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「再生可能エネルギー」の名の下に進む森林の乱開発を許すな!

太陽光・風力発電の巨大施設で多様な生物の生息地である森林や自然を破壊する愚行

赤松正雄 元公明党衆院議員 元厚生労働副大臣 公明党元外交安保調査会長 公明党元憲法調査会座長

 ここに一枚の絵図がある。Google Earthによる衛星画像である。ネオンサインのような黄色い光が、日本列島の至るところで輝いているのが見える。

「日本熊森協会」(一般財団法人)事務局が作成した「森林破壊を伴う、メガソーラー、風力発電開発が行われた分布図」

列島中に林立する太陽光・風力発電所

 実はこれ、太陽光発電と風力発電によって森林地帯が開発された場所を表している。一瞬、そのまばゆさに目を奪われた私だったが、次の瞬間、黄色い輝きは緑滴る大自然を破壊する「黄信号」へと転じ、おののきを禁じ得なかった。

 絵図は「日本熊森協会」(一般財団法人)事務局が作成したものだが、太陽光発電が2万2299ha、風力発電が823haで合計2万3122haにのぼる。このところ急速に増えてきているメガソーラー(大規模な太陽光発電システム)や風力を使う開発だが、その全貌は現時点で掴めていない。

 一昨年、毎日新聞が、「再考エネルギー」という企画記事における「太陽光発電が『公害』」との見出しで、自然破壊や景観悪化など全国37府県においてトラブルが発生していることを報じた(2021年6月28日付け)。貴重な試みだった。

熱海市の土石流災害と森の乱開発

 この報道がなされた5日後の7月3日、静岡県熱海市伊豆山地域で悲惨な土石流災害が起こった。前夜から停滞した梅雨前線がもたらした未曾有の豪雨によるものだった。偶々(たまたま)あの惨事が起こった朝、一般人が川の対岸の高い建物からスマホで撮影した映像がテレビに流れた。真ん中に映った3階建てのビルを飲み込まんばかりに迫る濁流。すぐそばの道路を、必死に走る消防関係者と思しき姿がまぶたに残る。

 死者、行方不明28人(2021年8月)に及んだあの事故から1年半がたつ。しかし、あの映像を見た者にとってその記憶は今も生々しい。

 この惨事は、大量に不法投棄された盛り土が直接の契機との見方が強いが、より根源的には森の乱開発が深い関係を持つことが取り沙汰されている。隣接する山あいの尾根部を開発し太陽光発電が建設されていたのだが、それによって保水力を持つ森がなくなってしまい、大量の水が一気に流れたことも有力な原因の一つとの指摘が、専門家からなされているのである。

多発する水害の背景に森の保水力の消失

 近年、河川の氾濫が増えている背景に、日本各地で進行する「森林の荒廃」がある。戦後、政府が推進した拡大造林政策によって、天然林を伐採してスギやヒノキの人工林を全国で植えまくり、その大部分を放置してきた報いが、半世紀以上の時を顕在化したのである。

 間伐や伐り出しもされず、陽の当たらぬ真っ暗闇の放置人工林の内部は、下草も生えぬまま。普段の雨で表土が流出し、保水力は低下する一方だ。そこへ地球温暖化・異常気象の影響で集中豪雨が起こりやすくなり、人工林が土砂崩れを伴うケースが続発。また、大雨は土中に溜まらず、鉄砲水となり川の氾濫を引き起こす。

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再生可能エネルギーの開発が進んだ結果……

 2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原発事故は、こうした事態に新たな事態を加えた。原発に代わる新エネルギーへの需要が拡大し、太陽光、風力、バイオマス発電など再生可能エネルギーの開発が猛スピードで進んだのだ。なかでも、太陽光発電所は山間部につくられることが多く、山間部の保水力の低下を加速した。

 山奥の森林を伐り崩してつくられる大型の発電所は、衛星画像にはしっかり映っていても、地域住民は意外と気付かない。日常的に暮らしている場所とは距離があるケースが少なくないからだろう(住宅地の近くに太陽光発電所がつくられるケースも最近は目につくが……)。

 その結果、今や東北、とりわけ福島、宮城県では、気がつけば太陽光発電や風力発電がいっぱいあるという状況が現出している。宮城県に住む古くからの友人に太陽光発電や風力発電が映る航空写真を見せると、風景破壊のあまりのひどさに絶句していた。

 原発に代わるものとして、あるいは脱炭素のため、再生可能エネルギーの必要性は認める。しかし、メガソーラーや大規模風力発電施設の建設によって森林が破壊されるとなると話は違う。森林こそCO₂を吸収する温暖化防止機能を持つからである。

 昨年度、「関西電力」が宮城県まで行って蔵王での風力発電計画を発表すると、地元首長や住民から「関西の山でやれ」と猛烈な拒絶反応を受け、あっけなく白紙撤回に追い込まれた。“旅の恥”は何とやら、のつもりだったのだろうか。理解に苦しむ。

山を削り、造られた大規模太陽光発電所=2022年9月30日、福岡県飯塚市、朝日新聞社ヘリから

真実の「人間主義」とは

 私が顧問として関わっている「日本熊森協会」が、熊、猪などの大型野生動物が人里に出没するのは“森林破壊の予兆”であると警鐘を鳴らして30年近くになる。動物は好
き好んで山を降りてくるのではない。森が棲めなくなってきているからで、彼らが本来棲んでいた奥山で生きられるようにする責任が、人間にはあるのだ――という主張に私は共鳴し、国会でもたびたび発言をかさねてきた。

 西洋の思想と違って、東洋の哲学は人間と自然を一体のものとして捉える。つまり、人間も動物も植物も、皆同じ地球上で棲息する生き物として、共存共生することが大事だと仏教は教えている。仏教徒として、私は真実の「人間主義」とは、人間中心というだけではなく、「生きとし生けるもの主義」とでもいうべきではないかと考えている。

 でないと、平気で動物を殺し、植物を根こそぎ薙(な)ぎ倒しても、恬(てん)として恥じないという存在に成り下がってしまう。「ウクライナ戦争」を歴史の逆転だと嘆くのなら、さらに一歩進めて、生命あるもの全てに優しさと思いやりの目を向けるべきでないか。

 こう言うと、多くの人から、「人間と動物、ましてや植物のどれが一番大事なのか。人間に決まってるだろ」と反論される。誤解されることを承知で、私はこう言うことにしてきた。「違う。みんな大事だ!」

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森林伐採を伴う再エネ開発原則禁止を目指して

 再生可能エネルギー開発の名のもとに森林を乱開発することに、命の底からノーという声を挙げて立ち上がった人々が、令和3(2021)年、「全国再エネ問題連絡会」を結成した。

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