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「自分たちの問題は自分たちで解決する」というドイツとの比較 統一地方選を機に地方自治を考え直す

ジーンズにセーター姿で夕食は手製のサンドイッチという地方議員たち

花田吉隆 元防衛大学校教授

 地方の政治に対する関心が薄れている。投票率の低下傾向が著しい。

 4月9日投開票の統一地方選挙前半戦で、41道府県議員選挙の平均投票率が、前回を2.17ポイント下回る41.85%だった。うち、30道県で過去最低を記録した。埼玉、千葉、愛知、兵庫、福岡等の11県で40%ラインを割った。

一票を投じる有権者=2023年4月9日、大津市

知らない人から「候補者です、よろしく」と言われても……

 市長選挙や市議会議員選挙も状況は同じだ。6政令市長選挙は全市で投票率が前回を下回ったし、17政令市議会議員選挙では札幌、千葉、大阪、福岡等11の市で前回を下回る結果となった。

 確かに、町には選挙カーがあふれ候補者氏名の連呼に余念がないが、国政選挙と違って市議会議員選挙等で、有権者の関心が高いとはお世辞にも言えない。普段顔を見たこともなければ話をしたこともない。そういう人から、いきなり候補者です、よろしくと言われても、今ひとつピンとこないと言う人は多い。しかし本来、国政より、自分が住む所の地方政治こそが最も身近な問題であるはずだ。その身近なことを託す議員や首長の選挙が人々の関心を失いつつあるとすれば問題だ。

駅前でビラを配る候補者たち=千葉県市川市(画像の一部を加工しています)

 地方議会議員や首長に成り手がないとの問題もある。後半の町村議員選挙は18日告示されたが、全体の30.3%に当たる1250人が無投票当選だった。総務省に記録が残る昭和26年以降最も高い数字だ。こちらは、人口減少や少子化が影響する。全体のパイが狭まれば、成り手も当然不足する。

 地方政治を考える上で、外国のエピソードを紹介したい。

セーターにジーパンで議場に入るドイツの市議会議員

 10年ほど前のこと、ドイツのハーナウ市議会を訪ねることがあった。ハーナウ市はフランクフルトから少し行ったドイツ中央部の風光明媚な町で、メルヘン街道の起点にあたる。グリム童話はここで生まれ、今でもドイツ民話の雰囲気が町のいたるところにあふれる。人口は9万8千人(21年末)だ。

ドイツ・ハーナウ市議会のHP
出典 

 市議会に着いたのが夕方6時過ぎ。まだ議会の開会前だったのでしばらく待っていると、少したって議員が三々五々集まって来た。皆ラフないでたち。市議会議員だから背広にネクタイと勝手に想像していたが、誰もがセーターにジーパン、ポロシャツに綿パン、女性も普段の服装と、特別着飾る風でもなく、そのあたりにいる男女がプラっとやってくるといった感じだった。ドイツでは、今でこそ連邦レベルでも緑の党や極右の議員がこういう服装をするが、当時、日本と比較し余りの違いに戸惑った。

 聞けば、議員は皆それぞれ本業があるという。なるほど、議会開始時間が夕方というのも頷ける。議員は自分の仕事を終え、あたふたと議場に集まって来たのだ。

 しばらくして議長が開会を宣言した。議長は高校の先生だ。当日、議題は多岐にわたり、ごみ処理場問題、通学路整備、騒音対策といった、いずれも住民に直接かかわる身近な問題だ。議員自身、自分や家族の問題としてかかわっているから議論は真剣そのもの。無論、議員は、関係する住民と普段から話し合いの機会を持っている。

議員の夕食は持参のサンドイッチ

 一通り議論が行われた午後8時頃、休憩が宣言され議員は隣の控室に移った。そこには小さな立ち机が並び、議員が机の横で何やら小さな包みをカバンから取り出す。何かと思ったら各自が持参した弁当だ。ドイツの弁当はハム、チーズを挟んだサンドイッチが一般的だ。水筒のコーヒーをすすりながら手早く食事を済ませる。仕事場から直行してきたので夕食をとる暇がなかった。だから議員は休憩時間を利用するしかない。休憩後、10時ころまで議事が続行された。

 議員に支給される俸給は原則ない。皆、無報酬。生計は各自、本業で立てている。議員はあくまで市民の無料奉仕だ。ここでは料亭政治も無縁だ。料亭の食事に代わり各自持参のサンドイッチが議員の腹を満たす。

 議員は、自らの問題を自分たちで考え解決する重要なポストだ。自分たちの問題は自分たちで処理する。その意識がドイツ地方議会制度の根底にある。その代表が議員だ。自らが進んでその役目を引き受けた以上、それが無給であっても責任は果たす。仕事帰りの疲れた体でも、住民のため必要であれば時間を割くことを惜しまない。議員は特別待遇の名誉職というより我々の仲間の代表といったところだ。

議員報酬を上げるだけでは解決しない

 日本でも「仲間の代表」は至る所にいる。小は学校のクラス会に始まり、もっと大きいところでは村の寄合いや仕事仲間の組合など、皆この類だ。自治は日本のそこかしこに根付いている。ただ、政治となると必ずしもそうとは言いきれない。

 特に地方議会は見えにくい。住民にとり、議会がどういう活動をしているのか、今一つ見えてこない。どこか遠隔の地の存在といった感じだ。候補者が名前を連呼するからといって、その存在が急に身近なものになるわけではない。

スーパーの前で演説する山形市議選の候補者=2023年4月20日午後、山形市

 都市化の問題も大きい。都市化の進行で、住民一人ひとりの地域に対する帰属意識がすっかり薄れてしまった。人々のつながりは希薄で隣に誰が住むかもよく分からない。そういうところで地域の問題を自分の問題として議論しようとしてもそう簡単にはいかない。

 ドイツは日本と事情が異なり同列には論じられない。ドイツは、元々地方分権の歴史があり、日本のような中央集権のところとは事情が違う。何でも中央が方針を決めるところと、地方がまず主導権を握るところとでは、住民意識に違いが出るのは当然だ。

 ドイツは極端な例かもしれない。日本で、議員や首長の成り手がなく、少しでも報酬を上げポストを魅力あるものにしなければならないと言っているのに、無報酬のドイツの例は極端に過ぎる嫌いがある。それはそうだ(但し、先進国で、市議会議員が無報酬ないし、低額報酬であるところは少なくない)。

 ただ、自分たちの問題は自分たちで解決するという自治の意識がドイツで深く根付いていることは重要だ。それが地方政治で存分に発揮されている。少なくとも、世界にはそうやって地方政治が行われるところがあるということは念頭に置いておきたい。日本で報酬をどれだけ上げることになっても、だ。

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