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益川敏英さん、コトバの爆発

「科学・環境」キック・オフ・インタビュー 聞き手 編集委員・尾関章 

 科学を、技術を、環境を、科学者も科学者でない人も一緒になって論じ合う時代がやってきた。その舞台となるのが、ここに産声をあげたばかりのWEBRONZA「科学・環境」ジャンルである。キックオフとして、ものを言う科学者の代表選手である益川敏英さんにご登場いただき、そのインタビュー全文をお載せする。

 益川さんは、素粒子物理の理論家で、名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長であり、 京都産業大学益川塾教授・塾頭でもある。2008年に南部陽一郎さん、小林誠さんとともにノーベル物理学賞を受けた。小林さんと手がけた「小林・益川理論」は、自然界の対称性の破れに迫ったもので、ものの根源であるクォークという粒子が6種類あることを予言、それは見事に実験で裏づけられている。

 益川さんは受賞決定後、お茶目な立ち居振る舞いや「英語が苦手」などのエピソードで、一躍、国民的な人気者になった。だが、本当の魅力は、ときに科学者の枠をはみ出すほどに大胆なコトバの発信力にある。

 このインタビューでも、「なぜ世界2位ではダメなのか」論への反駁とか、ポスドク受難の時代に学生や院生に前向きな気持ちで異分野へ踏み出すよう促す「転進の勧め」論など、縦横無尽に持論を展開していただいた。

 ちょっと長いが、最後までご堪能いただきたい。(インタビューは11月15日、京都市に京都産業大学で。当日、ニコニコ生放送がライブ中継した。今回の記事では、一部わかりにくいところなどを削ったり補ったりした)

拡大京都産業大の教室でのインタビュー風景(写真は、いずれも渥美好司撮影)

尾関章 みなさん、こんにちは。私は、朝日新聞の科学記者をしています尾関と申します。今ここは京都・洛北の京都産業大学の教室なんですが、周りは秋の紅葉がきれいになっています。ここに私が参りましたのも、ノーベル賞を2年前にお受けになった益川敏英先生、益川さんを訪ねてお話をうかがおうということでやって参りました。

実は、私ども朝日新聞の科学記者が、この12月からWEBRONZA科学・環境ジャンルというのを始めます。科学をめぐるいろんな議論を大いにみんなで語り合おうと、科学者の方も、それから科学者じゃない方も、いろいろ物を言ってもらおうとそういうことで、ブログ感覚でいろんなことを書いていただく、そういう試みであります。そのキックオフに、ものを言う科学者の代表格と言ってもいい益川さんにご登場いただこう、という趣旨です。

 益川さんのご紹介ですけれども、やっていらっしゃるお仕事は素粒子論、大変に難しいお話になってしまいます。プラスマイナス逆転の世界がなぜないんだろうかという謎に迫られたご研究でありますとか、あるいは、この自然界の物質の一番の「素(もと)」であるクォークが6種類あるんじゃないか、というようなご研究などをされてこられました。

 きょうは、そういう話は一切無しで、もっと幅広く語っていただこうと。科学の目で社会を論じ、社会の目で科学を論じるというような、そんな感じできょうのお話を進めていければ思います。

 それでは、益川先生、よろしくお願いします。

 益川さんにまずおうかがいしたいのは、さきほど申しましたが、2年前、まさに南部陽一郎先生、小林誠先生と3人でノーベル物理学賞をおとりになられたわけですけれど、それは10月に発表があり、12月に授賞式。このWEBRONZA科学・環境ジャンルが始まりますのが12月1日ですので、ちょうど授賞式間際ということになるわけですね。そういう意味で、ちょっと2年前の思い出を語っていただきたいんですけれども、どうでしょう?今でもやっぱり2年前のあの興奮というのは、鮮烈なご記憶としてご自身に残っていらっしゃいますか。

益川敏英さん いや、あまり印象はないですね。

尾関 あ、印象がない?

益川 ただ海外旅行をしたと。

尾関 なるほど。

益川 孫たちを連れて。

尾関 初めての海外旅行でしたね?

益川 はい。

尾関 それ自体がすごい話題でした。(笑)

益川 いや、何も特殊なあれがあるわけじゃなくて、英語がしゃべれないから、それだけの話です。

尾関 授賞式はストックホルム、北欧スウェーデンのストックホルムですけれども、そのストックホルムの思い出といいますか、街の思い出というより、その授賞式の思い出で、一番印象に残っているのは何でしたでしょうか。

益川 全体の流れがゆったりしている。「ノーベルウィーク」という言葉があるんですけれども、そのように確かにいろんな行事が重なっているんですけれども、ノーベル財団としては十分ゆったりと(予定を)立てている。別な言い方をすると、そこにほかのものが割り込んでほしくないという……。だから、ある団体が勝手に今時間が空いているというので会合を割り込ませようとしますとね、いや、そうすると、非常に強いお怒りのメッセージが来ます。

尾関 なるほど。

益川 実際に日本の中で、それでかなり情報をコントロールしようとしたんですね。そうしたら非常に強いおしかりを受けた。

尾関 ああ、なるほど。

益川 だから、何ていうかな、僕はそれを称して「お茶の心に似ている」と言っちゃったんですけどね。

尾関 ああ、「おもてなしの心」というお話を、朝日新聞の紙面にも書いていただきましたよね。

益川 だから、お茶は、観客はないんですね、あれ。亭主と客があるだけで。だから、何人集まって来ようが、亭主と客、そういう感じでしたね。

尾関 じゃあ、まあ、ノーベルウィークというのが一つの文化として定着していて、それは、まあ、言ってみればお茶のセレモニーみたいな、ある意味で侵しがたいものなんだという感じであるということですか。

