メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

【原発事故】竹内敬二・朝日新聞編集委員の解説一覧《無料》

朝日新聞紙面から

竹内敬二 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 東日本大震災で深刻な事態に陥っている東京電力の福島原発。放射線物質の大量飛散を防ぐためのぎりぎりの作業が連日続いています。WEBRONZA筆者の一人で、この分野を専門とする朝日新聞の竹内敬二・編集委員兼論説委員が、刻々と変化する事態を踏まえ本紙に執筆する解説記事を順次アップしていきます。(日付は基本的に朝日新聞朝刊の掲載日)

=========================================

たけうち・けいじ 朝日新聞・編集委員兼論説委員。主に環境、原子力、エネルギー政策を担当している。科学部、ロンドン特派員などを経て現職。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故の現地取材。最近は環境連載「エコウオーズ」、日本の自然エネルギー政策の課題などを取材している。

=========================================

◇廃炉の原発、決める時(2012年10月25日)

 編集委員・竹内敬二

 原発で過酷事故が起きた場合の被曝を想定した図。本来なら原発を造る前に住民に見せるべきものだ。

 国や電力会社は東京電力福島第一原発事故が起きるまでは「絶対安全」といって原発の建設を進めてきた。今になって「やはり過酷事故は起こりうる」といって予測図を出すのは、原子力安全行政の失敗を如実に示している。

 規制当局は今回、初めて予測図を示した。国の防災指針をつくる際には米スリーマイル島原発事故を参考にするにとどまり、旧ソ連チェルノブイリ原発事故は初めから無視していた。今回の方針転換は、福島事故に衝撃を受け、社会が原子力に厳しい視線を注ぐようになったからだ。

 予測図は、福島第一原発と同様の事故が起きたと仮定して計算したものに過ぎない。過酷事故といっても様々で、実際の事故では、放射性物質の放出量は福島事故より大きいことも小さいこともある。

 予測図の通りに被曝するとも限らない。避難対象になりうる地域に自分の町が含まれている、いないで一喜一憂すべきでない。

 それでも影響の大きさはわかり事故対策と再稼働を考える手がかりになる。福島事故で、原子力規制委員会は重点区域を従来の原発8~10キロ圏内から30キロに拡大する。その円が描かれた日本地図をみると、狭い地震列島に50基もの原発が密集する危険性を改めて感じる。集中立地する福井県などは円が重なりあう。

 自治体は重い課題を突きつけられた。人口密集地で多くの住民を安全に避難させる計画はできるのか。つくれなければ原発は再稼働できない。原子炉直下などに活断層が見つかったり、老朽化したりした原発も同様だ。日本は危ない原発からやめる時代に入る。

◇遂行へ具体策を(2012年9月15日)

 編集委員・竹内敬二

 日本のエネルギー政策が初めて民意によって動いた。目標を達成するには多くの課題があるが、世界3位の原発大国日本の脱原発宣言は世界に強いメッセージを与える。

 原発ゼロの決定は、16万人が今も避難する未曽有の原発事故をきっかけに、国民的議論が高まった末に達した結論だ。脱原発を求める社会の意思である。この流れはもう変えられない。

 事故前は2030年までに原発を新たに14基造るという計画だった。これを30年代に原発ゼロにするのは政策を百八十度転換することだ。遂行には政権としての覚悟がいる。

 ただ、今回の結論を導き出すために、数多くの政治的な妥協をした。多くのあいまいさが残った。問題に向き合おうとしていない。

 脱原発には避けて通れない使用済み燃料の再処理問題は先送りされた。廃炉や廃棄物の最終処分は国が責任を持つとしたが、具体的な施策は示されていない。総選挙を有利にするための「脱原発」だと思われても仕方がない。

 世界的にみても、原発政策は政府の方針がすぐに実現していない。英国は06年に建設再開を決めたが進んでいない。20年以上原発の建設がなく民意が離れた。スウェーデンは1980年に「2010年までに12基全廃」を決めたが、2基減っただけだ。代替エネルギーがないためだ。

 「ゼロ」を着実にめざすにはロードマップを示し、政策の具体化が必要だ。でなければ多くの原発が再稼働し、再び原発依存社会に戻ってしまう。脱原発は電気料金の値上げなどの痛みが伴う。国民にも政策の行方を監視し続ける覚悟がいる。

◇事故の進行、再現作業を(2012年7月24日)

 編集委員・竹内敬二

 政府や国会など四つの福島第一原発事故の調査がまとまり、起こるべくして起きた事故だったことが明らかになった。きっかけは自然災害だったが、事前の対策が十分でなかったために過酷事故を引き起こし、被害が拡大した。

 政府事故調は、事故の背景を丁寧に分析した。日本では、原発で過酷事故は起こらないという「安全神話」が早々と安全基準や防災計画に入り込み、その後の改善が滞ったことを浮き彫りにした。

 報告書は、事故前の2006年に防災指針に国際基準を採り入れようと原子力安全委員会が検討した際、当時の原子力安全・保安院長が「寝た子を起こすな」と見直しを拒んだことを挙げている。

 今後の課題は、四つの事故調査の「きちんと準備していれば事故は防げた」という指摘にこたえ、報告書の提言を原子力業界と国の安全規制の抜本的な構造変革に生かすことだ。米国はスリーマイル島原発事故後、10年かけて規制組織の改革に取り組んだ。

 ただ、四つの調査を合わせても、事故の真相は一部しか究明されていない。政府事故調が目標として掲げながらできなかった、事故がどのように進んだかを再現する作業はとりわけ重要だ。今後の福島事故を研究するうえでの基礎データになる。

 これには国、電力会社、メーカー、学会などの積極的なかかわりが必要だ。政府事故調は、東電の解析や資料公表は不十分で「原因を徹底的に究明する熱意が不足」と不信感を表明している。

 国会事故調の黒川清委員長は、報告書の冒頭に「福島原発事故は終わっていない」と書いた。事故原因の究明も被害の全容をつかむ調査も終わっていない。まだ、始まったばかりだ。

◇これを前例にするな(2012年6月16日夕刊)

 編集委員・竹内敬二

 今回の原発の再稼働は再び「安全神話」にすがるようなものだ。暫定の基準による「政治判断」で安全宣言し、再稼働を推し進めるやり方には大きな問題がある。

 政府事故調査委員会による東京電力福島第一原発事故の検証は道半ばだ。地震や津波に襲われた原発で起きた事故を、現場はどう収束させようとしたのか、あるいは被害を拡大させてしまったのか。十分な安全対策がとれるほどには原因は究明されていない。

 福島を襲ったような津波に見舞われても過酷事故は起きないように対策をとったと政府や関西電力はいう。大飯原発では、原子炉を冷やすために使う電源車や消防ポンプを配備した。

 しかし、万が一過酷事故が起きてしまった時に事故を収束する対策は十分でない。放射性物質の大量放出を防ぐフィルター付きのベント(排気)の設備や、事故対応に不可欠な免震事務棟も完成は3年後だ。

 計画さえあればいいというような甘い判断での再稼働は許されない。想定外の事故は起きないで欲しいと思いながら原発を運転するようなものだ。

 政府は「原発事故への不安」と「電力危機」をてんびんにかけ、電力危機の回避を選んだ。原発の安全対策は不十分だと認識しておくべきだ。

 今回の再稼働を前例にしてはならない。暫定基準を使うやり方で他の多くの原発を再稼働させれば、事故の教訓に学んでいないことになる。新たな原子力規制体制は、できる前から無視されたことになる。

 抜本的な原子力政策の見直しや、信頼できる規制体制の構築も中途半端なまま大飯原発が再稼働する。社会全体で監視を続ける必要がある。

◇原発政策、道筋示せ(2012年5月31日)

編集委員・竹内敬二

 なし崩しに再稼働しようとしている。だが、脱原発依存の流れは変わらない。

 原発を大きく減らし、日本のエネルギー政策を大きく変えなければならない。東京電力福島第一原発の事故で、多くの人たちは強く思うようになった。もう元には戻れない。

 節電の夏を覚悟していた人にとって、再稼働は肩すかしに感じるかもしれない。原発の安全に多くの人が不安を抱く中、電力消費地の首長たちの声明は停電による社会生活への影響を心配してのことだろう。

