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「のるかそるか」の政策革新なき岸田政権の低迷~自民党の派閥の力量低下の果ては?

小泉・安倍両長期政権後の政権はなぜいずれも短命なのか。どうする岸田政権……

牧原出 東京大学先端科学技術研究センター教授(政治学・行政学)

 2022年7月の参議院選挙で勝利をおさめた後、岸田文雄政権は急速に国民の支持を失い、今や各種世論調査で低支持率が続く窮状に陥っている。調査によって一定の幅はあるが、支持率はおおむね20%台から30%台の前半となり、もう一歩底割れすれば、内閣が崩壊しそうな雰囲気ではある。

拡大経済3団体共催の新年祝賀会であいさつをする岸田文雄首相=2023年1月5日、東京都千代田区

岸田政権を巡る「宙づりの政治状況」

 とはいえ、今のところ自民党内で岸田に代わって総裁候補に名乗りを上げるような人物は見当たらず、野党による政権交代への機運が特に高まっているわけでもない。政権を揺るがすよほどの“一大事件”でもない限り、岸田政権が低支持率のまま続く気配が濃厚である。

 こうした「宙づりの政治状況」をどう見るべきか。何がこの状況を生んだのか。この状態から脱するにはどうすればいいのか。本稿では二つの観点から考察してみたい。

 第一は、「長期政権後の政権運営」という観点である。史上最長政権となった安倍晋三政権とそれを実質的に引き継いだ菅義偉政権の後、政権をどのように運営するかという課題は実に重たい。

 第二は、自民党の伝統である「派閥を中心とする政治家集団の力量」という観点である。

自民党政治を彩った派閥の対立と協力

 ここで、自民党の派閥の流れをおおざっぱに振り返っておこう。1955年に発足した自民党は、1993年と2009年に一時的に下野したが、ほどなく政権に復帰し、今に至るまで政権与党であり続けている。70年弱の間、この党を支えたのは、派閥という政治家集団に他ならない。

 岸田首相が属する宏池会は、自民党の発足(1955年)から間がない1958年に旗揚げした党内最古の派閥である。当時の領袖は1960年に首相の座に就いた池田勇人だった。また、安倍元首相の属した清和会は、紆余曲折はあるが、1977年に政権に就いた福田赳夫の派閥を源流とする。

拡大清和会の会長に就任して拍手を送られる安倍晋三氏=2021年11月11日、東京・永田町の自民党本部、

 くわえて、忘れてはならないのは、田中角栄元首相を祖とする田中派(木曜クラブ)と、この派閥を“奪いとった竹下登元首相を領袖とする竹下派(経世会)である。2000年に竹下登元首相が死去するまでは、実質的にこの三つの派閥の対立と協力が、1970年代以降の自民党政治を彩ったのである。ちなみに木曜クラブ・経世会の伝統は、竹下派から分かれた小沢一郎氏にも受け継がれた。

アクロバティックな政権運営を継承できず……

 話を戻す。上記の「長期政権後の政権運営」と「派閥を中心とする政治家集団の力量」という二つの観点からすると、現在の岸田政権はどう見透せるだろうか。

 結論から先に言うと、安倍長期政権の後を受けた岸田政権は、アクロバティックな政権運営も継承しようとして失敗し、混乱と低支持率に苦しんでいる状態である。

 ただ、これは岸田政権に限った事態ではない。実は2000年代以降、長期政権だった小泉純一郎政権、第2次以降の安倍政権を除いて、いずれの政権も同じ苦境に陥っているのである。そして、その大きな原因は、派閥を中心とする政治家集団の力量の低下であった。以下、具体的に追跡してみたい。

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筆者

牧原出

牧原出(まきはら・いづる) 東京大学先端科学技術研究センター教授(政治学・行政学)

1967年生まれ。東京大学法学部卒。博士(学術)。東京大学法学部助手、東北大学法学部教授、同大学院法学研究科教授を経て2013年4月から現職。主な著書に『内閣政治と「大蔵省支配」』(中央公論新社)、『権力移行』(NHK出版)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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