寺岡伸章
2011年05月31日
3・11大震災での日本人の冷静な行動と相互の援助活動が海外から称賛された。一方、福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射能漏れが伝えられると、留学生をはじめとして多くの外国人が日本から退去していった。一時的に海外に避難したのである。
私の知り合いの中国人研究者夫妻は、4月から子供を日本人学校に入学させる予定であったが、急遽取りやめて、北京の中国人学校に入学させることに変更した。変わり身の早さに驚いたものである。
英雑誌「ネイチャー」の東京事務所も震災発生後、事務所を急遽広島に移転させた。
事故が収束に向かうにつれて、情報が知れわたり、海外に退避していた外国人も帰りはじめた。しかし、4月に訪日した外国人観光客は62%もの減少となっている。日本の食品は放射線汚染の疑いから輸出に大きなダメージを受けている。さらに、日本の工業製品にも外国人が敬遠し、購買しようとしないという。
福島第一原子力発電所事故から避難を余儀なくされた方々のほとんどは住み慣れた街への復帰を強く望んでいるし、漁師も海の見える高台に家を再建して、早く漁に出たいと思っている。土着意識や郷土愛がきわめて強い。
自国かどうかが問題だと言ってしまえばそれまでだが、日本人と外国人の危機意識の差を思い知らされたようでもある。長い間農耕漁撈を営んできた日本人として、多様で彩られた四季と美しい山や海への愛着が強いのであろう。大震災以降、日本人の絆が強まったと言われるが、海に囲まれたこの列島の中で地震や台風の脅威を受けても生きていかなければならないという意識が強いように感じられる。
欧米人や中国人は歴史上多くの戦乱を経験し、危機が起これば、まずは逃避するという感覚が身についているようにみえる。命があれば再起は可能であると考えていようか。それに比べて、日本人は自然と共生して生きてきており、人の命も自然の一部と考えている節がある。それはもののあわれや無常感となって表れているように思われる。
空想的な話かもしれないが、「日本沈没」が現実のものとなっても多くの日本人は列島とともに運命をともにするような気がする。
福島第一原子力発電所事故は日本国内では安全面での議論を呼んだ。しかし、テロリズムとの戦いを続ける米国は安全性の問題に加えて、核セキュリティに強い関心を示している。事故の前には、日本の原子力施設は武装警官が配備されておらず、さらに原子力施設で働く職員の身上調査も十分に行っていないと米国は不満を抱いていた。テロリスト集団が海から原子力施設を襲撃した場合を想定すると、防御できるかと懸念していたのである。
事故後、米国は核セキュリティの観点から、対策が講じられているか懸念していると伝えられる。事故サイトに近づいて、核物質を盗み出す者はいないというのは日本人の発想であって、米国人はそうは考えない。あらゆる可能性を考えるのが、テロリストとの戦争状態にある国である。
高い放射能のセシウムが土壌を汚染していると問題になっているが、危機意識の高い海外の人々は、もしテロリストがその土壌を秘密裏にかき集めて、浄水場の取水口付近に廃棄したり、東京都心に散布したらパニックになると心配する。
また、今回の原子力発電所の事故は不幸にもテロリストに多くのことを学ばせている。原子炉を直接襲撃しなくても、すべての電源を喪失させれば、原子力発電所は水素爆発に至り、さらに条件が整えば水蒸気爆発まで進行する可能性があることを教えた。また、原子力発電所を導入計画の開発途上国は、原子力発電所の事故が起これば、収束のために軍隊が大量に投入され、一時的に国防体制が弱まるのではないかと懸念している。
想像もしたくない悪い事態を考えるのは誰でも嫌である。今回実際に起こった事故は専門家さえ考えられなかったことであり、また考えたくない事故であったと思う。
ビン・ラディンを殺害した米国は彼らの逆襲への危機感を一層強めている。安全性だけでなく、核セキュリティの観点から原子力施設へのテロリズムも考慮しないといけない。もう想定外という言葉は二度と聞きたくない。
(本稿で示されている見解は、筆者個人のものであり、筆者が所属する組織のものではない)
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