安保・自衛隊政策をめぐる野党間の「共通の土俵」をつくるため全党的議論の場を
2022年11月08日
人生の転機は静かに訪れた。
今からちょうど1年前の11月19日。私は、ほぼ毎日書いている自分のブログ(「超左翼おじさんの挑戦」)に、次のように書いた。(参照)
これまで書いてきたことは、私にとっては自明のことだが、多くの(共産)党員にとってはそうではなかろう。しかし、もし野党共闘の路線を進めようとするならば、議論しておかねばならないことである。
つまり、全党的な討議が不可欠である。その討議のやり方の一つとして、日本のほかのすべての政党がやっているように、党員投票による党首選挙を実施し、議論を闘わせるやり方もあるのではないか。他の野党から共闘路線への異論が出て来る背景には、これまで論じてきた(安保・自衛隊をめぐる)基本政策の違いということとともに、いわゆる『体質』にからむことが多いが、党首選挙の実施はそれらをクリアーすることにつながると思う。
もし、そういう選挙が実施されるなら、私は立候補しようと考えている。
前月の末(10月31日)に第49回総選挙の投開票が行われていた。選挙結果は、ご存じの通り与党勢力の圧勝で、立憲民主党と共産党は大きく後退する。この記事は、「総選挙結果に関する覚書」と題して10回にわたって連載してきた記事の最後のまとめだった。
その前日までは、最後の結論部分において、共産党にとって党首公選が不可欠になっていることは書くつもりだった。しかし、自分が立候補することなど、頭の片隅にもなかった。けれども、党首公選の必要性のところまで書き進めてきて、このままでは読者を納得させる内容にならないと考えたのである。
なぜなら、選挙を実施したところで、共産党の現状をリアルに見ると、立候補者が誰もいない事態が予想されるからである。立候補者がいないことが分かっていながら選挙を実施せよというのでは、あまりに信頼性に欠ける記事になる。だから、誰かが立候補することは確実だと書かねばならないが、そういう党員がいるとは思えない。
それならば、自分が立候補すると表明すればいいだけのことだ。他に選択肢はない。先ほど引用した最後の一文を書いたのは、今から振り返ると、そんな気持ちの動きのあらわれだったように思う。
それからしばらく経ったある日のことだ。私のこの記事を見たという人からメールが寄せられた。共産党員だと名乗ったその人は、「自分が所属する地区の党会議で、松竹さんという人が立候補するとブログで書いているのだから、党首公選を実施すべきではないかと発言しました」というのである。
共産党は職場や地域ごとに「支部」という党員の集まりをつくるが、それをいくつか集めたのが「地区」であり、その上に「都道府県」の組織がある。党会議というのは、共産党の規約第34条で「地区組織の最高機関は、地区党会議である」と定められているいちばん大事な会議であり、年に一回開かれている。
そうか、自分が何気なくブログで書いていることは、こんな結果をもたらすのだ。書いたことには責任を持たなければならない。そんな思いにさせられた。
それまでは、このままおとなしく人生の最期を迎えようとしていたのだが、「最後のご奉公」をしなければと思った。その後、共産党に党首公選の実施を求め、実施されれば立候補するということを、どの場でも公然と表明するようになったのである。
さて、ここまでこの記事を読んで来た人の多くは、おそらくあきれ果てているに違いない。
まず、共産党のような体質の政党が、党員が投票できるような選挙を実施するはずがないから、私の主張には何の現実味もないと感じるだろう。しかも、その主張をしている松竹(「まつたけ」という読み方も知られていないはずだ)という人物など聞いたことも見たこともなく、かなり跳ね上がりのヒラ党員が大言壮語しているだけだと受け止めるのではないだろうか。
正直に言うと、そこは否定できない。共産党は、党首公選を求める声があることを認めつつ、現在の党首公選の方式がもっとも民主的だとして、すでに公選を否定する見解を出している(党の一部門の論文にすぎないので、最終的な公式見解かどうかは分からないが)。
また私は、かつて党中央の政策委員会(他党の政策審議会とか政務調査会などと同じである)で働き、安保外交部長という肩書きをもらったこともあるが、16年前に退職して地方の小さな職場党支部に所属し、毎月の党費を欠かさず納めるなど党員としての義務を果たしつつ、なるべく目立たぬように生きてきた。そんな私が何を主張したところで、「一枚岩」とも呼ばれる共産党に影響を与えるような力はない。
ただ、もし共産党が党首公選を実施するならば、私には立候補する資格だけはあるのではないか。他の人にはなくても、私にはある。それだけは理解してほしいのである。以下、その事情を述べる。
選挙というのは、政策などに違いがあって、どちらを選ぶのかをめぐって争われるものである。議員を選ぶ場合も、党首を選ぶ場合も、そこに違いはない。そういう観点から共産党を眺めた場合、党首公選を行う意味が見いだしづらい。なぜなら、政策その他で党内に違いがあるように見えないからだ。
