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【書評】原発という名の「不確実」〈無料〉

尾関章

尾関章 科学ジャーナリスト

【アスパラクラブ「めざせ文理両道!本読みナビ」にも掲載】

 津波に続いて、放射能が追い打ちをかけた。安否不明の人々の数を聞いて、ただ呆然と立ち尽くすばかりだ。まさに複合巨大災害といえまいか。3月11日の昼下がり、突然日本列島を揺さぶった東日本大震災の衝撃はあまりに大きい。そこで今週は急きょ、予定を変えて緊急の本読みを試みることにする。手にとったのは『まるで原発などないかのように――地震列島、原発の真実』(原発老朽化問題研究会編、現代書館)。2008年9月の刊行。帯に「近頃地震が多い」とある。

 読まずに積んであった本だった。地震の翌朝、いったん家に帰ってみると、「積んどく本」の山はほぼ崩壊していた。その片づけをしていて目にとまったのが、この1冊だ。奇しくも福島第一原発で不穏な事態が進行し始めたころだったので、これは読むしかないと思った。ページを繰るうちに放射能飛散のリスクが高まり、実際にそれが漏れ出して住民は避難を余儀なくされた。とてもすべてを精読する時間はなく、不十分なご紹介になるかもしれないが、どうかおゆるしを。

拡大福島第一原発3号機。16日、自衛隊機から東京電力社員が撮った。白煙の右が2号機=東京電力提供

 この本を執筆したのは6人。今回は、理系の文筆活動や翻訳で知られる田中三彦さんが受けもった冒頭の第1章を中心に見てみよう。

 著者は、僕たちがふだん原子力のリスクをほとんど忘れていることを指摘する。「われわれの多くはまるで原発など存在していないかのように毎日を過ごしている」。そうか、これが書名の由来だったのだ。そして、それに続く一文には、たしかにそうだとうなずかざるをえない。「多くの人が東海地震には大きな関心と不安を抱いてはいても、中部電力浜岡原発の5基がその想定震源域の只中にあるという恐るべき事実を、たとえば東京都民や横浜市民のうちのどれほどの人が知っているだろうか」

 福島第一原発の収拾がつかないありさまを目のあたりにしている今、なにげなく書かれた次の記述の意味は重い。「スリーマイル島原発事故も、チェルノブイリ原発事故も、地震とは無関係だった。表現を変えれば、原発の大事故は、必ずしも強烈な地震動のようなとてつもない破壊力を必要としているわけではない」

 原発は、自然の破壊力などなくとも大事故が起こるシステムだ。今回はそこに大地の揺れと太平洋の津波が一挙に押し寄せた。それゆえに何が起こったか。1号機から4号機までが軒並み打撃を受け、一つの炉の手当てをしていると今度は別の炉が危うくなる、というようにモグラたたきに似た状況を現出させてしまった。

 著者が問題視するのは「安全率」信仰だ。安全率の定義として「材料の引っ張り強さ÷その材料の許容応力」という数式が示される。このくらいなら壊れないという水準よりも実際の強さがどれほど大きいかを意味する目安といったらよいのだろうか。これを安全の「余裕」とみる向きがあるが、それは大間違いだという。

 ひとつのたとえとして、イベント施設の天井からつるす照明の設計の話が出てくる。設計技師が部材の安全率を2.5にとったとしよう。それは、腐食の進行や加工の精度、材料の品質、想定外の地震などといった「不確実な要素」を吸収するための「安全代(しろ)」であって「真の余裕」ではないという。2.5のうちの1.5は「メタボ的贅肉」ではなく「なくてはならない贅肉」だとする見方である。

 さて、それで原発に目を向けてみると、これは「不確実」のかたまりだ。熱や地震が原発にどんな負荷をかけるかの見立てがなかなかつけにくい。その結果、安全率を大きくしなくてはならない。「安全率が大きい構造物ほど、その構造物に安全性を脅かす不確実な要素が多く含まれている」のである。

 さらに「安全余裕」も俎上にあがる。最近、原発推進側の人々がよく口にする言葉だ。そこまでなら耐えられるという許容応力から、現実はこのくらいという推定応力を差し引いたものが、ここでいう「余裕」だ。ところが推進側は、この正味の余裕分に加えて、許容能力の設定や推定応力の見積もりにもゆとりがあるかのような言い方をする、と批判している。

 この本の著者たちは、原発に批判的な立場をとる人々だ。だから、原発の危うさが縷々綴られている。だが、今回引きがねとなった津波に焦点をあてた論述は出てこない。批判派ですらほとんど考えていなかったシナリオで、津波が襲い、電気が停まって4基同時進行の原発災害が起こってしまった。そのことにこそ、原子力の最大の怖さがある。

 事故が起これば、有害なちりやガスが飛散して、そこから目に見えない放射線が放たれる。それを制圧しようにも抑え込むべき脅威の中心は密室の中にあって近寄れない。そんなシステムが、不確実のかたまりであったとは……。そのことの怖さを、僕たちは今回思い知った。

 いまはただ、衆知を集め、この不安定な状態を封じ込めるしかない。

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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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