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「産ませない社会」からの脱却のカギは「子どもを安心して預けられる保育」

委託費弾力運用の規制と保育士の配置基準引き上げに踏み切れない政治

小林美希 労働経済ジャーナリスト

 「異次元の少子化対策」として、政府は3月末に「たたき台」をまとめた。主な対策は、①児童手当の所得制限の撤廃、②育児休業の給付金や保育士の配置基準の改善、③高等教育の経済負担の軽減策―――となる。他にも、出産費用の保険適用化、学校給食の無償化、就業していない親でも保育園を利用できるようにするなど、多岐に渡る対策が検討課題に上った。

 4月は「こども家庭庁」が発足し、7日には少子化対策を具体化する「こども未来戦略会議」が始まった。6月の「骨太の方針」に向け、国会では財源について議論されている。

年頭の記者会見で「異次元の少子化対策に挑戦する」と表明した岸田文雄首相= 2023年1月4日、三重県伊勢市、代表撮影年頭の記者会見で「異次元の少子化対策に挑戦する」と表明した岸田文雄首相= 2023年1月4日、三重県伊勢市、代表撮影

 前回の記事では、児童手当拡充など小手先の対策では解決できないほどの、政財界とかけ離れた「異次元の雇用不安」が少子化の背景にあると指摘した。まずは、目の前の生活の不安をなくすために雇用を安定化させることが不可欠で、正社員で9割を占めるような大改革を行うべきだ。それと同時に必要な保育の質の向上について、本稿では焦点を当ててみたい。

保育士の最低配置基準引き上げはまたもや成らず

 統一地方選挙を前にした東京・永田町では「所得制限を撤廃して多額の財源を投入するより政策の優先順位が高いものがあるけれど、そんなことを言えば炎上するから言えない」「声をあげやすい高所得層の『子育て罰』という不満を解消しないと、選挙で勝てない」(複数の国会関係者)というムードが漂っていた。

 もちろん本来は、児童手当は所得制限をつけるべき性格のものではないだろう。所得制限がつくことで、無用な分断も生じてしまう。しかし今、早急に打つべき対策は、保育の質の向上なのではないか。

 国は消費税率を8%に引き上げた2014年当時、「子ども・子育て支援新制度」を実施するための「量的拡充」と「質の改善」に1兆円が必要だとした。消費税を財源として0・7兆円を保育の「量的拡充」に投じ、いわゆる「0・7兆円メニュー」のなかで3歳児の配置を改善した。

 次に消費税以外を財源とする「0・3兆円メニュー」で「質の改善」を約束。そのなかで1歳児と4~5歳児の保育士の最低配置基準の引き上げを計画していたが、この10年間、財源のメドがつかないことを理由に見送られてきた。

 認可保育園には保育士の最低配置基準があり、その他のタイプの公的な保育施設もそれにならっている。0歳児3人に保育士が1人(「3対1」)、1~2歳児は「6対1」、3歳児は「20対1」、4~5歳児は「30対1」となっている。「0・7兆円メニュー」では、3歳児を「15対1」にした時の運営費の「加算」が実現された。

 保育士の最低配置基準は、戦後間もなく作られたものがベースになり続けており長年の課題になっていた。福岡県中間市や静岡県牧之原市で、通園バスに園児が置き去りにされて死亡した事件が起こるなど、保育の基本である園児の出欠確認が徹底されないというほど、現場は人手不足に陥り質が劣化している。

保育士配置基準の改善を求める保育士ら=2023年1月7日、名古屋市中区保育士配置基準の改善を求める保育士ら=2023年1月7日、名古屋市中区

 保育園でのケガは、配置基準が最も厳しい認可保育園でさえも年々と増えている。内閣府による保育事故の調査では、死亡事故のほか意識不明、骨折、火傷、その他(指の切断、唇・歯の裂傷などを含む)、治癒に30日以上かかった事故報告は、2015年の344件から2021年は1191件へと急増。特に配置が手薄くなる4~5児の事故が多く、現場からも「保育士1人でみるには限界がある」と多くの声が上がっている。

 「たたき台」が発表される前、国会周辺では「財源が児童手当の拡充のためにもっていかれては、配置基準の引き上げに予算がかけられないのではないか」という心配があった。さらに、複数の国会議員が「保育園の経営に近しい国会議員からの猛烈な反対があった」と明かす。配置基準が引き上げられれば、保育士が確保できない保育園が違反状態になってしまうからだ。

 待機児童が多かった数年前は、霞ヶ関のサイドからも「今、基準を引き上げると混乱が生じてしまう。最初は加算方式にし、何年かかけて基準を引き上げることになるだろう」との見方はあったが、今は状況が変わって定員割れする保育園が急増している。園によっては『保育士余り』が懸念されてもいる。

 ただ、4~5歳児の配置基準は戦後70年も変わらず、現場の負担は重い。保育現場発で「子どもたちにもう1人保育士を」という運動が起こった。霞ヶ関でも「いよいよ保育士の最低配置基準は引き上げられるはずだ」という期待があったが、前述したような政治側からの反対の声や財務省という高い壁もある。結局、「たたき台」では、1歳児は「6対1」から「5対1」へ、4~5歳児は「30対1」から「25対1」へと、手厚い配置を行う園に対して運営費を「加算」する形で改善されるに留まった。

