人口減少と成熟経済を前提に、有権者とのフィードバックで国家像を固めよ
2023年02月25日
最近、主要政党をめぐって、これまでの「政界の常識」とは異なる問題・状況が起きている。正確に言えば、これまでも起きていたと思われるが、政党内部にとどまらず、社会的に知られ、問題視されるようになっている。
国会で圧倒的多数の議席を有する自民党は、低支持率と強くない党内基盤を共存させつつ政権を安定的に維持するという、従来では見られない状況になっている。「朝日新聞」の世論調査によると、岸田政権は、2022年9月から不支持率が支持率を上回るようになり、同年12月の調査では支持率31%に対し、不支持率57%となった。
一方、岸田首相の岸田派(宏池会)は、党内派閥で安倍派、茂木派、麻生派に次ぐ第4位と言われており、強い党内基盤を有しているわけでない。安倍晋三元首相のように、強力なリーダーシップを発揮しているようにも見えない(例えば「朝日新聞」は「岸田首相は何がしたい」との特集記事を組んでいる)。統一地方選を控え、衆議院の任期も折り返しの2年が近づくなか、従来であれば「これでは選挙を戦えない」と、首相・総裁を引きずり降ろす動きが党内から発生しても不思議ではない。
野党第一党の立憲民主党では、複数のハラスメント問題が発生し、党の基本理念に反する行為として問題になっている。例えば、同党神奈川県連合会は、所属する自治体議員らが他の議員からハラスメントを受けていたとして、ハラスメントを行っていた議員を処分した。処分された議員は「女性だとかジェンダーだとか、ほざいている連中」と、他の議員を中傷していたという。
他にも、神奈川県や三重県などの地方組織において、自治体議員や候補予定者などからハラスメントが申し立てられたと報じられている。これまでならば、こうした問題は外部に知られずに内部処理されたと思われるが、同時多発的に党外へ広がる問題に発展している。
国会に議席を有する中では、もっとも古い日本共産党においても、党の政策と運営の見直しを求めた古参党員が除名させられ、社会を巻き込んだ議論となっている。同党の政策委員会安保外交部長などを務めた松竹伸幸氏は『論座』に「私、共産党の党首選に出ます!~「自衛隊活用論」を唱えてきたヒラ党員の覚悟」などを寄稿するなどした結果、党規約に反して「党を攻撃した」として2月7日に除名された。
一方、これについて「朝日新聞」が社説で「共産党員の除名 国民遠ざける異論封じ」と論じたところ、同党は「「結社の自由」に対する乱暴な攻撃」と強硬に反発した。同党の異なる意見に対する不寛容な姿勢は、同党のこれまでの民主主義や社会の自由の擁護の姿勢を疑わせるものとなっている。
また、れいわ新選組とNHK党は、参議院の比例名簿における当選順位について、名簿繰り上りに際して、次点候補者の任期を制限したり、名簿からの削除をしたりしようとしている。これまでも、次点候補者が本人の意思で当選を辞退したことによって、その以下の候補者が当選したことはあったが、党からの求めによって、任期を限ったり、当選を辞退したりすることは、寡聞にして知らない。それならば、なぜ当該政党は次点候補者を公認(名簿掲載)したのだろうか。政党の名簿に基づいて選挙を行う比例制度を根幹から揺るがす問題である。
他にも、公明党は女性に関する問題を所属議員が起こしながらも、政党組織としては大きな動揺が見られず、国民民主党は電力総連などの労働組合を主たる基盤としつつも、代表の個人政党のように見えると、これまでの「政界の常識」が通用しなくなっている。特に、公明党においては、議員による女性問題が起きるたびに、女性支持者を中心とした強烈な反発が起きていたが、最近の問題ではそのように見えない。
ところで、政治学においては、議会制民主主義と政党システムを一体不可分の関係としている。健全な議会制民主主義、すなわち権威主義体制における見せかけの議会でなければ、有権者の自由意思に基づいて結成された複数の政党が、公正かつ透明なルールに基づいて選挙され、議会に議席を得る。そして、議会の多数派が一定期間、議会運営の主導権を握り、法案や予算案などに影響を与え、成立させる。議院内閣制であっても、大統領制であっても、この仕組みに大差はない。
つまり、政党が存在しなければ、民意を国政に反映させられず、議会制民主主義は形骸化する。顔の見える人間関係で構成される小規模な自治体では、すべての議員が議案ごとに賛否の集団を形成することは考えられる。地域の方向性をめぐる基本的な考え方の違いよりも、それぞれの人間関係が優先されるからだ。
