地産地消率を60%にしたいと思っている。「東京の小平市は3%だったのが今や30%。安曇野は地元の食材が24%。学校からでも変えていきたい」と意気込む。

 そして、次に優先するのは、若い人の住みやすい安曇野市にして、次世代につなげることだ。そのための仕掛けが、パリテカフェや暦の会。移住当初から取り組んできた暦の会では、24節気ごとに農園で採れた野菜を料理し、みんなで食べながら話しあう。

 「この話しあいから、おじさん議員の関心外のことが出てくるんです。エアコンを学校や保育園に設置する。防災倉庫を大きくする。子どもに危険な通学路を改善する。小さいことだけど、お母さんたちがいくら要望してもダメなことを、暦の会やパリテカフェで吸い上げて、私が代弁する。これからも頑張ります」

音楽教師から三郷村村議に~降旗幸子さん

 今は安曇野市に合併した三郷村の村議だった降旗幸子さんには、スクール生の後輩である小林さんが出馬する際、支援してあげて、と頼んでいた。

 松本市の名門・松本深志高校を卒業した降旗さんは、国立音大を出たあとヤマハ音楽教室につとめ、地元に帰ってからも音楽教室を続けた。指揮者の小澤征爾さんの「松本フェスティバル」にも、設立から携わるなど多くのボランティア活動をしてきた。人脈の広い彼女なら小林さんの力になると思ったからである。私のスクールにも長年通い続けている。

 そんな音楽一筋の降旗さんが村議になったのは、ある日突然、三郷村の地区長が「村議に出てくれ」といってきたからだ。三郷村ボランティア協会設立に参加して会長を歴任、社会福祉協議会理事、民生児童委員などさまざまな活動をしてきた彼女に、地区長が目をつけたのだ。

 町や村には幾つも地区があり、そこに地区長がいる。選挙になると、ほとんどを地区長を中心に次はだれを議員にするを決めていて、他の人は出られない。仮に出たくても、地区の人は地区長の推す人物に投票するから、なかなか当選できない。今もそれが地方の状況だ。

村議・県議をつとめた夫が後押し

社会教育功労者賞をもらい、夫と記念撮影する降旗幸子さん(左)

 村会議員・県会議員を歴任した降旗さんの夫は、「彼女の活躍ぶりをみていたというけど、女に政治なんかできるかという土地柄だからね。きっと私が村長選に出るんじゃないかと推測し、それを阻止しようと妻を村議にといってきたんじゃないかな」と茶々を入れた。

 「しかし面白いだろう。女が政治にかかわって何が悪いというのを見せつけてやれ、出たほうがいいって、私は彼女に言ったんだよ」

 降旗さんは、男女の固定的性別役割分業を変え、女性がもっと活き活きと生きられる村づくりをしたかった。音楽教室も幼児教育も、夫と二人三脚で何でもやり、どちらかが遠慮するという関係ではなかった。しかしまわりは違った。

 「何度も村議会の議長から私に電話があってね。今度の採決、奥さんには賛成してくれといっておいてくれとかね。彼女の考えで賛否を決めることに、なんで議長が電話なんかしてくるんだ。私は彼女に何かいう権限なんてないよ、と突き放すんだが、村議会ってそういうところなんだよ。いまだに日本中似たりよったりかも」。降旗さんの夫の弁である。

定年まで市役所職員、市議に転進~岩波万佐巳さん

 同じ長野県の諏訪市で市議になった岩波万佐巳さんは、東京の大学を出たが母子家庭の一人娘だったので故郷に帰り、市役所につとめた。

 「公務員って差別のない世界と思っていたら、昇給も昇進も男女で何もかも違う。研修会にも行かせてもらえない」。それでも、婿に来てもらった夫と3年で離婚、子どももいたから仕事はやめられず、60歳の定年までつとめた。

 長野からは「女性のための政治スクール」に多くの女性が東京まで勉強にきていたことは、第5話「普通の女性が議員になる時~疑問に声をあげる勇気を持つ 背中を押す人の存在も」にも書いた。そのなかの数人から話を聞いていた岩波さんは、“第2の人生”を政治にかけてみようと思うようになっていた。

 とはいえまったく知らない世界。とにかく、スクールに行ってみようと、諏訪から毎月東京に通い出した。「全然知らない世界を垣間見られて、へえっそうなんだと新鮮な驚きがあったし、勉強にもなった」

