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レジリエンスなき瀬戸際の日本 令和の政治改革を担うファーストペンギンは誰か 

有権者の期待や切実な思いに応えらない政党を飛び出し新しい政治勢力をつくる時季

福島伸享 衆議院議員

 令和の政治が抱える課題とそれへの対応を福島伸享(のぶゆき)衆院議員が考えてきた連載「福島伸享の『令和の政治改革』」は今回(7回目)が最終回。世界が歴史的な大転換期にある今、日本の政治、政治家は何をするべきか。大胆に提言します。(聞き手・構成/論座・吉田貴文)
※連載「福島伸享の『令和の政治改革』」の1~6回は「こちら」からお読みいただけます。

福島伸享さん=議員会館(撮影:吉田貴文)

――令和の政治改革をテーマ、これまで6回、語っていただきました。「論座」の終了を前に連載の締めとして、日本政治、それを担う政治家に対する提言、メッセージをお願いしたいと思います。

岸田内閣の支持率が上昇したワケ

福島 年明けから通常国会が開かれています。国会論戦が行われている期間はふつう内閣支持率が下がるものです。国会で、政府与党に都合の悪い事実やスキャンダルを野党から追及されたりするからです。ところが、岸田文雄内閣の支持率は下がるどころか、むしろ上がっています。

 国会が始まる前は、年末に岸田内閣が決定した防衛3文書とそれを実現するための財源の問題が焦点になると見られていました。ただ、国会ではそれほどの対立にはなりませんでした。一つの理由は、立憲民主党と日本維新の会が共同歩調をとり、政府答弁を問題視して審議を止めることもなく、極めて順調に時間が過ぎたためです。

――野党共闘で政府を追い込むのではなくて……

福島 はい。野党議員の多くは、顔見世興行的、短時間テレビに映って終わりという質問を続けました。もちろん、そうじゃない人も何人かはいますが……。

――どうしてそうなったのでしょうか。

福島 立憲と維新の共同歩調が、一丸となって自民党と対峙するためのものではなく、とりわけ立憲にとっては次の選挙を見据えた行動だったからです。おそらく、立憲の現職がいる選挙区には維新は立てないといった、ある種の談合を期待する動きの一環だと思います。この連載の前回(第6回)で私は「(秋の)臨時国会で注目すべきは、2012年以降初めて与野党ガチンコの国会になるということ」と言いましたが、ガチンコとはほど遠いものになってしまいました。

 もう一つの原因は、立憲に外交や安全保障について確たる主張がないため、政府・自民党に代わる安全保障や外交の政策の軸を国会で示せなかったことです。そもそも政府・自民党による政策は問題だらけだと私は思っています。

問題山積の防衛3文書だが……

――例えば、どういう点が問題でしょう。

福島 福島 3文書の一つである「国家防衛戦略」の中で、「ロシアがウクライナを侵略した軍事的背景として、ウクライナのロシアに対する防衛力が十分ではなく、ロシアによる侵略を思いとどまらせ、抑止できなかった」ことにある、と書いてありますが、これは極めて上から目線の見方だと思います。

 核兵器を保有するロシアにウクライナが対峙するには、核兵器を持つかNATOに加盟するしかありません。でも、それをやろうとすれば、ロシアがその前に攻撃するのは明らかです。えらく上から目線で言ってる割には非現実的なんです。

 我が国を巡る安全保障環境が厳しくなり、脅威が高まっていると言われますが、3文章には、脅威は能力と意思の組み合わせだ、と書いてあります。これも突っ込みどころだらけです。

 まず、意思とは何なのでしょうか。プーチンがウクライナを攻めるがどうか、事前には誰も確信を持てなかった。同じように、習近平が台湾を攻める意思があるかどうかも、本人しか分からない。結局のところ、脅威に関しては相手の能力を見るしかない。

 安保環境が厳しくなったというからには、相手の能力が上がったと分析しているのでしょうが、相手が誰かが明示されていない。能力や戦い方が変化したと書いてありますが、どのような能力や戦い方なのか具体性が何もないんです。

 こうした点を私は衆議院予算委員会でも指摘しましたが(2月22日)、岸田首相からは説得力のある答えは返ってきませんでした。だいたい、岸田首相は防衛予算についても綿密なシミュレーションをして積み上げたと言っていますが、肝心のシミュレーションが出てこない。出てこない段階で野党は国会審議を止めなくてはいけないと思いますよ。

