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放送は誰のものか~公表された総務省文書が示した、官邸によるメディア規制の強い意志

放送全体だろうが個別番組だろうが「政治的公平」を政府が判断することは許されない

山田健太 専修大学ジャーナリズム学科教授(言論法、ジャーナリズム研究)、日本ペンクラブ副会長

 3月2日、小西洋之参院議員によって78枚の行政文書が明らかになった。総理補佐官として当時の政権幹部の職にあった、磯崎陽輔・元参院議員から総務省に対する放送法の解釈変更を求める生々しいやり取りの記録だ。その後すぐに、総務省は文書のすべてを行政文書として認め7日に公表した一方(総務書サイト上に掲出)、当時の総務大臣だった高市早苗・衆院議員は「捏造」として自身に関わる内容を全否定した(国会答弁など)。

 本稿では、このやり取り文書の中身を検証しつつ、そもそも放送法の解釈や位置づけ・運用にどのような問題があるのかを確認しておきたい。(本稿の一部は、すでに発表している拙コメントや寄稿と、内容上や表現で重複があることをご容赦願いたい)

総務省が公表した政治的公平性に関する行政文書の一部。右上に「取扱厳重注意」とある =2023年3月7日、霞が関拡大総務省が公表した政治的公平性に関する行政文書の一部。右上に「取扱厳重注意」とある =2023年3月7日、霞が関

放送法をめぐるやり取りからみえる3つの問題

 文書を通じてわかったことの第1は、政権中枢にいる者(政治家)が個別の番組に意見することへの抵抗感のなさだ。2015年3月6日付の記録には、TBSサンデーモーニングを例に「けしからん番組は取り締まるスタンスを示す必要がある」との磯崎発言が記されている。

 個別の番組について、その内容が政治的に公平かどうかを政府が判断し、しかも事後的であったとしてもそれを取り締まるということは、まさに憲法で禁止されている検閲にも相当する行為だ。なぜなら、紛れもない行政権による内容観点の表現規制であるからだ。

 しかもこのことは将来にわたって、強い萎縮効果を生むことは間違いないし、そうした効果を含めての取り締まりということだろう。あるいは、実際に取り締まらなかったとしても、それをほのめかしただけでも、放送局は必要以上の気遣いをする必要が生じ、結果的に私たちの知る権利が大きく制約されることになる。

 第2には、政治家(官邸)が強硬かつ執拗に法解釈の変更を迫り実現する異常さだ。たとえば上記の少し前の2月24日付の記録では、「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃすまないぞ。首が飛ぶぞ」と、磯崎が説明に来た総務省情報流通行政局長を恫喝している。同時に、「今日は怒らない」と繰り返している様子が記されているが、このことは、いつも大きな声を出していたのかと想像されるやり取りだ。

 ちなみに、総務省は、同文書に名前がある関係者十数人からの聞き取り調査を実施し、約1週間後の3月10日付で「『政治的公平』に関する行政文書の正確性に係る精査について」(情報流通通行政局放送行政政策課)を公表した。そこでは、礒崎氏との打ち合わせの回数や個々の発言については、「内容が正確であるとの認識は示されなかった」と説明、「強要などがあったとの認識は関係者全員が示さなかった」とした。また、「文書を構成する全48ファイル中、22ファイルは作成者が確認できたが、26ファイルは作成者が確認できていない」とした。これらは、高市の「内容が不正確」との発言に平仄を合わせたようにも見える。

衆院予算委で民主・山尾志桜里氏の放送法関連の質問に対する安倍晋三首相(手前)の答弁を聞く高市早苗総務相=2016年2月15日、肩書はいずれも当時拡大衆院予算委で民主・山尾志桜里氏の放送法関連の質問に対する安倍晋三首相(手前)の答弁を聞く高市早苗総務相=2016年2月15日、肩書はいずれも当時

 第3が、官邸が国会を動かすことが当たり前になっていた感覚である。双方のやり取りの中で、詳細な国会質疑応答案文の作成を繰り返し行っていたことも明らかになっており、大臣答弁書の1字1句まで作成し、事実上、官邸が国会をコントロールしようとしていた、あるいは確定した文案と国会の大臣答弁が同一であることからも、実際にしていたことがわかる。

 この「事件」の少しあと、安部首相が2016年5月16日の衆議院予算委員会で「私は立法府の長」と発言し、その後の質問主意書に対し「言い間違い」と回答したが、実は言い間違いでも偶然でもなく、真にそう思っていたのではないかということがうかがわれる。


筆者

山田健太

山田健太(やまだ・けんた) 専修大学ジャーナリズム学科教授(言論法、ジャーナリズム研究)、日本ペンクラブ副会長

1959年生まれ。主な著書に「放送法と権力」「見張塔からずっと」「愚かな風」(いずれも田畑書店)「ジャーナリズムの倫理」(勁草書房)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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