 出前スクールを地方でやるので、会場や人集めの手配のできる人いるかしら、という私の提案に、岩波さんが「諏訪でやって下さい」と真っ先に手を挙げた。企画からすべてを岩波さんが担当し、諏訪市だけでなく安曇野からも小林陽子さんや降旗幸子さんが参加。懇親会の席で岩波さんらスクール生2人が統一地方選に挑戦すると出馬表明した。

 「諏訪市には5つの地区があり、自分の住んでる地区には仁義を切ることが大事なんです」。何の基盤もなく、選挙のやり方も知らない者にとって、地区の協力は大事だ。協力できないと言われる人もいるが、岩波さんはなんとか協力してもらえることになった。バレーボールの仲間や息子の同級生のお母さんたちも協力してくれた。諏訪でやりたいこと、市民から聞いていた声を書いたチラシのポスティングもした。

 緊張したのは、マイクをにぎって話す時。声が震えてできなかった。「手だけ振り、原稿よんでました。」 と笑う。それでも当選できたのは、第一に女性だったことだという。

地元(諏訪市中洲福島)敬老会の方々と懇談する岩波万佐巳さん(手前)=長野県諏訪市、2019年9月15日 

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女性議員を増やそうという空気も

 離婚して一人というと「一人前」とみられない土地柄だったが、時代は女性議員を増やそうという空気に徐々に変っていた。もうひとつは、長年、市の職員だったので、市の事情に精通していると思ってもらえたことだという。

 今は社会文教委員会に所属。小中一貫校設立にかかわった。少子化が進み、諏訪でも子どもが少しずつ減ってはいる。でも、子どもたちに心を育む豊かな教育ができればと考えている。50年経ってさすがにボロボロになってきた小学校も、しっかりといい学校にしたい。やりたいことは沢山ある。

一生住むと決めた町を暮らしやすくしたい~岩﨑さやこさん

 東京の西北にある東久留米市は、湧水が豊富で広葉樹林が広がる。オフィスや工場は少なく、大規模団地の多い住宅地だ。昭和30年代後半から人口が急増したが、今は高齢化率が高い。

 11年前に港区から東久留米市に転居した岩﨑さやこさんが、政治に関心を持つようになったのは、男女平等推進センターの市民委員の活動していた時、2021年12月の市長選討論会で出会った人たちの影響が大きいという。食の安全や環境問題に熱心にとりくんでいる人たちで、彼らと市議会の傍聴にも行くようになった。

 市議会は彼女にとって、「ただ時間を消化しているという感じで、熱意が感じられないことが多かった」 らしい。さらに、息子が学校でいじめを受けていたことが判明し、対応に頭を悩ますなか、市の教育行政に目がいくようになる。

 「市民の一人一人が声をあげて変えていく努力をしなければと思ったんです。行政任せじゃダメではないかと」

 以前住んでいた港区と比べると、東久留米のほうが親の出費が多い。市の財政が厳しいとはいえ、子育てや教育の支援体制が充実していないのではないか。豊かな自然があり、子育てにうってつけの場所なのにもったいない。市政にもっと意見をいえるようになりたい。一生住むと決めたこの東久留米市をもっとくらしやすい町にしたい。

 そう思うようになった折、2023年の統一地方選が視野に入った。「選挙のことなど何も知らないし、無謀だと思ったけれど、市議選に出ようと決めたんです」。そこで入校したのが、「女性のための政治スクール」だ。「現職議員や元職の方々から、議員の仕事、選挙の方法など、毎回、講義の後のお茶会で話が聞けて、勇気がでました」

市内で友人たちとチラシ配りをする岩﨑さやこさん

「子どもたちの食の安全と農家の両方がウィンウィンに」

 子育てや教育のこともやりたいが、農業や食の安全にも関心がある。市議選に出るという岩﨑さんを応援してくれる人には、長く学校給食にとりくんできた人もいる。環境問題に詳しい人もいる。彼らの支援はたのもしい。

 隣の小平市では、地場野菜などを給食に30%も取り扱っている。東久留米もトマト・ホウレンソウ・キュウリが特産で、野菜の産出額は都内5位。「東久留米でもぜひ、給食の地場野菜比率を上げ、子どもたちの食の安全と農家の両方がウィンウィンになるようにしたいんです」

 3人の子どもたちは、「ママが落ちたらかわいそうだね」と言っているらしい。頑張れ、岩﨑さん。

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