伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業
愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国カルチャー──隣人の素顔と現在』(集英社新書)、『韓国 現地からの報告──セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)など、訳書に『搾取都市、ソウル──韓国最底辺住宅街の人びと』(イ・ヘミ著、筑摩書房)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ワールドカップサッカーで韓国も決勝トーナメント進出を決めた。ポルトガル戦での逆転ゴールは劇的で、その瞬間はソウルの街のあちこちから歓声があがった。光化門広場に集まった人々は歓喜に乱舞し、その興奮は中継を通して国民の間で共有されていた。
新型コロナ対策で長らく街頭での応援は禁止されてきた。4月の大幅規制緩和で「今年はやれる」と期待が高まったところに、「梨泰院(イテウォン)惨事」(韓国ではこう呼ぶ)が起きた。158名もの若者の生命が一瞬にして失われた文字通りの大惨事はあまりにも大きな衝撃で、国民の安全を守る立場にある国や行政も重い責任を問われることになった。
政府は矢継ぎ早に「追悼期間」を指定し、国民はその間フェスやライブなどのイベント等を自粛した。また警察関係者に対する捜査も始まり、政権政党への責任追及も激しくなっていた。悲しみと怒りが渦巻く重苦しい空気の中でワールカップの開催は近づいていた。
大韓サッカー協会は街頭応援をしない旨を発表していたが、サポーター団体の「赤い悪魔」がその後に広場の使用許可を申請した。議論の末にソウル市は広場の使用を許可して、街頭応援が実現することになった。メディアは安全対策の徹底をいつになく強調していた。
韓国の初戦は11月24日のウルグアイ戦だった。その前日には日本が初戦でドイツと対戦した。
「日本は勝つと思います」
「まさか、相手はドイツですよ」
仕事で数日間一緒に動いていた韓国人ドライバーは日本の勝利を予言した。翌日になって「ほら、私の言った通りでしょう」と自慢気に微笑む彼に、「今日は韓国が勝たなきゃいけませんね」と言ったのだが、彼は静かに笑うだけで多くを語らなかった。少し意外だった。
これまで韓国で何度もワールドカップを経験し、韓国の人たちの激しいナショナリズムに辟易したことも多かった。ところが今回はそんなムードではなかった。テレビの解説もフェアで、場合によっては日本寄りだったのにも驚いた。韓国社会の成熟なのか、先進国となった余裕なのか。以前とは違う空気の正体を考えていた。
ウルグアイとは0-0の引き分けながら、ファンを沸かせるシーンも多く、韓国の人々にとって代表チームの奮闘は満足できるものだったようだ。
2戦目のガーナ戦が行われた28日の夜、ソウルは雨だった。それでも熱心なサポーターは光化門広場に集まった。当局が「安全のため」と傘の使用を禁止したために、赤いユニフォームの上にレインコートを着た人々は、雨の中でびしょ濡れになって応援をしていた。この日もまた選手は奮闘し、結果は韓国の負けとなったが、人々は若い代表チームの成長を喜んだ。
ただ、やはりこれまでのワールカップの時とは、韓国社会のムードは明らかに違っていた。
「みんな久しぶりに集まって、盛り上がりたいという気持ちはあるんですが、完全には楽しめませんね」
20代の若者は「やはり梨泰院のことがあるから」と言っていた。
やはりそうなのだと思った。テレビ局は地上波の3局がすべてサッカー中継、ニュースでも大きくサッカーを取り上げていたのだが、メディアが少し上滑りしているように感じた。国民がしばらくワールドカップに熱狂してくれたらいいと思っている人がいるんじゃないか。ふと疑心暗鬼にもなった。