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国際政治の劇的転換 世界の分断が加速する中、ドイツは中国から日本に軸足を移した

日独政府間協議から見えるショルツ首相の思惑

花田吉隆 元防衛大学校教授

 3月18日、ドイツのショルツ首相が日独政府間協議のため来日した。休日の土曜日、首相公邸で首脳会談が行われ、その後、官邸に場所を移し閣僚を交えた政府間協議が開催された。驚くのはその参加メンバーだ。ドイツ側から首相(社会民主党)、財務相(自由民主党)、外相、経済・気候環境相(緑の党)らが来日したが、この3党はドイツの現政権を構成する連立与党だ。「さながら閣議が引っ越してきたようだ」と評される。

日独政府間協議・全体会合で発言するドイツのショルツ首相(右から2人目)=2023年3月18日、首相官邸

 メルケル前首相の時、ドイツは中国を偏重し、同氏はその16年の首相在位のうち12回も中国に足を運んだ。その一方、訪日はたった6回でしかない。ドイツから遠くアジアの果てまで来ていながら、中国だけ訪問し日本は素通りした。

 ところがショルツ氏が2021年に首相になり、アジアの最初の訪問国に中国でなく日本を選んだ。それから間をおかず今回2度目の来日だ。しかも、重要閣僚をこれだけ引き連れての政府間協議だ。確かに、ドイツは政府間協議を中国、インドとの間で行っており、日本との間にその枠組みがないのは不自然だ。しかし、ショルツ首相訪日の意味はそれだけでない。ドイツがその政策の重点を中国から日本にシフトさせた。その政策転換を今回の訪日で露骨に示して見せた。

中ロ偏重の前提条件が一気に変化

 確かに2000年から2022年までの22年、ドイツの貿易額に占める中国の割合は2%から10%へと大きく拡大、その対中輸出入額は約300億ユーロから3000億ユーロへと10倍に増えた。対日輸出入額がほぼ横ばいだったのと際立った対照だ。これが、ドイツの成長を下支えした。つまり、「ロシアからの安価なエネルギーと中国の旺盛な消費市場を組み合わせた成長モデル」だ。メルケル氏にとっては、中国偏重は経済合理性に基づいたもっともな選択だった。日本に中国に代わるだけの消費余力はない。

首脳会談を終え、共同記者会見で発言する習近平国家主席(左)とメルケル首相(当時)=2017年7月5日、ベルリンの独首相官邸

 その前提条件が一気に変化した。ロシアのウクライナ侵攻と米中対立だ。経済合理性が経済安保に取って代わられた。ドイツは、いつまでもロシアからのエネルギー輸入を続けられると思っていた。よもやエネルギー輸入が途絶しようなどとは考えもしなかった。しかし、それが現実に起きる。そうなれば、もう一つの前提、即ち、中国市場への依存もいつ危うくなるか分からない。台湾有事にでもなれば、貿易関係の制限は不可避だ。

 台湾有事にまで至らなくとも、米国は対中警戒感をこれまでになく強めている。米国は、先端半導体の対中禁輸への同調を日蘭に求めつつもドイツに矛先を向けることはなかったが、米中対立の潮流の中、中国偏重を続けることは余りに危うい。今や特定国に偏重した経済関係は大きなリスクを伴わざるをえない。

 今回のショルツ訪日で日本経済新聞が同氏に単独インタビューをしている(3月17日付朝刊)。ショルツ氏はこの点に関し、「ドイツに『全ての卵を一つのかごに入れてはいけない』ということわざがある。それに尽きる。中国と経済面で連携しつつ、他の国との関係を深めるのは供給網や販売市場で特定の国に依存しないようにするためだ」と述べた。

 このインタビューで、日経は、普通なら外交儀礼に反するような質問も報道機関の特権としてズバズバ聞いている。そうやってこそ初めて相手の本音を引き出せる。「ドイツの長年にわたる対ロ融和策は、ブラント西独首相の東方政策(共産圏融和策)を引き継いだものだ。あなたの出身母体である社会民主党の政策だ。誤った判断だったのではないか」「ドイツのアジア外交は、長いこと日本を軽んじ中国偏重だった」「昨年の(あなたの)訪中は欧州でも強い批判を浴びた。間違ったシグナルを送ったのではないか」等々。

 ショルツ首相も初めは当たり障りない答えを繰り返していたが、こう鋭く切り込まれると本音をさらけ出さざるを得ない。答えて曰く、「ブラント氏とシュミット西独首相の緊張緩和策は大成功だった。世界がより平和になり、冷戦終結後に多くの国が民主化して自由を取り戻すベースとなった」「将来の世界秩序は多極化すると思う(ので)その構図に備えるべきだ」「(訪中が間違ったシグナルを送ったのではないか、との点に関し)そうは思わない。この局面だからこそ話し合いが大切だ」

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