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石原信雄・元内閣官房副長官の「満面の笑み」~官邸の守護神との忘れ得ぬ思い出

温厚で厳正な人柄、公正、公平に徹した仕事ぶりで激動の政治を支え……

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

 “影の総理”とか、“もう一人の総理”とも言われることがあった元内閣官房副長官の石原信雄さんが1月29日、96歳の天寿をまっとうして鬼籍に入った。

拡大元内閣官房副長官の石原信雄さん=2019年11月13日、都内の地方自治研究機構

7つの内閣で官房副長官をつとめ

 昭和から平成にかけて、副長官の在職期間7年3カ月は歴代3位。支えた内閣は、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市の7内閣に及び、歴代トップであった。

 私の議員歴は決して長くはなかったが、宮沢、細川、村山の3内閣において、たまたま首相や官邸との関わりが深く、石原さんと共に首相を支える立場にあった。

 石原さんは、その温厚で厳正な人柄と公正、公平に徹した仕事ぶりから、官邸の守護神とでも呼びたくなるような人であった。だからであろう。どんな非常時にあっても、官邸にはどこかのどかでさわやかな空気が漂っていたように思う。

 石原さんとは数多くの思い出があるが、いまも忘れられない石原さんの「満面の笑み」がある。それは私にとっても嬉しいことだったので紹介しよう。

異例の新旧首相の引き継ぎ

 ひとつは、宮沢内閣に代わって細川内閣が発足した直後のことだ。

 当時、自民党を離党して新党さきがけを立ち上げ、非自民連立の細川内閣に参加していた私は、首相の細川さんから「宮沢先生にお会いしてお聞きしたいことがあるので連絡してください」と言われた。

 宮沢さんは、私が自民党の頃に所属した宏池会の会長で、親しく指導していただいていた。さっそく連絡をすると、「私もぜひお会いしたい。直接、(総理の)お耳に入れておきたいことがあるので」と言う。

拡大細川護熙首相(中央)と会談する宮澤喜一前首相(左)=1993年8月17日、長野県軽井沢のホテル
 それまで、日本で新旧の首相が直接引き継ぎをするなぞ聞いたことがなかった。しかも二人は所属する政党も違う間柄だ。さすがの人たちだと思った。

 細川内閣の発足は1993年8月9日。それからほぼ1週間後の17日、夏真っ盛りの軽井沢の緑陰で、新旧二人の首相の会談が実現。国の重要案件が、官僚が介在することなく引き継がれた。ホテルの一室での会談に私も同席したが、和気あいあいの中にも緊迫感が漲(みなぎ)っていたのを覚えている。

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筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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