 原発を稼働させるにせよ、十分な安全対策がとられていないという認識を持ち、注意深く運転するしかない。このまま多くの原発を再稼働してはならない。

 原発ゼロという異例の状況になるまで政府や電力会社は何をしてきたのか。

 安全基準や原子力規制の枠組みは、事故前と変わっていない。政府は仮のルールを作って、原発の安全性を強調して再稼働をごり押ししてきた。電力会社も供給確保のぎりぎりの努力をしないままに、再稼働のスイッチを押そうとした。

 政府は原発をいつまでにどのくらい減らすのか、代わりにどう電力を賄うのか、道筋を示すべきだ。私たちの生活にも、やっと節電の意識が根付き始めた。こうした努力を続けたい。原発2基が稼働しても、何も解決しない。

◇幕引きにはほど遠い(2012年5月29日)

編集委員・竹内敬二

 菅直人前首相の参考人招致で事故調査が山を越えたというが、現実は幕を引けるようなレベルにはない。

 「何が原因か」「だれの責任か」「被害拡大は抑えられなかったのか」。国民が知りたい真相に迫れておらず、世界の目に堪えうる完全版の調査報告書になるとは到底思えない。

 原発の大事故はたいてい、機器の故障と人間のミスがからむ。今回も事故が拡大するのに人間の判断が複雑にからんでいるはずだ。しかし、「悪いのは想定外の津波でそれがすべて」という「津波単独犯説」ばかりが出てくる。

 事故調査の基本は、機器がどのように壊れて事故がどのように進んだかを再現することだ。しかし政府、国会のいずれの公的な事故調も独自の解析をしていない。模擬プラントをつくって実験をする話も立ち消えになった。

 これまでの調査は、情報と解析を東電に頼りすぎている。東電は不都合な情報は出したがらない。国会事故調は清水正孝社長(事故当時)の聴取さえしておらず及び腰だ。国会事故調は国政調査権という強制権をなぜもっと使わないのか。

 原因の解明には社会各層の参加も必要だ。米スリーマイル島原発事故では、原子力産業界も独自に分析した。日本の原子力専門家集団も検証すべきだ。社会科学の視点からも分析が必要だ。

 先に報告書を出した民間事故調は、事故を「日本の国家としての生存そのものを脅かす広がりと複雑さをもつ危機」と表した。

 政府はこうした危機への対処を意識しているか。調査結果をふまえた対策をたて、安全規制を立て直すのが筋だ。しかし、現政権は調査とは関係なく仮の安全基準をつくり、原発の再稼働ばかりに注力している。事故を生み出した「3・11」前の社会構造にもメスを入れなければならない。

◇水掛け論で済ませるな(2012年5月16日)

 編集委員・竹内敬二  

 東京電力の撤退問題は「日本が原発をもつ資格があるのか」という重い問いを投げかけている。当時のやりとりを明らかにして真相を究明することが、事故調査の成否をにぎる。

 原発事故は他のどんな工場の事故とも異なる。「制御を放棄して撤退するか」「作業を続けるか」。つまり、国土の大規模汚染と作業員の命のどちらを優先するのかという選択を迫られることがあるからだ。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では原子炉が大爆発し、こうした究極の選択が迫られた。その結果、消火に当たった消防士ら約30人が急性放射線障害などで死亡した。

 しかし、政府や電力会社はこれまで「日本では大事故は起きない」という安全神話を隠れみのにして議論を避けてきた。

 今回、福島事故でまさに究極の選択が迫られた。大事故を考えてこなかったツケが、事故直後の対応のまずさとして現れた。もし、全面撤退していたならば、より広い地域が汚染され、今以上に取り返しがつかない事態に陥っていた。

 しかし、事故から1年以上たった今も、事実が明らかになっていない。

 14日、勝俣会長は国会事故調に呼ばれ「事故対応の責任者は社長、現場の最高指揮官は発電所長」と述べた。当時の清水社長と吉田昌郎所長の2人が事実解明のかぎを握る。東電は参考人招致に協力し、本社と発電所のテレビ会議システムのやりとりなど情報公開に応じるべきだ。

 撤退問題が「いった、いわない」の水掛け論に終始して真実が解明されないまま、政府が原発の再稼働を推し進めようとすれば、国民の信頼は失われる。

◇電力、選ぶのは私たち(2012年5月6日)

 編集委員・竹内敬二 

 「原発ゼロの日」は、福島第一原発事故の検証の甘さに社会が突きつけた抗議の意思だ。政府は重く受け止めなければいけない。

 歴史に刻まれる日になるに違いない。だが、何かを成し遂げたわけではない。原発をどのくらい利用するのか、しないのか。私たちは今後、重い判断をしなければならない。その分岐点に立った。

 日本社会は今、「原発は危険ではないか」と「原発なしでやっていけるのか」という二つの不安の間で揺れている。

 事故が起きるまでは、そのような心配は無用だった。エネルギー政策は政府が決めるものだったからだ。情報と決定は一握りの人たちに独占されていた。

 しかし、事故で人々の意識は大きく変わった。政府や電力会社の言い分に疑いを持ち始めた。事故はどう拡大し、対処に問題はなかったのか。政府や電力会社の説明に納得していない。情報公開の要求が高まっている。料金や電源で選ぶ電力自由化を求めている。

 そうした社会の変化を無視するかのように、政府はあわよくば全ての原発を稼働しようとしている。旧態依然のまま、なし崩しに進めるやり方への不信が「原発ゼロの日」を生んだ。

 一方で多くの人は今、こうも思っている。原発をこのまま全く動かさないことも、多くの原発を再稼働するのも現実的でないと。段階的に減らしていくべきだと思っている。

 エネルギー政策にかかわろうとする社会の力を制度の変革に向けなければならない。政府は原発を減らす道筋を示していない。安全規制は旧体制のままだ。

 目指すのは、国民が自分たちの手にエネルギー政策を取り戻すことだ。単なる批判でなく、節電への協力など責任と負担を伴う判断をすることでもある。

◇技術者の視点、もっと(2012年5月1日)

 編集委員・竹内敬二 

 「2011年、日本の福島で原発事故が発生した」。福島第一原発事故は、1986年のチェルノブイリ事故と並んで世界中の教科書に載るだろう。

 歴史的な大事故について、どう総括し、教訓に何を変えたのか。いま進行中の事故調査や政策議論を、歴史に堪えうる内容にしなければならない。事故で今も16万人が故郷を離れて暮らしている。小手先の総括では日本は前へ進めない。

 事故調査の目的は、「地震」「津波」「人間の行動」がそれぞれ、被害とどう関わっているのかを分析することだ。誰が何を指示し、どう対処したのか。どの措置のどこが適切で、どこが間違っていたか。

 中でも、発電所員を退避させようとしたとされる「東京電力の撤退問題」は深刻な問題提起だ。事故の最中に原発を放置するか、命がけで事故収束にあたるか、究極の判断が迫られた。しかし、東電と官邸の間のやりとりが食い違う。

 不明なことだらけで、真相は依然として闇の中だ。原子炉の中はもとより、外も放射線量が高く調査が進まない。東電の関係者は情報を出し渋っている。このままでは、真実は一部の人が知るだけで歴史から消えてしまう。

 事故の十分な検証が進んでいないにもかかわらず、政府は原発の再稼働に前のめりだ。野田佳彦首相と閣僚は「重要機器は地震でも機能を保った」と事故を津波のせいにしようとしている。これでは、調査は深まらず、政府と電力業界への不信はさらに増すだろう。

 今すべきことは、事故調査を実りあるものにし、社会全体を巻きこんで事故を総括することだ。事故がなぜ起きたのか、今も多くの国民はストンと胸に落ちていない。それでは、新しい原子力政策を広く議論できない。メッセージを世界に発信することもできない。