益川 はい。

尾関 そういうことも含めて、ことしは鈴木章さんと根岸英一さんという2人の日本人がノーベル賞を、化学賞ですけれど、お受けになります。アドバイスというか、2年前の先輩からのなにかございますか。

益川 いやまあ、10月からずうっと行って、11月まではいろんなことが起こりますね。そこから先は個性だと思います。私みたいなおっちょこちょいだと、ついうっかり変なことをしゃべってしまったものだから、それが原因となる会議も増えました。

尾関 なるほど。ストックホルムではどんなことに、まあ、気をつけられたらと言うとちょっと違うかもしれませんが、どんなふうに過ごされたらいいよっていう、なにかご助言はありますか。

益川 まあ、気候、天気が良ければ快適な、特にどうっていうことはない。外も、それほど防寒具を着けて歩かなくても歩けるぐらいなんですね。しかし、雪っていうか、そういう天気が荒れると大変だろうなと。それは体験していませんのでわかりません。しかし、僕自身は何もなかったんですけれども、よく言われることは、行きと帰りの飛行機によって時差という問題に遭遇するとかなり苦しいらしいですけれど、僕は全然関係なかった。(笑)

尾関 いろんな方との交流というのも、さきほどのすごく決められた日程かもしれないけれど、あるわけでしょうか。

益川 はい……。いや、ノーベル財団というのはなかなかおちゃめで、記者さんが、今年の発表は30分も遅れたけどどうしてかと。そうしたら、ノーベル財団は、発表の当日まで答えを決めていないんですね。朝集まって、そこで最終的に決めて発表と。だから、リークするということは基本的にないと言っていましたね。そのときに「なぜ、今年は30分遅れたんだ」と言ったら、「そんなに遅れることに興味があるんだったら、来年は1時間遅らせましょうか」と。

尾関 今、益川先生がおっしゃっているのは、10月の発表のときのことですけれど、確かに2年前、益川先生たちのノーベル賞の発表は30分遅れで発表があって、われわれはすごく気をもんだ記憶がありますね。

益川 はい。

尾関 事前にリークはないというけれど、今年はノーベル医学生理学賞で、地元の新聞が発表前に大きく報じたんですね。

益川 だから、それはまあ、報じたということなんですね、確信を持って。だから、それはリークかどうか。

尾関 なるほど、だからまあ、当日は当日でやっぱりちゃんと会議をやったんではないかということも考えられるわけですね。なるほど、わかりました。

そのノーベル賞について、もう少し本質的なことをうかがいたいんですけれどね、やっぱりノーベル賞、功罪があるんじゃないかと。いいこともあるし、あまりノーベル賞を過度に、とくにメディアに対して言われることかもしれませんけれど、過度に評価し過ぎているんじゃないかというようなことを言われることもある。そのノーベル賞の功罪を、われわれが言うんではなくて、やっぱりノーベル賞を実際にお受けになった益川さんがおっしゃられると、またちょっと違うと思うのです。益川先生はどういうふうに考えていらっしゃいますか。

拡大益川敏英さん
益川 ノーベル賞の物理学の第1回目はレントゲンなんですね。

尾関 はい。

益川 そもそもノーベル自身は、世の中の役に立つ科学というものに、その価値を持って見えたんだと思うんだけども、その後に起こったことは、第1回目は、さきほどレントゲンだと言ったんだけれども、X線というのはミクロの世界、分子原子で起こっている現象なんですね。

尾関 ちょっと申し訳ありません、なにか今メモが入りまして、ちょっと音声の調子が悪いということで、20秒程度ですか、配信を止めたいということで、またその後続けたいと思います。

《いったん中断》

尾関 はい、よろしいでしょうか。音声が復旧したようです。今お話は、そのノーベル賞の功罪ということに入っておりました。益川さんは、ノーベル賞の初期のころのレントゲンの話をされておりましたね。その話をどうぞお続けになってください。

益川 はい。ノーベル賞の物理学賞の第1号はレントゲンなんですね。

尾関 はい。

益川 レントゲンというのは、ミクロの世界で起こっている現象がわれわれの世界に来たときにX線となっている。そうなんですけれども、そのように20世紀に起こったことは、ミクロの世界の現象、それから、相対性理論のように非常に速く動いたものには不思議なことが起こると……まあ、動いている人と止まっている人では時計の進み方が違うみたいなね。そのように非常に驚異な出来事が次々と起こってきたと。そういうものにノーベル財団は賞を与えてきているがゆえに、ノーベル賞が偉大になっていったわけですね。

尾関 ああ、なるほど。

益川 これは、私(だけが)こんなことを言っていたわけじゃなくて、ノーベル財団が発行している雑誌があるんですけれども、そこが取材に見えて、私がしゃべったところを採用、きちんと書いてありました。

尾関 なるほど。

益川 だから、そのように偉大な仕事に対して賞を与えていく。だから偉大になった。しかし、そういうものも、だんだん間隔が開いてくるわけですね。実際に実験しようと思っても、いちばん最初は畳1畳ぐらいのところでできたのが、もう30キロもあるようなトンネルを掘って。

尾関 巨大加速器みたいなものですよね。

益川 そんなものを使わないと、自然からその自然の姿を教えていただけないと。そういうことのために巨大化していって……その段階で、X線を使った画像の技術っていうか、それに対してノーベル賞が与えられた(注=1979年、X線CT〈コンピューター断層撮影〉で医学生理学賞)。そのように、ある意味ではノーベルが考えていたような姿に戻ったんじゃないのかなと僕は思う。

尾関 ああ、なるほど。

益川 だから、そういう意味で、基礎科学というところから基礎的な科学技術というところまで光が当たるようになってきたんだと思いますね。まあ、賞の精神も変わってきた。ノーベル賞の功罪といえば、罪の方は、なんというんだろう、罪といえるのかどうかわかりませんけれども。

尾関 罪というより……。

益川 非常に、いただいたほうから見ると生活がしにくくなる。

尾関 お忙しくなったということ?

