自民党や実力者の統制が効かない混沌が広がる統一地方選から浮かぶ政治の鈍さと危機
2023年03月08日
1月末に豪雪のさなか京都府舞鶴市を訪れたのは、2月5日投開票の市長選を取材するためではあった。
ただ、正直に言えば、地元のFMラジオ局が企画した若者の討論会が目当てであって、なにも維新系候補が自公の推す現職に勝つかもしれないと鼻を利かせたからではなかった。
しかし、予兆は感じた。
討論会の取材を終えて、目抜き通りの定食屋に入ると、カウンターの左隣で二人組が大声で話をしている。いかにも商工会幹部風の熟年男性たちだ。
「維新に共産、保守系無所属まで乱入すると、批判票が割れるだけ」
「結局は今回も現職の勝ちさ」
右隣ではシュッとしたスーツ姿の若い男性二人がヒソヒソ話だ。
「出口(調査)はどうするの?」
「情勢(調査)が予想外で‥‥」
どこかの政党に頼まれて現地入りした調査会社の担当者同士でもあったか。
豪雪の影響で特急まいづるが運休してもう一日、泊まることになる。雪道に難渋しつつ飲み屋に飛び込むと、ここでも常連客たちが政治談義の真っ只中だ。
「コロナもやっと一息ついたのに、舞鶴だけが蚊帳の外だ」
「介護も病院通いも仕送りも、田舎は大変だ」
「結局、得するのは偉い人だけさ」
翌早朝、JR西舞鶴駅で始発の特急を待ったが、窓口に駅員がいないので、本当に時間通りに来るかどうか、不安でならない。合理化のせいか、午前9時過ぎまで窓口は無人とのこと。ネットでJR西日本の運行状況を確認するしかない。
1週間後、市長選が投開票。結果は、日本維新の会京都府総支部が推した元市議が、現職に約4千の差をつけ1万5千票余りを獲得して当選した。投票率も前回から約10ポイント上昇し、50%を超えた。大阪府外で維新系の単独推薦候補が市長選で勝つのは初めてだった。
直後に会った永田町の政治家らは口々に言ったものだ。
「やはり岸田政権批判は根強い」
「市長給与カットとか給食費無償化とか、維新の訴えは効く」
「自公の選挙の限界が見えた。野党がまとまれば、総選挙で激変が起きるかもしれない」
違和感しかなかった。あの日、隣り合わせた市民たちの口からは、「岸田政権」とか「総選挙」とか市政や政権の「交代」とかといった永田町の政局用語は、ついぞ出て来なかった。
岸田政権は底固いとか、政局が不穏でないとか、そういう意味ではない。より切実な日々の暮らしやわが街の将来に対する不安感と既成の政治への絶望感とが、ありありと感じられたからである。
このところ、各地の首長選で波乱が続く。舞鶴と同じ日に投開票のあった北九州市長選は、前市長の市政継承を謳った自民、立憲民主など各党の相乗り候補が別の自民党系候補に敗れた。永田町で犬猿の仲とされる政治家同士の「代理戦争」が取り沙汰されたが、敗因はそれだけだったか。
2月19日の佐賀県鳥栖市長選は、5選を期した現職を、自民党が推薦した15歳年下の新人候補が破った。過去4回、自民党が推薦候補を立てて勝てなかった選挙だ。
他方、4月の統一地方選を巡っては、奈良、徳島両知事選で「保守分裂」の様相が極まり、候補が乱立する。自民党執行部や地元実力者の統制が効かない混沌状況が広がる。
岸田政権への逆風とか野党のだらしなさとか、これまでの物差しでは測れない状況だ。共通項があるとすれば、既成政党の限界とそれへの不信感だろうか。
記憶を辿ると、似たような空気感があったのは、今から28年前、1995年4月の統一地方選である。
東京で青島幸男、大阪で横山ノック両氏が知事選で勝利した。青島氏は先ごろ亡くなった石原信雄元官房副長官を、横山氏も前科学技術事務次官を破った。石原氏は当時の自民、社会、新党さきがけの「オール与党」に加えて、野党の公明党や連合の推薦も受け、前科技事務次官はこれに野党・新進党も加わるまさに相乗り候補だった。
地滑り勝利の結果ば当時、「無党派の反乱」「青島・ノック現象」と言われたものだ。
改めて振り返れば、この年はまさに激動の年だった。1月には阪神・淡路大震災があり、3月には後にオウム真理教の犯行と分かる地下鉄サリン事件が起きた。不良債権問題から住専、コスモなど金融機関の破綻が相次ぎ、景気低迷による就職難が社会問題化した。少女暴行事件で沖縄の米軍基地問題もクローズアップされた。
バブル経済の終焉(しゅうえん)は極まり、それ以上に経済成長と共に歩んだ戦後昭和期の終わりが強く意識された。従来のやり方では対応できぬ時代に突入したことが、震災と宗教組織の犯罪、日米安保体制の綻びにより白日の元に晒(さら)された形だった。
ただ、その年の7月の参院選は、なんとも微妙な結果に終わった。社会党の村山富市氏を首相に担ぐ自社さ連立政権が審判を受けたが、社会党は歴史的な大敗を喫し、自民党は議席を増やしたものの単独過半数には達しなかった。新進党も議席を倍増させたが、与党を過半数割れには追い込めなかった。
東西二大都市で無党派候補を当選させた有権者の「反乱」は、国政選挙で主役を交代させるまでには至らなかった。権力に過剰適応したかつての革新政党を敗北させ、下野から政権復帰を経て単独政権を目指す保守政党に待ったをかけ、政権交代に向け一応の大同団結を果たした野党に少なくとも橋頭堡(きょうとうほ)は与えた。
有権者が、いわば「踊り場」の政局状況を創出した形であった。根底にはやはり既製政党への不信感があったとみるべきだろう。なぜなら、数年後から日本政治は稀にみる激動期に突入したからだ。
1998年、橋本龍太郎首相の元で単独政権に復帰した自民党は参院選で惨敗、衆参は大きくねじれた。自由、公明両党と自自公3党連立政権を組んで凌ぎ、自由党の離脱後、今日まで続く自公連立政権へと姿を変えた。2001年、小泉純一郎首相が登場し長期政権を築くが、その旗印は「自民党をぶっ壊す」だった。
同じ98年、新進党の解党と分裂に続いて民主党が誕生、野党第一党の姿が切り替わる。2009年、「政権交代。」の旗印のもと総選挙で圧勝し、麻生太郎自公連立政権に代わり単独で政権に就く。
ワンフレーズ・ポリティックスと呼ばれた劇場型政治のなせるわざだったとしても、自民党改革も政権交代も旧来の政治に対して抜本的な変化を迫る民意をとらまえた結果には違いない。95年の無党派の乱で垣間見えていた民意の失望と怒りが、解消されぬまま、後になって噴出したとも言い得るのではないか。
そうだとすれば、今日の地方選における「波乱」もまた、この先の激動を先取りする予兆であるのかもしれない。
現在の既成政党への不信感は、28年前の比ではなかろう。これまで、考え得る限りの多種多様な政権の枠組みが試行錯誤された後の閉塞感だと思えるからだ。
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