 今の事故調は専門家の目が十分に反映されていない。技術者による検証が必要だ。「日本で大事故は起きない」と言い続けてきた専門家が、検証に消極的なのは無責任だ。技術者の実力と矜持(きょうじ)を見せてほしい。

◇国民の不安、置き去り(2012年4月14日)

編集委員・竹内敬二  

 原発事故で失ったものの大きさに比べ、再稼働への議論が軽すぎないか。

 ほんの1年前、日本は「どこまで放射能が広がるのか」という緊張と恐怖の中にいた。今も16万人が故郷を追われている。

 事故の検証と総括がないまま再稼働すれば、再び大事故が起きるのではないかとの不安が消えない。拙速といわざるを得ない。

 再稼働に前のめりになるあまり、政府は緊急安全対策、ストレステスト、暫定基準など即席の対策や安全基準を次々と打ち出した。しかし、事故の分析をふまえた根本的な安全対策や基準はまだできていない。

 原発事故で、政府と電力会社が一体となった「原子力体制」は信頼を失った。情報を独占し、原子力依存を推し進めてきた体制だ。

 政府は夏までに、原発利用も含めた新しいエネルギー政策を打ち出す。その方針が示されないまま、原発の再稼働が旧来のやり方で議論されている。

 稼働の理由に挙げる電力不足について、政府や電力会社は突き詰めた電力需給のデータを示していない。

 今稼働中の原発は1基のみ。背景には「原発を減らしたい」という社会の意思がある。だが、すべての原発を動かさないのも、多くの原発をなし崩しで再稼働するのも現実的ではない。

 まず、新たな規制機関を早く立ち上げ「不信の構図」の外に出すことだ。情報の公開を徹底する。

 建設的な議論の前提は政権の意思表示だ。野田政権は「脱原発依存」の方針を掲げているが、その姿勢が見えにくくなっている。

 このまま政府が再稼働を押し切れば、国民との信頼関係は再び崩れる。炉心溶融事故を起こしてしまった失敗に続き、事故の教訓を社会に生かす局面でも失敗を繰り返すことになる。

◇日本の歴史が変わった日(2012年3月4日)

編集委員・竹内敬二

 「3月15日は運命の日だった。放射能を閉じ込める堤防はここで決壊した」

 民間事故調といわれる福島原発事故独立検証委員会(北澤宏一委員長)の報告書はこう書いている。

 この日、放射能が陸側に流れた。日本は広い汚染地と避難民を抱え、財政難の中で先の見えない除染にとりくむ国になった。日本の歴史が変わった日ともいえる。

「2号機から衝撃音」の報道を聞き、対応に追われる福島県災害対策本部原子力班の職員たち=2011年3月15日午前8時14分、福島市

 14日までに1、3号機で水素爆発が起きていた。15日未明の恐怖は「2号機の格納容器で爆発が起きそうだ。破壊はどこまで続くのか」というものだった。格納容器の圧力が上がり、原発でも、首相官邸でも、そして我々メディアも極度の緊張状態にあった。

 そこで起きたのが「東電の撤退の申し出」だ。東電は「全面撤退を意図してはいなかった」というが、民間事故調の報告書によると、清水東電社長と話した海江田経産相、枝野幸男官房長官、細野豪志首相補佐官(肩書は当時)のいずれもが全面撤退と受け止め、困り切って相談を繰り返した。

 人が消えれば注水ができず炉の制御を失ってしまう。しかし、現場に人を残すことは人命にもかかわる。清水社長は「とてもこれ以上は現場は持ちません」と話したという。我々の知らないところで、事故が進行中の原発3基の放棄が話されていたのである。

 結果的には、菅首相の強い意志で撤退は止まった。そして15日を最後に大規模破壊は起きず、「3基の原発が次々に壊れて東京にまで避難域が広がる最悪シナリオ」は避けられた。これも運命の分かれ目だった。

 「3月15日の恐怖」を忘れてはならない。原子炉はどこまで破壊されたのか、人間はどう行動したかの検証が必要だ。問われているのは「事故の可能性も考えて、日本には原発をもつ能力があるのか」だ。

◇社会の意思、政策に反映を(2012年2月21日)

編集委員・竹内敬二

 いま多くの人は不思議な気持ちでいるのではないか。エネルギーの柱だった原発がほとんど止まり、それでも日本の社会は何とか動いている。

 節電と火力発電所に頼るところが大きい。無理をしているが、原発なしでもやりくりしている。

 今の状況をもたらした大きな力は「できれば原発を減らしたい」という社会の意識だろう。世論調査では、過半数が「原発を段階的に削減し、将来にはなくす」に賛成している。

 しかし、そう進むとは限らない。社会の意識は変わっても、「どう減らすか」の方針も政治決定もないからだ。時間が過ぎれば「夏の電力も心配だし、そろそろ」という雰囲気もでるだろう。

 忘れてならないのは、事故の検証も終わらず、半径30キロに拡大される周辺地域での防災計画もできていないことだ。安全対策を中途にしたまま、「多数を一気に再稼働へ」は避けたい。

 電力危機への備えは必要だ。今月はじめ、九州電力は火力発電所が故障した際、関門海峡にある送電線を使い、公称の「運用容量」の数倍もの電力支援を他社からあおいだ。送電線を柔軟に使えば大量の電気を送れることがわかった。

 この「送電線の広域運用」と「節電」は、停電回避の大きな力になる。

 「原発ほぼゼロ」は極めて異例の事態だが、あれだけの事故を起こした日本社会の一つの意思表示だ。

 政府はこれを尊重し、きちんと「どう原発を減らすのか」の政策に結びつける必要がある。

◇異常な状態、変わりなし(2011年12月17日)

編集委員・竹内敬二

 野田首相の収束宣言は、原子炉の冷温停止状態を明確な区切りとしてとらえ、次のステップに踏み出す意思を示すものだ。

 だが、冷温停止状態といえば聞こえはいいが、実態は楽観できない。炉には溶けた核燃料があり、その冷却は仮設の設備に頼っている。通常の冷却システムが機能しない異常な状態に変わりはない。

 例えれば生死にかかわる時期は脱したが入院中だ。再発リスクと不安は残る。

 ただ、事故後の混乱をここまで収めたことは評価できる。「命を削るような」(野田首相)現場作業の蓄積で得られたものだ。

 かつてのチェルノブイリ原発事故では、4号炉の爆発で炉周辺が火事になり、決死の炉停止、消火作業が行われた。当時、3号炉にいた運転員は、後年私に「我々は逃げずに闘い、拡大を抑えた。世界はそれを知って欲しい」と話した。

 原発事故を放置すれば被害はどこまでも広がる。拡大を止めるのは人間の力だけだ。福島も同じだった。

 しかし、本当の困難は今から始まる。最終的な廃炉までに30~40年。その長い未知の作業に踏み出す。

 同時に、人と土地に対する本当の影響に向き合うことになる。故郷に戻ることができる地域、長期間戻れない地域などの線引きも避けられない。

 住民の避難は9カ月に及ぶ。帰還をあきらめて新生活を始めた人も多い。十分に長い期間苦しんできたが、やっと事故炉の処理や除染の入り口に立つ。

◇除染の難しさ現実に 居住禁止長期化、問われる支援継続 福島第一原発事故◇(2011年8月28日)

 「一時的な避難で済むかも知れない」という淡い期待は、27日、福島で菅直人首相が発言した言葉によって消えてしまった。

 福島に人が戻らなければ、町や家はさらに荒廃し、雑草と野生動物が増える。1986年に大事故を起こした旧ソ連のチェルノブイリ原発周辺と同じく、原子力の本質的な恐ろしさを示す場所になるだろう。

佐藤雄平・福島県知事(右)との会談のため県庁を訪れた菅直人首相=8月27日午後4時25分、福島市

 チェルノブイリ事故では、1平方メートルあたり55・5万ベクレル以上の放射性物質に汚染された土地が強制疎開の対象になった。面積は数千平方キロ、疎開した住民は40万人にのぼる。