益川 うん。ある意味では話を聞いていただきやすくなったという側面はあります。私が話すんだということになれば、それなりに聞いてくださいます。しかし、少々忙しいと。

尾関 まあ、そうでしょうね。ただ、今おっしゃられた、世の中が益川さんのご発言を聞きたいと思うという、これはまさに「功」だろうかなと。実は今日のこのお話も、さきほど冒頭に私が申し上げたように、ウェブ上で科学のことをもっと語ろうよっていう、そういう試みを私どもが始めるわけですけれど、そのことで、ぜひ益川さんのお言葉をいただければと思うんです。前にインタビューしたときに、今の若者に向けて、「もうちょっとハチャメチャでいいんじゃないか」と。「ハチャメチャ」という言葉をよくおっしゃられて、ちょっとなにか、いろんな問題に対して静か過ぎるんじゃないかっていうご印象ですか、やっぱり。

益川 はい。僕がそのときに言いたかったことは、若者だから、多少未完成な意見であってもいいと思うんです。しかし、自分がこういうことは重要だと思っていること、やりたいと思っていることは、やったらいいと思うんですね。僕は、なにも調査したりアンケート調査したりしたわけでもないんだけれども、思っていることは、70年の大学紛争、あれが影響していると。なにかっていうと、彼らは大学をこう変えたいと思ってやり始めたわけですね。少々常軌を逸した、レールから外れたところがあったものだから袋だたきに遭ったんでしょうけれども、しかし、そのあとで80年代ぐらいになると、そういう、社会に対してなにか発言をするとか、こうしたらいいんじゃないかとか、そういうことを言うこと自身、危ないと、やけどをするぞというような雰囲気が、僕の目には、出てきたように見える。だから、もっとわれわれのときだったら、それだけの実力もなにもないのに、非常にほらを吹いてみるとかね、おれはこうやってみるんだとかね、そういうことを言うことが許されたと思うんですね。それが、そういうことが言いづらくなっている、そういう社会なんじゃないかなという気がしています。

尾関 いま、益川さんは若者とおっしゃったけれども、若者だけじゃなくて、まあ、私たちぐらいの世代も含めて、昔はいろんなことを言ったのに、なんとなく言わなくなっている感じがありますよね。

益川 はい、そうですね。

拡大尾関章
尾関 ツイッターとか、そういうすごく新しいメディアを使った発言の場というのは増えているんだけど、なんとなくきちんとした議論というものがなかなかできにくくなっている。まあ、そういう意味では、そのへんのところをぜひ益川さんに励ましていただいて、興していければと思っているんですけれど……。いま、その科学――環境も含めてわれわれはやるんですけれど――そういう科学分野でですね、これは、もうちょっと議論があったらいいんじゃないのっていう、そういうテーマ、なにかございますか。

益川 いや、なにか急に言われると、こっちは困るんですが……。多少関心があることはやっぱり教育問題で、どこが一番大きな問題かというと、複線化とか、なんとかかんとかいう中で、大学関係者、それから高校の先生などを含めて、教官が非常に忙しくなっている。そのために、なんというかな丁寧に、たとえば――ママゴンがいけないと思うんだけれども――数学や物理が嫌いだったら物理や数学が無くても受験できるとかね、いろんな複線化をした。非常に複雑なものに。A方式、B方式だとか、なんとかかんとかってあるんですが、私、大学にいながら、あれ、わかりません。だから、この試験に使うんだから、これくらいの程度の、これぐらいの、こういう種類の問題をつくってくれと言われると「はい」と言ってつくっていますけれどね。

だけど、僕いつも言っているんですが、高校3年まで9年間の学習の到達度を見るのに、そんな複雑な制度が要るのかと。だから、僕はやさしくせよとは言っていない。シンプルにして、そういう試験にかかわる人たちの労力を軽減して、その力を子供たちに、科学に対して興味を持ちうるような体制を……。それは、実際にあるんですけれどね。

僕は、教育というものは、基礎体力の部分と、自分はこういう興味を持っているからこういう方向を強化したいというのと、2つあると思うんですね。学校でやっている授業というのは、僕は、自分は芸術が好きだからそちらを伸ばしたいとか、算数が好きだからそれを伸ばしたいという人に対して、それに対応した教育というのはありうると思うんですね。ちょっと刺激すればね、はまり込んだ子供は、夜もね、お母さんから、はい寝なさいと言われても、布団の中に隠れて小説を読むとかね、そんなことをするんですね、子供っていうのは。

その例として僕が印象に残っているのは、70年代の半ばごろなんですけれども、日本の数学者と、それから高校の先生が30人ぐらいが団体をつくってソ連の教育がどうなっているかということを調べに行ったときの、正式な報告じゃなくて、そこの中の1人が勝手に書いたものを読んだことがあるんですけれどね。こんなことをやっている。

「定幅曲線」というんですけれども――円はどちらから平行線で挟んでも幅は同じですね、そのようなもの――どちらから幅を測っても同じに見える図形というのはあるかと。そうすると、あるんですね、円以外に。それは、正三角形の頂点から、こう円を描き足す。ここからこうキュッとやる。ここからキュッとやるんですね。そうすると、おむすびみたいな形ができますけれども、つくり方からわかるように幅は必ず同じ。で、そういう図形というのは、周の長さは円と同じであるということが証明できる。これは高校ぐらいの学力では、ぽっと与えられてもできないと思うんだけれども、だけどヒントを与えてやれば、高校生でも計算できるようになる。かんたんに。高校生の数学の力で計算できるようになる。さらに先を言うと、それは三角形でいまつくりましたけれどね、いっぱいある。だから、そういうものを探すとかね。

尾関 ああ、そういう……。

益川 言ったら、夢中で、数学好きな子はやると思うんですね。

尾関 考えると。いわば難問のようなものを自分で考える。

益川 難問でも……。

尾関 難問でもない?

