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 今回の地震、とくに東京電力福島第一原発の問題をめぐって、さまざまな意見がとび交っている。インターネットを通じての情報発信・交換が、本質的な役割を演じたことは確かだ。一方で時間が経つにつれ、とくに今後どのように対応すべきかについては、保守的から過激、あるいは楽観的から悲観的に至る数多くの意見が玉石混交の状態である。

 一体何を信じればよいのか、とても重要な判断をしかも短時間に決断せざるを得ない場合もあろう。こんなときこそ、冷静な科学的な判断の必要性を痛感する。決して私がそうしていると主張するつもりはない。とくに当初は緊張と混乱のためやや冷静さを欠いていた感が否めない。したがって、以下は自戒を込めた意見である。

 一般には、大学の理科系、しかも物理学の教員であれば、今回議論されている原発の話など完全に理解しているはずと思われていることだろう。それは完全な誤解である。放射線を受けた場合の影響を示す「シーベルト」という単位など、生まれて初めて耳にした。これが私個人の問題であることは否定しないものの、おそらく放射線が絡む実験をしている先生方を除けば、平均的なレベルなのではあるまいか。

 しかしながら、ある基礎的なレベルから出発して適切な説明を受けさえすれば、詳細は別としても大まかには現状を理解した上で自らある程度の判断をすることはできる。これこそ広い意味での科学教育を受けることの意義であり、科学リテラシーの実用価値でもある。その良い例が、「福島原発の放射能を理解する」という表題の講演だ。

 これは、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校助教授ベンジャミン・モンリオール氏が事故後の3月16日に同大学で行われたものである。彼は宇宙の暗黒物質の検出やニュートリノの質量決定というかなりアカデミックな実験物理学者のようだ。むしろ原発の専門家ではない分、一般の科学者にとっては極めてわかりやすい客観的・中立的内容となっている。

 これを、日本の素粒子原子核物理学研究者有志6名が、本人の許可を得て日本語に訳したものを公開した(http://ribf.riken.jp/~koji/jishin/)。もちろん、それぞれの専門分野で優れた研究をされている方々ばかりだが、われわれ研究者の通常の分類に従うならば、放射能に関しては「素人」と呼ばざるを得まい。にもかかわらず、各自の科学知識を活用して非常に優れた日本語訳を短期間で完成させた。まさに科学のもつ普遍性と汎用性を端的に示した素晴らしい例であると言えよう。同じ物理屋の一員として本当に頼もしい思いである。

拡大福島県と茨城県の県境付近の国道沿いでは、防護服姿の茨城県職員が任意ベースで放射線チェック=16日朝、茨城県常陸太田市で成田認撮影

 リンクされているファイルには少し難しい部分があるかもしれない。しかし、わかるところだけ読んでいただくだけでも大いに参考になるはずだ。私見として書かれている箇所からもうかがい知れるように、この講演は「過度の恐怖をもつ必要はない」という立場である。私も個人的には同意見だ。そしてそのためにもっとも重要なのは、正確かつ迅速な情報の公開しかない。仮に情報が隠されているという疑いがいったんもたれてしまうと、その後は疑心暗鬼の連鎖が止まらなくなる。基礎知識と正確な情報が与えられ、ある程度の科学的リテラシーさえ備えていれば、冷静な科学的判断を下すことはさほど難しくない。

 細かいことであるが、2点具体例を挙げてみたい。一連の報道でもっとも混乱させられたのは、シーベルトとシーベルト毎時の混同である。「発電所正門での放射線が0.6ミリシーベルトに達した」という情報をもとにして、「これは1年間に受けてもよいとされる平均的な放射線量2ミリシーベルトの30%です」といったコメントの類だ。これは正確には毎時0.6ミリシーベルトであり、そのまま1時間浴び続けたと仮定しない限りシーベルトとは比べられない。いわば0.6キロメートル毎時という「速度」と、2キロメートルという「距離」の大小を問うているのと同じ無意味さである。

 「日本は20キロメートル以内に退避指示をだしているが、米国と同じく80キロメートルとすべき」という一部の主張も同じ。どのような事態を想定して何を用いて20キロメートルという数値を出したのかという科学的根拠を提供することが重要なのだ。「遠ければ遠いほど被害は少ないから80キロメートル以内を退避としても失うものはない」というのは、もっともそうに聞こえながら科学的ではない。それを認めるならば「300キロメートル以内は退避すべき」のほうがさらに説得力をもってしまう。

 繰り返すが、結論としての数値が問題なのではなく、それを導いた際の仮定と科学的根拠の正確な提示が本質なのだ。それを言いいだすと難しくなり専門家以外にはわからないからかえって混乱させる、が理由だとすれば、あまりにも国民を愚弄している。基礎的な科学リテラシーをもっていれば、少数のデータからでも科学的判断を下すことは、われわれのような非専門家(上述の定義に従えば素人)ですら可能なはずだ。

 現在の状況下で、迅速に協力し合い素晴らしい翻訳をされた方々にあらためて敬意を表したい。さらに、このような客観的かつ科学的な情報が、原子力発電に関係する研究をされている国内の大学教員・大学院生の協力の下に、我々一般の人へ発信されることを期待する。米国マサチューセッツ工科大学ではすでにそのような活動(http://mitnse.com/)が始まっているし、国内でも有志の方々がすでにそのようなサイトを立ち上げつつあるようだ。専門家による正確な情報の提供こそ、科学的判断の最大のよりどころである。

 


筆者

須藤靖

須藤靖(すとう・やすし)  東京大学教授(宇宙物理学)

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。第22期・第23期日本学術会議会員。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に『ものの大きさ』、『解析力学・量子論』、『人生一般二相対論』(いずれも東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『三日月とクロワッサン』、『主役はダーク』『宇宙人の見る地球』(いずれも毎日新聞社)などがある。

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