メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

私、共産党の党首選に出ます!~「自衛隊活用論」を唱えてきたヒラ党員の覚悟

安保・自衛隊政策をめぐる野党間の「共通の土俵」をつくるため全党的議論の場を

松竹伸幸 編集者・ジャーナリスト

 人生の転機は静かに訪れた。

 今からちょうど1年前の11月19日。私は、ほぼ毎日書いている自分のブログ(「超左翼おじさんの挑戦」)に、次のように書いた。(参照

 これまで書いてきたことは、私にとっては自明のことだが、多くの(共産)党員にとってはそうではなかろう。しかし、もし野党共闘の路線を進めようとするならば、議論しておかねばならないことである。

 つまり、全党的な討議が不可欠である。その討議のやり方の一つとして、日本のほかのすべての政党がやっているように、党員投票による党首選挙を実施し、議論を闘わせるやり方もあるのではないか。他の野党から共闘路線への異論が出て来る背景には、これまで論じてきた(安保・自衛隊をめぐる)基本政策の違いということとともに、いわゆる『体質』にからむことが多いが、党首選挙の実施はそれらをクリアーすることにつながると思う。

 もし、そういう選挙が実施されるなら、私は立候補しようと考えている。

 前月の末(10月31日)に第49回総選挙の投開票が行われていた。選挙結果は、ご存じの通り与党勢力の圧勝で、立憲民主党と共産党は大きく後退する。この記事は、「総選挙結果に関する覚書」と題して10回にわたって連載してきた記事の最後のまとめだった。

拡大松竹伸幸さん(筆者提供)

自らが立候補すると表明した理由

 その前日までは、最後の結論部分において、共産党にとって党首公選が不可欠になっていることは書くつもりだった。しかし、自分が立候補することなど、頭の片隅にもなかった。けれども、党首公選の必要性のところまで書き進めてきて、このままでは読者を納得させる内容にならないと考えたのである。

 なぜなら、選挙を実施したところで、共産党の現状をリアルに見ると、立候補者が誰もいない事態が予想されるからである。立候補者がいないことが分かっていながら選挙を実施せよというのでは、あまりに信頼性に欠ける記事になる。だから、誰かが立候補することは確実だと書かねばならないが、そういう党員がいるとは思えない。

 それならば、自分が立候補すると表明すればいいだけのことだ。他に選択肢はない。先ほど引用した最後の一文を書いたのは、今から振り返ると、そんな気持ちの動きのあらわれだったように思う。

メールを読んで「最後のご奉公」を決意

 それからしばらく経ったある日のことだ。私のこの記事を見たという人からメールが寄せられた。共産党員だと名乗ったその人は、「自分が所属する地区の党会議で、松竹さんという人が立候補するとブログで書いているのだから、党首公選を実施すべきではないかと発言しました」というのである。

 共産党は職場や地域ごとに「支部」という党員の集まりをつくるが、それをいくつか集めたのが「地区」であり、その上に「都道府県」の組織がある。党会議というのは、共産党の規約第34条で「地区組織の最高機関は、地区党会議である」と定められているいちばん大事な会議であり、年に一回開かれている。

 そうか、自分が何気なくブログで書いていることは、こんな結果をもたらすのだ。書いたことには責任を持たなければならない。そんな思いにさせられた。

 それまでは、このままおとなしく人生の最期を迎えようとしていたのだが、「最後のご奉公」をしなければと思った。その後、共産党に党首公選の実施を求め、実施されれば立候補するということを、どの場でも公然と表明するようになったのである。

>>この記事の関連記事


筆者

松竹伸幸

松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき) 編集者・ジャーナリスト

1955年長崎県生まれ、一橋大学社会学部卒。全学連(全日本学生自治会総連合)委員長、日本民主青年同盟国際部長を経て、日本共産党政策委員会安保外交部長などを歴任。2006年に退職後は、編集者・ジャーナリスト、「自衛隊を活かす会」(代表=柳澤協二)事務局長、日本平和学会会員として活動。著書に『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)、『慰安婦問題をこれで終わらせる。』(小学館)、『改憲的護憲論』(集英社新書)、『異論の共存戦略』(晶文社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

松竹伸幸の記事

もっと見る