――確かに、国会審議からは与野党ともに日本に対する危機感が乏しい印象を受けます。

福島 そうです。日本の現状についての認識が甘く、自分たちの生き残りという小さな政治に堕しています。

参院本会議で、ウクライナ訪問などを報告する岸田文雄首相=2023年3月27日、国会内

GDPが伸びずお金がない日本

――日本の現状とは。

福島 日本の最大の問題は、この30年間GDPがほとんど伸びていないことです。政府は2023年から5年間の防衛費総額を43兆円にすると言いますが、財源を見ると真っ当な財源はほとんどない。無駄遣いをなくす、国有財産を売却する、決算剰余金や外為特別会計・財投特会の剰余金を繰り入れるなどと説明しますが、心許ない限りです。要は、GDPが伸びないので税収も上がらず、国にお金がないのです。

 いま挙げた決算剰余金や特別会計の剰余金などの財源は本来、補正予算の財源です。この15年間、リーマン・ショックや東日本大震災やコロナ禍に際し、膨大な補正予算を組みましたが、数年に一度やってくる不測の事態に対応するための財源はここから出ていました。そうした財源をここで使ってしまって、次に何か事が起きたときにどうするのでしょうか。

 財源がなければ、増税でまかなうしかないですが、今の日本で増税などしたら、ただでさえ景気がよくないのに、圧倒的な不況になるだけです。GDPは停滞し、国力はさらに落ちます。だから私は国会で「この国は戦う前に負けてしまう」と言ったのです。これはすごく深刻で本質的な問題なのですが、まったく議論されていません。

――なぜ、ここまで深刻な事態になったのでしょうか。

「科学なきものの最後」への道を再び歩むのか?

福島伸享さん=議員会館(撮影:吉田貴文)
福島 戦後、運輸大臣なども務めた永野護さんの『敗戦真相記』という本があります。永野さんは広島県出身で、原爆投下から1カ月経つか経たないかぐらいの頃に広島で行われた講演をもとにした本で、なぜ日本が負けたのかということを財界人で政治家でもある永野さんが語っているのですが、そこにこう書かれています。

 「聞くところによると、アメリカのニュース劇場で東京空襲の映画を上映する時、日本なら「日本空襲何々」といった題をつけるでしょうが、そんな題は付けないで、「科学なきものの最後」と言う表題を付しているということです。ああ、科学なきものの最後。アメリカは最初から日本のことをそう見ており、まさにその通りの結果になったと言えましょう。」

 ここで言う科学とは何か。原爆やラジオ・ロケーター(レーダー)といった科学兵器のことではない。もっと戦局にもっと大きな影響を及ぼしたのはマネージメントの差。日本には「科学的マネージメント」がゼロに等しかった。我々が反省すべきはこの点だと。軍をあれほどまで横暴にさせてしまった政治の根本的な仕組みに、これが当てはまると永野さんは言っています。

 防衛3文書に関する岸田首相の答弁や、与野党の攻防なき国会を見ていると、永野さんが指摘する状況が彷彿(ほうふつ)としてきます。第2次世界大戦の日本の敗因となった「科学なきものの最後」への道を、我々は再び歩もうとしてるのではないかと思わざるを得ないのです。

 最近、よく言われる言葉でいうと「レジリエンス」、この国の「余裕度」というのがなくなってます。ちょっとした政治の判断の間違いが、日本を奈落の底につき落とす瀬戸際にきているのです。

――それは深刻です。どうすればいいのでしょうか。

今の政治の仕組みでは将来を切り開けない

福島 今の政治の仕組みのままでは、将来に向けた道を切り開けないことに気づかなければいけません。

 例えば、政府は原子力発電所の運転期間の60年超への延長や、次世代型原発への建て替えを盛り込んだ脱炭素化に向けた基本方針を決定し、原発の「最大限活用」へと路線転換をはかる構えですが、私には路線転換と言うほどのものとは思えません。科学的マネージメントが見られないからです。

 原子力政策の「キモ」は規制体制をどうするかです。福島第一原発の事故を教訓に、規制のあり方や行政の仕組みの変革という本質に手をつけなければならなかったのに、この10年余の間、何も手がつけられていません。今回の路線転換は東日本大震災の前と同じやり方を復活させるだけです。かつての「原子力村」の人には安心感があるかもしれないけれど、同じ失敗を繰り返すと思います。

