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ネット投票先進国エストニアの原動力は「ソ連時代の否定」だった

時代の転換とIT化が重なり、徴税などのデジタル化も進む

逢坂 巌 駒澤大学 法学部准教授

 「税の徴収にもITを使用するなど、エストニアはネット関係の制度を1990年代から導入しました。なぜ、それらの導入がこの社会に受け入れられたかというと、我々エストニアの初期の原則(basic principle)は『ソビエトのようにはしない(should be anti-Soviet)』ということでした」

 「ソビエトの崩壊によって秩序が変わり、古い人びとたちがいなくなり、上の方に空白(empty space)ができました。それで若い人たちは様々なイノベーションを起こすことができ、エストニアはIT先進国となりました」

 「インターネット投票の導入と成功は、その文脈の中にあります」

1970年代にKGBがエストニアの人々を監視すべく使っていた「封筒開封機」。電気で水を温め、蒸気を当てて封筒の糊を溶かす。エストニアから外国に出される手紙や外国からくる手紙は、すべてチェックされていた。写真はVABAMU(「占領と自由の博物館」、紹介後述)のホームページより。リンク先はインタラクティブなサイトとなっており「触る」ことができる。同サイトでは「Mõtete lugeja(読心機)」として紹介している1970年代にKGBがエストニアの人々を監視すべく使っていた「封筒開封機」。電気で水を温め、蒸気を当てて封筒の糊を溶かす。エストニアから外国に出される手紙や外国からくる手紙は、すべてチェックされていた=VABAMU(占領と自由の博物館)のホームページより。サイトでは「Mõtete lugeja(読心機)」として紹介している
写真はVABAMU(「占領と自由の博物館」、紹介後述)のホームページより。リンク先はインタラクティブなサイトとなっており「触る」ことができる。同サイトでは「Mõtete lugeja(読心機)」として紹介している。右:エストニアの首都タリン市内の「KGB博物館」で展示されているKGBのエージェントの人形の顔。空虚な瞳が恐ろしい写真はVABAMU(「占領と自由の博物館」、紹介後述)のホームページより。リンク先はインタラクティブなサイトとなっており「触る」ことができる。同サイトでは「Mõtete lugeja(読心機)」として紹介している。右:エストニアの首都タリン市内の「KGB博物館」で展示されているKGBのエージェントの人形の顔。空虚な瞳が恐ろしい

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 本年2月にエストニアにいった。4年ぶりの国政選挙を見物するためだ。エストニアは国政選挙において全国規模でインターネット投票が実施されている世界唯一の国で、それをぜひこの目で見たいと思っての訪問だった。9日間滞在し、ネット投票はもちろん、投票所や党首討論会、選挙小屋やさまざまなポスターを見て、有権者や有識者、候補者にも話を聞いた。結果、感じたのが、冒頭の形容詞だ。

 オープンで、フラットで、フレンドリーで、スピーディー。

 インターネット社会のポジティブな特徴を表すような明るい形容詞ばかりが並んでいて鼻白む人もいるかもしれない。しかし、その明るい形容詞の裏面には、長年ソビエトに支配され、ナチスにも蹂躙されたという同国の重く暗く複雑な歴史があった。現代史の闇が作り出す、光と未来。今もなお、ロシアに接する小国として気張っているエストニアには、透明な覚悟のようなものを感じた。

エストニアの国政選挙、投票手法と投票場所。今回2023年の選挙は投開票日が3月5日。68日前の2月27日からオンラインとリアルで事前投票が可能となるエストニアの国政選挙、投票手法と投票場所。今回2023年の選挙は投開票日が3月5日。68日前の2月27日からオンラインとリアルで事前投票が可能となる

 お伝えしたいは山ほどあるのだが、ここでは特にインターネット投票について報告したい。

どこからでも可能なネット投票

 エストニアは国政選挙において、人々がインターネットを介しての投票がおこなえる世界唯一の国である。人々はラップトップなどのインターネットに接続されたコンピュータと、有効な証明書を備えた IDカードまたはモバイルIDがあれば、選挙当日を除く6日間の投票期間中の24時間、家からでも職場からでも、酒場からでも、選挙管理委員会のホームページにログインすると、いつでもどこからでも、そして何度でも(!)、投票をすることができる。

