2022年12月05日
ワールドカップサッカーで韓国も決勝トーナメント進出を決めた。ポルトガル戦での逆転ゴールは劇的で、その瞬間はソウルの街のあちこちから歓声があがった。光化門広場に集まった人々は歓喜に乱舞し、その興奮は中継を通して国民の間で共有されていた。
新型コロナ対策で長らく街頭での応援は禁止されてきた。4月の大幅規制緩和で「今年はやれる」と期待が高まったところに、「梨泰院(イテウォン)惨事」(韓国ではこう呼ぶ)が起きた。158名もの若者の生命が一瞬にして失われた文字通りの大惨事はあまりにも大きな衝撃で、国民の安全を守る立場にある国や行政も重い責任を問われることになった。
政府は矢継ぎ早に「追悼期間」を指定し、国民はその間フェスやライブなどのイベント等を自粛した。また警察関係者に対する捜査も始まり、政権政党への責任追及も激しくなっていた。悲しみと怒りが渦巻く重苦しい空気の中でワールカップの開催は近づいていた。
大韓サッカー協会は街頭応援をしない旨を発表していたが、サポーター団体の「赤い悪魔」がその後に広場の使用許可を申請した。議論の末にソウル市は広場の使用を許可して、街頭応援が実現することになった。メディアは安全対策の徹底をいつになく強調していた。
韓国の初戦は11月24日のウルグアイ戦だった。その前日には日本が初戦でドイツと対戦した。
「日本は勝つと思います」
「まさか、相手はドイツですよ」
仕事で数日間一緒に動いていた韓国人ドライバーは日本の勝利を予言した。翌日になって「ほら、私の言った通りでしょう」と自慢気に微笑む彼に、「今日は韓国が勝たなきゃいけませんね」と言ったのだが、彼は静かに笑うだけで多くを語らなかった。少し意外だった。
これまで韓国で何度もワールドカップを経験し、韓国の人たちの激しいナショナリズムに辟易したことも多かった。ところが今回はそんなムードではなかった。テレビの解説もフェアで、場合によっては日本寄りだったのにも驚いた。韓国社会の成熟なのか、先進国となった余裕なのか。以前とは違う空気の正体を考えていた。
ウルグアイとは0-0の引き分けながら、ファンを沸かせるシーンも多く、韓国の人々にとって代表チームの奮闘は満足できるものだったようだ。
2戦目のガーナ戦が行われた28日の夜、ソウルは雨だった。それでも熱心なサポーターは光化門広場に集まった。当局が「安全のため」と傘の使用を禁止したために、赤いユニフォームの上にレインコートを着た人々は、雨の中でびしょ濡れになって応援をしていた。この日もまた選手は奮闘し、結果は韓国の負けとなったが、人々は若い代表チームの成長を喜んだ。
ただ、やはりこれまでのワールカップの時とは、韓国社会のムードは明らかに違っていた。
「みんな久しぶりに集まって、盛り上がりたいという気持ちはあるんですが、完全には楽しめませんね」
20代の若者は「やはり梨泰院のことがあるから」と言っていた。
やはりそうなのだと思った。テレビ局は地上波の3局がすべてサッカー中継、ニュースでも大きくサッカーを取り上げていたのだが、メディアが少し上滑りしているように感じた。国民がしばらくワールドカップに熱狂してくれたらいいと思っている人がいるんじゃないか。ふと疑心暗鬼にもなった。
韓国代表の第2戦があった11月28日の夜、光化門と同じような雨が梨泰院にも降っていた。事故から約1カ月、現場に置かれた花やメッセージの上には雨よけのために大きなビニールがかけられた。日本のニュースでも報道されたようだが、街は閑散として、周辺の店の多くは閉まったままだった。
実はハロウィンだけではなく、ワールドカップの時もかつての梨泰院はホットスポットだった。飲食店はみんなモニターを設置して、一時的なスポーツバーに変身する。そこには様々な国の人々が集まっていた。大通り沿いのバーでは主に欧米系の人々が、南側ではアフリカやアラブの人々が、それぞれの行きつけの飲食店でゲームを観戦する。異国情緒を楽しみたい韓国人もそこに合流して、街は世界的祝典に盛り上がった。
きっかけは自国開催の2002年日韓大会だった。世界中から集まったサポーターたちが「英語が通じるグローバルタウン梨泰院」に集まって観戦後の時間を楽しんだ。梨泰院の街にはあちこちで歓声が鳴り響いていた。
でも今年は梨泰院を訪ねる人はいなかった。
ニュースにはいつも同じ場所ばかり登場するのだが、実は梨泰院はもっと広い。
米軍基地の端にある緑莎坪(ノッサピョン)駅から東に梨泰院駅、漢江鎮(ハンガンジン)駅という地下鉄駅で3つ分をつなぐメインストリートの両側、さらにメインストリートの南側からイスラム寺院周辺に広がるハラル食堂やトランスジェンダー向けの店が集まるエリアがある。ここはかつて米兵たちが出入りする店が集まっていた場所だ。また、ドラマ『梨泰院クラス』のモデルとなった経理団(キョンニダン)通りなどの、韓国の若者たちが開発した比較的新しいエリアもあった。
その大部分が新型コロナのパンデミックで壊滅的な打撃を受けた。多くの店が閉店に追い込まれた中で、再起をかけた人々が期待したのが10月末のハロウィンとその翌月のワールドカップだったのだが、街は予想もしなかった悲しみに覆われることになった。
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