 また、政府は高速道路の「無料開放」の時期を2065年から最大2115年まで延長することを決め、関連法の改正案が審議されていますが、高速道路の維持管理を誰がどうしていくのか、道路というインフラは何なのかという本質は議論されていません。さらに赤字ローカル線について、国が自治体と鉄道事業者の間に入って、路線のあり方について話し合う協議会を設置できることなどを盛り込んだ法案も国会に提出されていますが、やはり本質的な議論はありません。

 高速道路にせよ地方鉄道にせよ、人口が減少する日本で、経済や技術、移動手段の進展を踏まえて、交通インフラをどう見直すかという議論をするべきなのに、それを続けて小手先の対応にとどまっています。

 平成の30年、冷戦終結以降の世界の変動に対応しきれず、日本は停滞し続けましたが、依然としてそれが続いている。世界では今、ロシアとウクライナの戦争、中国の膨張、米国の存在感の低下、グローバルサウスといわれる新興国・途上国の伸びなど、冷戦終結と同じかそれ以上の変化が起きています。ここで日本が変われなければ、本当に二流国に転落してしまいます。

上空から見た国会議事堂=2021年9月10日、東京都千代田区、朝日新聞社ヘリから

茨城県議選でほの見えた兆し

――日本が変わる可能性はあるのでしょうか。

福島 私は国民の多くは、日本の窮状に気が付いていると思うんですよ。それがほの見えたのが、昨年末に私の地元の茨城であった県議会議員選挙でした。

 茨城県議選は一人区が多く、これまではそうした選挙区の大部分が無投票でした。自民党公認が決まった時点で「勝負あり」で、挑もうという無謀な人はほとんど現れなかった。ところが、今回は多くの1人区で、自民党公認候補に対抗馬が立ちました。私が一昨年の衆院選に無所属で立候補して、自民党公認候補に勝ったことも影響していると思います。

 いずれも接戦になった結果、10人の自民党候補が敗れました。その多くは無所属の候補に負けています。これは、自民党という看板が、メディアが報道する内閣支持率ほどの威力がないことを示しています。メディアの調査には「自民党支持」と答えるけど、投票先は党より人物で選ぶという有権者が実は多い証左だと思います。

――与党の自民党への不信感が浸透しているということですね。ただ平成時代、自民党は二度、政権を失いましたが、そのつど政権の座に返り咲きました。「国民政党」として底力は相当なものではないですか。

福島 茨城県議選で象徴的なことがありました。自民党公認がトップ当選したのですが、この人は実は私が応援した議員だったんです。定数6の選挙区で自民党は公認を2人出しましたが、もう一人は最下位当選でした。すると自民党は、野党の国会議員の応援を受けたということで、トップ当選の議員に2年間の会派離脱処分を課したんです。

 これは、昔の自民党ではあり得ない。勝てば官軍、当選するためだったら、自民党の票だろうが共産党の票だろうが、なりふり構わず取りにいく、勝ったものが評価されるというのが自民党のはずだったのですが……。

――自民党が変質したと?

自民党は怖くなくなった!?

福島伸享さん=議員会館(撮影:吉田貴文)
福島 はい。自民党がすっかり政治家にとって「特権の場所」になってしまいました。いったんその場所に入ると、異質なものが入るのを排除して、自らの権利、利権を維持しようとする内向きの論理が強くなっています。

 別の言い方をすれば、「国民政党」として、あらゆる国民の多様な価値観を飲み込んでいた自由民主党という政党が、政治家のポストと利権を守る器になってしまった。そういう自民党はまったく怖くありません。

――怖くない?

福島 4月の統一地方選挙でも、全国各地で茨城県議選のようなことが起きているように見えます。確かに自民党や立憲民主党が堅調で、日本維新の会が躍進しているように見えますが、個々の選挙区を見てみると自民党公認のベテラン議員が無所属の新人候補に敗れたり、私が応援した千葉県議選の浦安市のように無所属候補が立憲民主党や日本維新の会の公認候補を破って当選しています。

 自民党が蛸壷(たこつぼ)化して「非国民政党」になった結果、無所属が当選できる「新しい政治空間」が形成されつつあるのではないかと思うんです。自民でもない、野党第1党の立憲でもないというという意識が有権者に生まれ始めている。そこに既存の政治家が気付くかどうか。そこで障害になるのが選挙制度です。

――平成の政治改革で衆議院に導入された小選挙区比例代表並立制のことですか?