益川 いや、日本でいうと、難問ではないと思うんですね。サーカスみたいな難問というのは、ちょっと長い、へんてこな知恵を働かせたりできるみたいな際物ですね。

尾関 そうでなくて…

益川 正攻法で。

尾関 正攻法で考えるような、そういうテーマで?。

益川 はい。視点さえ持てば、ちょっとヒントを、こういうかたちで考えてみろと言ったら、正攻法で到達できるような。そこにいっぱいおもしろいことがあると思う。

尾関 いわばそういう、考えさせる教育が必要じゃないかということですね。なるほど、私たちも教育問題、とくに今おっしゃられた理科教育の問題なども一つの大きなテーマだなと、このように思っています。

 ちょっと話題を変えまして、このWEBRONZA科学・環境ジャンルというのを始めるにあたっての一つのきっかけでもあったんですが、昨年来、科学政策みたいなものが結構社会的関心事になったんですね。事業仕分けで「何で世界2位ではだめなんですか」というような問いかけが一つのきっかけになったと思います。このあたりのところって、益川さんご自身は、あの一連の騒動をどんなふうにお感じになられましたか。

益川 科学の世界では、「2位ではいけませんか」という質問自身が成り立たないんですね。われわれ論文書くときに、2位なんて絶対あり得ません。なぜかといったら、世界初演でなければ論文じゃない。

尾関 ああ、なるほど。

益川 なんらかの意味で1位になろうとしている。だから。

尾関 なるほど。今まであった研究より、さらになにかをつけ加えて最先端に立つということですよね?

益川 はい。だから、コンピューターでも速さで1位になるという人もいるだろうけれども、こういう特殊な場合の計算には、うちのやつ速いぞとかね、なんらかの意味でオリジナル、1位ということを目標に頑張っているわけですね。

もう一つはですね。反対に2位でもいいぞと言っちゃったら、31位になるんですよ。日本のスーパーコンピューターというのは7年ほど前につくられて世界一になったんだけれども、地球シミュレータですね。だけど、あれはもう今や31位(注=米大学などが主催したコンテスト。2009年11月現在)。最近になると、中国が世界一になったというニュースがありましたね。だから、そういうスーパーコンピューターを使ってオリジナルの研究をするんだという目標を持っているから、本当に夜も寝ずに努力できるんですね。それが「2位でもいいよ」と言ったとたんに、それはもう研究というものが成り立たなくなる。

尾関 なるほど、さすがやっぱり科学者から見て、この1位、2位問題というのは、その問い自体、あまり意味がないかもしれないというような感じを持たれたというのはなかなかおもしろいなと思います。

実際には、それは科学研究費をこういう厳しい財政状況の中でどういうふうに効率よく使っていくのかとかいう、そういう議論だったわけですね。その科学研究費抑制の動きに対して、科学コミュニティーもかなりいろいろ活発に動きました。象徴的には、ノーベル賞をお受けになった方たちが並んで記者会見されるということがありました。益川さんはお出にならなかったんですね?

益川 はい。

尾関 やっぱり、なにかお考えがあったんでしょうか。

益川 まあ、多少思うところがあったからなんですけれども、あまりこういうところで言うと角が立ちますから。

尾関 そうか(笑)。ただ、あまりそのことは言わないとして……はい、どうぞ。

益川 あのことについて言うならば、やり方が、僕、間違っていると思うんです。どういうことかと言いますとですね、研究者が要求するものをみんな認めていたら国家財政が破綻します。それはわかっています。なんらかの意味で査定をしなきゃいけない。しかし、「2位ではいけませんか」という、ああいう言い方はないだろうという気がする。

拡大
尾関 うん、なるほど。

益川 だから、僕の理想としているところはですね、僕は、裁判制度みたいなものがいいんだと思うんです。要求する側、それから査定する側があって、それをジャッジする。科学のことについてもよくわかっている人にディスカッションをさせるんですね。そうすると、査定する人が横から見ているだけでわかる、どちらが不利か有利かということが。客観的な議論で、これはどうもやる価値がある研究だなということを判断しながら決めていく、そういう制度がいいんじゃないのかなという気がしています。

尾関 なるほど。もう少し深く科学に対して関心を持っている人たちや、知識を持っている人たち、それに普通の人たちもいて、そういうところできちんとした対話が……。

益川 あって……。

尾関 あってということですよね。

益川 それを、まあ、行政側がジャッジしたらいいんじゃないかと。

尾関 なるほど、なるほど。私、あのとき、益川さんがお出にならなかったのは、ある種の志を感じましたが、ただ、益川さんがおいでになっていたら、またちょっと違ったもの言いをされたんじゃないかなっていうことがあって……。それはなんとなく益川先生の、上から目線でない視点があるのかなと思ったんですが、今のお話でなんとなくそれがわかったような気がします。

ちょっとですね、まださらにこういうお話を続けていきたいんですが、今いろんなコメントというか質問が、ご覧になっていらっしゃる方から来ています。その中の一つ、二つを。