 チェルノブイリの汚染地では道路などを除き除染などをせず、半永久的に放棄されている。当然ながら、廃屋が崩れ、動物が増え、畑が森にかえりつつある。

 政府は新しい場所に村をつくり、家と職業と賠償金を与えた。しかし、疎開者はばらばらに移住することになり、老人たちは新しい環境に適応できないまま、年をとっていった。これが現実である。

 菅首相は具体的な面積を示しているわけではないが、福島をチェルノブイリと同じ汚染基準で見た場合、「疎開」にあたるのは約800平方キロ。チェルノブイリと似た事故になった。

 福島で今必要なのは、まず被災者を支えることだ。被災者は家、土地、職、家畜、近所づきあいを失いつつある。受験や就職にもマイナスだろう。人生そのものがゆらいでいる。東電と政府は、被災者が将来の展望をもてるような支援策を示すべきだ。

 今後は「何年帰れないのか」が関心事になるが、過大な期待は禁物だ。

 汚染のほとんどを占める放射性セシウムの半減期は30年。30年が経過しても、放射能の強さは半分になるだけ。待っていて自然に住めるようにはならない。

 政府は「除染」で改善しようとしているが、これも簡単ではない。家屋、住宅地、道路などは比較的除染しやすいが、山や森林は難しい。農地も土の入れ替えなどが必要だ。

 除染などで出る放射性廃棄物も深刻な問題だ。事故でうまれた膨大な廃棄物は、日本の法律では想定していなかったものばかりだ。

 今回、政府は「中間貯蔵施設」の整備を福島に求めた。日本は原発の運転で生じる高レベル放射性廃棄物の最終処分地を以前から探しているがいまだに決まっていない。最終的な処理法や受け入れ先が簡単に決まるとは考えられない。

 何もかもが手探りだ。しかし、原子力に頼るエネルギー政策と、「原発の大事故は起きない」というのんきな原子力規制行政を続けてきたツケだ。

 日本社会は、これから長期にわたり、汚染された土地が国内にあり続けることに向き合っていく必要がある。

 (編集委員・竹内敬二)

◇チェルノブイリに学べ◇(2011年7月10日)

 広大な土地が汚染されたチェルノブイリでは予想外のことがいくつも起きた。

 放射性物質の粒子は雨とともに地中に沈み、地下水で広く移動すると思われていた。地下水の流れを止めるよう地中に壁もつくられた。しかし、粒子は地中に沈まず、地表から動かなかった。

 2006年、ウクライナ環境生態研究所でこう聞いた。

 「ある地点。1999年の測定ではセシウムの97%が表面から深さ15センチまでにあり、05年にも97%が残っていた」。ストロンチウムは少し潜って深さ25センチまでに90%があり、比較的水で移動しやすいそうだ。

 セシウムが地表にとどまる理由のひとつは、植物の根が放射性粒子を吸い込むことだ。粒子は葉や茎にたまり、冬には枯れて表面に落ちるので、表面にとどまり、地表近くを循環しているとみられる。

 一方で、植物ごとに粒子の吸収力を調べる実験も行われた。ある肥料をまくと、植物への吸収が減ることもわかり、汚染が少ない作物の栽培に実用化されたという。

 現地ではナタネも栽培された。「放射性粒子を多く吸わせて除染する」というより、「バイオ燃料という商品ができるから」が強い理由だったようだ。

 福島では、土地をよみがえらせるために積極的な作業が考えられている。表土を削ることも有効だろう。日本の経済力ではある程度可能だ。ただ、放射性粒子の挙動は複雑で、一筋縄ではいかないはずだ。

 チェルノブイリでも土壌汚染を全面解決できる策は見つかっていない。ただ、彼らの失敗や試行錯誤から学ぶことは少なくない。チェルノブイリ事故の翌年、当時のソ連から医療調査団が来日した。被爆者治療の教えを請うためだ。日本側が提供したのは、広島と長崎が「もう世界が二度と必要とすることはない」と思いながら蓄積した被爆者データだった。

 25年後の今は日本が学ぶ番だ。大地の汚染の知識はチェルノブイリにある。(編集委員・竹内敬二)

◇日本も議論を始める時 ドイツ脱原発決定(2011年6月7日)

編集委員・竹内敬二

 ドイツの脱原発の決定は、日本をはじめ、世界に「福島以後」の社会のあり方を問うている。

 ただ、ドイツはドイツだ。他の国が同じ道を選べるかどうかは、どの程度、「脱原発の議論を蓄積し、制度を整えたか」による。社会を脱原発へと動かす力は「世論」と「制度」だ。

 1970年代初めの石油危機後、日本もドイツも原子力開発に力を注いだ。核兵器を持たない国がプルトニウム利用をめざす点も同じだった。だが、今、政策は大きく違う。

 ドイツでは83年、緑の党が連邦議会に進出。86年のチェルノブイリ事故以降に生まれた「原子力は市民社会と共存しない」との考えを政策に掲げた。環境NGOも強く、脱原子力の世論を維持し、原子力施設を次々に廃止へと追い込んだ。

 ■30年の論議

 さらに欧州連合(EU)の統合で、送電線の欧州共有化が進み、電力を融通しやすい制度ができた。ドイツはとくに自然エネルギーを増やす政策をとった。あと10年もあれば、原発ゼロでも電気をまかなう展望が描ける状態にきていた。「福島事故」は今回の決定のきっかけだが、背景には30年をかけた議論の厚みと受け皿の存在があった。

 日本でも福島事故の後、原子力政策を変えようという声が高まっている。

 だが、状況はドイツと大きく異なる。脱原子力を掲げる主要政党はない。自然エネルギーの導入も極めて少ない。送電線は日本国内で完結しており、電気の全国融通も難しい構造だ。

 ■見直し促せ

 ひとことでいえば、原子力政策の変革を支える社会的基盤が弱い。残念ながら、社会全体として、原子力政策を是非を含めた根本から議論することなく、育ててこなかった。

 しかし、日本は「制御できない原子力エネルギー」の恐怖を世界に示した。早急に原子力依存を減らす制度をつくる必要がある。

 簡単ではないが、「原子力をどうするか」の議論を今から始めるしかない。必要なのは政治的意思だ。菅直人首相は「エネルギー政策を白紙から見直す」と言明した。これを社会全体が支え進めることだ。

◇「新しい安全性」得る機会に(2011年5月7日)

 いま全国の原発周辺では「ここは大丈夫か」という不安を感じている。その中で「最も危険な原発」といわれる浜岡原発の停止は、これまでとは違った安全性を求める政治的意思を示した点で評価したい。

 菅首相の要請は、「福島の教訓」を真摯(しんし)に考えれば、決断せざるを得ない状況だったのではないか。

 ただ、保安院など通常の安全行政のプロセスを通らない要請は混乱を招く。突然の発表に、中部電力、地元自治体、住民も戸惑っただろう。なぜ今なのかという問題もある。十分な説明がいる。

 福島第一原発の事故では、これまでの事故想定が全て否定された。津波の高さは想定の倍以上。「日本では起きない」とされた全電源喪失が事故の引き金になった。「日本では広域避難はありえない」とされていたが、行政は何の準備もなく住民を20キロ圏外に追い出した。

 しかし、停止後の作業は簡単ではない。経済産業省原子力安全・保安院は福島事故後、各原発に「福島のような全電源喪失」を前提に緊急対策を求めてきた。停止となれば、より本質的な安全性が求められる。地震の揺れの大きさ、津波の大きさ、プラント全体の健全性、避難住民の負担など、一から考え直す必要がある。

 さらに問題は浜岡にとどまらない。断層近くの原発、老朽化原発など、別々のリスクを抱える全国の原発をどうするのか。

 今回の要請を、保安院や原子力安全委員会、社会全体が前向きに受け止め、実質的に「新しい段階の安全性」を得る機会にしたい。そして更なる対策が経済的に見合わない原発は止める方向に議論を向ける。

 首相の決断を、かけ声だけで終わらせてはならない。そうなれば原発行政への不信は取り返しがつかないものになる。

編集委員・竹内敬二

◇故郷喪失、福島では起こすな チェルノブイリ原発事故25年(2011年4月27日)

