参考にすべき広告・運動資金規制の議論、そして憲法審査会で“中山方式”の復権を
2023年04月07日
オーストラリアのアルバニージー首相は3月30日、「先住民の声」を明記する憲法改正原案(第9章、第129条の新設が内容)を連邦議会に提出した。6月末までに両議院で議決し、総督が国民投票の執行令状を発布した後、2023年後半(10月から12月の間)に、憲法改正案に対する賛成・反対を問う国民投票(Voice to Parliament Referendum)が執行される見通しとなっている(現時点で具体的なスケジュールは未定)。
ここに「先住民」とは、アボリジニ、トレス海峡諸島(オーストラリア北東のヨーク岬半島とパプア・ニューギニアとの間の島々)の住民を指し、その数は全人口(約2,600万)のおよそ3.2%を占める。オーストラリアはイギリス連邦国において、先住民との協定を締結していない唯一の国であり、国民投票はその意味で、汚名返上の機会とも目される。
アボリジニ、トレス海峡諸島の住民は、1962年連邦選挙法の施行まで選挙権が付与されず、政治参加の機会を長く逸してきた。オーストラリア全住民との平均比較において、⑴10年に及ぶ余命の差、⑵自殺率、子どもの死亡・病気率の高さ、⑶刑務所収容人員、拘留中の死亡例の多さなど、不十分な政治参画の影響、結果が要因となった差別、権利侵害が深刻であるほか、社会経済の諸指標の上で劣後する状況が顕著であり、根本的な対応策が長く求められてきた。
そんな中、昨年5月21日の下院議員総選挙において、「先住民の声」を憲法に明記する(国民投票を執行する)ことを公約に掲げた労働党が過半数を占め(9年ぶりの政権交代となった)、当該憲法改正国民投票が実施される運びに至った経緯がある。マーク・ドレイファス法相兼官房長官3月30日、憲法改正原案の提出後に「(国民投票は)オーストラリアの歴史を認識し、さらに和解した未来に向けて国民が団結することを助ける機会になる」と述べている。
<3月30日に提出された憲法改正原案>
第9章 アボリジニおよびトレス海峡島民の承認
第129条 アボリジニおよびトレス海峡島民の声
アボリジニおよびトレス海峡島民をオーストラリアの最初の民族として認め、
① アボリジニおよびトレス海峡島民の声と称する組織を設け、
② アボリジニおよびトレス海峡諸島民の声は、アボリジニおよび
トレス海峡諸島民に関連する問題について、連邦議会および連邦政府に意見を述べることができることとし、
③ 連邦議会は、この憲法に従い、アボリジニおよびトレス海峡島民の声に関連する事項に関して、その構成、機能、権限および手続きを含む法律を制定する権限を有するものとする。
なお、1901年の建国(連邦憲法制定)以来、憲法改正国民投票は44回執行されているものの、うち8回しか承認されていないこともあり(直近で1999年、共和制移行の賛否を問う国民投票は、反対54%で否決された)、憲法改正の賛否を明らかにしていない自由党(最大野党)との意見調整を含め、連邦議会の審議は慎重に進められていくものと思われる。今後の展開を注視する必要がある。
本稿の主目的は、オーストラリアで予定される憲法改正の背景、内容を明らかにすることではない。3月23日に成立した2023年改正国民投票(手続条項)法(Referendum (Machinery Provisions) Amendment Act 2023)において制度のリニューアルが施されていることを踏まえ、日本の制度改革(2024年9月18日を期限の目途とする国民投票法第3次改正が視野に入る)にも参考となる諸点(概要)を提示すること、である。
なお、2023年改正法は、1984年国民投票(手続条項)法(Referendum (Machinery Provisions) Act 1984)の一部改正に限らず、1918年連邦選挙法の準用、1991年特別放送サービス法の一部改正などを広く含むもので、以下の記述では法律名、条文番号の表記は省略する。
第一は、放送広告の規制を新たに設けた点である。
投票期日を含む最後の3日間において、テレビ、ラジオによる放送広告が禁止される。Advertising Blackout Periodと呼ばれる。オーストラリアでは一般に、投票期日が土曜日に設定されるため、最後の木・金・土の3日間が該当する。
なお、この点に関して、ソーシャルメディア広告を含めるべきとの修正案が上院で提出されたものの、否決されている。この経緯は後述する。
第二は、外国資金の規制を定めた点である。
この点は、①国民投票運動のために、外国人がオーストラリア国民に対し、100豪ドル(1AUD=約89円)以上の寄附をすることの禁止、②国民投票運動の支出のために、外国の運動者が1,000豪ドル以上の資金調達を行うことの禁止、が含まれる。