これは、さっきちょっとうかがったんですけれど、ノーベル賞をお受けになって2年で一番変わったことは何ですか。まあ、忙しくなったというお話はありました。研究に対してもなにか変わりましたかっていうお尋ねがありますが、どうですか。

益川 それはありません。だから、関係するといえば時間の問題ですね。

尾関 ああ、なるほど。

益川 それから、ちょっといろんなところで握手を求められたりなんかするので、それがちょっと困りますね。

尾関 そうですよね。

益川 一番問題なことは、たとえば京都駅の新幹線ホームを歩いていまして、そうしたら急に握手をしてくれと手を出された。急だったんで、びっくりして飛びのきました。プラットホームの中央側へ飛びのいた。だから、なにもなかったけれども、縁のほうへ飛びのいたら、とんでもないことが起こっていたんですね。

尾関 それはそうですね。

益川 だから、いや、ちゃんと注意しなきゃいけないと。

尾関 これは益川さんが注意するというより、周りの人が、ちょっと注意したほうがいいかもしれませんね。ただ本当に、いろんなパーティなどで私、先生がいらっしゃるところへ行ったことがありますけれども、ホテルのクロークなんかでも、人だかりができたりしていますよね。あれ、すごいなと思いました。

あ、今のご質問は24歳の女性の方でした。もう一つ、22歳の男性。若い方がいっぱい見ていらっしゃる。

益川 ああ、やっぱり、(ネット中継というのは)こういうものですね。

尾関 そう、そう、そう。

物理学者になろうと考えたのはいつごろですか。物理学が嫌になったことありますかというんですが。これ、さっき教育のお話をされていて、私ちょっと言葉を挟もうかと思ったんですが、一生懸命隠れて本を読んだりするよっていうのは、これは、前にうかがった益川さんご自身の体験談でもあるのかなと思うんですね。

益川 はい。

尾関 物理学者になろうと思われた、そのきっかけをもう一度ちょっと簡単に言っていただけますか。

益川 だから、僕はある意味では同級生に比べて、だいぶ遅れていたんだと思うんですけれどね、高校に行ったときに、こういう者になりたいなんていう考えを持っていたわけじゃなくて、ただ遊んでいただけなわけですね。それが、友達が高校に行くというのなら僕もというぐらいのところで行きました。そうしたら、その年の9月に、坂田先生が、坂田モデルと呼ばれている、クォークモデルのもとになるような理論を出されたんですよ。

尾関 名古屋大学の坂田昌一先生ですね。

益川 はい。その先生がそういう理論を発表された。それを、僕は新聞で見たんだと思っていたんだけれども、どうも新聞ではなかったらしくて、多分学習雑誌か何かで見たんだと思います。そのときに、え? 科学が動いているのって。それまでね、中学ぐらいまでに出てくる話って、みんな19世紀かそれより前でしょう?

尾関 教科書の中の科学ですから。

益川 ええ。だから、科学が動いている、今生産されている。だったら、それを見学に行きたいなと、見学なんですよ。なにも自分が科学者になりたいなんて思うんじゃなくて。だから、見学に行きたいと、工場見学と思って、なにはともあれ、一つの目的ができました。で、一番決定的なことは、おやじから自分のところの商売を継げっていう圧力がかかっていた。(大学に)進学するかどうかということを決めなきゃいけない3年になって、「砂糖屋のおやじになるのに学問は要らん!」と言うんで。

尾関 砂糖問屋、砂糖商をなさっていらっしゃったんですね。

益川 はい。そう言われて、余計、砂糖屋のおやじになるのは嫌だって。おふくろが真ん中に入ってくれたんでしょうね。「一回だけ、名古屋を離れることは相ならん」ということで、落ちたら砂糖屋のおやじということで。さすがに、そのとき3年の1年間は猛勉強しましたね。記憶もの、日本史、世界史ですね、あれを覚えるときには1月――高校は、受験校みたいなところはね、学校へ行かなくてもよくなるんですね――こたつを出して、そこの中で目が覚めたら暗記をすると。ご飯を食べて、そして眠くなったら寝ると。それをひと月やりました。そうしたら、まあ、試験の結果を見れば、上出来なほど、ちゃんと覚えていました。

尾関 ああ、なるほど。

益川 ただし、試験が終わって1週間もたったら、ぼろぼろ壊れてくるのがわかるんですね。「うん?ここ、消えている」っていう、こんな感じですね。で、その後、友だちとスキーに行こうということで学割をもらいに行きました、先生のところに。そうしたら、くれない。「まだ2期校があるだろう」と言う。当時はね、国立は1期と2期に分かれていたんですよ。

尾関 1期、2期に分かれていましたよね。

益川 それで、「くれないんだったら勝手に行くわ」と言って行きました。そうすると、本当にぼろぼろ壊れたのがよくわかる。

尾関 もちろんお父様のことを尊敬されていらっしゃって、お父様のお仕事を継がれてもそれは素晴らしかったと思うんですけれど、まあ、しかし、自分はこれやりたいと思ったら、それでやっていくんだっていう、そういう思いが、今の物理の業績につながったということなのかなと。

このご質問は、物理学が嫌になったこともありますかって聞いているんですけれど、何かありますか?

