「新興vs既存」政党の興亡の30年から見えるもの~漂う民意をつかむのは?
選挙や政治が必要と感じられる国に~樫野孝人「政治変革はどこから始まる?」【1】
樫野孝人 かもめ地域創生研究所理事 地域政党連絡協議会顧問
イエール大学助教授の成田悠輔さんは、著書『22世紀の民主主義』(SB新書)の中で、「将来的には政治家はソフトウェアやアルゴリズムに置き換えられ、自動化されていくだろう。言い換えれば、政治家はネコやゴキブリで代用できるようになる」と書いている。
いま売れっ子の論客、その内容には説得力があるが、私はまだ足掻(あが)いてみたい。「人」だからできる改革がきっとある。選挙や政治が本当に必要だと感じる国に日本はなりうると信じているからだ。

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地域課題の解決が日本再生の萌芽に
大学卒業後、リクルートという会社に就職した私は数年後、地方に転勤。独立後も広島県では広報総括監として「おしい!広島県」、京都府では参与として「もうひとつの京都」という企画に取り組み、地域が抱える課題の解決に努力してきた。政治にも目覚め、落選したものの神戸市長に2度挑戦、地域政党神戸志民党を結党し、兵庫県議もつとめた。
現在は、議員は引退し、プロデュースする側に転進したが、政治を通じて社会課題を解決していきたいという思いは、ますます強まっている。そんな私が座右の銘にしている言葉がある。それは「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから始まる」である。地方で地域課題に取り組んだ経験が、根っこにあることは言うまでもない。
平成以降、日本はすっかり元気を失っているように見える。経済成長は鈍り、給料は上がらず、社会の分断は進むばかり。世界相手のオセロゲームにたとえれば、日本は四隅を取られていて、ゲームとしてはツンデいるという向きもある。
だが、こうした見方に私はあえて「ノー」と言いたい。地域ごとに見れば、まだ生き残る方法があり、最適解を探すことは可能だ。そんな、弱いところ、小さいところ、遠いところにおける生き残りの方法や最適解が、じわりと広がって大きな波となり、日本を再生させる萌芽(ほうが)となる日は絶対に来るはずだ。
今回から始める連載「樫野孝人『政治変革はどこから』」では、こうした立ち位置から、日本政治の現状や課題をあぶりだし、解決策を提示していきたい。イントロダクションの第1回は、平成以降、1990年代から30年間の日本政治を「政党」を軸に振り返りつつ、背景にある政治・選挙の変化について論じる。
新党が離合集散を繰り返した1990年代
1990年代、世界では長らく続いた冷戦体制が崩壊し、グローバル化が進行した。こうした世界の激動は日本にも影響を与え、冷戦終焉でイデオロギー対立を軸とする政治が揺らぎ、経済はバブルの崩壊もあって混乱に陥った。
そんななか、日本の戦後政治を規定してきた55年体制が崩れ、1993年に非自民・非共産連立政権となる細川護熙内閣が誕生した。既成政党への不信感が高まり、日本新党や新党さきがけ、新進党などの新党ブームが巻き起こった。新党は離合集散を繰り返し、多くの政党ができては消えた。

首相官邸中庭で行われた細川護熙内閣発足後の記念撮影=1993年8月9日、千代田区永田町の首相官邸中庭
中央政界のこうしたうねりは、地方にも及んだ。既成政党の地域組織の独立、革新系の地方議員の結集、市民運動や環境運動を母体とする例など、成り立ちは様々だが、地域政党の設立が相次いだ。しかし、その多くは長続きせず、いつの間にか消えてなくなっていった。
そんななか、中央では2000年の直前に民主党が多くの新党を吸収、自民党に対抗しうる政党となり、2000年代前半にかけて着々と勢力を伸ばした。
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