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雪の舞鶴で感じた波乱の予兆~コロナとウクライナ危機を経た民意が希求するもの

自民党や実力者の統制が効かない混沌が広がる統一地方選から浮かぶ政治の鈍さと危機

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 1月末に豪雪のさなか京都府舞鶴市を訪れたのは、2月5日投開票の市長選を取材するためではあった。

 ただ、正直に言えば、地元のFMラジオ局が企画した若者の討論会が目当てであって、なにも維新系候補が自公の推す現職に勝つかもしれないと鼻を利かせたからではなかった。

豪雪の真鶴市で見たもの

 しかし、予兆は感じた。

 討論会の取材を終えて、目抜き通りの定食屋に入ると、カウンターの左隣で二人組が大声で話をしている。いかにも商工会幹部風の熟年男性たちだ。

「維新に共産、保守系無所属まで乱入すると、批判票が割れるだけ」
「結局は今回も現職の勝ちさ」

 右隣ではシュッとしたスーツ姿の若い男性二人がヒソヒソ話だ。

「出口(調査)はどうするの?」
「情勢(調査)が予想外で‥‥」

 どこかの政党に頼まれて現地入りした調査会社の担当者同士でもあったか。

 豪雪の影響で特急まいづるが運休してもう一日、泊まることになる。雪道に難渋しつつ飲み屋に飛び込むと、ここでも常連客たちが政治談義の真っ只中だ。

「コロナもやっと一息ついたのに、舞鶴だけが蚊帳の外だ」
「介護も病院通いも仕送りも、田舎は大変だ」
「結局、得するのは偉い人だけさ」

 翌早朝、JR西舞鶴駅で始発の特急を待ったが、窓口に駅員がいないので、本当に時間通りに来るかどうか、不安でならない。合理化のせいか、午前9時過ぎまで窓口は無人とのこと。ネットでJR西日本の運行状況を確認するしかない。

永田町の政治家の言葉に違和感

拡大舞鶴市長選で当選を決め、支援者を前にバンザイする鴨田秋津氏(中央)=2023年2月5日、京都府

 1週間後、市長選が投開票。結果は、日本維新の会京都府総支部が推した元市議が、現職に約4千の差をつけ1万5千票余りを獲得して当選した。投票率も前回から約10ポイント上昇し、50%を超えた。大阪府外で維新系の単独推薦候補が市長選で勝つのは初めてだった。

 直後に会った永田町の政治家らは口々に言ったものだ。

「やはり岸田政権批判は根強い」
「市長給与カットとか給食費無償化とか、維新の訴えは効く」
「自公の選挙の限界が見えた。野党がまとまれば、総選挙で激変が起きるかもしれない」

 違和感しかなかった。あの日、隣り合わせた市民たちの口からは、「岸田政権」とか「総選挙」とか市政や政権の「交代」とかといった永田町の政局用語は、ついぞ出て来なかった。

 岸田政権は底固いとか、政局が不穏でないとか、そういう意味ではない。より切実な日々の暮らしやわが街の将来に対する不安感と既成の政治への絶望感とが、ありありと感じられたからである。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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