益川 それは僕にはない。

尾関 ないですか。

益川 うん。

尾関 そうですか。今の砂糖商の話でいうと、ちょっと話が飛びますけれど、私、ノーベル賞ご受賞が決まった翌日のインタビューにたまたま同席していて、そのときに益川さんがおっしゃったことで、すごく印象に残っているのが、「僕は小商人(こあきんど)のせがれだから」というふうにおっしゃったことですね。まさに「草の根目線」と私は呼んでいるんですけれど、ノーベル賞というものの高みに立ってものを言うんじゃなくて、市井の人間としてものを言うんだぞっていう志みたいなものを感じました。

益川さんのお話で印象に残るのが、大学には、もっといろんな人がいたほうがいいんじゃないのって、言われることがありますよね。自分が偏差値が高くて入るのはいいとして、親の世代まで偏差値が高い人ばっかりになっちゃっている。これ、なんとかしたほうがいいんじゃないのっていうことをおっしゃいます。ちょっとそのあたりのことを。

益川 はい。われわれのとき、われわれが大学に入ったころというのは、戦後十数年しかたっていないんですね。だから、みんなスタートラインが同じなんですね。大学に入ってもっと勉強したいと思えばできた。だけど今は、親が4年生の大学を出ていて、そして、子供にちゃんと勉強部屋も与え、家庭教師もつけたらですね、同じ能力だったら絶対こっちが勝つでしょう?

尾関 なるほど。

益川 そういうことが起こり始めているんじゃないかと僕は思うんですね。学力を通じての階級化。だから、もっと大学を、そういう意味での開放をしなきゃいかんのじゃないかと。奨学金制度なんですよね。奨学金制度みたいなものが完備していて、勉強したい子はちゃんとできると。そういうものを保障していかないと。実際に今年のノーベル賞をもらう先生もですね、戦争のことを言われるし、50年代、60年代の青空天井みたいな、そういう雰囲気のことをおっしゃっているんですね。そういう、自由に、勉強が好きな子、やりたい子はできると。スポーツがしたい人は、ちゃんとそちらのほうで自分の能力を開花できると。そういうような社会で、僕はあってほしいと思うんですよね。

尾関 なるほど……。またもう一つ質問が届きました。これはまさにそういう若い人の話なんですけれども、この方はご自身がそうなのかな? 物理が専門、とくに素粒子や宇宙分野が専門の人は社会での評価が低いので就職活動の場で遅れをとっていると、あるいはアカデミックなポストも少なくなってなかなか厳しいと、このような現状をどうお考えでしょうか。ご自身がどうなのかちょっとわかりませんが、そういうことは現実にかなり痛切なものとしてありますね。どのようにお考えですか。

益川 たしかに絶対数も少ないということはわかりますし、別の言い方をしますとですね、進路の、どういうかたちで生きていくかという、そこのガイダンスも足らないように思うんですね。変な言い方しますとね、素粒子みたいなものはわかりやすいんですよ、そういう学問があるということは。だけど、今まさしく始まっている、起こりかけている新しい学問はですね、見えない、学生には。本当は一番おもしろいはずなんです、そこが。

私の経験で言いますとですね、大学院へ入ったときに、素粒子をやりたいというのが60%です。しかし、大学院へ入っていろんなことを勉強すると、なにも競争に破れてこっちへ行くんじゃなくて、新しいものにね、「おもしろい」と言って変わっていくんですよ。だから、そういうことが自然に、敗残者としてではなくて、おもしろいと思うからこちらに来たというかたちで自然にこう分かれていくような、そういう制度みたいなものをつくらなきゃいけないんじゃないかと。それに対してですね、変なことを言いますと、大学の先生は、講義はしているんですけれどね、心は研究者なんですよ。研究のほうがおもしろい。だから、そういう自分のところの学生がどういう……。

尾関 教育者ではないということですね?

益川 だから、なんていうかな、よくできるやつは、あいつがほしい、おれのところにほしいとは思うけれどね、まあ、ほかのところで、こいつはこういう能力を持っているんだから生かしたほうがいいぞというときに、そういうところまでは心配してあげない。

それは不幸なことで、かつて90年代の中ごろだったと思うんですけれども、当時の文部省が方針を変えて、それまでかなり大学院生の数をきちんと決めていたんだけれども、比較的緩くなって、もっとたくさん取りたいところは取ってもいいというような制度になったんですね。その段階でね、人気がたくさんあるところは、これだけ希望者がいるんだから増やしてやろうかということになりますね。そうするとね、あまり人気のないところでどういうことが起きるか。定員を増やさないとね、何か自分のところは人気がないということを告白しているんじゃないか……。だから、みんなね、一様に増やした。そういう側面もあるのでね。やはり大学の先生も、先生なりにね、自分ところの……あ、生産物責任法だったかな? あるでしょう?

尾関 製造物責任法。

益川 製造物責任法(笑)。あれと同じでね、学生、院生を「生産」したら、そういう人のやっぱり事後のケアをね。

尾関 最後までケアしてあげると。

益川 それは必ずしも悪いことじゃなくて、「大学院に行かずに転身します」と言ったのが、20年後にね、「今こういうことをしています」と言って肩書を見せて、そして成果を言ったとき、本当に生き生きしているんですよ。

尾関 あ、わかるような気がしますね。私、ちょっと、いまのお話でふと思いついたのが、脳の科学ですね。いま、ブレイン・サイエンスがすごく盛んになっている。これ、結構、物理をやっていた人が多いんですよね。

益川 多いですね。

尾関 ね? 60年代ぐらい、70年代に……。つまりやっぱり、物理に入ったから物理だけって思わないで、その新しい先端を切り開いていくっていう、そういうダイナミズムがすごくいいし、それをなにかこううまく、なんというか促していくような、そういうシステムとか、あるいは先生方のなにかちょっとした助言とか、そういうものがすごく大切だということでしょうかね。

益川 いまの日本では、変わるということが、なにか敗残者みたいな雰囲気があるんですね。もう少し、成功例を見せてあげて、そういう人たちが大学に来て……。

尾関 なるほど。だから、この方、25歳男性の方のご質問でしたけれど、もちろん世の中もそういうことをいろいろ考えていかなきゃいけないけれど、(質問者ご自身のお話だとしたら)ご自身も少しオープンなかたちで自分の将来を考えて、おもしろいものを見つけていくというのが、すごくおもしろい展開につながるのかもしれないなと思いました。

 まだもう少し時間ございますので、ちょっと本来の科学の話を少ししたいと思います。

益川 はい。

尾関 益川さんは、まさに基礎科学、まあ、わかりやすく言っちゃうと実用にあんまりならないことをやっていらっしゃって(笑)、この分野がまさにいま、非常に厳しい。とりわけ益川さんの分野、つまり素粒子論は、まず一つに、さっきちょっとお話が出ましたお金の掛かる装置でしか実験ができないっていうことがございますね。こういう中で、つまりどうやってその研究費を確保していったらいいんだろうか、ということをちょっとお聞きできますか。

拡大

益川 一番象徴的なことは、80年代半ばに起こったことなんですけれどね、世界の加速器計画は一国ではもうできない時代になっていたので、ある国際的な会議があって、そこでどういう性能の、どういう加速器をつくるかということを議論するということがありました。そのときにアメリカは、その方針が気に食わないものだから、自分のところで独自につくるって言いだした。それは、まあ、世界の素粒子論をやっている人から袋だたきに遭ったんだけれども、そのアメリカがですね、途中までつくって、4分の1ぐらいまでつくって……。

尾関 93年に中止したSSC(超伝導超大型粒子加速器)というやつですね?

益川 はい、はい、つくって、やめちゃったわけですね。

尾関 やめましたね。

益川 そのように、もう一国ではできない。だから、国際的にちゃんと議論をしてつくる。それは、なにも素粒子だけが変なんじゃなくて、あらゆる科学が巨大化する。実際に考古学でも、われわれ小学校のときは、老教授が1人、助手が2人、技官が3人ぐらいでこうやっていた。今や青森でね、三内丸山遺跡ですか、人を雇って数千人の単位でこうやっているわけですね。それは当たり前のことで、あるやり方で自然に語りかけてデータをもらったならば、それを使い尽くしちゃったら、もっと大規模に自然に働きかけけるより仕方がないんですね。だから、あらゆる学問が巨大化する。

そういう中で、どうするかといったら、私のSFがあるんですけれど、そういう巨大プロジェクトをつくった人がですね、世界中を行脚して自分に何票くれと。研究者には1人に1票ずつ与える。それを集めてくる。それで、それがたまって自分の計画ができるようになったら、その段階で政府から予算をもらうと。

尾関 なるほど。これは、でも研究者だけですか。普通の人も投票できるんですか。

益川 まあ、それは、たぶん研究者だけだろうと思うんだけど、それをもらうためにはやはり市民に働きかけて、こういう意味がある、おもしろさがあるプロジェクトですよと言って、雰囲気をつくるんでしょうね。

尾関 なるほど。そうやって支持を得ながらやっていくという、そういう時代になったという?

益川 もう入りかかっているんだと思いますね。

尾関 ですかね? その支持を得るときにですね、本当にいま素粒子の方々が大変だと思うのですね。昔ですと、原子の中にいくつか陽子や中性子があり、陽子や中性子の中にもクォークというのがあってと。このぐらいまではよかったんだけれども、最近は超ひも理論とか、あるいは超対称性とか、すごくわれわれの皮膚感覚からかけ離れたところへ、素粒子の理論なんかは行っていますね。

益川 はい。

尾関 こういうものを一般の人に、何というか、受け入れてもらうためにはどうしたらいいんでしょうね?

益川 まあ2つあるんですけれども、一つは、科学ジャーナリストというか、それが非常に重要な役割をしていくだろうと。研究者自身がなにか宣伝して回るということは、なかなか時間的にできない。だから、そういう職業の人が社会的に養成されていく、それが一つ。

もう一つはですね、退任教授、これを活用すると。だから、なんというかな、小遣い銭ぐらい上げたらね、「高校へ行ってクラブ活動の面倒を見て来なさい」と言ったら、喜んで行くと思うんですよ。退官後はちょっと寂しいと思っているんだからね、若者と接触する機会があると言ったらね。

尾関 たしかに。

益川 時と場合によっては、僕は身銭を切ったって行くと思う。だから、それを、なんというか活用したら。生徒さんだけじゃなくて、高校の先生もリフレッシュすることができると思うんですね。で、中学校、小学校もそれなりにそういう制度を使うことができるだろうし、反対に言ったら高校の先生の退任後も、そういう働き方があるかもわからない。

尾関 なるほど。まあ、サイエンス・カフェというような試みが最近盛んにはなってきていますけれど、そういうところで話をする人材はいっぱいいるっていうことですね。

益川 そうですね。本当、喜んで行きますよ。

尾関 なるほど。いまお話が出た、「退任後」というお話なんですが、まあ、益川先生ももう60歳は超えていらっしゃるし、私もまもなく60歳になります。60歳を超えた世代向けにですね、益川先生は、いいことをいろんなところで言っていらっしゃるんですね。それはやっぱり、ご本をたくさん読まれる。喫茶店を愛する。それから、音楽が大好きだと。これ、僕は「周回おくれの先頭を走っている」ってよく形容したりするんですけれど、まあ、なんとなく時代遅れみたいだけれども、ある意味、すごく今、一番求められているような、ゆったり物を考える時間を得るというようなことかと思うんですが、そこらあたりのご自身のライフスタイルをどんなふうに考えていらっしゃるんですか。

