尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト
1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
尾関章
そのことをもう少し突きつめて考えたほうがよいように思う。
いま日本では、福島第一原発の泥沼状態が続き、人々は放射能の影響に神経をとがらせている。これは科学記者の直感だが、原子レベルの話には、理性でなく感性の面で逆風が吹いているようだ。だからこそ、こうした実験は、ふだん以上に「なぜやるか」の問いに対する答えが求められているとは言えまいか。
断っておくが、私自身は、こういう実験と原子力利用は別ものだと思っている。一般論で言えば、素粒子や原子核の基礎科学実験は放射線と無縁でないが、核反応を連鎖的に起こして大量のエネルギーをとりだそうという行為とはまったく違う。知的探究と実利追求という目的の違いを超えて、内在するリスクも大きく異なるように思う。
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