「定住旅行」(世界の各地でローカルの家庭に一定期間滞在し、生活を共にしながら、その地の暮らしや文化を配信する)をライフワークとする筆者は、今年の5月からおよそ1カ月半、南欧のポルトガルに滞在した。本稿では、自分はヨーロッパ人というリスボンの若者たち~変わりゆくアイデンティティ(前編)に引き続き、首都リスボンに生きる若者たちの生活を通して、この国の将来を担う20代の若者たちがどのような価値観を持ち、どんな暮らしを営んでいるのかをリポートする。
※連載「定住旅行家・ERIKOの目」のこれまでの記事は「こちら」からお読みください。

植民地戦争で死亡した兵士達の記念碑=2022年6月、リスボン(撮影:エリコ)
世代で異なるアイデンティティ
ポルトガルというと「大航海時代」の輝かしいイメージが先行するが、1960年代以降は、そうした歴史ゆえのアフリカ植民地との戦争という負の遺産を抱え続けた。
第2次世界大戦後、ヨーロッパ諸国が次々と植民地の独立を認めるなか、ポルトガルは公式には「海外州」としながらも、実際には「植民地」と変わらぬ統治を続けた。その結果、不満を募らせた植民地、とりわけアンゴラ、モザンビーク、ギニアビザウなどで独立運動が活発化し、植民地戦争に発展する。
そんななか、1974年4月25日に「カーネーション革命」という無血の軍事クーデターが起こり、政権交代が交代。ついに全植民地を放棄した。
これをきっかけに、植民地に暮らしていた多くのポルトガル人たちは、移民者として自国へ引き揚げた。48年前の出来事である。ポルトガルで出会う50歳以上の人の多くは、こうした歴史を彼らの人生に内包している。
あくまで筆者の個人的な意見ではあるが、この世代の人びとのアイデンティティは「ポルトガル」に強く帰属しているように感じる。過去の大きな繁栄と暗い影を背負う自国の運命を、自らに投影しているのだ。
一方、20代の若者たちはどうか。彼らに自らのアイデンティティについて問うと、多くの場合「ヨーロピアン」という答えが返ってくる。
首都リスボンの郊外に住み、私を受け入れてくれた20代半ばのマリアとカロリナの暮らしの節々からも、それが感じられた。

ピサロを先祖に持つマリア(真ん中)とカロリナ(右)。左は筆者=2022年6月、リスボン(撮影:エリコ)
安くていい食材をつかって食事を楽しむ
マリアとカロリナが同居をはじめるにあたり定めたルールに、「毎日、美味しいものを作って食べる」という、いかにもポルトガル人らしいものがある。
マリアはインターナショナルの教師として、カロリナはグラフィックデザイナーとして、それぞれ働きながら、夕食の調理は日替わりで担当しているということは、前編で書いた。二人が心がけているのは、その日の疲れを忘れられるような素敵な夕食をつくることだ。
とはいえ、食事にお金をかけ過ぎると、生活費が追いつかない。そこで、いろいろと工夫をしていたが、その一つが、野菜やフルーツは「Frutas feas フルッタス・フェアス」と呼ばれる店で購入することだった。
「Frutas feas フルッタス・フェアス」はスペインのバレンシアに本社を置く会社で、形が崩れた野菜やフルーツを、南ヨーロッパを中心に安く販売している。日本でいう、「わけあり」商品だ。
ただ、質はいいし、「食品ロス」を防ぐこともできるため、サステイナブル意識の高い若者たちを中心に、多くの人たちが利用している。このように、安くていい食材を探し、生活費をうまくやりくりしながら、彼女たちは食事という生活の楽しみを満喫している。
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