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岸田総理襲撃事件から考えるテロと言論の自由~覚悟すべき自由のコスト

民主主義社会におけるテロへの正しい対応とは何か

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

「自由」は社会からテロをなくす重要な要素

 私事になりますが、私は30代の頃、アメリカに留学していました。最初はボストン市中心部のタワーマンションに住んでいましたが、家賃が高いうえ、周りは金持ちの白人ばかりで、一介の貧乏研究者の私にはどこか居心地の悪い所でした。気晴らしに外に食事に行っても、レストランはマッチョな白人のお兄さんと、素敵な白人のお姉さんが我が物顔で騒いでおり、なんとなく馴染めませんでした。

 1年を過ぎたころ私は、ボストン市内のドーチェスター(Dorchester)と言う移民の多く暮らす地域の小さな家の3階に引っ越す事に決めました。そこは当時、殺人事件も頻発し、何人もの研究者の仲間から「本当に大丈夫か? 止めた方がいいんじゃないか?」と言われました。

 でも、住んでみたらそこの生活は、楽で、そして自由でした。私は異邦人だけれど、周りも異邦人、誰に差別されることもない、自由で居られることが、こんなにも楽で、楽しいのかと、私は思いました。

 治安も命も、もちろんとても大事なものです。しかしそれと同時に、自由であり、そして同じ人間として扱われることは、時に人間にとって、もっと重要なことなのです。

 そして、自分は自由であり、他の人と全く同じ人間として扱われているという確信こそが、私は社会からテロをなくす最も重要な要素の一つだと思います。

人を正しい方向に導くのは「真実」

 繰り返しになりますが、私は、木村容疑者の岸田総理に対するテロも、昨年7月8日の山上容疑者の安倍元総理に対するテロも、民主主義社会を脅かす言語道断のもので、かけら程も肯定するつもりはありません。

 しかし、テロは現実に起こってしまい、起こったことは、幾ら人物や動機についての報道を制限しようが、対策法案を否決しようが、テロ犯が目的とした社会問題を放置しようが、なかったことにも、この世から消え去りもしません。人々は、そのテロ犯の人物像や動機に思いを巡らせ、テロの社会的背景を様々に分析します。

 そうであるならば、その人々の動きを最も正しい方向に導くのは、「真実」しかないと、私は思います。それぞれの報道機関、それぞれの個人が、自らの知る「真実」を、自らが適切と思う方法で伝え、そしてそれぞれが自らが適切と思う対応法を自由に議論する、それが、民主主義社会がテロに対峙するする最も正しい方法だと私は思います。

 そしてその過程において、仮に一定のテロを惹起する抽象的危険があり得るとしてもそれは、それをしなければ社会が被り得るより大きな損失を避けるためのコストとして、覚悟を持って対峙(たいじ)すべきだと思います。

ペンはテロよりも強し

 私は、覚悟を持って言論の自由を守り、目の前に現れた社会問題に適切に対処し続けることこそが、国民一人一人に、自分は自由であり、人間として尊重され、自分が関わる社会問題に適切な対応がなされているという確信を広めるものであり、テロを撲滅する最善の方法だ信じています。そして、政治家としてその実現のために、微力を尽くしたいと思います。

 ペンはテロよりも強し――

 この言葉で、私にとって思い入れ深い「論座」の最終稿を閉じさせていただきます。今まで大変ありがとうございました。


筆者

米山隆一

米山隆一(よねやま・りゅういち) 衆議院議員・弁護士・医学博士

1967年生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学系研究科単位取得退学 (2003年医学博士)。独立行政法人放射線医学総合研究所勤務 、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院研究員、 東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座特任講師、最高裁判所司法修習生、医療法人社団太陽会理事長などを経て、2016年に新潟県知事選に当選。18年4月までつとめる。2022年衆院選に当選(新潟5区)。2012年から弁護士法人おおたか総合法律事務所代表弁護士。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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