現場の感覚が党中央を動かした日本共産党で初めての事件をどういかすか……
2022年12月02日
共産党に党首公選の実施を求め、実施されれば立候補するということを表明している松竹伸幸さんの連載「共産党を変える!党員・松竹伸幸の挑戦」の第2回です。第1回「私、共産党の党首選に出ます!~『自衛隊活用論』を唱えてきたヒラ党員の覚悟」に引き続き、党首公選の意義について、議論を深めています。あわせてお読みください。(論座編集部)
11月の日本共産党は、小池晃書記局長の田村智子政策委員長に対するパワハラ問題で揺れに揺れた。11月5日に開かれた共産党の「全国地方議員・候補者会議」の場で起きた問題である。
メディアでかなり報道もされたし、指摘の多くを共産党も認めているので、事実関係について私がここで改めて取り上げるような点はない。本稿で述べたいのは、この問題は共産党の組織のあり方と深く結びついており、党の改革につなげなければならない性格を持つということである。
警告処分が公表された会見(14日)で小池氏は、記者から共産党の体質の問題ではないかと問われたのに対し、「共産党の体質ではなく、私自身の重大な弱点」として、あくまで自分個人の問題だと強調した。しかし、パワハラ告発の主体となった地方議員のSNSなどへの投稿を見ると、党そのもののあり方を問いかけるものも目立っている。
実際、今回の問題は、共産党に党首公選を求め、実施されれば立候補すると表明している私の主張につながることでもあるので、そのような観点から捉えてみたい。
今回の問題で地方議員の多くが衝撃を受けたのは、小池氏の強い口調による叱責(しっせき)そのものであろう。ふだんはにこやかな印象のある小池氏だけに、叱責の現場を目の当たりにして、小池氏でさえ党中央ではこんな振る舞いをするのかと驚いたわけである。
しかし、私が驚いたのは、別のことだ。それは、党の中央と現場の感覚に大きな乖離(かいり)がある現実であり、これこそが今回の問題を通じて露呈した最大の問題ではなかろうか。
会議後、地方議員からの批判は瞬く間に広がっていった。しかし、党中央はしばらくの間、それに対応しようとしなかった。
小池氏も、記者会見やツイッターなどで発言する機会はいくらでもあったけれど、黙り込んでいた。パワハラを受けた当事者である田村氏は当日(5日)、なんと自身が「ごめんなさい」と謝ったのだが、後日(18日)の記者会見で明らかにされたように、「叱責されたとか、パワーハラスメントを受けたという認識を全く持っていなかった」と振り返っている。
志位氏も同時進行で動画を見ていたそうだが(5日)、定例日の7日に開かれた常任幹部会でこれを議題にするような指示はしなかった。14日の常任幹部会でようやく処分を決めたという経過である。
要するに、1週間以上の間、党中央では、パワハラをした本人も、被害を受けた当事者も、それを眺めていた人も、誰もこれを正すべき問題だと捉えていなかったということである。残念なことではあるが、地方議員を驚かせたことが、党中央の日常の風景になっているという現実の反映である。そうとしか説明のしようがない。
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なぜ、そんなことになるのだろうか。小池氏は自分の「品性」の問題だと語ったが、小池氏が特に品性に問題のある人間なのだろうか。
少なくとも私の知るかぎり、小池氏はそういう人物ではない。政策委員長をされていた頃、短い期間ではあったが部下として仕えた身だが、国会論戦での舌鋒(ぜっぽう)鋭い追及からは想像ができないほど、政策委員会のメンバーには優しく丁寧に接していた。声を張り上げる姿など見たことがない。
私は、志位氏と意見が対立して退職することが決まった後も何カ月か勤務しており、「目障りだから自宅で仕事させろ」と言ってくる上級幹部もいたそうだが、最後まで守り抜いていただいたことには感謝している。
その一方で、党中央の運営システムは、一般社会から見ると、かなり異様なものかもしれない。党の現場ともかけ離れており、運用を間違うとパワハラを生み出しかねない可能性に満ちている。
共産党は長い間、1961年に決まった「規約」に従い、党を運営してきた。運営の原則は、「民主集中制」と呼ばれるものである。61年規約によると、「党の組織原則は、民主集中制である。その内容はつぎのとおりである」(第14条)とされ、例えば次のような説明を置いていた。
(5)党の決定は、無条件に実行しなくてはならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない
一言でまとめると、ヒラの党員は、上級の決定を無条件に実行しなくてはならない、ということである。
今、ふつうの職場で、社員が会社の方針に納得できないと表明した際、上司が「お前は上司に従う義務がある。オレの言うことを無条件に実行しなくてはならない」と告げたら、叱責口調かどうかにかかわらず、パワハラ認定されるだろう。パワハラとは、厚生労働省の定義によれば、何よりも「優越的な関係を背景とした言動」であって、必ずしも叱責を要件としていない。
パワハラの要件には、他にも「業務上必要な範囲を超えたもの」「労働者の就業環境を害する」の二つがあるが(以上は職場でのパワハラ)、党活動においても、納得の上で決定を実行させるのではなく、決定だからとして実行を押し付け、そのことで党員の活動環境が害されれば、十分にパワハラとなる。
つまり、共産党の組織原則は、「集中」部分だけから見ると、パワハラと重なり合う部分があるのだ。
それでも、民主集中制とパワハラが決定的に異なるとされるのには、二つの理由がある。一つは、党員が決定に参加できるという「民主」の要素があること、もう一つは、共産党員は「集中」も含む組織原則を明記した規約を認めて入党していることである。「自覚的な結社」なのだ。
しかし、党員は所属する支部の決定には参加できるが、上級機関による決定の議論には必ずしも参加できるわけではない。それなのに、決定の実行だけは求められる。それを「無条件に実行しなくてはならない」とされると、さすがにそんな党に近づいてくる人はいない。
そこで、2000年の党大会で「日本社会の全体との対話と交流を広げる」(不破哲三氏の大会での報告)目的で規約が改正され、これまで引用したような箇所は削除されるとともに、民主集中制の内容は五つにまとめられた。関連部分は次のような表現になっている。
1、党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
2、決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
それまで「上級」「下級」とされていた関係についても、新しい考え方が示された。不破氏はそれをこう説明している。
「中央委員会から支部にいたる党機関・党組織の相互の関係は、基本的には、共通の事業に携わるもののあいだでの任務の分担、機能の分担という関係であります。職責によって責任の重さ、広さという違いはありますが、その関係は規約に規定された組織上の関係であって、身分的な序列を意味するものではありません」
さらに不破氏は、別の場所で、次のような説明を加えている。
「『循環型』という言葉でよくいうんですが、『一方通行』でなく『循環型』の関係が豊かに発展してこそ、草の根で国民と結びついた党の生きた前進があるんですね。」(「赤旗」日曜版2000年10月1日号)
党内には「身分的な序列はない」し、「循環型だ」というのである。組織原則がかなり変化した印象がある。
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それでは、61年規約にあった考え方は、現在はどうなったのだろうか。
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