「論座」終了にあたり日本政治の望ましき展開を妨げている事由を論ず【2】
2023年04月19日
「論座」が幕を閉じるにあたり、日本政治の望ましい展開を妨げている三つの事由を指摘し、自らの見解を明らかにしている。その初回「衆議院小選挙区制の徹底検証を!~日本の劣化を深めた制度要因」では、衆議院に導入された小選挙区制度の弊害について論じた。今回は2001(平成13)年の1月6日に実施された「中央省庁再編」を取り上げる。
行政改革の一環として実施された省庁再編は、小選挙区制導入と同様、歴史的な愚挙であったと私は考える。なにより、その時点で「誰も頼んでいない」押しつけの改革であり、行政改革の本筋を逸(そ)らすものに他ならない。
この改革は、当初から“理念なき改革”と批判されたが、その改革理由は今もって判然としない。それまであった22省庁を統廃合して、1府12省庁へとほぼ半減させたものだが、納得できる理由が示されたとは言い難い。あえて言えば、「行政改革のポーズ」が必要だったからであろう。
当時、ある人は「縦割り行政の弊害是正」と言い、ある人は「大臣の数を減らして、経費を削減する狙いがある」と言った。
縦割り行政が問題を抱えているのは間違いない。しかし、その一方で利点もある。省庁が暗闇で利害や政策の調整ができないから、省庁同士の主張の違いが可視的になり、メディア、ひいては国民に政策や行政の実態が分かりやすくなる。
大臣の数を減らしてうんぬんという議論は、こじつけも甚だしい。経費を減らしたいのなら、たとえば大臣給与を半分にするとか、政党助成金を無駄に使わせないようにするとかすればすむ話だ。他国でも例があるように、大臣に複数の官庁を兼任させてもいい。
そもそも、こうした説得力のない改革理由ばかりしか出てこないところに、構想力を欠いたこの改革の問題の核心が見え隠れしている。
1998年6月9日、橋本龍太郎内閣のもと、22省庁を1府12省庁に改める中央省庁等改革基本法が成立したのを受け、朝日新聞は元通産官僚で作家の堺屋太一氏、私など4人による座談会を掲載した。私は「中身の改革でなくて器の改革に終わっている」として、この案に批判的な立場を強調したが、堺屋氏はほぼこの案に同調、賛成した。
私は、不必要な省庁の統合が、行政の透明性を減じることを恐れた。小さな家は夫婦げんかの声も外に聞こえてしまうが、家の中で何が起きているかは周りに分かる。大きな家では、仮に大変なことが起きていても、中の様子が近所の人に分からないものだ。
実際、省庁再編以降、年を経るごとに、行政機関と国民との距離は遠くなっているように見える。内閣府や総務省といった“巨大官庁”は、今もって何と何が統合されたのか分からない人が少なくない。器が大きくなったためか、行政の不始末が、以前よりも発覚しにくくなっている感も否めない。
一体、どうしてこんなことになってしまったのか。国民の多くにとっては、頼みもしない出前が家に届けられた心境ではないか。
とりわけ、自治省と郵政省の合体(総務省)、そして近そうにみえて異質な文部省と科学技術庁の統合(文科省)には、専門分野からの批判が強い。また、論座への論考「岸田首相は長期の「経済計画」の策定を!~場当たりの政策転換が経済の劣化を招いた」で論じたように、経済企画庁を廃止(内閣府に統合)したことは、船の航海を波に任せるような経済を現出している。
こうなった理由として、私には思い当たるフシがある。そして、行政改革の不首尾について強い責任を感じている。
かねてから私は、増税は無駄遣いをなくす絶好のチャンスだと思ってきた。逆に言えば、無駄づかいをなくさなければ、増税に応じてはいけないということでもある。
子どもが親に小づかいを増やしてくれと言ったとき、親はまず無駄づかいを指摘し、それが是正されて初めて応じるものだ。そうしなければ、子どもはさらに無駄づかいをするようになるからである。納税者を「親」、財政当局を「子」として申し訳ないが、兆円単位の税金を自分のもののように振る舞う当局の姿勢からは、そういう感じを受ける。