しかし、相互に見知らぬ人を多数含む社会においては、社会として何らかの決定を恒常的に行う際、考え方や利害関係を通じて複数の集団が形成される。多くの場合、小規模な自治体議会においても、民意を反映させるため、政党に相当する集団(会派)が形成される。
それにもかかわらず、政党への評判は芳しくない。「言論NPO」が海外の団体と協力して2021年に代表制民主主義を採用している55か国で行った世論調査によると、「国内には、あなたの意見を代弁する政党があると思いますか?」との問いに対し、55か国平均で「ある、多数の政党が自分の意見を代弁している」が30%、「ある、一つの政党が自分の意見を代弁している」が30%と、6割の人々が政党を自らの意見の代弁者と見なしていた。
ところが、日本では「ある、多数の政党が自分の意見を代弁している」が13%、「ある、一つの政党が自分の意見を代弁している」が24%と、政党を自らの意見の代弁者と見なしている人は4割にも達しなかった。同団体によると、これは「G7の中でも突出した傾向」という。
だからといって、民主主義そのものを否定しているわけではない。同団体は「各国でそうした民主主義の社会に対しては根強い信頼が見られるものの、多くの国で民主主義制度を構成する様々な仕組みが、信頼を失い始めている」と総括している。
要するに、日本の社会では、民主主義の重要性について理解されているが、政党システムが十分に機能していないと考えられている。「議会制民主主義にYesでも、政党システムにNo」とでも呼ぶべき傾向である。
前段に示した各政党の状況について、政党システムへの人々の認識を補助線にして考えると、各党の党内民主主義が機能していないという仮説が導かれる。すなわち、政党が党員・支持者・有権者の意見を聞かず、聞いても重視せず、重視したとしても政策・運営に反映できないからと考えられる。
例えば、一般的な支持(世論調査)にも、自民党内の支持(派閥)にも、リーダーシップにも基づかずに、岸田政権が安定しているのは、党内外からのフィードバックを受けていない(受けていたとしても弱い)からと考えられる。自民党がフィードバック機能を働かせていれば、かつての自民党と同様に何らかの党内の動きになっているはずだ。
立憲民主党のハラスメントも、党内民主主義が機能していない結果と考えられる。問題が大きくなってから対応している状況からは、地方組織での党内民主主義が機能していない様子がうかがえる。一部の都道府県レベルや総支部レベルで、国会議員や自治体議員がボス化し、寡頭支配になっているのではないか。そうであれば、ハラスメントに限らず、政策や運営、候補者選定などにおいても、一般党員や支持者からのフィードバックは機能しない。
共産党の状況は、さらに厳しい。自民党や立憲民主党などは、党内民主主義が機能していない場合、社会に向けて問題を発信し、社会からのフィードバックでもって政党に影響を与え、党内民主主義を活性化できる。党外のメディア・場で、党への批判を行うことは、それほど珍しいことでもない。けれども、共産党の場合は「党への攻撃」と見なし、除名などによって自己を肯定し、フィードバックを拒絶してしまっている。
他にも、公明党では党内での諦め・無気力が懸念され、国民民主党、れいわ新選組、NHK党では党首などによる専横が懸念される。いずれも、党内民主主義の形骸化が進行していると思われる。
これは、政党の「意見集約機能」を阻害する。これは、無数に分かれている人々の考え方(一般的には政策の選択肢)を、政党が体系的な理念や利害関係の調整に基づいて整理・集約し、議会や選挙における選択肢として提示する機能のことである。
例えば、社会として意思決定しなければならないある事柄について、意見が100に分裂し、5つの政党が存在しているとすれば、政党ごとに意見を形成すれば、選択肢が100から少なくとも5に集約されることになる。このように、政党が存在することによって、社会的な決定が行いやすくなる。
この意見集約機能は、政党が党内民主主義を確立し、恒常的に活性化させることで発揮される。なぜならば、所属する議員・党員はもちろんのこと、支持者、緩やかな共感を寄せる有権者の意見を聴き、政策や運営に反映させることで、はじめて「集約」となるからである。
政党には私的な結社としての面があり、党運営は集まった人々の私的な自治でなされるが、民主主義を擁護する理念の政党であれば、党内民主主義を軽視することは理念と矛盾する。むしろ、党内民主主義を確立する、社会に対しての重大な責務がある。