ネット選挙だけでなく、リアルの投票所もエストニアはオープンだ。ショッピングセンターの広場に設けられた投票所(「Tule valima! 投票しよう」と書いてある)に壁はなく、投票しているところも見ることができる。投票箱に入れる際には日付などを書いたスタンプが押される。この投票所は投票期間中ずっと(事前・当日いずれでも)使用されていたネット選挙だけでなく、リアルの投票所もエストニアはオープンだ。ショッピングセンターの広場に設けられた投票所(「Tule valima! 投票しよう」と書いてある)に壁はなく、投票しているところも見ることができる。投票箱に入れる際には日付などを書いたスタンプが押される

 百聞は一見にしかず。文字で説明するのはまどろっこしいので、まずは実際にネット投票している場面をご覧いただこう。投票している方は今回の視察でお世話になった政治学者のTõnis Lehtさん。彼はエストニア首相官邸で公務員として働いた後、映画やテレビのディレクターとしても活躍した。現在は、SALK (自由市民財団) や Poliitika Guru といったシンクタンクでも活動している。

ネット投票はどこでもできるネット投票はどこでもできる

 ホテルのバーで、説明をしていただきながらの投票してもらった。投票自体にかかる時間は、パソコンを立ち上げから5分とかからない。とてもシンプルで簡単である。

 投票は2つのプロセスからなる。

 最初のプロセスは、選挙管理委員会のサイトに行き、アプリケーションをダウンロードし、自分のIDを用いてログインするまでである。アプリをダウンロードした後、有権者は自分のIDカードを読み取り機を介してコンピューターに読み込ませてログインするか、もしくはスマホに入れたIDアプリを介してログインする。スマホを介してのログインはカード決済と同じように、表示された一時的な暗証番号(ピンpin)をスマホで確認しておこなうやり方だ(プロセス1の動画はこちら)。

 アプリにログインした後にサイト上で投票先を選ぶのが2番目のプロセスだ。

 エストニアの政治体制は共和制で、大統領と首相がいる。大統領は国事行為をおこなう象徴的存在で、議会から選出される首相が政治的リーダーだ。

 今回、その首相を選ぶ議会(リーキコク)の選挙を見にいったわけだが、議会は定員101人の一院制で、12の選挙区から人口比に併せて5〜16名の議員を非拘束名簿方式の比例代表選挙で選んでいる。比例代表制なので各政党の得票に応じて議席が配分されるが、人々が投票するのは政党ではなく政党のリストに載った候補者(の番号)である。議席の決定方法は少々複雑で詳しい説明は他に譲るが、「比例代表制を軸としつつも、誰が議席を得るのかを有権者がコントローできることを目指した制度」(中井遼「エストニアの選挙戦とインターネット投票」)とされる。

左:リアルの投票所の投票台と記入机の前に掲示された候補者リスト。候補者は政党別にリスト化され、名前の前に番号が記載されている。右:ネット投票の最終選択画面。政党の名前をクリックすると候補者の名前と番号がでる。有権者はその番号付きの名前をクリックする左:リアルの投票所の投票台と記入机の前に掲示された候補者リスト。候補者は政党別にリスト化され、名前の前に番号が記載されている。右:ネット投票の最終選択画面。政党の名前をクリックすると候補者の名前と番号がでる。有権者はその番号付きの名前をクリックする

 ネット投票でもログインをすると、自分の選挙区の政党名の一覧が表示される。自分のIDが反映されているために、選挙区を探す必要はない。政党名をクリックするとその地区の候補者の名前と番号が表示されるので、それをクリックすると確認ページにすすむ。同ページで確認をした後に最終クリックするとそれで投票は終了となる。拍子抜けするほど簡単だ。自分の投票がちゃんとサーバーに送られたか心配な人は、QRコードで確認することもできる。個人情報のセキュリティは二重封筒方式によって確保されている。(プロセス2の動画はこちら