私が言いたいのは、5兆円の消費税増税をする場合、同時に5兆円の無駄づかいをなくせば、実質10兆円の財源が生まれるということだ。そんなことはできないと、財政当局は笑うだろう。しかし、国家財政が危機に瀕しているのであれば、必ずできるはずだ。無駄づかいの根絶、天下り、特に政府系機関や団体を徹底的に整理すれば、できないはずはない。
かつて民主党は、選挙のマニフェストで9.1兆円の無駄づかいをなくすと公約して政権をとり、それを実現することなく退陣したが、事情は今も変わっていない。
実は、村山富市政権のもと、1994(平成6)年に消費税を3%から5%に上げる際には、消費税法改正案に特別の附則がつけられていた。いわば、消費税増税の条件である。それは、景気条項と共に、「行政及び財政の改革の進捗状況」を勘案して、実施時期を決めるということであった。
当時、新党さきがけは増税の条件として、行政改革条項を盛り込むよう主張したが、与党を組む自民党や社会党は同調せず、「自社さ」の三党協議は暗礁に乗り上げた。さきがけを代表して協議に参加していた前原誠司氏は、私が「妥協はしない。政権離脱だ」と党の立場を明言すると元気いっぱいに協議の場に戻り、自社両党を押し切った。
こうして、消費税増税を予定通り97年4月1日に実施するためには、「行政改革の進捗」が不可欠になったのである。
96年6月、消費税増税を当初の予定通りに実施すると決める閣議で、経企庁長官だった私は、梶山静六官房長官に対して、法律で約束した行政改革について、それまでの成果と今後の予定について、11時の定例の記者会見で説明してほしいと発言した。出席者の間に緊張が走り、橋本首相と梶山長官は血相を変えて私を睨(にら)んだ。
結局、首相が官房長官をとりなし、梶山氏は大筋で私の主張を取り入れたが、その後、自動車電話から私に電話をして大声で怒鳴りつけ、応答も無用と切ったのを覚えている。
この話には後日談がある。私が国会を去って2年ほどしてから、梶山氏が面会を求めてきた。赤坂の小料理屋で、私に手をついて謝ったのだ。
「あのときは申し訳なかった。大蔵省にだまされていた」。そう彼は言った。さすがの気骨に触れて、私も敬意をもって頭を下げた。
その年(96年)の10月、私は衆議院選挙で議席を失い、政界から身を引くことになったが、行政改革の行方ばかりが気になった。そんななか、11月7日に行政改革を一枚看板のようにして第2次橋本内閣が成立。電光石火、19日の閣議で「行政改革会議」の設置を決め、28日には初会合を開いた。
梶山氏の言う通り、すべて大蔵省のシナリオだろう。この変身はもちろん、97年4月に消費税増税を行うためのものだった。
法律の附則には「行政改革」と書いてあるが、行政改革には多種多様な項目がある。そのどれかに手をつければ、形の上では「行政改革が進捗した」ことになる。そこで行政改革会議が着手したのは、政治も行政も身を切らない省庁再編という機構の改革であった。
要するに、橋本行革は行政の無駄遣いにメスを入れたり、天下り問題や特殊法人を整理したりという難問には手をつけず、見かけは派手だが内容は乏しい機構の改革に走ったのである。
この省庁再編は、98年6月に中央省庁等改革基本法として公布され、2001年に実施された。総務省や文科省など、統合に無理があるのは先述した通りだが、ここでは経企庁の廃止について付言しておきたい。
経企庁がなくなったことで宙に浮いた「経済」という帽子は、通商政策と産業政策に新境地をひらくことができない通産省がかぶることによって、経済産業省となった。これで経済全般に口出しできると、経産省の中では大歓迎されたようだ。大蔵省から転じた財務省にとっても、経企庁の廃止に伴い、「経済計画」に縛られないことになったのは大歓迎だろう。
将来目標を他の機関から示されない財務省は、これから行き当たりばったりの財政運営を展開するのだろうか。少なくとも、近年の同省の動向を見ていると、独断で兆円単位の財政資金を縦横に動かしている印象が強く、懸念が高まる。
省庁再編に付随して変貌したことには、首相官邸の機能や官僚の人事制度、そして特異な“政治主導”もある。この点については、論座への寄稿の最終回に論じたい。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください