都市住民への農産品のために野焼きが広がり、古都チェンマイはスモッグが覆う
2023年04月25日
経済発展を続けるタイで乾季が終わる3~4月には深刻な大気汚染が発生する。タイ国内のみならず隣国のミャンマーやラオスで山岳少数民族が焼き畑農業のための野焼きをするためだ。この原因を辿ると貧困と教育の問題に行き着く。論座のレギュラー筆者である小田光康さんが、教鞭を執る明治大学情報コミュニケーション学部の学生らとともにタイ北部の最奥かつ最貧の村、オムコイ郡のラフ族集落と学校を取材しました。そのレポートをお届けします。
タイ第二の都市チェンマイは、首都バンコクから北に675キロ、山あいにたたずむ、かつてのラーナー王朝の古都だ。約1.6キロメートル四方の城壁と堀に囲まれた旧市街には仏教やイスラム教の古刹が多くあり、早朝から托鉢に回る僧侶の姿が印象的だ。日本でいえば京都のような趣きの町である。コロナ禍も終わり、避寒に訪れたヨーロッパ人でにぎわう。2015年には年間約250万人の観光客が訪れた。
夕暮れ時、スモッグで灰色に染まった空におぼろげに輝く太陽が町の裏手にあるドイ・ステープ山の稜線に沈んでいった。盆地にあるチェンマイでは近年、大気汚染が深刻な問題となっている。世界の大気汚染情報を提供するサイト「IQAir」(スイス)によると、チェンマイはヤンゴン(ミャンマー)と並び世界最悪の大気汚染都市とされる。乾季が終わる3月から4月にかけて連日、微小粒子状物質のPM2.5が異常に高い濃度が記録される。
今年の3月の夕刻、筆者が飛行機でバンコクから向かうと、眼下に見えたチェンマイの町は濁った空気で包み込まれていた。市内で一晩過ごし、翌朝になると目がチカチカし、喉がチクチクと痛み始めて咳込むようになった。車のフロントガラスにはうっすらとほこりが積もっていた。地元のテレビ番組でも連日、スモッグによる健康被害のニュースが流れていた。チェンマイ市内の病院では治療を受けられないほどの患者で溢れている。
この深刻な大気汚染の原因は、山間部で生活を営む山岳少数民族による大規模な野焼きだ。これはタイ国内に限った話ではない。隣国のラオスやミャンマーでも広範囲で野焼きが行われ、その煙が四方を山々に囲まれた盆地のチェンマイに滞留してしまう。
チェンマイ市内の中心部から南西へ30分も車を走らせると山岳地帯に入る。急な坂を登り切ると、目の前には山全体が真っ黒に焼け果てた荒地が広がっていた。雨季に入る直前に山を焼き、豚や牛などの家畜の飼料となるトウモロコシが主に栽培される。
本来、山岳少数民族がこれまでしてきた自給自足のための焼畑農業は自然の力を生かす循環型農法だ。だが、近年では必要以上の野焼きが行われるようになった。発展途上国の経済成長で、東南アジア諸国や中国で食肉の消費量が急増し、それに伴って家畜飼料の生産量も劇的に増えた。これがタイ、ミャンマー、ラオスの国々で見られる大規模かつ広範囲に及ぶ野焼きと煙害の原因だ。
この深刻な野焼きの被害は都市の人々を苦しめるだけでなく、山岳少数民族らの生活も脅かす。トウモロコシは吸肥力が非常に強く、一度栽培すると土地が痩せてしまう。これをよく知る「山の民」でも、目先の現金収入を求めて次々と山を燃やしていく。そして、気付いた頃には自分たちの住処である山々が荒廃しきってしまう。痩せた土地に大量の肥料を撒き、土壌汚染に発展する。丸裸になった山の斜面はいったん雨が降ると簡単に崩落する。
チェンマイ市内から南西に6時間ほど車を走らせるとオムコイ郡のラフ族の村に到着した。距離にしてチェンマイから150キロにも満たないが、やたらと時間がかかった。狭く曲がりくねった山道が続き、途中から未舗装の埃りにまみれたガタガタ道を進んだ。村の中は高床式の簡易な住居が立ち並び、豚や鶏、そして犬があちこちを駆け回っていた。標高約1700メートルにあるこの村はタイ国内で最奥、そして最貧の地として知られる。
ラフ族は山岳少数民族の一部族。チベット地域が起源とされ、中国やミャンマー、ラオスなど広範囲に居住し、タイ国内には約10万人が生活している。文字を持たない独自のラフ語を話す。この言語は多種ある山岳少数民族間の共通言語として利用されている。
村では澄んだ青色や緑色の鮮やかな民族衣装を身に纏った若い女性や、黒を基調にした民族衣装を着た老婦の姿が目立つ。男性は早朝から大きな鍬を持って野良仕事に出かけるため、男性は日中ほとんど村にいない。生活の足である小型スクーターにナンバープレートはほとんど付いていない。行政が行き届いていない証拠だ。小学生でもこれに跨がり泥道を駈ける。
村には水道もガスも無い。電気は通じているが料金は高く、炊事にはいまだに薪が用いられる。自宅で夕食を招いてくれた村の女性リーダー、ナピーさんは「料理は薪の方が美味しさが増す」という。筆者が村の簡易宿に泊まった夜、卵料理や鶏肉と野菜の炒め物を振る舞ってくれた。村では自給自足の生活が営まれている。現金収入はアボカドやキャベツ、芋類やコーヒー豆で得ている。
「東京を訪れてお寿司を食べてみたい。富士山にも行ってみたい」
ナピーさんは東京や日本のことをよく知っている。タイで最も貧しいこの村でも、ほとんどの人がスマホを持ちSNSも利用している。普段は前近代的な生活を送りつつも、ナピーさんはスマホで日本のニュースをチェックしているのだ。
山の上には大きな2本の電波塔が建っていた。4年前にタイ政府が設置した。住民の家屋にはテレビアンテナが取り付けられている。これもタイ政府の補助によるもので、インターネットやテレビ放送を通じてタイ語に触れさせ、タイ国内情勢を知らしめる。これらは山岳少数民族への支援策とタイ政府はいうが、実際には山岳少数民族の国民化政策である。
この村は1990年代まで反政府運動が盛んで、軍資金のためにケシ栽培と麻薬生産が行われていた。
「十数年前からケシ栽培をやめて、コーヒー栽培に切り替えています。アヘンのせいで村の人々の多くは麻薬中毒になってしまいました。貧しいので男性はチェンマイやバンコクに出稼ぎに行きます。コーヒーを育てて、村の生活の向上に役立てたい」
ナピーさんは中国製の「OPPO」のスマホを片手に、グーグル翻訳を使ってタイ語から日本語に翻訳して、筆者の質問に答えた。そして、一生懸命、こう訴えた。
「日本は豊かで、東京にはカフェがたくさんあります。そこで私たちのコーヒーを売ってきてください。そのお金で村の子どもたちに大学に行って欲しい。村の学校の先生やお医者さんになって、村の生活をもっと良くしたい」
ナピーさんら村の有志の女性らは、タイ国立チェンマイ大学農学部の先生の指導を受けながら、山の斜面の高木のたもとにアラビカ種のコーヒーを植えている。無農薬の有機栽培で食の安全を保っている。直射日光も当たらず高品質だ。しかも、トウモロコシよりも価格が高いコーヒーの栽培なら、野焼きをしなくても済む。大気汚染の抑止策にもなるのだ。
ただ、ジャングルの中をかき分けて、急斜面でコーヒーの果実を一つ一つ摘むため、非効率な重労働となる。平地の大規模プランテーションで生産するブラジル産などのコーヒーとは価格競争ではまったく不利だ。
村にはいまだタイの戸籍を持たぬ村民もいて、タイ人の文化や生活様式になじめない者も多い。児童労働や雨季の通行止めで学校に通えない児童も少なからずいる。都会とかけ離れた生活を強いられるため、タイ族の教師の村の学校での定着率は低い。また、現実的にラフ族への蔑視もある。山の民を示す「タイ・ヤイ」というタイ語は差別語でもある。
村の高台には白色と青色で塗られたひときわ目立つ2階建て、3階建てのコンクリート造りの建物が立ち並んでいた。