 投票を完了すると画面は選管のページに戻り、それまでに全体としてどれほどの投票が行われたかを具体的な数字で確認できる。

<選管のホームページと候補者ページ。インターネット投票が終わると選管のトップ画面に戻る。選管のホームページは選挙情報のハブにもなっており、選挙関連の統計や候補者の情報も見られる。ホームページはエストニア語と英語とロシアで表示される。候補者の情報には所属政党や生年月日や学歴などに加え、フェイスブックやツイッターのアカウントや電話番号やメールアドレスの情報も提供される。表示しているのは現首相のカヤ・カッラス氏の候補者情報ページ>選管のホームページと候補者ページ。インターネット投票が終わると選管のトップ画面に戻る。選管のホームページは選挙情報のハブにもなっており、選挙関連の統計や候補者の情報も見られる。ホームページはエストニア語と英語とロシアで表示される。候補者の情報には所属政党や生年月日や学歴などに加え、フェイスブックやツイッターのアカウントや電話番号やメールアドレスの情報も提供される。表示しているのは現首相のカヤ・カッラス氏の候補者情報ページ

 以上が、投票者からみたインターネット投票のやり方の概略だ。とてもシンプルである。手続きとしては、途中幾たびかピンで認証するところなど、スマホに組み込んだクレジットカードなどで商品を購入するやり方に似ている。今回はそこまでできていないが、次回以降、スマホオンリーでの投票を目指しているとも言われる。いずれにせよ、非常に簡便なシステムだった。

初めて過半数がネットで投じた

 その簡便さが浸透したのか、今年の選挙、ネット投票が過半数を超えた。投票の最終的な数字は有権者966,129人に対して投票総数が615,009票(投票率63.7%、無効票3503票含)だったが、そのうち、紙での投票が当日投票の158277票(投票総数の25.8%)と事前投票の143,343票(同23.4%)に対して、インターネットでの投票が312,181票(同50.9%)であった(エストニア選管の地域別得票数情報から計算)。インターネット投票は2002年に実験が開始され、2005年の地方議会選挙から導入されたが、今回はじめて有効投票数の5割を上回ったことになる。エストニアの選挙は主にインターネットで投票されるといえる段階に達しつつある。

左:今回の選挙における投票総数に対する投票方法別の割合。事前投票が7割を超える。
右:各級選挙におけるネット投票の割合。ネット投票は着実に割合を伸ばし、事前投票に占める割合も約7割となっている。データ:エストニア選管ホームページ左:今回の選挙における投票総数に対する投票方法別の割合。事前投票が7割を超える。右:各級選挙におけるネット投票の割合。ネット投票は着実に割合を伸ばし、事前投票に占める割合も約7割となっている=エストニア選管ホームページより

 このように簡便なインターネット投票であるが、国政選挙で全国規模で導入されている国はいまのところない。本当にネットで投票してよいものか、いろいろと疑問があるためだと思われる。正直、私も日本で話を聞いている限りはなんだか怪しげでネット投票には反対の立場だった。しかし、現地で直接に見て、人々に話を聞いて、心持ちが変わりつつある。以下では私も疑問に思い、現地の人々に尋ねた、次の4つのネット選挙に関する代表的な疑問に簡単に答えながら、議論を深めてみたい。なお、以下のエストニア選管のホームページでネット選挙については詳しく説明してある。下記以外のさまざまな質問に答えるFAQもあるので、詳しく知りたい人には強く勧めたい。

①紙でない電子的投票は本当に信頼できるのか?

②秘密投票でないので投票の脅迫や強要への対処はできるのか?

③ネット投票で投票率は上がるのか?

④そもそもなぜエストニアでネット投票を始めたのか?

電子投票は信頼できるのか→サイバー防衛と透明性の確保

 この点はエストニア選管も気にするところらしく、ホームページなどでも特にページを作り説明している。詳細はそちらを参考にしてほしいが、要は先にも書いた二重封筒方式という電子技術を使い、投票した事実と投票先の中身とを分離して扱うことで、有権者の本人確認と投票内容の秘密を保護している。この技術は在外投票を郵送で行う場合に、匿名の封筒(内側の封筒)に票を入れて封をし、さらに投票者の名前と署名を記入した封筒(外側の封筒)の中に入れるというシンプルな方法をデジタル的に応用したものである。

 また、この信頼性に関しては例えばインターネット投票の場合には証拠がデジタルでしか残らないため票の再集計ができないのではとの疑問もある。これは確かにそうなのかもしれないが、例えば再集計で問題になるのは文字がちゃんと読めるのかとか、前々回のアメリカ大統領選などでは穴開け方式の投票用紙の票の穴がきちんと開いていたかとかといったところの確認である。