益川 いや、競い合ってなんとかっていうのは、「生き馬の目を抜く」という言葉がありますけれども、そういう生活は送りたくない。自分がおもしろいと思うことを夢中になってやる、それでも、そこそこのことは、僕はできると思います。僕はやってきたと思う。

人と競い合って、その人よりも1週間早く論文を書く――最近ね、1週間後だったらだめなんですよ。プレプリントサーバーって言いましてね、コンピューターでその原稿をポッと送ったらスッと行って、すうっといつでも見られるようになる。だから、1週間遅れたらね、書いたのはあれ見て書いたろうと言われちゃう。そういうせせこましい生活を、好きな人はおやりになったらいいけれども、そうでなくても仕事はできると思う。

(そういう仕事は)ちゃんと残っている。実際に自分たちの分野の仕事で、ずうっと調べてくるとですね、必ずいい仕事をこの人はしているんだけれども、この人のヒントになるような仕事は2年ぐらい前にある、ということがある。だから、2年間の余裕がある。そんなに頭が速くなくてもね、目の付けどころがよければ仕事ができる。2年間あるんですからね。

尾関 そういう、コンピューターによってほとんどリアルタイムで先着順が競われる時代であっても、オリジナリティーさえしっかりしたものであれば、ゆったり構えて、いろんなことができるよ、ということですか。

益川 はい。

尾関 はい、またコメントというか、質問が来ました。これは、なんと京都産業大学、ここの男子学生20歳ということですけれど。

益川 ほう?

尾関 先生は、勉強という大きな行為の中でですね、授業というものはどういう位置づけにあるというふうにお考えでいらっしゃいますか、と。

益川 うーん、難しいですけれどね、僕にとって授業は新しい知識が入ってくる場所ではなかった。そんなことぐらい、大体自分でもうすでに勉強していると。では何か、というと、先生がまあ、放談っていうか脱線するのを楽しみに。そういうときに質問をぶっつけて、で、その先生が一体何を言うかと。だから、授業はちゃんと聞いていましたよ、僕は。ほとんど欠席はしなかった。だけど、おおむねこうやってなにも板書をとらずにね、聞いていました。だから、実際に起こった話ですけれども、夏休み明けのクラスのときにですね、最初の授業のときに、坂田先生が、前回どこまでやったか忘れたものだから、一番前に座っている益川のところへ来てね、ノートをのぞいた。そうしたら何も書いていない。だから、あきれ返っていた。

尾関 それと、あれですよね、思い出しましたけれど、授業が終わってから職員室というか教員室へ行っては問い詰めるというのが特技だったと、益川さん。

益川 まあ、ちょっと、あのね、あんまり品のいい話じゃない。

尾関 じゃあ、授業というのはなんというか。

益川 だから、本では得られない生身の答え、質問とかね、授業の途中で、そういう話があるが、ここのところどうですかというようなことを先生とディスカッションする時間だと僕は思っていました。

尾関 なるほど。じゃあ、この20歳の産大生の方にはですね、授業でどんどん先生に嫌な質問を浴びせろと。

益川 はいはい、そうそう。

尾関 そういうことですね? 困るような質問をしてみたらどうだと、こういうことかなと思います。

 最後に、もう一つありましたね。25歳の男性から、先生の夢は何ですかと。これは現時点の夢ということだと思います。なにかノーベル賞をおとりになったんだから、これ以上の夢はないんじゃないの? なんて僕なんか思っちゃいますけれど、やっぱり、これからの夢って何でしょうか。

益川 いや、夢といったら変だけど、「200年たったら戦争はなくなる」と言ったんで、それを、僕の友だちの口の悪いやつが「どうせおまえは200年後は生きていないからな」と言ったんだけど(笑)。だから、それをどうやって検証するかという。土でも掘って、石板でも埋めておくと。

尾関 なるほど(笑)。じゃあ益川さんは、200年後まで未来を見通して平和であること、ということで。

益川 いや、だから基本的にはそういう法則性が好きで、物理学はもう商売だからやっていくにしても、社会を見たときに、この社会がどういう具合に変化しているのか、そういうことを検証したいという……。

尾関 そうすると、物理だけでなくて、やっぱり世の中全般を、まあ、そういう法則性というか、論理的にこう見ていきたいという、そういうことでいらっしゃるわけですね?

 そろそろ締めの時間になって参りましたんで、私どもから益川さんにお願いということなんですけれど、やっぱり、いまのお話、最後のお話がまさにそうですけれど、物理だけのことではなくて、世の中全体について、とりわけ、くしくもおっしゃったその平和のお話ですね、そういうことに非常に深い思いをいたされているということがわかりましたし、そういう問題まで含めて、これからもどんどん発言していっていただきたいと。私どものWEBRONZA「科学・環境」ジャンルは、社内のライターも含めて20数人で当面いろんな論考を発していきますけれど、まあ、できれば年に何回か益川さんにご登場いただいて、こういうかたちでお話がうかがえたらと思っています。なにか一言、世の中へのメッセージがあったらお願いします。

益川 いや、社会は系統的に10年見ているとおもしろいですね。観察するに耐えるだけのおもしろさがあると思います。だから、たとえば最近、中国がばかに外へ出たがっていますけれども、なぜかと。毛沢東のときは、なんというか非常に寛容でしたね。それが非常に積極的。で、それが一体何なのか、それがこの先どうなるか、なんていうのは考えに値するおもしろい問題だと。

尾関 まあ、そういう意味じゃ、科学に限らず、いろんなことをこれからも。

益川 法則性のあるものが大好き。

尾関 なるほど。わかりました。きょうは、本当におもしろい話いっぱいありがとうございました。今日はここで中締めということで、これから1年また何度もご出演いただければと思います。どうもありがとうございました。

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