福島 そうですね。1996年以来、9回の衆院選が小選挙区比例代表並立制で行われ、政党の看板を背負わずに戦った経験がある衆院議員がほとんどいなくなりました。比例で「復活」するというこの制度ならではの安心感から、政党を頼りにする傾向が強まる一方です。

 有権者の意識の変化を考えれば、支持が低迷する立憲から新しい政党を立ち上げるなどのうねりが起きて不思議ではないのに、それがないのは政治家が政党頼りになっているからです。自民党議員も同様です。ほとんどの議員が小選挙区のもと、創価学会の組織力なしに選挙に挑む自信を失っています。結果として、政治家の党派を超えた移動が難しい状況になっています。

――うーん。このままだと現在の状況が続きかねないですね。

次の衆議院選挙までが勝負

福島 ただ私は、日本は時間がないと感じています。先ほど言ったように、日本は今、何か一つでも大変なことが起きたら国が壊れてしまう瀬戸際にあります。次の衆議院選挙をこのままいくか、そうじゃないかで、日本の命運は変わります。

――次の衆院選まで最長でも2年半、その間に政治の再編は可能でしょうか。

福島 時間はないですが、起こさないといけない。ここで言いたいのは、自民党が分裂した時しか政治の再編は起きないということです。

――確かに、1990年代の政界再編は、自民党の分裂が契機になっていました。ただ、先ほどのお話では、多くの若い議員は以前よりずっと政党の中にいるほうがいいと思っているわけですね。自民党の議員に党から出る意思はあるでしょうか。

福島 一人ひとりの政治家が民意の底流で起きている変化をしっかりと見つめるべきです。自民党への支持率は消極的支持で、夢や希望を託されているわけではない。そうした現実に危機感を持って現職の政治家自身が動く。まずは一人で党を出ればいい。必要なのは政界の「ファーストペンギン」です。

 例えば石破茂さんや村上誠一郎さんなどは、党でくすぶっていないで、一人で動いた
方がいいのではないでしょうか。その途端に、国民的なうねりが起き始めるでしょう。

――石破さんや村上さんですか?

福島 石破さんや村上さんは分かりやすいので名前を挙げましたが、彼らほど有名でなくてもいい。私もいろんな人に呼びかけたいと思ってます。

 最後は国民を信じるしかない。多くの政治家は、どうせ政治には無関心でしょなどと、国民を信用していませんが、私自身の経験だとそれは違う。虚心坦懐に国民に判断を委ねれば、正しい行動をした人に必ず支持が集まります。

――そこまで民意を信じられますか?

自由民主党本部=東京都千代田区永田町、朝日新聞社ヘリから

有権者の期待・思いを受け止めらない政治

福島 私は無所属議員4人と一緒に「有志の会」という会派をつくっています。互いにそれぞれの地元を行脚していて、私も水戸市と筑西市で2回、それぞれ500人ずつぐらい集会を開きました。支持者の中には政党に入った方がいいのではないかと言う人もいましたが、集会で会派の仲間の話を聞いてもらったら集まった人の目の輝きが違うんです。

 来てよかった、日本の政治に希望が持てたと、目をキラキラさせて帰って行く。そんな光景を見ていると、今の政治には、有権者の期待や切実な思いを受け止める「部分」が抜け落ちていると思えてなりません。ガーシー氏を当選させるようなニヒリズムばかりが目立ちますが、有権者の思いはそれだけではありません。

――政治家が一人でも立ち上がるとして、どういう旗を立てるのでしょう。

福島 そこが悩ましいところです。この1年間、日本新党ができた頃のこととか、民主党が立ち上がった頃のことを研究してきました。中選挙区で勝ち上がってきた自民党の政治家が動いた結果が、93年の細川護熙・非自民連立政権であったり、その後の民主党結党につながっていたわけですが、最初の旗を何にするか……。

無所属議員5人「有志の会」の役割

福島 いずれにせよ、やはり現職が動かないとどうしようもない。「有志の会」は本当は政党になれるのです。昨年末も皆で政党にするかどうかを議論しました。党になれば1億円以上の政党助成金はもらえる。でも、れいわ新選組や参政党のようなミニ政党になっても、日本の政治にインパクトは残せない。

 我々は自民党や立憲民主党などの既存の政党を出たファーストペンギンの人と一緒にやりたいと考えています。一人で党を出たら不安だと思いますが、我々5人と一緒になると、その瞬間に党はできる。それは単なるミニ政党ではなく、そこから雪崩現象を起こす存在になります。だからこそ、あえて党にならずに「器」だけを用意して待っている。ファーストペンギンを迎えるお膳立てはしてあります。