 その点は、ネット投票の場合は候補者名をクリックするので問題になり得ない。そのほか、そもそもインターネットの機密性が信頼できないという批判もありうるが、現在、我々は電子的な商取引は為替や銀行決済というマネーそのものについても活発かつグローバルに支障なくおこなっている。その点からはためにする批判と言えるだろう。

 一方、他国からの攻撃によってシステムが乗っ取られたり、ネット自体が使用不能となるリスクも考えられる。実際にエストニアでは2007年4月に何者かが大規模なサイバー攻撃を仕掛け、各種ネットがほぼ使用不能になったことがある。同国政府はこの経験をいかしネットセキュリティの強化に努めると共に、翌2008年にはNATO(北大西洋条約機構)のサイバー防衛センターが同国首都タリンに開設され、ヨーロッパのサイバー防衛拠点となっている。志願民兵組織であるKaitseliit(カイツェリート:エストニア防衛同盟)にもサイバー部隊が設けられ、サイバー防衛を担っている。

 なお、エストニアでのネット投票の根幹にあるインフラは、国民IDである。エストニアに暮らす住民には個人番号が与えられ、それが徴税や選挙、そして各種の国家サービスの基盤となっている。このことと関連して国民IDは「国民総背番号制」「マイナンバー制度」であり、デジタル化と結びつくことで管理社会化や監視国家化を進め、逆ユートピアへと向かわせるのではないかといった疑問もある。これは確かに深刻な問題で、国家が番号を用いて国民を監視し管理しようとすることも可能だろう。この点、徹底的な説明責任と透明性がシステムには求められるものであり、「国家はそのようなことをしない」という信頼の獲得が求められる。ネット選挙のみならず、マイナンバーの運用にも、国家は十二分な配慮をすることで、情報運用の面での信頼を得ることが大切であろう。

脅迫や強要へ対処は?→上書き投票が可能

 実は筆者が最も懸念していたのが、このことだ。今回、Lehtさんには筆者が泊まっていたホテルのバーで投票をしてもらった。このようにオープンにどこでも投票できるとなると、「あいつに投票しろっ!」とか「私に投票してくださいぃ!!」などと懇願・強要、果ては買収・脅迫されることになるだろう。みんなで集まって、「パソコンを開いて!さあ、クリックしましょう」などといった姿も目に浮かぶ。

 この点はエストニアでもネット選挙の導入の際に大いに議論になったところらしいが、彼らが出した答えは単純だ。ネット投票は期間中何度も上書き投票できるようにし、投票当日のリアルの投票でもIDを見せて本人をチェックしてもらうことで紙の投票用紙による上書き投票もできるようにしたのだ。二重封筒方式同様で、ある意味「アナログ」な対応をデジタルに組み込み対処している。

 こうなると例え脅迫や買収され、当人たちの目の前でネット投票したとしても、いつでもどこでも上書きできるので意味がない。しかも、最後は当日に投票所に行けばいいだけのことだ。「どんな選挙でも脅しや買収はなくないでしょ? 日本ではどうですか?」とは調査の際に小生に聞かれた言葉だが、エストニアの場合は投票を開くこと=オープンにすることでそれらに対処しようとしているかに思えた。前述のようにリアルの投票所もとてもオープンである。これまで、フランス、イタリア、スウェーデン、そしてエストニアと選挙を見物したが、壁がない投票所は初めてだった。

投票率は上がるのか?→大きな変化はない

 日本ではネット投票というと投票率が向上するとの文脈で語られがちである。

 政治学でもライカーとオーデシュックという学者たちが人々がどのような時に投票するか/棄権するかについて数理モデルを示した。

 R=P×B−C+D

 彼らによると、人々は投票することによって得られる報酬(R)が大きい場合(R>0)に投票し、報酬が少ない場合(R≦0)に棄権するとされる。そして、その報酬は投票によって得られる効用(B)とその主観的な確率(P)を掛け合わせたものから、投票にかかるコスト(C)を除いたものに、投票することの市民としての義務感(D)を足すことで表すことができるとした。

