尾関章
2011年02月05日
短大を出て会社に勤め、ひとり暮らしを始めてまもない女性が、出会い系サイトにはまり込む。メールで次から次に舞い込む誘いに「ノー」の返信をしているうちに「自分がとても忙しい女になったような気がした」。
「キネマ旬報」で去年の邦画第1位に選ばれた映画の原作『悪人』(吉田修一著、朝日文庫、上下巻)の一節だ。
ケータイに親指を走らせるだけで、人と人がつながる電波の網の心地よさ。だが、そのつながりがリアルな出会いをともなう空間に転写されたとき、それは悲劇の袋小路ともなる。「その結末にいたる被害者と被疑者の動線を追うことで、リアルと異次元の世界を行き来する現代人――すなわち僕たち自身の姿が見えてくる」と、私は先日小紙無料会員制サイト・アスパラクラブの書評ブログ「めざせ文理両道!本読みナビ」に書いた。
「孤族」をテーマにしたこの企画に、どうして私のような科学記者が筆をとろうと思い立ったのか。それは、今日のIT社会の孤独感を読み解くのに近年の数理科学の知見がいかばかりかは参考になるのではないか、と考えたからだ。
「友だちの友だち」という拙稿が小紙の紙面に載ったことがある。まだ自公政権時代の2007年秋のことだ。当時の法相鳩山邦夫さんが「友人の友人がアルカイダ」という言葉を口にして物議を醸した直後のことだった(ちなみに、鳩山さんはすぐに「アルカイダと聞いているが、過激派グループに協力をしている人という意味かもしれない」と修正している)。
私は「窓」というコラム(2007年11月14日夕刊)で多少の皮肉を込めて、鳩山発言が「『友人の友人の友人の友人の友人の友人が……』だったら、これほど問題にはならなかっただろう」と書いた。社会心理学やネットワーク論で関心事になっている「6次の隔たり」を話題にしたのである。
「6次の隔たり」は、
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