 編集委員・竹内敬二

 町も家も田畑も春の日に輝き、何も変わらない。そのふるさとから退去を強いられる。「いつまでなのか?」に誰も答えない。福島第一原発近くに住む人の怒りといらだちは、25年前にチェルノブイリ原発近くの住民が感じたものと同じだろう。

 私は4度、チェルノブイリを取材した。最初は事故4年後の1990年。最近では2006年。毎回、疎開者の村、ウクライナのボロービチ村を訪れた。

 90年の取材では、村の人々は「早く故郷に帰る」という希望で団結していた。元の村は原発の30キロ圏内にあった。465戸が4分割され、109戸で疎開したのが今の村だ。

 国は家と職業を用意した。教師や技術者は専門を生かし、多くは集団農場へ就職した。賠償・生活資金も支給されたが、その後のソ連崩壊、インフレの中で多くが消えていった。

 チェルノブイリ事故は「30キロ圏」という広域避難で世界に衝撃を与えた。しかし、日本の政府と電力業界はその教訓を考えるのではなく「日本では大事故は起こらない」といい続けた。原子力防災指針でもチェルノブイリのような広域避難は考える必要なしと無視した。

 一方、06年のボロービチでは故郷を知らない若い世代が増えていた。30キロ圏内の放射能は消えず、元の村には戻れない。老人たちは帰村を待ち、あきらめ、死んでいったと聞いた。

 村長のスベトラーナさんは37歳で原発事故にあった。そのとき息子のボロージャは7歳。06年、息子は27歳の軍の将校になっていた。被災者枠でキエフ大学で軍事法律学を学んだ。夫は03年になくなった。

 今年は事故から25年。スベトラーナさんも62歳だろう。25年は一人ひとりの人生を奪うには十分な長さだが、土地を主に汚染する放射性セシウムの半減期(30年)にも満たない。

 福島をチェルノブイリにしてはならない。今の日本で故郷を放棄する不幸などあってはならない。これ以上の汚染を防ぐ。避難住民を孤立させるのではなく、怒りや不安を共有し、社会で支える。そして安全軽視の原子力政策、事故の責任を徹底的に究明しなければならない。

◇汚染の度合い きめ細かな測定・選別を(2011年4月8日)

福島第一原発事故は、被害の拡大が続く異常な状態で近く1カ月を迎える。

 1~3号機では核燃料が溶ける炉心溶融が起きている可能性が高い。とくに2号機は、格納容器の一部が爆発で壊れ、放射能が漏れやすくなっている。炉を覆う建屋は爆撃を受けたような惨状だ。

 今はポンプで1~3号機の炉心に注水し、かろうじて冷却を続けている。その結果、水が「たれ流し」状態になって原発周辺と海の汚染を広げている。

 冷却しなければ爆発の恐れがあり、冷却すれば汚染を広げる。このジレンマにも打つ手がない危険な状態が続く。

 一方、すでに20キロ圏内はゴーストタウンになり、その周辺も不安の中にいる。

 福島県飯舘村の中心部は原発から約40キロも離れている。放射線量値が比較的高く、避難を迫る声がある。

 菅野(かんの)典雄村長は「少しずつ住みよい村をつくってきた。ある日、放射能を含んだ風がこっちに吹いただけで、生活のすべてがガラガラと崩れそうになる。本当に心の置きどころがない」と話す。

 これが原発事故の怖さだ。遠く離れた地域を一気に危険な場所に変え、人の暮らしと時間を奪う。避難しても家をどうするのか、コミュニティーの崩壊、仕事、家畜。築いてきた日常が消えてしまう。

 危険な原発から目を離せないが、それでももっと「人」に目を向ける必要がある。

 原子炉が落ち着くまでには少なくとも数カ月かかるとされる。まず「数カ月の避難」を前提に、長期で向き合う態勢が必要だろう。避難者の生活の質を上げなければならない。人の健康は一日一日だ。

 正確な汚染を反映したきめ細かい対応が要る。そもそも汚染は風や地形に左右されてまだら状だ。同じ円の中でも程度は全く異なる。

 そして、汚染が比較的軽い地域では、「子どもを守る」を最優先し、学校は疎開なども考える。大人は原発の変化に注意しながら少し柔軟に生活する。こうした選択肢を広げて家族が少し先の計画をたてられるようにする。判断は地元の意向を尊重する。

 まずは地域を細かく分割して測定点を増やす。人手がかかる作業だが、住民が避難に対してある程度の納得感をもつには欠かせない。

 津波被災者を含め避難者を支えながら、原発事故に向き合いたい。世界中がハラハラしながら日本を見守っている。(編集委員・竹内敬二

◇不安解消へ「汚染地図」を(2011年3月24日)

編集委員・竹内敬二

 原子炉が小康状態を続ける一方で、汚染の値が深刻度を増している。政府が「ただちに健康影響がでるわけではない」と繰り返すだけでは住民の不信や不安を消すことはできない状況になりつつある。

 原発から30キロ離れた福島県浪江町の大気の汚染は、平常時の自然放射線の1500倍ほどの値だ。65キロ離れた福島市でも100倍ほど。同程度の場所は多い。「胃のエックス線の何分の1」のたとえでは、もはや安心できない。計算上は福島市でも屋外で数日間過ごせば、1枚撮る量になる。

 原発から放射性物質の放出が続いていること、風に乗って流れていることを示している。汚染地では、空中や地表にある放射性物質からの被曝(ひばく)が蓄積されていく。

 身体への被曝、野菜や水道水の汚染。ふるさとに、このまま住み続けることができるのか、住民たちは毎日、悩み、苦しんでいる。

 次の対策を考えるときがきている。地震発生の翌日に政府は「20キロ圏内からの避難」を指示した。驚くような素早い対応で、初期対応としては有効だった。

 今は同心円状の画一的な対策だが、今後は「きめ細かい対策」が必要になる。各地の汚染は風の方向や地形、雨に左右されて大きくばらつき、まだら状になっていることがわかってきた。そのことも考慮し、住民の被曝を最小に抑えなければいけない。

 新たな対策には、地域ごとの詳細な情報が欠かせない。どの地域が、あと何日で、あと何カ月で「避難を考えるレベル」の50ミリシーベルトに達してしまうのか。土壌や野菜、水の汚染データもさらに集め、素早く公表する。驚く数字がでれば、動揺も広がりかねないが、合理的で有効な対策をとるには、厳しい現実と向き合うことも必要だろう。

 国は23日になってようやく、緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)を使った汚染地図の推測結果を公表した。原発から北西、南の方向に汚染が広がっていた。

 避難地域は拡大すればいいものではない。広い地域で人の営みを消してしまうマイナスははかり知れない。自宅を離れ、慣れない生活環境下で暮らすストレスは大きい。避難先で何人も死亡している。

 一方で、妊婦や甲状腺がんを発症しやすい子どもは、優先的に守らなければならない。

 さらに広い範囲で測定点を増やし、「汚染地図」を作る。それを開示しながら新たな対策を考えるときだ。

 

◇最悪回避へ最終局面 福島第一原発事故(2011年3月18日)

編集委員・竹内敬二

 福島第一原発の状況は、事態悪化をここで食い止めるか、放射性物質の大量放出に向かうかという剣が峰に立っている。自衛隊、警視庁なども活動に加わり、総動員態勢の様相もでてきた。

 使用済み核燃料は、炉心にある燃料ほどではないが崩壊熱をもつ。3、4号機の貯蔵(冷却)プールでは水の循環装置が故障して水温が上がり、水が減っているようだ。

 ここに放水や電源の復活でたっぷりの水が入ると、燃料は冷やされ事態は落ち着く。

 使用済み燃料は高レベル放射性廃棄物で、極めて強い放射線を出す。一部でも露出していれば、周囲は作業もできない状態になる。

 注水ができなければ水が減り、自身が出す崩壊熱で燃料が溶けるだろう。

 この後の予測は難しい。あえて最悪ケースをたどれば、溶けた燃料がプールの下にたまる。燃料中にはウランやプルトニウムがあり、核分裂が連続して起きる「臨界」が心配だ。ただ一緒に溶ける制御棒の成分が臨界を抑制するかもしれない。