 このコスト(C)には投票所にいくための時間や費用、レジャーや買い物などに行く予定が犠牲になるかもといった(「機会費用」という)も含まれる。一方、インターネット投票はどこでもいつでもできるので、このコスト(C)を軽減させることで選挙から得られる報酬(R)を増大させ、人々の投票行動に資することが予想されるとされたのだ。

 しかし、エストニアのネット投票に関しては、その導入を境に投票率に大きな差は、少なくとも国政選挙においては、生じていない。次の図はネット投票導入を前後した各級選挙の投票率の推移だが、欧州議会選挙で変化は見られるが、国政選挙では大きな変化はない。マクロの数字であり、実は導入されていなかったらもっと投票率が下がっていた可能性も完全には排除できないが、前述のシンクタンクSALKの創設者で選挙データの分析にも詳しいTarmo Jüristoさんは「日本から訪ねてくる人は必ず聞くのですが、その点は必ず否定しています。ネット選挙で投票率は上がりません。投票率を決めるのは選挙そのものの魅力です」と答えてくれた。

<各級選挙の投票率の推移。データ:エストニア選管ホームページ。>選挙の投票率の推移

 彼によると、「ネット投票は若い人がおこなうのだろう」という考えも間違いで、一番若い世代の有権者は投票できるようになった記念に友人らと一緒に投票し、その後、遊びに行くことも多く、そのため紙で投票が高いという。次の図は彼が分析した2017年の地方議会選挙での世代別の投票方法の違いである。

 地方議会選挙では選挙権が16歳以上のため若者の傾向が見えやすいが、確かに16歳から17歳の年齢では紙による投票が圧倒的で、18歳から24歳以下でも4割ほどが紙での投票を行なっていたことがわかる。高齢者に紙の投票が多いのは想定内だが、「若い世代がネット投票する」という訳では必ずしもないことを裏付けるものである。今回の国政選挙はこの地方議会選挙の時よりも有効投票数比で20ポイントもネット投票が多くなっており、このような世代での差異もやや縮まっているとは思うが、興味深いデータといえよう。

2017年の地方議会選挙における世代別・投票手法のグラフ。Tarmo Jüristo氏提供2017年の地方議会選挙における世代別・投票手法のグラフ。Tarmo Jüristo氏提供

なぜエストニアで?→ソ連の否定が原点

 以上、エストニアのインターネット選挙について、その実態と関連する疑問に現地での見聞を踏まえ答えてみた。日本にいるときは、怪しげに見えたネット投票も、実際に現場を見てみると投票のシステム自体への信頼(=それを運用する選管や国家への信頼)すら確保できれば、「やればできるし、便利じゃん」という感想である。

 しかし、このように便利な投票手法は、いろいろな難癖が付けられているためか、世界中でエストニアしか採用されていない。逆にいうとなぜエストニアだけが、投票の未来に踏み出したのか…。いろいろな人に尋ねたが、その中で一番しっくりきた答えが、この通信の冒頭でも挙げた言葉である。

 「税の徴収にもITを導入するなど、エストニアはネット関係の制度を1990年代から導入しています。なぜ、それらの導入がこの社会に受け入れられたかというと、我々エストニアの初期の原則(basic principle)は『ソビエトのようにはしない(should be anti-Soviet)』ということでした。」「ソビエトの崩壊によって秩序が変わり、古い人びとがいなくなり、上の方に空白(empty space)ができました。それで若い人たちは様々なイノベーションを起こすことができ、エストニアはIT先進国となりました。」「インターネット投票の導入と成功は、その文脈の中にあります」

 言葉の主は、元国会議員でPRと政府関係のコンサル会社META ADVISORYの創設者でもあるOtt Lumi博士。「なぜ、エストニアでインターネット選挙ができるようになったのか」という筆者の質問を受けての答えである。この言葉はエストニアの地政学的な位置とその位置がもたらす激動の歴史と深く結びついている。最後になるが、筆者なりの解釈を試みたいと思う。

ソ連時代の負の史跡

 エストニアはバルト3国の一番北にあり北と西がバルト海に、南はラトビアに、そして西がロシアに接している国だ。面積は九州よりもやや大きく、人口は130万人の小国である。

