小池晃書記局長のパワハラ問題で共産党は変わるか?~党首公選は絶好の機会
現場の感覚が党中央を動かした日本共産党で初めての事件をどういかすか……
松竹伸幸 編集者・ジャーナリスト
「民主集中制」にひそむパワハラの側面
なぜ、そんなことになるのだろうか。小池氏は自分の「品性」の問題だと語ったが、小池氏が特に品性に問題のある人間なのだろうか。
少なくとも私の知るかぎり、小池氏はそういう人物ではない。政策委員長をされていた頃、短い期間ではあったが部下として仕えた身だが、国会論戦での舌鋒(ぜっぽう)鋭い追及からは想像ができないほど、政策委員会のメンバーには優しく丁寧に接していた。声を張り上げる姿など見たことがない。
私は、志位氏と意見が対立して退職することが決まった後も何カ月か勤務しており、「目障りだから自宅で仕事させろ」と言ってくる上級幹部もいたそうだが、最後まで守り抜いていただいたことには感謝している。
その一方で、党中央の運営システムは、一般社会から見ると、かなり異様なものかもしれない。党の現場ともかけ離れており、運用を間違うとパワハラを生み出しかねない可能性に満ちている。
共産党は長い間、1961年に決まった「規約」に従い、党を運営してきた。運営の原則は、「民主集中制」と呼ばれるものである。61年規約によると、「党の組織原則は、民主集中制である。その内容はつぎのとおりである」(第14条)とされ、例えば次のような説明を置いていた。
(5)党の決定は、無条件に実行しなくてはならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない
一言でまとめると、ヒラの党員は、上級の決定を無条件に実行しなくてはならない、ということである。
今、ふつうの職場で、社員が会社の方針に納得できないと表明した際、上司が「お前は上司に従う義務がある。オレの言うことを無条件に実行しなくてはならない」と告げたら、叱責口調かどうかにかかわらず、パワハラ認定されるだろう。パワハラとは、厚生労働省の定義によれば、何よりも「優越的な関係を背景とした言動」であって、必ずしも叱責を要件としていない。
パワハラの要件には、他にも「業務上必要な範囲を超えたもの」「労働者の就業環境を害する」の二つがあるが(以上は職場でのパワハラ)、党活動においても、納得の上で決定を実行させるのではなく、決定だからとして実行を押し付け、そのことで党員の活動環境が害されれば、十分にパワハラとなる。
つまり、共産党の組織原則は、「集中」部分だけから見ると、パワハラと重なり合う部分があるのだ。
「身分的な序列はない」「循環型」の党なのか

共産党大会で発言する不破哲三前議長=2020年1月15日、静岡県熱海市
それでも、民主集中制とパワハラが決定的に異なるとされるのには、二つの理由がある。一つは、党員が決定に参加できるという「民主」の要素があること、もう一つは、共産党員は「集中」も含む組織原則を明記した規約を認めて入党していることである。「自覚的な結社」なのだ。
しかし、党員は所属する支部の決定には参加できるが、上級機関による決定の議論には必ずしも参加できるわけではない。それなのに、決定の実行だけは求められる。それを「無条件に実行しなくてはならない」とされると、さすがにそんな党に近づいてくる人はいない。
そこで、2000年の党大会で「日本社会の全体との対話と交流を広げる」(不破哲三氏の大会での報告)目的で規約が改正され、これまで引用したような箇所は削除されるとともに、民主集中制の内容は五つにまとめられた。関連部分は次のような表現になっている。
1、党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
2、決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
それまで「上級」「下級」とされていた関係についても、新しい考え方が示された。不破氏はそれをこう説明している。
「中央委員会から支部にいたる党機関・党組織の相互の関係は、基本的には、共通の事業に携わるもののあいだでの任務の分担、機能の分担という関係であります。職責によって責任の重さ、広さという違いはありますが、その関係は規約に規定された組織上の関係であって、身分的な序列を意味するものではありません」
さらに不破氏は、別の場所で、次のような説明を加えている。
「『循環型』という言葉でよくいうんですが、『一方通行』でなく『循環型』の関係が豊かに発展してこそ、草の根で国民と結びついた党の生きた前進があるんですね。」(「赤旗」日曜版2000年10月1日号)
党内には「身分的な序列はない」し、「循環型だ」というのである。組織原則がかなり変化した印象がある。
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