 筆者のこれまでの取材から、経営方針として人件費を抑え込んで利益を多く残すため、配置基準ギリギリでしか保育士を雇わないケースが散見されている。こうした現状からも、現場の人員を増やすには、配置基準を引き上げるしかない。

委託費の弾力流用が人件費抑制に

 そして人員体制はもとより、保育の質を劣化させている最大の要因に「委託費の弾力運用」という問題がある。認可保育園の運営費を指す「委託費」は、かつては「人件費は人件費に使う」という厳しい使途制限があったが、2000年の規制緩和で株式会社の参入とともに委託費を他の費目に流用することが認められた。

 委託費の弾力運用は何度も規制緩和され、一定の条件の下ではあるが年間収入の4分の1もの流用が可能になっている。委託費の8割以上を人件費が占めており、基本的には人件費分が流用されることになる。同一法人が運営する保育園はもとより介護施設、学童保育などにも流用できるため、各施設が一時的に運営費に困った場合などに費用をやりくりする分には有用な制度ではある。

 ただ、「多くは施設整備費など事業拡大に使われている」(ある自治体の保育課)とされ、委託費を流用するために人件費が抑えられるケースが目立っている。その影響から、流用している金額が大きい保育園では都心の保育士でも年収300万円台というケースは少なくなく、離職率が高い傾向にある。

 一方で、経営者や役員だけが高額報酬、高額な株主配当が行われるなど、大きな矛盾が生じている。筆者が東京都に開示請求して得た文書のなかには、保育大手が各園から委託費を流用し、本部経費に13億円も流用しているケースがあった。

 この「委託費の弾力運用」に規制をかけることをせずに、経営者の性善説を頼っているだけでは、保育士の処遇が改善される、保育の質が向上する、ということに限界があるのだ。

遊びたいのに遊べない保育士遊びたいのに遊べない保育士

 保育士配置の改善は、大きな一歩だったかもしれない。しかし、保育現場で子どもが命を落としても、この国の政治は配置基準を変えることすらままならないのだ。ましてや、委託費の弾力運用に規制をかけようにも、株式会社か社会福祉法人かを問わず、与党を支持する経営者らからの反発が大きい。そうした中に、大事なわが子を預けられるだろうか。

 かつて妊婦が救急搬送され、いくつもの病院が受け入れ困難であったことから、妊婦や胎児・新生児が死亡すると「妊婦たらい回し事件」としてセンセーショナルに報道された。そうした事態を受けて産科や小児科の医療制度が変わった時、ある新生児科医は「妊婦や子どもが死なないと制度が変わらない」と憤った。

 保育の世界では、現場で子どもが命を落としても、抜本的には制度が変わらない。時の首相が待機児童対策を目玉政策とすれば急ピッチで保育園が作られるなど、保育は政治と密接な関係にある。ただ保育園ができても、安心して預けられる保育園でないのであれば、子どもを産み育てることへの不安が膨らむ。

 少子化対策には、政治への不信感を払拭するだけの「保育の質の向上」が必要とされる。委託費の弾力運用を厳しくできるのか、配置基準を変更できるのか。少子化対策への政治の本気度が試される。

 そして、保育の心配の次に待っている教育費の心配も解決しなければならない。

重い学費負担「高卒でもよいのでは……」

 国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向調査」(2021年)では、「理想の子ども数を持たない理由」を尋ねている。理想の子ども数が2人以上でも予定は1人、理想は3人以上だが予定は2人以上という回答のうち約半数が、経済的な理由として「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えている。

 日本学生支援機構の「学生生活調査」(2020年度)によれば、大学生(昼間部)で奨学金を受けている率は49.6%と高く、子どもが若いうちから「借金」を抱えることになる。少子化対策の「たたき台」では、大学や大学院でかかる負担軽減について、在学中は授業料を払わずに卒業後に収入に応じて納付する「後払い」制度を設けるというが、「借金返済」が先送りされるだけ。

 平均年収を得ていても沈みゆく中間層、平均年収に届かない所得層の声は切実だ。全て公立学校に通っても約1000万円、私立に通えば約2000万円の費用がかかる。著書『年収443万円』(講談社現代新書)でも、「私立大学に進学した場合の学費を考えると、高卒でもいいのではないか」と嘆く親の声が多く聞こえた。そして、「教育費負担を考えなくて済むのであれば、本当は2人目、3人目が欲しい」との声も大きかった。早急に解決すべき課題だ。

各国の高等教育への公財政支出(対GDP比)各国の高等教育への公財政支出(対GDP比)

 現在、少子化対策の財源を巡って社会保険料負担の増加が検討されているが、社会保険料の負担は原則、労使折半。収入の心配があるから少子化を招いているというのに当事者の負担を強い、企業負担も増す。これまで企業が人件費の削減や社会保険料負担を嫌って非正規雇用や業務請負を増やしてきた経緯からすれば、逆効果でしかない。より不安定な働き方が増えていき、少子化を加速させるだろう。

 少子化対策で早急に必要なことは、①原則、正社員とするなど雇用と収入の安定化、②保育の質の向上のために人件費分が人件費に使われ、人員体制を厚くできるようにすること、③高等教育の学費負担の軽減、の三つではないか。いずれも政治が直結している。

 子どもが命を落としてもなお、保育士の配置基準すら変えられない日本の政治――。この国に生まれることが幸福と思えないから「産ませない社会」になっているのではないだろうか。少子化の真の原因は政治不信。それを払拭できる施策を実現できるかが、カギとなるだろう。