 歴史的には13世紀以降、ハンザ同盟で首都のタリン(当時はレヴァルと言われた)が繁栄したが、16世紀のリヴォニア戦争を受けてスウェーデンの、そして18世紀の大北方戦争の後にはロシア帝国の支配をそれぞれ受けた。巨大な帝国に挟まれた回廊地域の地政学的悲劇である。しかし、第1次世界大戦中にロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、エストニアは独立を宣言する(1918年2月24日)。

 しかし、その独立の翌日にはドイツ軍が首都タリンを侵攻占領し、独立派は地下に潜ることを強いられる。第1次世界大戦後は、赤軍とドイツ軍残党を相手に独立戦争を戦い、1920年2月2日にソビエトとタルト条約を締結し、エストニアの独立がソビエトによって正式に承認された。しかし、1940年にソビエトはエストニアを武力併合する。その後も、第2次世界大戦ではドイツ軍が再侵入して各地にホロコーストのための強制収容所を作り、エストニアで暮らしていた多数のユダヤ人やロマの人々が逮捕され、現地で殺されている。

 1945年にドイツが敗北すると今度はソビエトの支配が再開され、エストニアはソビエトの一部に組み込まれることになる。その際、ソビエトは多くのロシア人たちをエストニアの同化政策のために入植させる一方、多くのエストニアの政治関係者や行政官を処刑したりシベリアの収容所に送るなどしている。

 このように現代史の激しい波にも翻弄されたエストニアからは2つの世界戦争の間に多くの人々が迫害を逃れるべく国外へと亡命したが、ソビエトによる支配は1991年までその後50年間も続くことになる。

 そのソビエト時代の名残りはエストニアの首都タリンにも各所に残されている。最大のものの一つがタリン北部の海岸にある「リンナハル(Linnahall)」という場所だ。これは旧名は「V. I. レーニン タリン文化・スポーツ宮殿(V. I. Lenini nimeline Tallinna Kultuuri- ja Spordipalee)」という、1980年の――日本は参加しなかった――モスクワオリンピックの際にヨット会場に選ばれたタリンに建てられた五輪関連施設である。4200席のコンサートホールやスケートリンク、ヘリポートなどを有し、市庁舎としても活用された巨大なソビエトモダニズム様式の建造物であった。有事の際には軍事転用するともされていたが、21世紀に入ってコンサートホールやスケートリンクも閉鎖し、現在は巨大な廃墟と化している。

 そのリンナハルの正面に見える旧ヴィルホテル(Viru Hotel)にもソビエト時代の名残りがあり、それがKGB博物館として公開されている。

 現在は「オリジナルソコスホテル ヴィル」として営業中のこのホテルは、もともとは1972年に「資本主義諸国から外貨獲得」のためにソ連の指導のもとに建てられたものだった。当時、最新式の高層ホテルには多くの外国人と外国に憧れるエストニアの人々が訪ねてきたが、ホテルの最上階にはソ連の政治警察「国家保安委員会」(KGB: Komitet gosudarstvennoi bezopasnosti)の秘密部屋が設けられ、ホテルの客に対する監視・盗聴が行われていた。その部屋がそのまま博物館として公開されているのだ。

現在のヴィルホテルの外観と博物館の展示資料。中央女性は各階に配置された記録係。その右は盗聴器が仕込まれた灰皿(上)とパン皿(下)のレプリカ。下段は盗聴のための設備があるホテル最上階の隠し部屋。様々な機械が今も展示されている現在のヴィルホテルの外観(左上)と博物館の展示資料。上段中央の女性は各階に配置された記録係。その右は盗聴器が仕込まれた灰皿とパン皿のレプリカ。下段は盗聴のための設備があるホテル最上階の隠し部屋

 博物館はガイド付きの少人数ツアーの形でのみ公開されている。エストニアの人々にとっては辛い記憶だろうが、ガイド氏のユーモアを交えた説明に心が救われる。彼によると当時各階には記録係が配置され、エレベーターの前あたりで、ホテル客がいつ部屋を出ていつ戻ったか、誰が訪ねてきてどれほど滞在したかなどを細かく記録していたという。