 放水に目を奪われているが、1~3号機の炉心(圧力容器)も非常事態だ。内部の状況は不確かだが、長時間、核燃料が露出し、ある程度の燃料溶融(炉心溶融)が起きているとみられる。注水は待ったなしだ。消防ポンプなどで注水を試みてきたが、圧力容器の圧力は高く、水は跳ね返されて思うように入らない。

 ここで強い電源が復活すれば、原発の大事故を防ぐ守護神とされる緊急炉心冷却システム(ECCS)がやっと働く。高圧の注水で炉が落ち着く「再冠水」状態にしてくれるだろう。

 ただ、ECCSは大丈夫なのか。今回の地震と津波は、頑丈なはずの原発の設備をことごとく壊している。

 炉への注水がうまくいかなかったら――。核燃料は次第に溶ける。溶ける温度はセ氏2800度。どろどろになった状態で圧力容器の下部に落ちていく。周囲には鋼鉄の設備もあるが、1500度ほどでたいていの設備は溶ける。

 これは仮想の話ではなく、1979年の米スリーマイル島原発で実際に起きたことだ。燃料の70%が溶け、燃料の塊が下部に達したが、ここで止まった。まさに大惨事一歩手前だった。

 1~3号機の炉心をスリーマイル島原発の状況に向かわせてはならない。

 最悪シナリオは、溶けた燃料が炉の下部を溶かし、貫通することだ。この段階で止まるかも知れないが、近くにある圧力抑制室まで達してそこの水と接触すれば「水蒸気爆発」が起きる。

 その衝撃と圧力に、圧力容器の外側の格納容器はおそらく耐えられない。大量の放射性物質が大気に出て行く。

 福島第一の最大の問題は、三つの原子炉と二つの使用済み燃料貯蔵プールという「五つの異常事態」が、状況が不明のまま、同時に進行していることだ。深刻だが、今の段階で悪化を止めれば大量放出は避けられる。

 地震から1週間がたち、政府も危機感を深め、さまざまな放水活動が展開されるようになった。これまでは事業者である東京電力にまかせる形が強かったが、やっと社会の力を集める形がとられつつある。この動きを強めたい。

 

◇複数手段、同時並行で(2011年3月17日夕刊)

 ヘリコプターからの水投下のテレビ映像で、事故後のチェルノブイリ原発に、砂を落とす記録映画を思い出した。

 放射線下での作業だけに大きな決断だ。しかし、風で拡散する水を狙い通りに落とすのは簡単ではないようだ。

 福島第一原発1~3号機の炉心冷却に四苦八苦するうちに、3、4号炉の使用済み核燃料貯蔵プールで水が減り、放射能大量放出の危機になったものだ。

 水は冷却材であると同時に放射線の遮蔽(しゃへい)物。核燃料が大気にさらされれば接近も難しい強烈な放射線を周囲に出す。とにかく水を追加するしかない。判断は妥当だろう。

 しかし、大量の水が要る。投下は効率が低い。他の手段を準備し、行うべきだ。

 忘れてならないのは1~3号機はいまだに炉心が安定していないことだ。水位が下がり、燃料棒が水面から露出していると考えられる。ここに水が入らず、圧力容器、格納容器の大きな破損が起きれば、炉に大量にある放射性物質の大量放出という最悪シナリオになる。こちらも急を要する。空中放水では対処できず、強い電源でポンプを動かす必要がある。

 大きな疑問は、事故後1週間がたとうとするのに、「なぜいまだに強い電源がないのか」である。事故直後、東北電力の生きている送電線からの電線の緊急敷設や巨大な発電機の搬入を試みていれば、何とかなっていたのではないか。電源車は役立っているのか。

 事故後、危機感をもって「これがだめならこれ」と何重もの手段を準備してきたのだろうか。不十分ではなかったか。自衛隊や消防車の効果を期待するだけでなく、電源復活を最優先に、複数の手段を用意し、実施することだ。(編集委員・竹内敬二

 

◇緊急事態、知恵集める時 福島第一原発事故(2011年3月17日)

編集委員・竹内敬二

 「放射線量値が高い原発事故ではだれが作業するのか」。福島第一原発では、旧ソ連チェルノブイリ原発事故のあと、いわばタブーになっていた大問題に直面している。しかし、今は緊急事態だ。政府主導で知恵を集め、送電線敷設や機材の大量投入、人海戦術など多くの方法を検討、実行するときだ。

 16日朝の火事では、放射線量値があまりにも高く、消防車が消火作業を断念して帰った。午後には自衛隊のヘリコプターが水の投下を試みたが同じ理由で断念した。

 原発敷地の内外では1時間あたり10~400ミリシーベルトの放射線量が観測されている。相当に高い値だ。

 しかし、炉心の冷却は絶対に続けなければならない。炉心損傷が進めば放射性物質の大量放出が起きてしまう。

 茨城県東海村で1999年に起きたJCOの臨界事故では、核燃料の再臨界を阻止するため、放射線下での作業が必要になった。

 作業は2人1組で行った。走って現場に突入し、作業し戻るまで約3分間。9組で作業を終えた。個人の被曝(ひばく)量の最大は、緊急作業の上限である100ミリシーベルトを超える103ミリシーベルト。日本平均の自然放射線量の70年分。これを3分間で浴びた。

 原子力は本質的にこうした作業の存在を否定できない技術だ。大規模な汚染は住めない土地をつくる。

 86年のチェルノブイリ事故では、露出した炉心にヘリコプターで砂を投下した。地上でも多くの人が至近距離で作業し、大量放出は1週間で止まった。この決死的な作業がなければ、世界はもっと汚染されていた。

 この後、日本でも強い放射線下の作業が話題になった。しかし、民主国家で体に有害な仕事を命令できるのか、という社会の根本問題に触れることもあり、立ち消えになった。「日本では大事故は起きない」という神話もあった。

 しかし、今は緊急事態だ。速い判断と対応が必要だ。

 15日に政府と東電が設置した「福島原発事故対策統合本部」に情報と判断の権限を集中させる。厚生労働省が15日に、福島第一原発の緊急作業向け被曝上限を引き上げたように、制度も柔軟に変える。

 原子力を推進してきた人、反対の人を問わず、今こそ原子力を知る人、企業の知恵を結集して欲しい。事態は差し迫っている。

 

◇「安全神話」の果て(2011年3月16日)

 「避難は原発から20キロ圏内」。福島第一原発事故による住民避難は、日本の原子力防災指針の想定を簡単に超えてしまった。想定は、原発事故でも避難を含む重点対策をとる範囲は8~10キロまでというものだ。日本では長い間、「原発の大事故は起きない」と聞かされてきた。今回の原発事故はこれが神話だったことを示した。

 原発の近くに住む人の中には、地震の被災で避難所にいき、原発事故でさらに遠くへ移動させられ、屋内退避を強いられている人たちがいる。「いつまで続くのか」という不安といらだちの中にいる。

 日本の原子力草創期、原発をつくる側が「原発の大事故は絶対に起きない」という表現をしばしば使った。これは科学の言葉ではなく、地元を説得するための方便のようなものだったが、原子力行政の中にも反映された。

 1979年の米スリーマイル島原発事故で炉心溶融が起きた後も、格納容器に過酷事故対策を追加することに、日本では当初、抵抗があった。

 チェルノブイリ原発事故では半径30キロ圏内の住民が避難した。

 しかし、住民の避難訓練には「日本ではそんな事故は起きないのになぜ訓練が必要なのか」という議論が起きた。当初は「住民」が実際に参加するのではなく「模擬住民」の役割をつくって住民参加の形をとらざるを得なかった。それほど抵抗が強かった。

 原子力災害の防災指針は今も、避難も含む重点対策は「8~10キロまで」の範囲だ。原発の高さ100メートルほどの排気塔から放射能が「24時間」放出されるという仮定だ。その事故想定でさえ実際には起こりえない規模としている。

