犯人の人物像や目的を報道しなければ……
一方で、仮にテロが起った時、そのテロ犯の人物像や目的を一切報道せず秘匿してしまったらどうなるでしょう?
人の口に戸は立てられず、人の想像力と噂を止めることは出来ません。テロ犯について様々な憶測に基づく流言飛語が飛び交い、「偽の人物像」「偽の目的」が世の中に流布することになります。場合によっては、例えば関東大震災における朝鮮人虐殺事件のように、流言飛語によって「犯人の人物像と合致する」とか、「犯人の目的を共有する」とかとされた集団に対する、差別、暴行、暴動すら起こしかねません。
さらに、「テロ犯」であれば、一切その属性を報道することなく処罰できるとなれば、国家権力が都合の悪い人物に「テロ犯」の汚名を着せて、秘密裏に処罰してしまうことも可能となってしまいます。実際、ナチスは1933年の国会議事堂放火事件でそれを実行し、独裁的権力奪取への第一歩を踏み出しました。
また、テロ犯が目的とした社会問題に対応すると次なるテロを惹起すると言いますが、その社会問題に対応せず放置したら、その社会問題に苦しむ人がより一層、不満と絶望感を募らせ、それが次の、より苛烈なテロを誘発する事態も十分考えられます。貧困と民族問題を放置する限り、中東で頻発するテロに終わりが来ないことに、異論のある人は少ないでしょう。
さらに、「テロ犯が目的とした社会問題には一切対応しない」となったら、これも偽のテロ犯をでっちあげて、都合の悪い社会問題に蓋をすることが可能となってしまいます。もし細野氏の言う様に、山上容疑者が目的としたという理由で、「カルト被害防止・救済法案」を成立させないということになるなら、他ならぬ統一教会が、でっち上げのテロを自作自演すれば、自らに都合の悪い法律の成立を妨げることが出来ることになり、それこそ次のテロを惹起しかねないのです。
テロ犯が目的とした社会問題に対しては、テロを理由としてそれに対応することも、テロを理由としてそれに対応しないことも、いずれもテロに影響されていておかしいのであって、その社会問題が対応すべきならテロと無関係に対応し、対応する必要がないものならテロと無関係に対応すべきでない、に尽きると思います。
結局のところ、「テロ犯の人物像や動機を報道し、テロの原因となった社会問題に対応するとテロを誘発するから報道/対応するな」と言う、細野議員や武井議員の主張は、「報道/対応した場合のデメリット」ばかりを言い募って、「報道/対応しなかった場合のデメリット」を全く考慮していない、極めて片面的なものだと言わざるを得ません。

安倍晋三元首相を銃撃した山上容疑者を取り押さえる警察関係者=2022年7月8日
、奈良市の近鉄大和西大寺駅北側
リベラルは「お花畑」な考え方ではない
このように書くと、「ではお前は、テロの誘発の危険を放置するのか? これだからリベラル(私はかねてより「根がリベラル」を自認しています)はお花畑だ」などと揶揄(やゆ)されるのかもしれません。
しかし、それに対して私は、明確に、「リベラルとは、ノーコストで自由を享受できるというお花畑な考え方ではない。自由を維持するために負担するコストを理解したうえでなお、覚悟を持って自由を守る考え方だ。私はテロを誘発する抽象的危険があるとしてもなお、崇高な自由を守るために、覚悟を持って、テロ犯の人物像と動機を報道し、テロ犯と無関係に、必要に応じて、社会問題に対応する。それが自由と民主主義を守り、テロを撲滅する道だ」と答えたいと思います。