ネットでこの問題に関連する共産党の話題を見ていると、いろいろな人の名前が出て来る。次の党首は引き続き志位和夫氏という意見以外にも、代わるとすれば安定感で小池晃氏だろうとか、女性重視で田村智子氏がいいとか、ここは思い切って若手の山添拓氏ではどうか、最近「赤旗」に登場するようになった田中悠氏とはどんな人物かなどの声が出ており、確かに共産党には有能な人材がいるなと感じる。
小池氏は私が政策委員会に在籍していたとき、政策委員長として指導してくれた方であり、たいへん尊敬している。田村氏は学生時代から有能で性格も明るい活動家として知っており、最近の言動を見ても国民の常識に近い。田中氏は学生時代、イラク反戦闘争をリードし、挫折も経験しつつ、リーダーとして育ってきた様を見てきた。山添氏とだけは面識がないが、国会質問の鋭さでも、有権者に信頼され選挙に強い人望という点でも、群を抜いている。
けれども、これらの人が党首になりたいと思っても、選挙にはならないのではないか。志位氏と選挙で争うとして、他の4人が志位氏と異なる政策を掲げるようなことは、まったく考えられない。これらの人はすべて中央委員であるが、この間、何回、何十回と開かれた中央委員会は、提案された議案を「全会一致」で可決してきたからである。
つまり、誰かが出馬したとしても、争うべき政策や方針のない選挙となって、選挙としては意味がなくなる(若さや性別も争点だという立場もあるかもしれないが)。もし、これらの人が異なる政策、方針を掲げるなら、それまでは面従腹背してきたことになり、党員としての資質が問われることになってしまうのである。
そこが私の場合、決定的に違う。私が党の政策、方針に異論を持っていること、それが現在の野党共闘の障害となっている安保・自衛隊をめぐる問題であることが、共産党の手によって17年前(2005年)に公開されているからである。それこそが、私には立候補の資格があると考えた所以である。
2005年、共産党の月刊誌の1つである『議会と自治体』(6月号)に、私の短い文書が掲載された。その前月号の巻頭に、「9条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」というタイトルの論文を寄稿したのだが、その論文に間違いがあったことを認めた文書である。
共産党内では、これを「自己批判文書」と呼ぶ。「お前は間違いを犯した」と指導されて書かされる党員は少なくないが、党の雑誌に公開された事例は、それまで不破哲三氏と上田耕一郎氏の二人だけに限られ、ただの勤務員の自己批判文書の公開はかなり異例のことであった。
共産党は2000年の第22回大会で、日本が侵略された際は自衛隊を活用するという、いわゆる自衛隊活用論を決定した。1994年には、憲法9条を将来にわたって堅持することも決めている。私が自己批判するはめになった論文は、そうした党の諸決定をふまえ、改憲問題が日本政治の焦点となってきた局面において、国民世論が9条も大事だが自衛隊もリスペクトしているという現状を指摘しつつ、共産党が一方では9条を堅持することを明らかにするとともに、他方で侵略されたら自衛隊で日本を防衛するという立場に立っているが故に、共産党は9条支持派と自衛隊擁護派をつないで護憲の多数派をつくる特別に重要な役割が果たせるという趣旨のものであった。
ところが、雑誌の刊行直後、志位氏からこの論文は共産党の立場から大きく逸脱しているとの批判があり、次の号に自己批判文書を載せるよう求められたのだ。
志位氏の批判の根拠は、侵略されたら自衛隊で防衛するという党の立場は、安保条約が廃棄されて以降の方針であって、それ以前にも自衛隊を使うという私の考えは間違いだというものであった。これに対して私は、安保条約があろうがなかろうが、日本が侵略されたら自衛隊で日本を守るのは当然だという立場を表明する。
それから1カ月近く、小池晃氏などとの議論が続くが、意見の相違は埋まらなかった。だから私は「自己批判書は書かない。どなたか幹部が私を批判する論文を載せれば良いではないか」と表明した。それに対して志位氏から、意見の違う問題は留保したままにしていいけれども、論文中に自衛隊が違憲だと書かれていないことだけは自己批判せよと求めがあり、そこでは合意することになったのが、この問題の当時の顛末(てんまつ)である。
それから1年後の2006年、私は党本部職員を退職した。
2015年、集団的自衛権を一部容認する新安保法制が成立した直後、志位委員長は野党共闘を基礎にした「国民連合政府」構想を提唱する。この「政府」は、安保条約を維持する政府であるが、志位氏はそれでも日本が侵略されたら、自衛隊を活用すると明言した。2005年に私が自己批判を求められた見解に、志位氏が接近してきたのだ。私はこの提唱を強く歓迎した。
それでも他の野党はなお、「安保・自衛隊をめぐる基本政策が異なる」として、共産党との政権共闘に前向きではない。共産党自身、基本政策が異なることは認め、だから自分の立場を野党共闘で成立する政権には持ち込まないと述べている。
一方、私は退職後、元防衛官僚の柳澤協二氏を代表とする「自衛隊を活かす会」の事務局長を務め、現行憲法下での防衛政策のあり方を探究してきた。その結果、9条下であっても、現在の共産党綱領のもとでも、日本の防衛政策を信頼性あるものにすることができるし、野党とも政権共闘のための「共通の土俵」をつくれると確信するに至った。
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