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 前稿で、危機に対する生物の、柔軟でしぶといふるまいを紹介した。想定外の危機に強い社会システムについて、何か学べる所があるのでは、と考えたからだ。だがこの論には大きな飛躍がある。ただのアナロジーに過ぎないのでは、との批判もあろう。

 まず第一に、ヒトの知性はもっと中央集権的なもの。だから他の生物の例は参考にならないのでは、という点。第二に、前稿のゴキブリやカエルの例は、あくまで個体レベルの話。社会システムにそのまま応用できるか、という点。これらの疑問に答えようとするうちに、見えてきたものがある。現代社会が直面する問題の本質と、それに拮抗しようとする時代精神。これだ。

 まず、「ヒトの知性はもっと中央集権的では」という点について。実は人の脳もまた、案外分散型の一面を持つ。もともと心理学の歴史はごく簡単に、「ホマンキュラス(賢いこびと)から分散型の知性へ」と要約できる。かつて知には「司令塔」が不可欠とされた。脳がそれであり、中でも前頭あたりに「賢い小人」がいる。その小人がすべてを理解して指令を出す。そう擬人的に考えられた。

 ニューラル・ネットワーク・モデルの出現で、この擬人的なモデルは乗り越えられた。 ニューラル・ネットとはどのようなものか。体育館いっぱいに、子どもたちが手をつないで並んでいる。そういう場面を想像してほしい。彼らは、隣から手を引っ張られたら、次の子の手を引っ張る。また、それが繰り返されたらだんだん引っ張る手を強める。そんな単純なルールだけで動いている。肝心なポイントとして、号令を出す校長のような存在はいない。入り口の列にあるパターンの信号を与えると、出口の列からあるパターンが出てくる。これを繰り返すだけで学習ができ、刺激に正しく反応できるようになる。

 ニューラル・ネットだけだと脳の中の話だが、これが身体を通して環境と相互作用する。結果また、新たな知性が創出される。たとえば歩いていて、見えていなかった石に躓いたとしよう。大脳が判断する前に反対側の足が出て、バランスを保つ。坂道でも、脊椎以下の神経と筋骨格系の相互作用だけで、歩を速めたり前傾を高めたりできる。「自己組織化」によって知性(や秩序)が「創発」した、と表現する。賢いこびとなど、どこにもいないのだ。

 独創性が発揮されるときも、こういう「とっさの反応」っぽいメカニズムが働くことが多い。ヒトをヒトたらしめている高級な知性も案外、自己組織的な一面を持っている。

 さて、第二の批判として、「個体の知性の話を、社会システムにそのまま応用できるか」という点があった。答えはイエスだ。動物の社会集団の中にも、分散型で自己組織的な知性は実装されている。中でもアリやハチなど、社会性昆虫のふるまいが面白い。

 たとえばある種のアリは、地理的な条件を満たすように巣造りをする。女王アリの部屋が中央にあり、別に食料の貯蔵庫がある。さらに仲間の死体を捨てる墓場まである(そのこと自体、埋葬の生物学的起源を思わせて面白い)。

 食料庫も墓場も共に、女王の部屋からできるだけ遠い距離に造られる。さらにその上で可能な限り、このふたつの間の距離も遠くなるように、設営されるという。実にうまくできている。だからといって、建築家アリがいたり、女王アリが指令を出している訳ではない。女王アリは、働きアリの中から偶発的に選ばれただけで、特別の能力は持っていない。遺伝子までまったく同じだという。

 個々のアリは、ごく限定された能力しか持ち合わせていない。それでもなお、結果的に見事なチームワークで、優れた建築物を造る。交通渋滞を起こさず、過不足なく食物を巣まで運んだりもする。

 このように動物の社会集団にも、分散型の知性は実装されている。前稿でふれた粘菌などは、個体とも社会集団ともとれる存在だから、間を繋ぐ究極の例と言える。

 予期せぬ大きな損傷を受けても、機能はゆるやかに低下するだけで壊滅はしない。分散型知性にはそういう特徴があることを、前稿で指摘した。これは、丸ごと動物の社会集団にも(ヒトの脳にさえ部分的には)当てはまる。

 より広く思想史的に見ると、過去二世紀の間に、異なる分野の巨人たちが独立に、似た洞察に辿り着いていた。市場を「神の見えざる手」に模した経済学のA. スミス。産業革命期、拡大するマンチェスターの、自己組織的な都市構造に驚いた唯物論のF. エンゲルス。生物の多様性と進化の関係を探究したC. ダーウィン。生物の形態発生に、計算論的基礎を与えたA. チューリング。「混沌からの秩序」を理解するため、散逸構造論を提唱した物理化学のI. プリゴジン。そしてニューラル・ネットの創始者、T. コホーネンを付け加えよう。

 彼らの対象は市場、都市、生物などさまざまだ。が、その洞察には共通点がある。ごく単純なふるまいをする、多数のユニット。その相互作用で、全体のシステムが秩序や知性を「創発する」という点だ(「創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク」S.ジョンソン著、山形浩生訳、ソフトバンククリエイティブ )。

 しかし、と人は言うだろう。A. スミスの言う「神の見えざる手」とは自由な市場のことだ。が、実際の所、世界大恐慌を防げなかったではないか、と。

 だが生物界の精妙で柔軟な知性と、人間の浅知恵が生み出した固定的な知のシステムとは、違う。その間には、依然として本質的な懸隔がある。中でも、現世代が学んだ知恵を次世代に伝える技術。これは人間の専売特許かと思いきや、案外生物界に一日の長があったりする。たとえば、北オーストラリアの草原に棲む磁気シロアリ。彼らは天候に合わせ、24時間住み心地のよい巨大土墳を構築する。ところが磁気に対するふるまいには、個体間でばらつきがある。より適応的なものだけが生き残り、次世代のコロニーに受け継がれるというのだ。

 現代社会は自ら巨大化し、柔軟性を失った。今やまさに、カタストロフィ(破滅)の淵に立たされている。他方では、それを乗り越えようとする時代精神が、懸命に追いつこうとしている。

 このデッドヒートは、どちらが勝つのだろう。

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筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

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