第三は、運動団体に対する収支報告の義務を定めた点である。
執行令状の発布6か月前から投票期日までが「国民投票支出期間」として設定され、その期間中の15,200豪ドル(現在のレートで約135万円)を超えた寄附、支出に関する報告書を、投票期日から15週以内に、AEC(オーストラリア中央選管)に提出しなければならない。寄附の金額のほか、日付、名前および住所を明記しなければならない。しきい値としての15,200豪ドルは、期間中の個別または総額で判断される。支出の上限はない。また、投票期日から24週が経った後、AECは報告書の内容を公表することとされる。
その他、㋐選挙制度に合わせて期日前投票の期間を「投票期日12日前」から可能とすること、㋑投票用紙への記載「Y」「N」の頭文字だけの略記でも有効投票と扱うこと(原則は「YES」「NO」の自書)、㋒緊急を要する事態においてAECが適切な管理執行を行うためのルール整備を行う権限を付与すること、などが含まれる。国民投票公報(憲法改正案に対する賛成意見、反対意見を記載したパンフレット)の発行、世帯配布の廃止も検討されたが、今回は見送られた。今後さらに、総督令により細則が定められていく。
日本の国民投票法制に当てはめてみるに、第一の点はすでに現行法で対応済みであるところ(放送広告は投票期日14日前から禁止)、第二、第三は国民投票の公正を担保するためにも不可欠であり、可及的速やかに立法措置を講ずることが望まれる。
筆者は、過去の「論座」への投稿において、イギリス(2016年)、ニュージーランド(2020年)の例を引き合いに出して収支報告の必要性を訴えているところ、そのしきい値は、約140万円(イギリス)、約92万円(ニュージーランド)であり、オーストラリアが約135万円である。直感的には、日本も100万円くらいが妥当な金額ではないかと思料される。国民投票の対象、運動(資金規制)の期間などの要素をさらに考慮しなければならないが、立憲民主党が現在、提出準備中の法案は1,000万円としており、些か設定値が高いと言わざるを得ない。
第一の放送広告禁止期間(ブラックアウトの3日間)は文字通り、テレビ、ラジオの放送設備を利用した広告が対象となる。今回の改正法案の上院審議において、放送だけでなく、ソーシャルメディア上の広告も追加するべきとの修正案が提出されたが(3月23日)、同日否決された。
修正案を提出したのは、デビッド・ポーコック上院議員である。ラグビーに詳しい人向けの余談になるが、デビッド上院議員は元オーストラリア代表(ワラビーズ)であり、2016年からはパナソニック・ワイルドナイツ(現・埼玉ワイルドナイツ)でも活躍した名フォワードとして知られる。2022年5月より上院議員を務めるが(無所属)、その風貌は随分変わってしまった印象を受ける。
改正法成立の翌24日、デビッド上院議員は、「ブラックアウト(広告禁止)期間にソーシャルメディアの広告を加えるよう、修正案を出した。でも、支持されなかった。政府は、ソーシャルメディアの問題を重視しているようには見えない。労働党は前回の総選挙(2022年5月)で、フェイスブック(現・メタ)だけで1週間に130万豪ドル(当時のレートで約1億2千万円)を支出しているじゃないか」と、怒りのツイートを行っている(@DavidPocock)。無所属ならではの問題意識もあるが、率直に共感できるところが大きい。
デビッド上院議員はその他にも、①国民投票公報を印刷し、世帯配布をする前に、「独立した機関」によってファクトチェックを行うこと、②収支報告対象のしきい値である15,200豪ドルを引き下げること、を内容とする修正案も提出している(いずれも否決)。
①の国民投票公報に関して、日本では同様の制度が予定されているが、そのイメージはまったく共有されていない。オーストラリアでは、賛成意見、反対意見のそれぞれについて2,000語以内という制限があるが、日本にはそのような制限が存しない。全体の頁数も不明である。先例が一つもない故、オーストラリアほか各国の実例を検討する必要がある。
2023年改正法の概要は前述のとおりであるが、オーストラリアの制度と比較しつつ、日本でも一度は検討するべき論点がある。投票用紙の様式において、「〇〇に賛成ですか、反対ですか」といった質問文を記すかどうか、である。
アルバニージー首相は3月23日、以下(概要)のような憲法改正案の質問文を発表した。
オーストラリアの先住民族を認め、「アボリジニおよびトレス海峡島民の声」を設立する。
この憲法改正案を承認しますか?
