藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト
元朝日新聞記者。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
中国屋が取材体験をもとに振り返る江沢民時代の「柔らかさ」の本質
1949年建国の中華人民共和国で、毛沢東、鄧小平に続く第三世代の指導者だった江沢民氏が11月30日、96歳で亡くなった。12月6日には北京で追悼大会が開かれ、現指導部トップの習近平国家主席が約50分間の追悼演説し、「傑出した指導者」と江氏を讃えた。
中国国民の反応はというと、「江沢民時代はもっと言論の自由があった」「経済活動も活力があった」「明日は今日より素晴らしいと思えた」などと評価する声がSNSで広がり続ける。
日本では、朝日新聞が社説で「歴史をめぐる江氏自身の強硬な言動は日本人の対中観も悪化させた」と批判しつつも、「中国の強権化や硬直性の弊害が目立つ今こそ、大国としての基盤を築いた政治指導者の柔軟さに注目したい」と評価したうえで、「柔軟性や協調性など、今こそ江沢民時代から学ぶべきだろう」と強権の力を誇る習近平体制に注文をつけた。
日本経済新聞の社説も「対外強硬姿勢と『民間IT大手つぶし』ばかり目立つ習近平政権には、江氏と胡錦濤前国家主席の時代の柔軟性が必要だ」と指摘した。欧米の少なからぬメディアも江氏の柔軟性を評価する。
もちろん、SNSで拡散する声やメディアの論調は、「強面の習氏に比べて」という前提がつく。第二次世界大戦の敗戦で日本が台湾から撤退した後、台湾で独裁をした中国国民党が台湾人に極めて不評だったのと似て、「江氏は習氏よりはましだ」というわけだ。国民を厳しく統制する共産党一党独裁の本性が、あの時代には今と違っていたわけでは決してない。
ただ、息が詰まりそうな習体制より、江沢民時代の空気が柔らかだったとは思う。その「柔らかさ」とは具体的にはどんなものだったのか。私が記者として実際に見聞きしたことを紹介したい。
習氏は追悼演説で、天安門事件後の世界からの制裁により「我が国の社会主義事業は空前の巨大な困難と圧力」に直面したが、江氏が「積極的に外交闘争を展開し、国家の独立、尊厳、安全、安定を断固として守り発展の基礎をつくった」と述べ、外交の成果を強調した。
確かに江沢民時代の中国は、天安門事件が招いた国際的孤立から抜け出すための外交に力を注いでいた。江氏自らも前面に出て、イメージの改善をはかった。
朝日新聞社が三度単独会見したのをはじめ、江氏は外国メディアの取材を積極的に受けた。重要な会談でも、いわゆる“頭撮り”で、メディアからの質問に嫌がることなく答えた。しゃべりすぎたあまり、記者団に「君たちは知恵と経験が足りない」などと憎まれ口をたたいて顰蹙(ひんしゅく)を買ったことも数えきれない。