 チェルノブイリ事故の経験は「日本の原子炉とは安全設計思想が異なるので同様の事態は考えがたい」として考慮されなかった。

 今回の事故の広がりは今後の展開にかかっているが、指針が想定した範囲は超えた。これまでの考えは甘かった。

 東京電力は津波に耐える設計について「地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、安全性を確認しています」としている。そうした検討をしたはずだが、現実は全く違った。

 「大事故は起きない」という言葉が、これまで事故の怖さへの想像力を失わせていたのではないか。専門家も多くの人も、日本が技術先進国であることと一緒にして、知らず知らずのうちに、その言葉にとらわれていたと感じる。(編集委員・竹内敬二

 

◇最悪の事態に備えを 東日本大震災・福島第一原発事故(2011年3月15日)

 極めて深刻な放射能放出が始まった。すでに福島第一原発の敷地周辺では非常に高い放射線量が検出されている。今後、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故と比較して語られることになる。

 同原発には1~6号機がある。2号機は格納容器につながる圧力抑制室が損傷して放出を始め、1、3号機も炉心で核燃料が水面から露出して危険な状態が続く。

 点検で地震前から原子炉を停止していた4号機でも爆発が起きた。水素を出す原因はプールにある使用済み燃料のようだ。水面上に露出していたら極めて強い放射線が作業を妨げるだろう。今や一列に並んだ4基の原子炉が同時に制御不能な状態に陥りつつある。今やるべきは放射能の放出の元を断つことだ。危険を伴う作業だが、人と土地の汚染を最小に食い止めるのは時間との闘いだ。日本がお金と時間をかけて蓄積してきた原子力技術を動員して東京電力を支えなければならない。

 被曝(ひばく)回避では初期の行動が決定的に重要だ。放射性物質は小さな粒子状になって風で運ばれて拡散する。見えない煙やちりのイメージだ。風向きに注意し、高濃度汚染の襲来を避けることが必要だ。

 避難では、子どもを最優先する。チェルノブイリ事故の経験では、幼い子どもは大人に比べ甲状腺がんになる確率が100倍以上も高い。「放射能からまず子どもを守る」を社会で共有したい。

 多くの人は信じがたい思いでニュースを見ているだろう。未曽有の地震と津波が原因とはいえ、日本は技術先進国の誇りと、被爆国の慎重さをもって原子力を開発してきたはずではなかったか。

 これは戦後、原子力をエネルギー政策の柱に置き、利用を享受してきた日本の歴史の一つの帰結だ。社会全体で受け止めなければならない。

 被災地は家も食糧もエネルギーも足りない。家族を失った人も多い。日本社会全体で支えることだ。日本社会の強さが問われる。(編集委員・竹内敬二

 

◇異常事態ドミノ、対策手探り 福島第一原発事故(2011年3月15日)

編集委員・竹内敬二

 福島第一原発では12日の1号機に続き、14日には3号機で水素爆発が起こり、2号機では一時、燃料が「空だき」になった。地震発生後、一列に並んだ原発3基で異常事態がドミノ倒しのように起こり、3基が同時に危険な状態になっている。14日深夜になってとくに2号機の圧力容器内の圧力が高まった。

 枝野幸男官房長官は14日、1~3号機で「炉心溶融」の可能性があることを認めた。

 50年を超える原発の歴史で、炉心が爆発した旧ソ連チェルノブイリ原発事故を別とすれば、米スリーマイル島原発事故(1979年)でしか起きていない。

 2度目が、この日本でそれも3基同時に起きる――。現在起きていることの異常さを示すものだ。

 原発が自動停止した後、通常なら送電線からの電気でポンプを回して炉心を冷やす。停電の場合は原発がもつ非常用電源を使う。

 今回、地震で周辺が停電し、非常用電源も津波で水をかぶって、すべて動かなくなった。「起こりえない」としてきた電源喪失が起きた。

 東京電力は電源車を使用。消防車などで炉心に水や海水を送り込み、炉心の冷却を試みてきた。

 想定外の状況下での手探りの作業だけに、次々に不具合が重なった。その結果、燃料棒が水面上に露出して、燃料や燃料棒を覆う合金(被覆管)が溶ける炉心溶融に進んだ可能性が強い。炉心溶融は過酷事故(シビアアクシデント)という段階だ。

 水素は、溶融した被覆管と水蒸気が反応して発生する。これが建屋内にたまって、1、3号機で爆発が起きた。

 2回の水素爆発を許したことは水素を制御するすべをもたないことを示している。今後も大きな不安材料になる。

 現在、最も心配されているのは、2号機だ。14日には圧力容器内の水位が下がり、燃料全体が水面上にむき出しになり、空だきになった。さらに圧力容器にある弁が動かなくなった。

 ひとことでいえば、現在は、3基すべてが極めて危険で不安定な状態にある。水の注入、水位の管理がうまくいかず、核燃料の一部が水面上に出ている可能性が強い。炉心溶融がさらに進み、水素がさらに発生する。

 1、3号機に続いて2号機にも海水が注入された。後で海水を除いても不純物などが残る。廃炉も視野に入れなければならない非常措置だ。

 しかし、それでも炉の状態をうまくコントロールできていない。何を試みてもうまくいかない手詰まりの状態だ。

 原発の安全設計では、炉心の燃料と大気とを断ち切るために何重もの壁をつくっている。

 最も信頼できる壁は分厚い鋼鉄でつくられている圧力容器と格納容器だ。この二つが健全であれば、放射能の大量放出は何とか防げる。

 あの手この手で水を注入し、核燃料が安全な温度になるまで時間を稼ぐことができるかどうか。危険を背負った手探りの作業が続く。

 

◇炉心の不制御、露呈 東電「安全性は保持」 福島第一原発(2011年3月14日)

 福島第一原発3号機で爆発があった。炉心から出た水素が原因の水素爆発とみられる。1号機に続いて、炉心状態を制御できないために起きた爆発だ。停止後の原子炉では、炉心の冷却と、水素が発生した場合の対応が重要だ。いずれに対しても有効な手立てがないことを示している。

 3号機の爆発は、1号機と同じように格納容器を覆う建屋を破壊した。しかし「格納容器、その内部の圧力容器の状態に変化はなく健全性は保たれていると見られる」と発表された。まずは安心な情報だが、油断はできない。

 複数の負傷者も出ているが、今後、早く格納容器の健全性を確認し、燃料が入った原子炉圧力容器内への水の供給を継続しなければならない。炉心を安定に保ち、温度を徐々に下げることができるかどうかがカギになる。炉心の水位がうまく制御できていないので心配が残る。

 外部の放射線データにも注目しなければならない。

 3号機も先に爆発した1号機と同様、炉心を冷やす作業の中で爆発した。冷却がうまくいかないため圧力容器内で核燃料がむき出しになり、核燃料を覆う金属と水蒸気が反応して水素が発生した。その水素が圧力容器を覆う格納容器の外にまで漏れて建屋内にたまり、爆発したとみられる。

 今回の爆発は、1号機に続き発生する水素への対応策が全くないことを示した。今後のほかの原発の安定化に向けた作業でも大きな課題だ。

 原発の安全設計は、建屋も含め、炉心の燃料と大気とを断ち切るために、「5重」ともいわれる壁をつくっていることだ。最も信頼できる壁は分厚い鋼鉄でつくられている。その壁が圧力容器と格納容器だ。格納容器は、今やしばしば、弁を開けてガスを放出せざるを得なくなっている。壊れていなくても、放射能を外に出さないという機能は半分破れている。圧力容器という最後の壁が命綱になっている。(編集委員・竹内敬二

 

◇甘い想定、頼った「最終手段」(2011年3月14日)

編集委員・竹内敬二

 福島第一原発では、1号機に続いて炉心溶融の可能性が強い3号機でも格納容器にある弁を開ける作業をとった。このガス放出弁は、実は、原発の建設時には「日本では炉心溶融が起こらない」として装備されていなかった。海外の動きにおされて導入したこの弁が、今は最悪の事態を回避する命綱になっている。当初の事故想定がいかに甘かったかを示している。