ましてや、近年では、企業内においても社内民主主義が重視されるようになっている。社内民主主義という言葉には馴染みのない人が多いかもしれないが、企業・職場の「フィードバックループ」と言えば分かる人も多いだろう。社員それぞれの意見・考え方を尊重し、組織運営や製品開発などに活かす考え方である。
企業では、経営者が最終的な決定を行うけれども、そのプロセスを民主化することと同じである。企業が社内民主主義を取り入れる時代に、民主主義を擁護するはずの政党が党内民主主義をおろそかにすることはあり得ない。
つまり、前述の調査が示すように意見を代弁する政党がないと思う人々が多いのは、政党が党内民主主義をおろそかにし、文字どおり代弁していないからである。
政党が抱える問題のもう一つは、政党と支持者・有権者をつなぐ中間組織が、十分に機能していないことにある。中間組織とは、経営団体、労働組合、業界団体、協同組合、宗教団体、町内会・自治会などのいわゆる「団体」のことである。かつては、利害関係を共有する人々がこれら「団体」を組織し、代表者を通じて政党や政府、自治体と交渉し、利益を拡大してきた。しばしば「団体」代表者を政党から立候補させ、議員として直接的に活動させることもあった。いや、今でもある。
かつては、多くの人々が中間組織に帰属意識を持ち、自らの意見を代弁してもらっていると実感していた。具体的には、戦後の高度経済成長期とその後のバブル期までは、多くの人々がどこかの中間組織(あるいはそこに属している企業)に帰属意識を有していた。なぜならば、それによって自らの意見を代弁してもらっていると考えていたことに加え、実際に利益を享受していたからである。
その背景にあったのは、人口増加と経済成長に伴う「パイ」の拡大と、その「分捕り合戦」である。自民党を支持する経営者・地主も、社会党を支持する労働者も、中間組織を通じて他者から利益を奪わずとも拡大する「パイ」の中で取り分を確保できた。日本全体で人口が増加し、農山村から都市部への人口移動に伴って地縁・血縁関係が薄くなったので、公明党の支持母体である創価学会は多数の信者を獲得でき、共産党も中間組織と連携して、支持者と「赤旗」購読者を増やせた。誰もが満足する状況ではなかったものの、誰にとっても利益は拡大したのである。
人口減少と経済成熟によって「パイ」の縮小が始まると、中間組織の中に「負け組」が生まれ、増えていった。いずれの中間組織も均等に取り分を減らすのでなく、取り分を確保し、拡大する中間組織と、縮小する中間組織に分かれていったのである。
その分水嶺が、与党と野党のどちらを支持するかにあった。総じて、与党支持の経営団体や業界団体は利益を確保し続け、創価学会は公明党を与党にすることで利益を確保した一方、野党支持の労働組合やその他の団体は、利益を失うことになった。例えば、非正規雇用が拡大され、賃金を低く抑えられ、劣悪な労働環境はなかなか改善されないという状況は、何よりも政府与党が経営者の利益を重視し、労働者に厳しい姿勢で臨んだからである。
しかし、利益を確保できた中間組織の側も、産業革命からの工業化そのものが壁にぶつかり、知識経済へと変化する中で、利益の確保が困難になりつつある。日本最大の企業であるトヨタですら、自動車の電動化という急速な状況変化に適応不全を起こしつつある。前述した社内民主主義の動きも、経営者からのトップダウンによる経営が行き詰まり、社員の知恵に基づくボトムアップの経営を模索するものである。
このように、あらゆる中間組織が機能を徐々に低下させているため、それに依存してきた政党の党内民主主義も機能しなくなっている。まず、労働組合などに依存した社会党・民主党系の機能不全が起きた。立憲民主党は、自民党と同様に個人後援会を基盤に組織建設してきたが、それがハラスメントにつながっている。自民党は、中間組織のトップの意見を取り入れても、それが組織メンバーや周辺の人々とかい離しているため、議員たちが支持の浸食を実感できず、奇妙な政権安定につながっている。
他方、中間組織の機能低下が、日本維新の会、れいわ新選組、NHK党、参政党などの中間組織を敵視する、いわゆるポピュリスト政党の伸張にもつながっている。中間組織を通じず、直接的に人々の不満をすくい上げ、解決すると喧伝する政党である。だが、人口減少と経済成熟という現実には抗えないため、敵を認定して攻撃し、味方につく人々の留飲を下げることしかできない。
それでは、どのようにして政党システムへの信頼を取り戻し、議会制民主主義を発展させるべきなのか。
