漂流する日本政治~権力闘争のダイナミズム欠如が招く危機と岸田政権の本質
統率力なき官邸、硬直化する官僚、自民党の変質、手詰まりの野党……政治はどこへ
三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表
岸田文雄総理が誕生してから1年3カ月が経った。メディアをはじめとする世論調査を見ると、いずれも内閣支持率が昨年8月以来、急降下し、年末まで低迷が続いた。
30%前後まで落ち込んだ支持率に、政権の存続を危ぶむ声も少なくないが、とはいえ、岸田総理に早期の退陣を望む声は、世論調査においても限定的だ。一昨年、昨年と2回の国政選挙に勝利した政権が、すぐに倒れるとは到底思われない。次の国政選挙はおそらくまだ先になるだろうし、自民党がそこで負けるという見通しはない。この政権は令和5年以降もしばらくは続くと思った方がいいだろう。

東京証券取引所で催された大納会での記念撮影で笑顔を見せた岸田文雄首相=2022年12月30日、東京都中央区
支持率が表しているのは人々の気分
発足からしばらく高い人気を維持した岸田政権だが、そもそも政権の高支持率も低支持率も、確たる根拠があったわけではない。世論調査の支持率が表していたのは、人々のなんとなくの気分であった。
岸田政権のイメージが悪くなかったのは確かだ。総理の「クリーンなハト派」的な印象は、いかにも自民党というイメージを忌避しがちな主婦層をはじめ、有権者の多くに好感を持って受け入れられた。
イメージが変化する契機となったのは、7月の安倍晋三・元総理の銃撃事件である。メディアによって世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題が集中的に取り上げられ、岸田総理のイメージも昔ながらの自民党的なものに舞い戻って好感度は低下した。言葉を換えて言えば、もともとフィーリングでついていた支持が、フィーリングによって離れたに過ぎない。
「ある方向性を持った目的意識」が希薄な政治
それよりむしろ深刻なのは、日本政治そのものが漂流しているように見えることである。つまり、政治に「ある方向性を持った目的意識」が希薄なのだ。なぜ、そうなっているのか。端的に言えば、そこに権力政治のダイナミズムが欠けているからである。
本来、政治とは「大義」――日本では「錦の御旗」という表現が耳になじむであろう――をめぐる闘争である。もちろん、「大義」であれ、「錦の御旗」であれ、時代によって、国によって様々である。その「錦の御旗」が今、日本政治に存在しないように見える。これでは、「方向性を持った目的意識」は持ちようがない。
それは、権力闘争による逆転の可能性が乏しいからだ。動乱の要素が少ないとき、「錦の御旗」を描き、掲げて前進する人は現れにくい。
振り返れば、平成の30年間に押し寄せた政治や行政、司法などの「改革運動」は、まさに時代状況と環境とが権力闘争を招き寄せたからであり、おそらくはその逆ではないと私は考える。
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