 また、450室あるホテルの部屋の中で、特に60の客室には壁に盗聴マイクが仕込まれ、「疑わしい人々(suspicious citizens)」を泊めていたという。この場合の疑わしいとは国籍などではなく、職業だったとガイド氏は説明してくれた。「どのような情報にアクセスできるかが問題だったのです」。政治家やジャーナリスト、外国語を喋る人などが警戒すべき職業だったという。ある外国人客がトイレで紙が切れて「困ったなあ」とつぶやいたら、5分後にドアがノックされたとの逸話もあるそうだ。

 一方、空間が広く、騒音もあって音が聞き取りにくいレストランやバーなどに「疑わしい人々」が行った場合は、写真のような盗聴器が仕込まれたパン皿や灰皿が用いられた。これらの盗聴器で収集した音声は天井のトランスミッターでも受信され、ホテル上階のKGB部屋で録音されていた。また、電話はホテルから1キロほど離れた同じタリン市内にあるKGBのエストニア本部で直接に録音・記録されていたという。

 これらの盗聴などの記録はエストニア政府によって70年間、封印されている。なお、このKGBのエストニア本部も、その地階の牢獄を「KGB vangikongid(KGB牢獄博物館、英語名 KGB Prison Cell)」として博物館にしている。先に、ソビエトが1940年代にエストニアを併合した際、大量のロシア人を入植させたことを記した。もちろん、彼らロシア人がエストニア支配の中心にいたわけだが、KGBにはエストニア人のスタッフたちもいたとガイド氏は語ってくれた。この暴力と監視の社会で、どれほどの悲劇が生じたのか、想像に余りある。

 ところが、この体制が突然に崩壊するのが1980年代末から90年代にかけてのことだ。ゴルバチョフが登場し、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連も崩壊した。ヴァルホテルにいたロシア人のKGBたちは慌てて部屋から「本国」に帰る。あまりに急いでいたため、灰皿にはタバコの吸い殻が残されたままだったという。エストニア自身、ソ連のくびきを離れ、「独立回復」ということになる。新しい国づくり、多くの人が戸惑いながら辿り着いた原則が『ソビエトのようにはしない(should be anti-Soviet)』だったのではないだろうか。

旧時代の終焉と世代交代とネット隆盛が重なった

 Open, Flat, Friendly, Speedy……。私が感じたエストニアは、ソビエトの共産主義社会のアンチだったのだろう。「あなたは計画の単なるパーツでしかなかった You were just a part of a plan」。誰の言葉かは記載し忘れているが、タリンで聞いてメモに書き留めていた言葉である。計画経済社会、共産主義社会を経験した人間の実感が反映されている。

 さて、新しい国づくりが始まった。時は1990年代初頭、ちょうどインターネットが普及し始めた頃だ。KGBやそれに繋がっていた上の連中はいなくなり、自由に国が作れる。それでどうなったか。

 国家にとって最大に人手がかかる事業は徴税だ。日本の財務省が省庁別の規模で最も大きい理由も、徴税の実務を担う国税庁(54,919人;「一般職国家公務員在職状況統計表(令和4年7月1日時点)」より)を抱えているからである。

 ここからは筆者の想像だが、130万人の人口の「独立回復」国家。金もなければ人もいない。しかし、うるさい上の連中もいないし、インターネットがある。そこで彼らは税の徴収をIT化したのであろう。国民に番号を振って、ネットで納税ができるようにする。そして、その番号を通じて、国家サービスを提供していく。とても安上がりで合理的だ。

 しかし、この番号による管理は直前まで彼らがいた「逆ユートピア」へも直結しうる。新生エストニアは「Anti-Soviet」がテーマの国づくりだ。そこに戻ることはできない。では、どうするか。そこで彼らは、シンプルで骨太のアナログ的デジタルセキュリティーと、透明性と説明責任を徹底したオープンでフラットな運営組織による国民からの信頼性の確保、それに乗り出したのではないだろうか。

 脱共産主義との関係では、エストニアがスタートアップ企業のメッカとなっているのも興味深い。単なる計画のパーツではなく、アニマルスピリットを持った起業家が世界中から集い、インターネット電話「Skype」や格安国際送金「wise」、ヨーロッパのUberとも言われる「Bolt」など、様々なネット関連の企業がエストニアで誕生し、世界に羽ばたいている。これを作り出したのも、法人の売上ではなく、役員報酬や株主配当に税金をかけるようにした逆転の発想だ。

