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中道主義のジレンマと連立与党・公明党の役割~難しい安全保障環境の中で

山口代表は「中道」について積極的に発言をし、行動を起こすべきだ

赤松正雄 元公明党衆院議員 元厚生労働副大臣 公明党元外交安保調査会長 公明党元憲法調査会座長

 昨年末に自公政権が決定した「安保関連3文書」について、23日に開幕する通常国会での国会論戦が始まる。本稿では、与党内の議論を通じてあらためて浮上してきた「中国脅威」論をどう考えるかを切り口に、日本の安全保障の現状について私見を述べ、中道主義の公明党の立ち位置について考えたい。

拡大臨時閣議後の記者会見で安保関連3文書などについて説明する岸田文雄首相=2022年12月16日、首相官邸

中国を「驚異」としなかった知恵

 ロシアの「ウクライナ戦争」が、上述の安保3文書における日本の防衛についての認識に深く影を落としていることは言うまでもない。第一文書の「国家安全保障戦略」では、中国、北朝鮮、ロシアの3カ国を名指しして、それぞれの軍事力を、「挑戦」(対中国)、「脅威」(対北朝鮮)、「懸念」(対ロシア)と、違った言葉で受け止める姿勢を明文化した。

 このうち中国を「脅威」としなかったのは、公明党が反対したからであり、対中弱腰姿勢の元凶として、一部メディアが批判した。

 細かな経緯は別にして、中国の軍事力が一貫して増強され、周辺各国地域との間で、トラブルを起こしているのは事実である。とりわけ、台湾をめぐる強硬姿勢は北東アジアの不安を掻き立てる要因であり、日本としても強い関心を持たざるを得ない。

 だが、そうだからといって、中国を敵視することに熱を上げることが事態の改善に役立つのかどうかと言えば、それは大いに疑問であろう。わざわざ中国を「脅威」の存在と表現して北朝鮮と同列にするよりも、対ロシアも含めて差異化することに“それなりの知恵”を感じる。

 もっとも、日本が隣国との関係を表現する言葉の使い方について、先方はこちらが意識するほど感じていないとの見方もある。「脅威」も「挑戦」も「懸念」もまったく変わらないと、日本の自意識過剰を笑う向きもある。

 ただ、ひとつ言えるのは、一方的な思い込みを排して、いかなる事態にも対応できるよう、軍事力を含めての常日頃からの用意を怠らぬことが大事だということであろう。と同時に、市民レベルの相互理解に努めることも大切だと思う。

「反撃能力」に歯止めをかける

拡大安保3文書改定に向けた実務者協議を終え、発言する自民党の小野寺五典安保調査会長(右)。左は公明党の佐藤茂樹外交安保調査会長=2022年12月12日、国会内

 安保3文書に関する今回の与党間協議で「反撃能力」保有を公明党が容認したことについて、「すんなり過ぎる」とか、「平和の党」らしからぬ行動だといった批判がある。政権与党として、ほぼ20年の歴史を持つ公明党は、一国の防衛という「統治能力」に、それなりに磨きをかけてきている。そのことを勘案しない浅薄な批判というほかない。

 安保法制関連法が2015年に成立した際、公明党は「集団的自衛権」の行使をめぐって新たに「3要件」を作り、厳しい自制を課した。憲法9条の枠を超えることのないように自らの手を縛ったのである。今回もまた、与党間交渉で公明党は歯止めを付け加えることにこだわった。

 反撃能力については、「相手からミサイル攻撃がなされた場合、相手からのさらなる武力攻撃を防ぐため、我が国から有効な反撃を加える能力」と定義した上で、「攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置」と厳格な条件も加えて、「憲法及び国際法の範囲内で、専守防衛の考え方を変更するものではなく、先制攻撃は許されない」と明記した。

 もちろん、そう書き込めばそれで終わり、ではないの当然である。かつて冷戦時代にも、公明党は「ソ連脅威論」との言葉を使わず、「米ソ対決の脅威」論を掲げ、積極的な平和構築外交の展開を主張した。いま「異次元の冷戦」期を迎えるなか、中国、ロシアの両国をいたずらに敵視せず、かつての手法に倣って“NATO・中露対決の脅威”を強調するべきではないか。

 民主主義国家群と権威主義国家群と二分化したところで、分断を助長するだけに過ぎない。世界はかつての覇権争いではなく、無極化の方向に流れているとの見方も有力である。そうした状況では、国家の枠組みを超えた市民の連帯を本気で考えることこそ、「核の危機」に右往左往するよりも切実な人類的課題ではないか。

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筆者

赤松正雄

赤松正雄(あかまつ・まさお) 元公明党衆院議員 元厚生労働副大臣 公明党元外交安保調査会長 公明党元憲法調査会座長

1945年兵庫県生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。公明新聞記者、市川雄一衆院議員秘書などを経て、1993年衆院初当選。以来6期20年。公明党外交安保調査会長、同憲法調査会座長、厚生労働副大臣等を経て、2013年に引退。現在、一般財団法人「日本熊森協会」顧問、公益財団法人「奥山保全トラスト」理事、一般社団法人「安全保障研究会」理事等を務める。ホームページに毎週、読書録、回想記、思索録などを公開中。著書に、『忙中本あり』『77年の興亡ー価値観の対立を追って』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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