筆者が校内を訪れると、整備が行き届いたグラウンドで子どもたちが縦横を合わせて整列していた。小学生と中学生は白いシャツに黒か紺のズボンかスカート、幼稚園児は華やかなラフ族の民族衣装を着ていた。朝礼が終わると園児はすぐさま敷地内の遊具へ向かい、追いかけっこをしていた。
ここはこの村の学校、公立バン・ムーサー初等・前期中等学校だ。このほか、タイ語と薬物乱用防止のための学校もある。3歳から6歳が幼稚園、6歳から12歳が小学校、13歳から15歳が中学校に通っている。児童・生徒は343人で先生は27人が在籍している。
「この学校を卒業した子どもの98%が農家になります」
そう語るのは、この学校で保健体育を教えるナタポン先生だ。チェンマイ市内の体育大学を卒業した後、オムコイ村で教鞭を執ることになった。オムコイ村はタイ都心部から隔絶した辺境の地。子どもたちは成人になるまで村から出ることはほとんどなく、外部と接触する機会もない。家族をはじめ周囲のほぼ全ての村の人々が農業に従事しているため、子どもたちも農業以外の選択肢が想像がつかないのだ。
ナタポン先生は村内で暮らしながら教師のかたわら、妻と一緒に小さなコーヒーショップ「ナピポコーヒー」を運営している。この村で収穫した自慢のコーヒーで筆者をもてなしてくれた。
このコーヒーは1杯50バーツ、日本円にして約200円する。アラビカ種のカチモール品種を高地用に品種改良した「チェンマイ品種」で、さっぱりとした酸味が特徴だ。タイ国内ではオムコイ産のコーヒーは最高品種で、値段も高い。中でもラフ族村落産は標高が最も高く、希少価値が高い。
4年前、政府の援助によりインターネットが使えるようになった。タイ政府は村へテレビや通信設備を無償提供している。新品のスマホでも日本円にして1万円以下の格安で購入できる。これらはサッカーや格闘技などのスポーツ観戦、FacebookなどのSNSの利用が好きな村の人々にとって嬉しい出来事だった。
ただ、これらのメディア上の言語はタイ語だ。それを日常的に目にし、耳にすることでタイ国民への同化政策の基本である言語の統一が進む。これは知らぬ間に、ラフ族独自の文化や歴史が失われる可能性を秘めている。
さらに、同化政策の一端は教育の側面からも垣間見ることができる。1959年、タイ政府は山地民開発委員会を発足し、山岳少数民族への教育支援が始まった。タイ語を話すタイ人の先生を少数民族の村へ派遣し、授業も全てタイ語で行った。それは教育機会の提供というより、タイ国民への同化を進めて国境付近の治安維持やケシ栽培の横行などの問題解決を目指したものだった。
ただ、1980年代に入ると山岳少数民族独自の文化や風習が失われることを懸念して、これらの伝統を重んじる教育に焦点が当たるようになった。
実際に筆者が幼稚園の教室に入ると、壁にはラフ族の歴史や伝統的な子どもたちの遊び、古くから続いている耕作風景などを表した絵が飾られていた。ナタポン先生も「自分たちの民族の歴史を知ることで、アイデンティティや文化を維持することができる」と語った。
幼稚園の教室に入ると、タイ語の絵本が書棚に収められ、英語の教材もあった。また、子どもたちもタイ語や英語が話せることは誇りだ。ラフ族の子どもは普段はとてもシャイ。ただ、教室にいた筆者に本棚から絵本を持ってきてタイ語の文章を自慢げに読み上げる子どもや、壁に貼られている簡単な英単語を発音する子どもがいた。
大規模で広範囲な野焼きをして、トウモロコシを生産するのは、都会の富裕層のためだ。これが深刻な大気汚染問題を生み出し、山岳少数民族へのさらなる蔑視や差別が拡がる。この社会の分断を解決するには、少数民族への多様性のある開かれた教育機会の向上がなによりである。子どもたちの将来への希望は教育にある。
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