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ロシアのウクライナ侵略が続く中、パリ五輪にロシア選手の参加を認めて良いのか

プーチンの暴挙を止めるためにIOCができること

登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

 国際オリンピック委員会(IOC)は、昨年2月のロシアによるウクライナ侵略の直後に、各国のスポーツ連盟に対して、ロシア及びベラルーシの選手を国際大会から除外することを勧告した。しかし先月25日にその対応を変更し、両国の選手がこの戦争を支持しないことを明確にし、また自国を代表しない「中立の立場」に立つことを条件に、オリンピックへの復帰を検討する旨の発表を行った。

拡大ロシアとベラルーシの国際大会復帰に向けて「ジレンマ」を抱えるバッハIOC会長=IOC提供

 昨年2月にIOCが両国に対して取った厳しい措置は、広く国際社会から当然のこととして受け止められてきたが、それから約1年が経過した今日、この措置の有効性を変更すべき事態がウクライナをめぐる情勢に生じているのであろうか。むしろ今春にはロシア軍の大規模攻撃が予想され、それに対抗するために西側諸国からウクライナへの最新型戦車の供給などの軍事支援が強化されていて、事態は一層の緊迫が予見される。

 このような状況においてIOCが、国際社会からのロシアに対する制裁の一環であるロシア(及び同調しているベラルーシ)選手のオリンピック参加規制を緩和する方向に動くことは、ロシアに対して誤ったメッセージを送ることになるのではないかと懸念される。

国連総会におけるオリンピック不戦決議の歴史

 近代オリンピックはその発足以来、戦争と無縁ではいられなかった。1916年のベルリン大会は第1次世界大戦により、1940年の東京及び1944年のロンドン大会は第2次世界大戦により中止された。さらに、1980年のモスクワ大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西側諸国によりボイコットされ、その4年後のロサンゼルス大会は、その報復として東側諸国によりボイコットされて、いずれも参加国数が不十分な形のオリンピックとなった。

拡大StreetVJ/Shutterstock.com

 IOCはこのような事態を繰り返さないため、1992年に国連に対してオリンピック期間中の不戦を提唱し、国連総会は、1994年のリレハンメル冬季オリンピック以降の毎大会ごとに、オリンピック開会の7日前から、パラリンピック閉会の1週間後までの期間は戦争を行わないとするいわゆる「オリンピック不戦(休戦)決議」を採択している。

 この言葉は英語のOlympic Truceの日本語訳であるが、通常翻訳されているように「休戦」決議とすると、進行中の戦争を一時休止する意味となるので、本稿においては、戦争を行わないという意味で、オリンピック不戦決議と称する。なおこの国連決議は、「各国に対して、オリンピック・パラリンピックの期間中及びその後において、スポーツを紛争地域における平和促進の手段として活用するよう要請」しており、オリンピック開催を平和と強く結びつけているのである。


筆者

登 誠一郎

登 誠一郎(のぼる・せいいちろう) 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、外務省入省(1965)、駐米公使(1990)、ロサンジェルス総領事(1994)、外務省中近東アフリカ局長(1996)、内閣外政審議室長(1998)、ジュネーブ軍縮大使(2000)、OECD大使(2002)を歴任後、2005年に退官。以後、インバウンド分野にて活動。日本政府観光局理事を経て、現在、日本コングレス・コンベンション・ビューロー副会長、安保政策研究会理事。外交問題および観光分野に関して、朝日新聞「私の視点」、毎日新聞「発言」その他複数のメディアに掲載された論評多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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