
筆者が一緒に生活した20代後半の女性2人が暮らすリスボン郊外のアパート。住民も若者が多い=2022年6月(撮影:エリコ)
筆者は、世界各地の家庭に一定期間滞在し、生活を共にしながら、その地の暮らしや文化を発信する「定住旅行」をライフワークとしている。その一環として、新型コロナウイルスの感染が収まりつつあった今年の5月からおよそ1カ月半、南欧のポルトガルに滞在した。
ポルトガルはヨーロッパのイベリア半島、ユーラシア大陸最西端に位置する国。西と南は大西洋に面しており、かつての大航海時代には、大西洋の先のまだ見ぬ土地を目指して、ヨーロッパでもいち早く海外進出をした歴史を持つ。
しかし、現在のポルトガルにはかつての大国の面影はなく、経済的にはすっかりEUに依存した状態が続いている。そんななか、この国の将来を担う20代の若者たちは、どのような価値観を持ち、どのような暮らしを営んでいるのか。首都リスボンに生きる若者と共に暮らして見えてきた実相を2回にわけて報告する。
※連載「定住旅行家・ERIKOの目」のこれまでの記事は「こちら」からお読みください。

坂の多いリスボンに1906年に建設された高さ45mのエレベーター。2002年に国の国定記念物に指定された=2022年6月、リスボン(撮影:エリコ)
かつての世界帝国は今は昔
ポルトガル帝国が19世末までに領有した土地や海域は、世界のおよそ半分を占め、植民地は世界に広がっていた。その名残で、現在でもブラジル、アフリカのギニアビサウ、カーボヴェルデ、サントメー・イ・プリンシペ、アンゴラ、モザンビークでは、ポルトガル語が公用語として用いられている。
また、ポルトガルはアジアの国々とも歴史的関係が深い。日本、中国、マカオなど東アジアと最初に接触を持った国でもある。来年2023年は、ポルトガル人が日本へやってきて480周年にあたる。徳島市とレイリア市、長崎市とポルト市など国内8都市がポルトガルの都市と提携を結んでおり、さまざまなレベルでの交流が行われている。
ただ、現在のポルトガルにかつての勢いは見られない。国内の主な産業は機械類、衣類、コルク製造などの製造業と観光業であり、経済的にはすっかりEUに依存している。
ポルトガルに「定住旅行」したわけ
先述したように、筆者は今年の5月から6月にかけ、ポルトガル国内で定住旅行を行った。今回、この国を定住旅行先に選んだのは、古くから日本と関わりがあること、そしてかつての大国が今、どのようになっているか興味を惹かれたからだ。
ポルトガルでは、南西に位置する孤島マデイラ島、中部のベイラ・バイシャ州、首都のリスボンの3カ所で現地の家庭に滞在した。ポルトガル人に対して「ラテン民族でフレンドリー」というイメージを持っていた筆者だが、実際には現地で受け入れてくれる「家庭」を探すのには、これまででもっとも苦労した。
現地で生活してみて分かったことだが、ポルトガル人は親切で人当たりが良く、外から来た人間に対して「おもてなし」の心で接してくれる。しかし、そこから一歩、プライベートへ踏み込もうとすると、閉鎖的な態度をとる傾向がある。相手を信頼し、心を開くまでには、一定の時間が必要なのだ。
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