トルコ南東部地震 抑圧に苦しむ被災地に届かない援助の手
切実な状況にある現地に、いまこそ必要な支援が届く道筋を
岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員
2月6日(月)の正午すぎ、トルコ南東部でマグニチュード7.8の地震があったことをラジオで知った。すぐにマラティヤ県の山中で独りで暮らす義母にメッセージを送ったところ、地響きとともに2分くらい大きな揺れが続いたが平屋の家は無事だという。恐怖ですぐに家を飛び出たが、かなりの積雪(標高1800メートルの場所にある)で自宅にいる方が安全、余震はひどいが家にいる、とのことだった。

倒壊した建物の残骸の上に雪が積もっていた=2023年2月7日、トルコ南部カフラマン・マラシュ県
被災して2日たった現地の様子があちこちで報道されるにつけ、22年以上も前の記憶がまざまざとよみがえる。2日目を迎えた7日は、メディアや知人たちからたくさんの情報が寄せられてきた。居ても立ってもいられない気持ちで1999年に支援に携わったときの状況をふりかえりつつ、今何ができるかを考えたい。
1999年トルコ北西部地震の経験

gt29/shutterstock.com
1999年8月17日の未明、イスタンブールに留学中の筆者は大きな揺れにベッドから飛び起きた。1分半ほど揺れたのち、ボスフォラス海峡をのぞんで対岸にあるアジア側(ユスキュダル)の街並みの電気がすべて消えるのを目の当たりにした。
1995年1月17日のやはり未明に、大阪府池田市の実家で阪神淡路大震災の揺れを経験していたことから、それ以上のことが起こっているとわかり、「震源地は壊滅的になっている」と直感的に理解した。
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