 これによって立ち上げ期に資金繰りが窮屈になるスタートアップ企業に魅力的な国となった。しかも、海外居住の外国人に対してもネット上で住民登録ができるようにしたため、この魅力的な税制の恩恵を享受しようと世界中からの起業家を引きつけることに成功している。元々、ソ連時代からタリン工科大学はじめコンピューターや情報系の技術は強かったとされるが、このような大胆な制度の導入によって状況を好転させていけたのは、一つには「ソビエトの崩壊によって秩序が変わり、古い世代がいなくなり、上の方に空白(empty space)ができた」ことでもあるし、何よりその間の歴史に耐えたエストニアの人々の忍耐にもあったのだと思う。

 こう考えるとエストニアのインターネット選挙は現代史が同国に課した重みに耐え抜き、刹那のチャンスを生かすことで花開いた人類の精華といえる。その点で、いま、新しい全体主義との戦いに直面している我々も彼らの道を学び、その精華を同じ自由で民主的な国の仲間として、大いに取り入れるべきではないだろうか。

 ということで、エストニアの話はここまでにしたい。肝心の選挙結果や選挙運動(盛んなテレビCMや討論会、選挙小屋やポスター)、はたまたウクライナ戦争をめぐる因縁のロシアとエストニアの関係(タリンに住むロシア系の方にも貴重な話を伺った)など政治関連の報告も十分にできず残念である。

ロシアとエストニア。左上:タリン市内の丘の上ではロシア正教の教会とエストニア国会が対峙する。右上:1918年と1990年の2つの独立を記念する碑。左下:独立記念日にはウクライナで拿捕したロシアの戦車が広場に据えられた。中で焼け死んだ兵士を悼んで捧げられた花は当局に捨てられた。右下:タリン市内のロシア大使館の玄関前にはウクライナ国旗と赤く染められた熊のぬいぐるみと「戦争は終わっていない」との張り紙。他にも多くのメッセージが大使館前を囲んでいる左上:タリン市内の丘の上ではロシア正教の教会とエストニア国会が対峙する。右上:1918年と1990年の2つの独立を記念する碑。左下:独立記念日にはウクライナで拿捕したロシアの戦車が広場に据えられた。中で焼け死んだ兵士を悼んで捧げられた花は当局に捨てられた。右下:タリン市内のロシア大使館の玄関前にはウクライナ国旗と赤く染められた熊のぬいぐるみと「戦争は終わっていない」との張り紙。他にも多くのメッセージが大使館前を囲んでいる

 加えて、筆者としては政治の話以上に、世界遺産のタリンの美しい街並みやフレンドリーな人々、美味しい料理に、超美味しいお酒(Millimallikas!)と物凄く楽しい酒場などなど、ご報告したいことは残り過ぎているのだが、分量も多くなってしまった。

 残念なことに、連載をしているこの論座もサイトを閉鎖し、本連載も打ち切られるとのことなので、エストニアのことはまた別の場所でご報告できたらと思います。Facebookにもつらつら公開で書いているので、ご興味がある方はお訪ねください。

 ということで、いよいよ次回は最後のダブリン通信である。原点に帰って、アイルランドのことなどをご報告したく思います。サバティカルでこちらに来てから、早1年の中間決算になればいいのですが……。

 なお、今回のエストニア視察に関しては日本・エストニア/EUデジタルソサエティ推進協議会(略称JEEADiS)から、Leht氏の紹介はじめ全面的な支援を受けた。JEEADiSは「ICT(情報通信技術)活用の先進国であるエストニアをデジタル社会のモデルとし、国民視点で日本の情報化社会のあり方を考え、世界に貢献できる日本を創ることを目指す」べく2015年に結成された一般社団法人である。ここに特に明記し謝意を表する。

 また、エストニアで日本語の同人誌「JPEE エストニア・アンソロジー」を発行しているJPEE編集部の皆さんにもご協力をいただいた。「エストニアと日本文化を繋ごう!という高尚な目標のもと今日も元気におうちに引きこもっている」とは最近の冊子の締めの言葉だが、各号に掲載されている様々な表現は、まさに日本とエストニアの質の高い文化交流そのものである。エストニア案内としてもとても楽しく参考になる同誌の今度ますますの発展を期待します。