現在の政党は、日本全体の「パイ」の拡大そのものを前提とし、その中での取り分の拡大を目指してきた。自民党はもちろんのこと、社会党や共産党という革新政党であっても、経済的な利益の拡大そのものは否定せず、その中での取り分の拡大を要求してきた。例えば、共産党の求めていた「革命」とは「パイ」のすべてを労働者に分配しようという考え方であった。
しかし、現在は、人口減少と経済成熟による「パイ」の縮小という「苦い現実」になっている。社会のあり方を変えないならば、縮小する「パイ」を奪い合うしかない。逆に、そもそも「パイ」とされるものの捉え方を変えて、これまで「パイ」でなかったものを「パイ」と見なすようにするならば、社会のあり方を変えなければならない。
言い換えれば、従来は「パイを拡大する」という国家方針では、あらゆる政党が一致していたが、現在は「何をパイとするのか」という、国家方針そのものが問われる状況になっている。
自民党は、「経済的な価値」を唯一の「パイ」とし、今まで禁じ手とされてきた手段も含めて、その拡大に全力を傾けるという国家方針である。「パイ」を拡大したら、人々に「パイ」を広く分配する。すなわち「経済的価値を最大化するため、個人重視・支え合い社会を定める憲法を改正し、国家重視・自己責任社会を名実ともに追求する」国家方針である。
立憲民主党は、従来の「経済的な価値」という「パイ」に加えて、新たに「社会的な価値」も「パイ」に加えて、両方の合計が拡大すればいいという、「パイ」の捉え方そのものを変える国家方針である。すなわち「経済的価値と非経済的価値を足し合わせた社会的価値を最大化するため、国家重視・自己責任社会の政策を改め、憲法の国家方針(個人重視・支え合い社会)を名実ともに追求する」国家方針である。
一方、多くの政党に混在しているのが、「経済的な価値」という「パイ」の拡大に影響を及ぼさない限り、「社会的な価値」という「パイ」を認めてもいいとの国家方針である。すなわち「非経済的価値に配慮しつつ、経済的価値を拡大するため、個人重視・支え合い社会をタテマエ(憲法)として残しつつ、国家重視・自己責任社会をホンネ(政策)として追求する」国家方針である。
ただし、この最後の国家方針は、かつての自民党政権が長らく採用していたものであり、それが行き詰まったからこそ、自民党は国家方針を変化させ、立憲民主党も新たな国家方針を採用したのである。自民党と立憲民主党を含む各党には、この国家方針を目指す政治家もいるが、状況に適応していないため、行き詰まることだけは確実である。
さて、これら国家方針の選択は、中間組織のような利害関係で整理できず、一人ひとりの価値観や時代認識によって左右される。企業経営者のような高所得者であっても、経済的な価値だけを追求するのでなく、選択的夫婦別姓の導入、ベーシックサービスの拡充とそのための増税の容認などを求める人がいる。一方、非正規雇用のような低所得者であっても、社会的な価値の重視でなく、経済成長の最重視、日銀金融緩和の継続、消費税の廃止などを求める人がいる。
そうであれば、政党が党内民主主義を活性化させ、一般党員、支持者、有権者と対話を重ね、国家方針を説明する必要がある。なぜならば、中間組織が十分に機能せず、異なる国家方針を求める人々が混在しているからである。
一方、ポピュリズム的な宣伝になっては、国家方針の選択に至らない。なぜならば、国家方針の説明には一定の時間を要し、分かりにくさが付きまとうためである。敵と味方を明確に分けるような具体的で単純な選択肢が、ポピュリズムには不可欠であるが、国家方針の選択はその真逆である。
人口減少と経済成熟という「苦い現実」を踏まえれば、国家方針そのものから問い直すしかなく、それを有権者に理解し、熟考してもらった上で、国政に反映させていくことが、これからの政党の重要な役割である。
政党には、前述した「意見集約機能」と並んで「政治的社会化機能」がある。これは、人々を政治の世界に誘い、人々に政治的な課題について考えてもらう機能である。「意見集約機能」が有権者から政党へのフィードバックだとすれば、「政治的社会化機能」は政党から有権者へのフィードバックである。この両方の機能が十分に果たされることで、議会制民主主義は発展する。
以上のことから、党内民主主義を活性化させた政党こそが、人々の強力な支持を受け、時代の変化に適応した国家方針を確立し、日本の民主主義を発展させるだろう。そのことを強く期待する。
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