衆議院小選挙区制の徹底検証を!~日本の劣化を深めた制度要因
「論座」終了にあたり日本政治の望ましき展開を妨げている事由を論ず【1】
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授
「論座」が幕を閉じるにあたり、私は一読者として、また一執筆者として、あらためて本欄が果たしてきた貴重な役割に敬意を表したい。
論座で私は、これまでに80本の論考を執筆してきた。今回から3回、論座への寄稿の結びとして、この時代の日本政治の望ましい展開を妨げている三つの事由を指摘したうえで、自らの見解を明らかにしておきたいと思う。

国会議事堂=2022年9月27日、東京都千代田区
失敗に終わった平成の二大改革
三つ事由とは、(1)衆議院に導入された現行小選挙区制、(2)“本筋”の行政改革から逸(そ)れた省庁再編、(3)思想潮流の低迷と構想力の欠如――である。いずれも私自身が、かつて政治の現場で深く関与し、その意味で格別の責任を負うべき問題だ。
「平成の二大改革」とも言うべき、小選挙区制の導入を柱とする政治改革と、省庁再編に象徴される行政改革は、この時代の日本にとって有効な効果をもたらさなかったどころか、逆に日本の全面的な劣化現象を惹起した「制度要因」として、厳しく検証するべき段階を迎えている。
なぜ、改革は失敗したのか。その原因を端的に言うと、「改革の矮小(わいしょう)化」、あるいは「改革目的のすり替え」ということになる。要するに、政治や行政が本筋の改革から逃げて改革を偽装したからである。
小選挙区制導入から30年
今回は(1)衆議院に導入された現行小選挙区制、について論じることにしよう。
「選挙制度改革の残像」。これは本年に入って共同通信社が地方紙に配信している大型連載企画のタイトルである。新聞のほぼ1ページ全体を占める大企画となっている。
そのリードにはこう書いてある。
――1994年1月28日深夜。政治改革で最大の焦点だった衆院の選挙制度改革は、300小選挙区と比例代表11ブロックを並立させる案で決着した。この歴史的な合意を分水嶺として、日本の政治は大きく変転し、劣化とも指摘される今の状態につながっていく。あの選挙制度改革は何だったのか。当事者が振り返り、教訓と未来への指針を1年にわたり語る。
細川護熙首相(当時)、河野洋平自民党総裁(同)、武村正義新党さきがけ代表(同)、小沢一郎新生党幹事長(同)など数多くの関係者がいるなかで初回を任されたことには驚いたが、日本有数の報道機関が本気でこの問題に取り組み始めたことにはさらに驚いた。
この連載は本年中に終わる予定だが、年が明けて翌1月になると、細川首相と河野総裁のトップ会談による“歴史的合意”から30年を迎える。一体、現行制度をこのまま放置していいのか。将来世代に責任を持てるのか。そう警鐘を鳴らす絶好の年なのだろう。

政治改革関連法案について与党と自民党のトップ会談で一転合意。合意書に署名する細川護熙首相(右)と河野洋平自民党総裁=1994年1月29日、東京・永田町の国会内
>>関連記事は「こちら」から