猪瀬直樹『太陽の男』が三島由紀夫という鏡に映した石原慎太郎、そして映さなかった像
「作家・石原」と「政治家・石原」 分けて論じることはフェアかアンフェアか
石川智也 朝日新聞記者
作品は作者に還元できない。作品の価値と作者の人格は別ものである。
そう心得ていたにしても、作者への負の念があまりに大きい(あるいは逆に強く好感を抱いている)場合、その作品を冷静に公平に批評することは可能なのか。そんな古典的な難題に向き合わされた数週間だった。
昨年2月1日に永眠した石原慎太郎の一周忌に合わせ、猪瀬直樹氏による評伝『太陽の男 石原慎太郎伝』(中央公論新社)が刊行された。石原とは都知事時代に一度か二度、記者会見に出席した程度の接点しかないが、正直なところ悪しき先入観しかなかった。本書を読み、自分の中の石原像は少なからず改変を余儀なくされた。と同時に、これまで石原に抱いてきた違和感の正体も見極められたように思う。
著者猪瀬氏へのインタビューも考えたが、ここはあえて客観的に書評というかたちでその内容を紹介しつつ、私の石原観も交えたい(ゆえに以下、敬称は略す)。
先入観を排して石原作品を読んでみた
石原はその保守政治家としての言動から、訃報でも中国紙などから「右翼政治家」「軍国主義者」と評されるなど、毀誉褒貶につつまれ続けてきた。「それが不徳のいたすところだとしても、その結果が作品の評価をも貶めているのは公平ではない」(141頁)と猪瀬は執筆の動機を記している。石原を毛嫌いしている人こそ先入観にとらわれず読んでほしい、ということだろう。

「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞した当時の石原慎太郎
石原は1956年に『太陽の季節』で学生作家として華々しく文壇デビュー。賛否渦巻くなか史上最年少で芥川賞を受賞するとともに、その放埒な内容と無軌道なエネルギーが大人たちの眉をひそめさせ、若者を熱狂させたことは、戦後文学史上の「事件」としてよく知られている。
しかしそれ以外の作品についてはまともに論じられているとは言えない。その人物イメージから生じる「どうせ大した作家ではないんでしょ」という予断が流布し、読まずとも三流作家と決めつけて差し支えない、そんな通念すらまかり通っているのが現実だろう。
私にとっても石原の作品は食わず嫌いだったので、本書読了後、偏見を排して、あらためて読み込んでみた。結論から言えば、猪瀬の言うとおり、石原は文学者として明らかに過小評価されている。
なかでも、1965年に起きた「ライフル魔事件」に材を取った『嫌悪の狙撃者』は、石原文学の特徴が凝縮されたような作品だ。石原の文体はときに作家たちからシナリオ的だと酷評されてきたが、ここでは短文と会話の連なりが効果的なテンポを生み、ドキュメンタリー的な構成も優れている。そして、石原作品に通底する「嫌悪」という無意識下の情念を最も掘り下げている。
「ライフル魔事件」はいまではほとんど忘れ去られているが、当時日本中を震撼させた大事件だった。神奈川県の山林で18歳の少年が虚偽の通報で警官をおびき寄せ、ライフル銃で射殺して逃走。渋谷の銃砲店に立てこもり、包囲した警官隊ややじ馬に100数十発を乱射して16人を負傷させた。
少年犯罪で死者1人ながら4年後に最高裁で死刑判決が確定した。石原は、この少年の情念を大衆が無意識下に抱いているものと同じものの発露と捉え、共感を寄せつつも淡々と描き出している。
石原がこの時期に多用している「嫌悪」という概念は独自のものであり、分かりづらいが、「肉体」に宿る「生理」から発する違和感と情動のようなものを指す。カミュの不条理文学から影響を受けていることは明らかだ。観念とイデオロギーを信じず、「僕自身にとっては、肉体こそが自我といえる」(『死という最後の未来』)という姿勢は最期まで一貫していた。知性への嫌悪という点では反知性主義者とも共通するが、石原はむしろ広い意味での主意主義者のように思える。
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