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変革は、小さいところ、弱いところ、遠いところから~カギを握る改革派首長

変化が迫られる日本、どうする!~樫野孝人「政治変革はどこから始まる?」【4】  

樫野孝人 かもめ地域創生研究所理事 地域政党連絡協議会顧問

 リクルートから独立後、広島県で「おしい!広島県」、京都府で「もうひとつの京都」という企画に行政アドバイザーとして取り組む一方、かねてより志していた神戸市長に2度挑戦、地域政党神戸志民党を結党し、兵庫県議をつとめ、現在は政治をプロデュースする側に転進した樫野孝人さんが、日本の政治改革について論じる連載「樫野孝人『政治変革はどこから始まる?』」。第4回は、なかなか変わらない日本を変える樫野さんの秘策についてです。(論座編集部)
連載・樫野孝人「政治変革はどこから始まる?」は「こちら」からお読みいただけます。

metamorworks/shutterstock.com

首相に「大きな改革」を望むのは酷

 私たちの社会にネットが急速に浸透するなか、政治においてどんなチャンス、そしてリスクがあるかについて、前回前々回と考えてきたが、今回はそれを踏まえて、日本の現状、生き残るための切り口について考えてみたい。

◇参照
前々回「SNS社会が変える!? カネのかかる選挙と議員に必要なスペック」
前回「あまりに危うい日本のDX事情と政治の役割~ネット社会のリスクを考える」

 この連載第1回でも書いたが、日本全体をすぐに変えようとしても、それはかなり難しい。巨艦がすぐに方向転換できなかったり、大企業の主力事業を改革するのが難しかったりするのと同じで、過去の習慣やしがらみ、成功体験が邪魔をするからだ。

 もっと言えば、改革に取り組むメンバーの何十倍もの抵抗勢力が現れるので、いつ足元を救われるかわからない。大きな図体をもつものの改革は、中国共産党のような一党独裁体制とか、日本電産やユニクロ、ソフトバンクのような創業経営者でないと難しい。

 日本では、一国の首相といえども、状況的には1期2年か2期4年で交代するサラリーマン社長と、決定権の強さという面ではそれほど変わらない。そもそも「大きな改革」を望むこと自体が酷だろう。

変化の波にさらされる日本

 とはいえ、変化の波は日本にも容赦なく訪れている。

 日米安保のもと、アメリカの「核の傘」に守られ、人口増加の追い風を受けて経済を中心に舵取りをしていればすんだ以前と、現在の日本が置かれている状況はまったく違う。人口減少は止まらず、各方面で影響力を増す中国の存在によって、日本の国防、経済、政治も大きく揺さぶられている。

 かつての自民党は、政権交代は基本的に起こらないという盤石な状態で、大株主のような存在とも言えるアメリカの声と、党内の派閥間の調整を気にしていれば大丈夫という政治をしていた。しかし、今はSNSによって「モノ言う国民」が増え、選挙の足元を脅かされたり、スキャンダルや失態も隠すのが難しくなっている。

 困難であっても、改革は必要なのだ。

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首長次第で地方は大きく変えられる 

 では、どうすればいいのか。私は、国全体を飛躍的に再生するのは難しくても、特定地域の暮らしや生活を画期的に良くすることは可能だと思う。

 実は、知事や市長には、大統領制のように予算と権限が集中している。地方自治は本来、二元代表制なので、首長と議会は権力を二分しているはずなのだが、現状を見ると地方議会は事実上「追認議会」(当局が出してくる予算を丸呑み賛成する議会)になっている場合が多く、知事や市長がやりたいようにできる自治体がかなり多い。

 こうした状況は、裏を返せば、改革派と呼ばれる知事や市長が登場して芯を食った政策を断行すれば、地域がみるみる良くなるという可能性を秘めている。大阪維新の会が躍進したのも、橋下徹・大阪府知事や松井一郎・大阪市長による大阪改革の実績が、府民や市民に評価されたからに他ならない。

 “暴言市長”として話題となった兵庫県明石市の泉房穂市長も、「明石市で実現できたことは、国でも当然に実現可能。 お金なんて、やりくりで何とでもなる。要は、政治家の“やる気”次第。 必要なのは“検討”ではなく、“決断”と“実行”だ。」とTwitterで明言している。

 もちろん、改革には痛みが伴ったり、副作用が出たりなど、後遺症が出る場合もある。大阪や明石の改革にも賛否両論あり、最終的な評価がどうなるかは今後、注視する必要があるだろう。

 ただ、確実に言えるのは、国を一気に大きく変えることは無理でも、地方ならそれが可能だということだ。

児童手当の独自拡充の方針を表明する兵庫県明石市の泉房穂市長=2022年12月6日、明石市議会

成功事例は瞬く間に全国に広がる

 議院内閣制のもと、国会議員の投票で選ばれる首相は、どうしても政党バランスに配慮をするしかなく、とんがった政策を掲げにくい。これに対し、市民の直接選挙で選ばれた知事や市長は、圧倒的な決定権を持ち、あえて言えば「強引に」改革を進めることができる。

 「変革は、小さいところ、弱いところ、遠いところから始まる」という私の信条は、そうした日本社会の空気やメカニズムも包含した正攻法だと思っている。

 企業でいえば、戦略子会社や買収した企業が、本体を変えていく影響を及ぼすことがあるように、政治でも地方から変えていくというやり方が、結局のところ本丸を変える近道ではないだろうか。

 地方都市で「ある政策」がうまくいけば、それは瞬く間に全国に広がるものだ。地方自治体は基本的に保守的なので、誰もやっていない政策に着手するのは苦手だが、他の自治体の成功事例を真似(まね)るのは上手い。図書館を公設民営化しTSUTAYA化して話題となった元武雄市長の樋渡啓祐氏も、「大事なのはTTP(徹底的にパクる)」と公言していた。

地方自治体は国に隷属していない

 良し悪しはともかく、原発再稼働や辺野古基地移転問題でも、知事が首を縦に振らなければ、国が勝手に物事を進めることはできないぐらい、地方自治体の首長は権限を持っている。政府が進めた種子法廃止も、半数くらいの都道府県が主要農作物種子事業に関する条例を制定し、これまでやってきたことをやめずに粛々と事業を進めている。地方自治体は国に対して隷属関係に陥らず、しっかり機能していると思う。

 たとえて言えば、

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