山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト
元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
歴史的にロシアとの絆が強いフランス 「外交大国」の意地をかけて大統領が外交攻勢
ウクライナ戦争が勃発して2月24日で1年がたつ。欧州では、戦争はいつ終わるのか、その後の世界はどうなるのかが、盛んに議論されている。バイデン大統領がキーウを訪問して「支援続行」を宣言する一方、プーチン大統領が「新START(戦略兵器宣言条約)の停止」を表明。暗に「核兵器の使用の可能性」をちらつかせて、米ソ冷戦時代への逆戻りも指摘される。
「ウクライナの勝利」、すなわち「民主主義陣営の勝利」は、欧州及び米国の一致した願望だ。しかし、その終わり方に関しては相互に相違が見られ、先行きは不透明だ。ゼレンスキー・ウクライナ大統領が提案する「和平計画」は実現するか否か。そもそも「和平会議」は行われるのか否かなど、流動的な点が少なくない。
1年前の2月24日未明、エリゼ宮(仏大統領府兼公邸)で就寝中のマクロン大統領はウクライナからの電話で叩(たた)き起こされた。「エマニュエル、彼らが我々の土地にやってきた。我々の土地で戦闘が行われている」。
ロシアがウクライナへの侵攻を開始した時、ゼレンスキー大統領が真っ先に知らせた相手は、「友人エマニュエル・マクロン」だった。驚愕したマクロンがゼレンスキーの「身の安全」を尋ねたのに対し、ゼレンスキ―は「キーフには安全はない。想像不可能だ」と絶望的な声で答えた。
マクロンは即、キーフのフランス大使館に連絡し、緊急事態発生の時は、ゼレンスキーを大使館で保護するように支持した。この時点で、フランスがウクライナに対して、できることは、これ以外はなかったからだ。
約1年後の今年2月17日に開催されたミュンヘン安全保障会議でマクロンは、「ロシアの敗北を願うが粉砕(écraser)は望まない」と発言し、「ロシア寄り」と参加国の大半とゼレンスキーから批判された。
仏語の「écraser」という単語は、「(象が)踏みつぶす」とか航空機が炎上墜落する時などに使う言葉で、強度な破壊を意味する。マクロンとしては、ウクライナの勝利は望むが、ロシアが復活、再生の余地なく完璧に叩きのめされることには反対を表明したのだ。
マクロンはウクライナ戦争勃発の数カ月後、欧州議会での演説(5月)と複数の仏地方紙インタビュー(6月)で、「ロシアを侮辱するべきではない」と述べ、ゼレンスキ―をカンカンに怒らせた“前科”がある。
この「ロシア(ソ連)を侮辱するべきではない」というフレーズは、実はマクロンの専売特許ではない。ドゴール将軍以下、冷戦時代から第五共和制の代々の仏大統領、サルコジ、オランドなどが、おりに触れて表明してきた、いわばロシアに対するフランスの伝統的な立場と言えなくもない。