――平成の初め、元自民党参議院議員で熊本県知事もつとめた細川護熙さんが一人で立ち上がり、日本新党をつくった。これに呼応するかたちで自民党の若手議員10人が党を出て新党さきがけをつくり、日本新党と連携して、1993年の細川非自民連立政権の誕生へとつながった。

福島 そうです。数人の議員が自民党を出たのを契機に、あたかもドミノ倒しのように政局が動いていった。

――小沢一郎さんも、さきがけの10人が離党しなければ、あの時点で離党して新生党を立ち上げなかったでしょう。

福島 ファーストペンギンが動けば、みんな乗ってくるわけです。

国対委員長会談に臨む(左から)有志の会の福島伸享氏、日本維新の会の遠藤敬国対委員長、国民民主党の古川元久国対委員長=2023年3月7日、国会内

平成初めの状況と似ている現在

――当時、私は自民党担当の政治記者でしたが、新党さきがけをつくった面々は、とりあえず自民党を出ようという意気で動いていました。先の見通しあったわけではありません。

福島 根っこにあったのは、国の先行きへの危機感だと思います。この連載になぜ「令和の政治改革」というタイトルを付けたかというと、令和の今が、平成の初めにあったそうした状況と似ているからです。

 平成の初め、冷戦が終わり、世界は大きく変わりました。日本でも、世界の変化に対応できる国になるために、さまざまな政治改革に着手しました。現在も、冷戦崩壊に匹敵するか、それ以上の大きな変化が起きています。ロシア・ウクライナの戦争もその一つで、収束するまでの間にいろんな変化があるでしょう。

 そうした変化に対応できるような政治体制を、日本は築かなければいけません。平成の政治改革は、残念ながら十分な成果を上げられず、停滞の30年がもたらされました。それでも、平成はバブルの名残があり、失敗してもなんとか国はもちました。しかし、今の日本はもう後がありません。

――ここで日本が失敗すると、待っているのは奈落の底だと。そう政治家が意識をして、身を捨てる覚悟で動かないといけないといけないわけですね。新党さきがけと言えば、昨年亡くなった武村正義さんが自民党を離党し、さきがけを結党する一部始終を、政治記者として間近で見ていました。彼の死で平成の政治が幕を下ろしたという感じがしています。

平成政治のプレーヤーが世を去って……

福島 そう思いますね。思えば昨年来、平成政治のプレーヤーたちが次々と世を去りました。

 安倍晋三さんは、細川政権が誕生して自民党が下野した1993年衆院選で当選しました。ただ、彼は昭和の自民党政治をリバイバルさせて、長期政権を樹立しました。その意味で、安倍さんの死は55年体制的な自民党の終わりを象徴します。

 青嵐会で一世を風靡した石原慎太郎・東京都知事も亡くなりました。平成の半ばの10数年間、知事として首都を率いた石原さんは、ディーゼル規制などを手掛けるなど、保守の中からの改革者でした。さきがけを立ち上げた武村さんは、結果的に民主党へとつながる流れをつくりましたが、その流れに乗るべく社民党をリードした横路孝弘さんもこの2月に亡くなりました。

 平成の政治改革は、こうした人たちが亡くなったことで幕を閉じたと言っていいでしょう。今こそ、令和世代が何をするかが問われています。できれば40代から50代前半の人の中から新たな動きが起きてほしい。誰かがファーストペンギンにならないといけません。

危機の時代、党にこだわらず行動を

福島 私はかつて民主党にいましたが、所属する党はなくなり、先の衆院選は清水の舞台を飛び降りる思いで無所属で立候補して、多くの地元の皆さんに支えていただき当選できました。私もファーストペンギンだったのです。冷たいだろうなと思って飛び込んだ外の水は、意外と冷たくはなかった。危機の時代、党なんかにこだわる必要はないと、自分の経験からも断言します。

 まずは自民党の議員に動いてもらいたい。いわんや野党の議員をや、です。「有志の会」の5人とファーストペンギン、その後に続く人たちとともに、令和の政治改革をなんとしても成し遂げたいと思っています。(連載終わり)

※連載「福島伸享の『令和の政治改革』」は今回で終わりです。1~6回は「こちら」からお読みいただけます。