オーストラリアの国民投票では、投票用紙にこのような質問文が印刷されており、空欄に「YES」「NO」を自書するシステムとなっている。質問文とは別に、賛成・反対の対象となる憲法改正案(第9章、第129条)が存在しているが、投票人が投票所において目にし、端的に判断対象とするのは、この質問文の方であろう。
一方、日本では、国民投票法第56条、別記様式が定めるところにより、投票用紙の表面には「日本国憲法改正国民投票」と記されていて、裏面には、「賛成」「反対」の文字があらかじめ印刷された記載欄、そして注意書き(①賛成のときは、賛成の文字を〇で囲む、②反対のときは、反対の文字を〇で囲む、③〇以外は書かない)が記されている。投票人が記載をする場所(目隠しで囲まれた記載台)には、憲法改正案とその要旨が掲示されるが(国民投票法第65条第1項)、その情報だけで十分か(判断できるか)どうか、なお検討の余地がある。「その要旨」は、憲法改正案の単純な要約に過ぎないとなれば、一般的には難しいと受け止められる。
オーストラリアの例に倣って、国民投票法を改正し、質問文形式を採用する場合には、投票用紙の寸法から見直す必要性もなども生じ、実務上、別角度からの検討を行わなければならない。質問文の書きぶりが中立的でないと、投票人を賛成・反対いずれかに誘導してしまう。このリスクは常に注意しなければならない。
国が特定の事項に関して国民投票を執行する前に、その手続きを定める法律に関して必要な見直しを行うことは、至極当然のことである。オーストラリアは、この当然の作業を行ったところである。しかし日本では、いつも順番が逆となる。憲法改正の中身の話が常に先行し、手続法の議論(国民投票法の改正)が後回しになる。国会は、一体いつになれば、この悪弊を断ち切ることができるのか。
オーストラリア連邦議会で2023年改正国民投票(手続条項)法が成立し、アルバニージー首相が憲法改正案の文言(質問文)を発表した3月23日、日本では中山太郎氏(元衆議院日本国憲法に関する調査特別委員長、元衆議院憲法調査会長、元外務大臣)の逝去が報じられた(同月15日、享年98)。
「憲法改正に強い意欲を見せていた」安倍晋三元総理の死去も記憶に新しいところであるが、「国会の憲法論議で中心的役割を担った」中山氏との政治姿勢の質的相違を明らかにし、評価に付すべきである。中山氏の議員引退(2009年)の後、「安倍改憲」なるスローガンが社会を席巻したが、結実したことは何もない。あえて指摘すれば、内閣(総理大臣)や自民党を主語に置いて憲法改正の実現可能性を論じたり、会派所属議員数の単純な足し算だけを以て「改憲勢力」を認定し、その後の展開を予測するといった粗雑な思考癖が、憲法改正に対する立場を超えて、広く蔓延しただけである。
「中山方式」と呼ばれる全会派平等取扱いの運営ルールは、確立された議院慣習として今後も堅持されるべきである。中山方式とは、筆者の理解では、身長、体重等の違いを乗り越えてメンバー全員でゴールを目指す、巷の運動会の多人多脚走のイメージが当てはまる。足の速い者も遅い者も関係なく、全員が横一線になって(足の交互順序で一致し、同じ歩幅と速度を維持できて)初めて成立するものである。憲法上の要件からすれば、ゴールライン到着時に、走者総員の3分の2以上の数の身体が入っていれば「可」ということになるだろう。
また、「自分は単独走のタイムにこそ自信を持っている。鈍い連中と一緒に走るのはプライドが許さない。あくまで自分のスピードを誇示したい」と、他者と足を結着することさえ拒む者は、多人多脚走のスタートラインに立っているとはいえない。皮肉にも、これが過去10年余りの自民党の取り組み姿勢である。憲法改正は「党是」「悲願」という言葉が頻回に並ぶが、何も結実していない現状を正視し、悲嘆にくれる同党の議員、関係者を、筆者は一度も見たことがない。
3月30日の衆議院憲法審査会では、森英介会長の発言に続き、各派代表者、委員からも追悼の発言が相次いだ。しかし、小西洋之・参議院憲法審査会会長代理(野党筆頭幹事)がその前日(29日)に行ったいわゆる「サル・蛮族発言」に対する怒りと批判が連鎖的に激発してしまい、中山方式の意義を相互確認する機会を逸し、議論の効果が減殺されてしまったのは残念の極みである。同氏が所属する立憲民主党は31日、野党筆頭幹事の職を解く旨を決定し、公表したが(連動して、参院憲法審会長代理の職からも外れる)、議院を超えて深く毀損した信頼関係の修復にはなお相当な時間を要するであろう。「不快な思いをされた方々」は、院外にも少なからず存在することに配慮を求めたい。
憲法論議に関する政治的対立を克服すべき責務は、すべての政党会派が負っている。例示した多人多脚走におけるメンバー間の関係と同様に、本来は、憲法論議に「敵」も「味方」もないはずである。小西発言騒動の顛末を含め、いま振り返れば、中山氏は、信頼づくりの基礎から応用まで、政治的には限りなく試練に近い宿題を遺して去ったと、筆者は受け止めている。
「私たちが誇るべきは、憲法の変えやすさでも変えにくさでもなく、憲法を変えるかどうかについてどれだけフェアなルールを持っているかです」
中山太郎『実録 憲法改正国民投票への道』(中央公論新社、2008年)5頁
これほど、立憲国家としてあるべき国民投票法制の本質を捉える嘉言は存在しない。国民投票法制に関して幅広い合意形成が整わない政治状況で、憲法改正発議の員数要件(衆参総議員の3分の2以上の賛成)をクリアできるはずがない。「ポスト中山太郎」は不在だが、今後一層「中山方式」の真価が問われ、その実践が求められることになる。
※本稿の内容は、2023年4月1日時点のものである。
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