 弁は格納容器内のガスを放射能除去フィルターを通して外部に出すものだ。

 1号機は12日に放出を行った。電源がないため、職員の手や小型のコンプレッサーで弁を開いた。圧力容器から出たガスで8気圧まで上昇していた格納容器内の圧力が大きく下がった。格納容器は4気圧まで耐えられる設計。8気圧は厳しい状況だった。

 専門家は、もし弁がなければ、格納容器の爆発から大惨事にいたった可能性が高かったとみる。弁に助けられた。

 3号機でも13日から、弁を開けた。

 福島第一原発の6基の原発は1970年代に、福島第二原発の4基の原発は80年代に運転を開始した。いずれも建設当時に弁はなかった。炉心溶融などの過酷事故(シビアアクシデント)は起こらないという考えからだった。

 しかし、79年、米スリーマイル島(TMI)原発で炉心溶融が起き、爆発の一歩手前までいった。86年には違う炉型の旧ソ連チェルノブイリ原発で炉心爆発が起きた。

 このため、フランスやスウェーデン、ドイツ、米国では炉心溶融に備え、格納容器に弁をつける変更を始めた。

 日本ではその後も「過酷事故は起こらない。対策は不要」とされてきた。しかし、92年に原子力安全委員会が「検討が必要」との見解を出し、その後、電力業界も「確率は極めて低いが安全性を高める」として方針を変えた。

 東京電力などがもつ沸騰水型炉(BWR)は90年代半ばから弁の設置を始めた。ガスは格納容器下部からフィルターを通って外部に出るようになっている。

 一方、関西電力などの加圧水型炉(PWR)の格納容器は大きくて余裕があるので、弁はつくらず、格納容器内を冷やす装置の強化などで対応している。

 ただ、弁の開放は放射性ガスの放出という「やってはならないこと」の実施だ。格納容器の防護機能を自ら捨てて、圧力容器という最後のとりでを守る「最終手段」といえる。実際、今回、弁を開いたときには、原発周囲の放射線強度が上がり、被曝(ひばく)者もでている。

 リスクも大きい。1号機ではガス放出のあと、建屋内で水素爆発がおきた。建屋の壁が吹き飛び、負傷者4人を出した。水素がたまったことにはガス放出が関係しているとみられている。

 もし大きな爆発が起きれば、大規模な放射能放出も考えられる。ぎりぎりの判断と覚悟が求められる作業だ。

 東京電力は弁を開けることをどこまで現実的に考えていたのだろうか。

 炉心溶融を起こし、大量の避難民を生み、放射性物質を放出させた事実は、日本人の原子力への考えを決定的に変えるだろう。「想定外の……」の繰り返しでは片づけられない。そして、まだ原発の危機は全く去っていない。

 

◇最悪の事態回避へ懸命(2011年3月13日)

 福島第一原発は「炉心溶融」が起き、放射能が外部に放出される中で、「半径20キロ」の住民が避難するという事態にまで進んだ。炉心の損傷が大きければ、今後、放射能の大量放出という事態もある。異例ずくめの状況の中で、最悪事態の回避にぎりぎりの模索を続けている。

 12日、原発の建屋内で水素が爆発し、建屋が壊れた。問題はその爆発によって建屋の内側にある格納容器がどの程度損傷したかだ。

 枝野官房長官は「破損していない。爆発前後で放射能の出方に大きな変化はない」と発表した。原発全体が壊れたような爆発に見えたが、最悪の事態は免れたといえる。しかし、格納容器は、内部のガスを抜くために弁を開け、防護機能が失われている。油断はできない。

 原発史上最悪となった1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故では「30キロの避難」を余儀なくされた。原子炉そのものが爆発して核燃料が直接大気に露出し、長期間放射性物質が大気中に噴き上げた事故だ。

 79年の米スリーマイル島(TMI)原発の事故では、圧力容器内の水が減って、今回と同じく炉心溶融が起きた。しかし、格納容器もその内側の圧力容器も損傷せず、放射能の大量放出はなかった。

 福島第一原発は今回の事故で、チェルノブイリ、TMI事故に続き大事故のリストに加わる。TMIより大きな事故といえるだろう。

 広域避難はチェルノブイリを思い起こさせる。しかし、この事故と直接比較することはできない。

 それでも、これほどの避難が必要なのか。政府は「念のためという意味もある広域避難」と説明したが、それは指示を出した後だった。

 今後は炉心の状況、放射能データなどをもっと丁寧に説明すべきだろう。不十分な説明のまま、夜に避難指示をだすようなやり方では不信感が増すだけだ。

 東京電力は、格納容器内を海水で満たす措置を始めた。前例のない極めて異例の作業でリスクも大きいが、最悪事態を防ぐために採用した。これが奏功するかどうかわからないが、失敗も許されない。(編集委員・竹内敬二

 

◇地震国と原発、どう共存するのか(2011年3月12日)

編集委員・竹内敬二

 原子力史上初の非常事態宣言、周辺住民の避難指示に至った事態は、原発が持つ潜在的な危険の大きさを改めて思い起こさせた。「原発はきちんと設計されているから大丈夫」という説明は崩れ、「地震国・日本はどう原発と共存するのか」という、根本的な問題を突きつけている。

 緊急炉心冷却システム(ECCS)は「事故から守る多重防護装置」の中で要だ。それが働かなかった。

 地震の際、原発が止まるだけでは事故を防げない。核燃料が当分の間、熱を発するため、炉心に水を十分に注入して冷やす必要がある。失敗すると、燃料が高温で溶け、炉心の爆発、大事故に向かってしまう。

 炉心の水が減って大事故一歩手前までいったのが、1979年の米国スリーマイル原発事故だった。今回はこれと似た事態になった。

 「ECCSが作動しないことがあるのか」は、原発の開発初期から安全論争の中心だった。それが日本のような先進国の複数の原発で、いとも簡単に起きてしまった。

 原因は停電だ。巨大な発電所である原発も、事故時に送電が途絶えると何も動かなくなってしまう。そのため何重もの非常用発電機を備え「ECCSだけは絶対に動かす」システムにしているはずだった。

 今回の事態は、設計思想の変更を迫るものだ。国は阪神大震災以降、原発の耐震基準の強化に前向きに取りくんだ。耐震補強もしてきたが、不十分だった。原発の本体はある程度丈夫にできるが、原発は膨大な部品が組み合わさった複雑な施設だ。電力系統など付属設備の被害の予測は難しく、大地震がいつどこで起きるかも不確かだ。

 資源のない日本では、原発をエネルギー政策の柱にすえてきた。スリーマイル事故で米国の原発建設が止まり、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で欧州で脱原発が広がっても、原発中心の政策を変えず、自然エネルギーの普及は遅い。

 今、原子力政策を決める原子力大綱の改正が議論中だが、従来の方針を踏襲するだけになりそうだ。

 今回、多数の原発が止まった。再開には時間がかかる。原発頼りがかえってエネルギー供給リスクを生んでいることも認識すべきだ。

 謙虚になって地震の脅威を考える必要がある。地震国日本でどこまで原発を増やすのか、原発の安全は確保できるのかという「振り出しに戻る議論」が必要だろう。そうしないと、地震のすさまじい被害の上に放射能事故の恐怖に直面した多くの国民が納得しない。

 ■原子力緊急事態宣言(全文)

 政府が発表した「原子力緊急事態宣言」の全文は次の通り。

 平成23年(2011年)3月11日16時36分、東京電力(株)福島第一原子力発電所において、原子力災害対策特別措置法第15条1項2号の規定に該当する事象が発生し、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要があると認められるため、同条の規定に基づき、原子力緊急事態宣言を発する。

 (注)

 現在のところ、放射性物質による施設の外部への影響は確認されていません。したがって、対象区域内の居住者、滞在者は現時点では直ちに特別な行動を起こす必要はありません。あわてて避難を始めることなく、それぞれの自宅や現在の居場所で待機し、防災行政無線、テレビ、ラジオ等で最新の情報を得るようにして下さい。

 繰り返しますが、放射能が現に施設の外に漏れている状態ではありません。落ち着いて情報を得るようにお願いします。