突然拘束され精神科病院に入院させられた中学生~「強制入院大国」ニッポンの異常
児童福祉法及び精神保健福祉法違憲訴訟の原告・高校生の体験が投げかける問題とは
倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)
「グローバルダイニング訴訟のニュースを見てきました。先生ならやってくれるんじゃないかと思って」
私の事務所でそう切り出したのは現役の高校生(当時17歳)だった。
彼の相談を一通り聞いた私は、血の気が引くでも、怒りで汗が噴き出るでもない、何とも言えないやや空気が薄いような息苦しさと、今まで言語化できずに空中にバラバラと浮いていたこの社会に対する漠然とした違和感が、スーッと磁石で引き寄せられるように繋がっていく感覚を覚えていた。
浮かび上がる「人権後進国ニッポン」の姿
違和感のパズルが組み合わさって浮かび上がるのは、「人権後進国ニッポン」の姿である。
日本は飢餓や内戦があるわけでもなく、政府批判をすれば投獄されるような環境ではない。しかし、日本国憲法を掲げ、普遍的な個人の尊厳と法の支配を謳う国家にもかかわらず、実のところ、自分の意思とは関係なくひっそりと社会の周縁化してしまった人々の人権については、あまりに光が当たっていない。その点をとらまえて、あえて「人権後進国」と言う。
そんななか、冒頭の高校生はある一つの「社会的な立場」を得て、異議申し立てに踏み切った。今年1月17日に東京都等を相手に提訴された、児童福祉法及び精神保健福祉法違憲訴訟の「原告」としての立場である。
私が担当弁護士となったこの訴訟は、我々が何となく当たり前だと思っていた、「自己決定」「家族」「地域社会」「子どもの権利」「障がい者の権利」などについて、根底から「本当にそうだっけ?」という問い(自問自答?)を迫るものだ。後景には、「先進国」を気取る我が国と日本国民一人一人が、どれだけ他者に対して冷たいか、「うすうす気づいているけど見て見ないふりをしている」ことがたくさんあるのかという地平が広がる。
高校生はどんな目にあったのか。なぜ、訴訟を起こしたのか。被害を受けた当時、13歳だった原告本人の“いたみ”を追体験しながら、私たちが社会に投げかけたい様々なエッセンスを感得していただければ幸いである。
“地獄のような普通の日々”の中で……
事件当時13歳であった原告は12歳のとき、離婚した両親のうち母親に引き取られ、同居生活を送っていた。原告と母親は毎日のように喧嘩(けんか)、否、喧嘩と呼べる程生半可ではない衝突を繰り返していた。
2017年8月のある日、些細(ささい)なことで言い争いとなった結果、母は原告に水筒を投げつけ、原告は頭に7針縫う外傷を負う。事を重大とみた警察及び児童相談所(児相)は、原告を児童福祉法上の一時保護措置に付した。
本来、原告は保護“される”立場のはずだ。しかし、このときの一時保護所の環境は、まるで「刑務所=囚人のような」ものであった。それへの反発と違和感が、本訴訟の“種火”となることは付記しておく。
この一時保護が終わった後も、原告と母の関係は変わらず、“地獄のような普通の日々”が流れていく。一時保護の後の児童相談所の面談記録を見ると、「シングル」として原告を養育していた母親は、加速度的に原告を「手に負えない」と評し、「疲れてしまった」「親権を変更したい」と訴えている。
これに対して児相は、精神科の受診及び診断もないまま、「本児については医療での関わりが必要であること、そのためには精神科への入院が必要」として、「精神科への入院の際には、行動制限や拘束、隔離、服薬をすることもあることの同意が必ず必要であるので、母として判断をして欲しい」などと、積極的に原告の精神科病院への入院を誘導している(児相指導経過記録票より)。
原告を保護していたはずの児相によって、原告が知らぬ間に着々と強制入院のレールが敷かれていったのである。
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