
放送法をめぐる資料は「行政文書」であると会見で認めた松本剛明総務相=2023年3月7日、東京都千代田区の総務省
「言論弾圧ではないのか」
「政府がこんなことをしてどうするつもりなのか。どこのメディアも萎縮するだろう。言論弾圧ではないのか」
この言葉だけを聞くと、国会で野党が首相を厳しく追及している情景が浮かんでくる。だが、そうではない。これは首相秘書官が首相補佐官に対して発した言葉なのだという。
このたび、放送法の「政治的公平」の解釈を巡る首相官邸(安倍晋三政権)と総務省とのやりとりを記した文書が流出。これを入手した立憲民主党の小西洋之参院議員が記者会見をして発表し、メディアも大きく取り上げた。3月7日、松本剛明総務相はこの文書を公文書管理法に基づく「行政文書」と認めて公表した。
問題の核心は、同法が定める「放送における政治的公平性」の勝手な解釈変更にある。具体的には、「一つの番組ではなく、放送事業者の全体を見て判断する」という従来の政府解釈に、「一つの番組でも不公平になり得る」という解釈を追加するというものだ。
この解釈変更を受け入れれば、首相や政権の意に添わない番組は、「公平性を欠く」という理由によって、次々と消えていくだろう。それでは、ロシア、中国、そして北朝鮮といった専制主義国家と同じ方向に進むことになる。日本もそうなっていいのか?
世論はそれを許さない
冒頭の発言をした山田真貴子首相秘書官(当時)は、放送法の解釈変更を「放送法の根幹に関わる」と問題視。これを意図する礒崎陽輔首相補佐官(同)に対して立ちはだかったという(3月8日朝日新聞)。
山田氏は解釈変更のためには、「審議会の開催」や「法改正が必要」という認識を示したというが、この認識は正しい。氏が指摘するように最小限、「内閣法制局に相談すること」が最初の一歩だろう。手続き無視も甚だしい。

首相秘書官の辞令交付式に臨む山田真貴子氏=2013年11月29日、首相官邸
しかし、その後もこの動きは止まらず、2015年5月12日には国会の場で、高市早苗総務相(当時)は与党議員の質問に答え、「一つの番組でも、極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁している。
これは政府解釈の変更ではなく。従来の解釈への「補充的な説明」とされている。一見すると、官邸側が押し切ったように見えるが、そうではない。今後、仮に一つの番組を官邸がつぶそうとしても、今回の行政文書の流出や、山田氏の勇気ある発言が思い出されて、世論はそれを許さないだろう。
その前に、岸田文雄首相はなぜ「放送法の解釈はいささかも変わらない」と断言できないのか。またもや世論の失望感が募る。
報道の自由や言論の自由の圧殺が、戦前の日本に国策を誤らせたことを考えれば、それがいかに珍奇な思想や言論であっても、権力によって封じ込めるべきではない。粗悪な番組は視聴者によって切り捨てられるはずだ。ロシアや中国における報道規制が、国や世界を破滅に向かわせかねない危険性を内包していることを考えれば、そうした方向に一歩でも踏み出すことを、われわれは思いとどまるべきだ。
>>関連記事はこちらから