朝日ニュースター
2011年06月27日
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朝日グループのジャーナリズムTV「朝日ニュースター」は、通信衛星などを利用して24時間放送しているテレビチャンネルで、ケーブルテレビ局やスカパー!などを通じて有料視聴することができます。4月から始まった新番組「科学朝日」は、高橋真理子・朝日新聞編集委員がレギュラー出演する科学トーク番組です。WEBRONZAでは、番組内容をスペシャル記事としてテキスト化してお届けします。
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ゲスト 財団法人土木研究センター常務理事 宇多高明さん
高橋:こんばんは。科学の最先端に浸る「科学朝日」。今回のテーマは、「海岸をどうする。大震災後の日本」です。
東日本大震災の津波のインパクトはすさまじいものがありました。海と、私たちはどうやって向き合ったらいいのか、あらためて考え込んでいらっしゃる方も多いと思います。本日は日本の海岸について長年研究を重ね、全国をとびまわっていらっしゃる「海岸ドクター」、財団法人土木研究センター常務理事の、宇多高明(うだたかあき)さんです。宇多さん、よろしくお願い致します。
宇多:こんばんは、よろしく。
高橋:宇多さんはもともとは、国土交通省の土木研究所ですか。
宇多:はい。
高橋:で、ずっと研究してらっしゃった。
宇多:それは「国総研」という名前に変わりましたけど、そこにいて、そしていまの職場に移りました。
高橋:いまの財団法人は、どういう目的の法人なんですか?
宇多:これは、いま申し上げた国土技術政策総合研究所というところの傘下にある、俗に言う財団法人で、もっぱら私の仕事は、海岸の現場で人が死なないように、どうやったら生命を守れるかというようなこと。それから、砂浜をどうやったら保全できるかって、そんなことを毎日やってます。
高橋:人を守るためには高い堤防を作るのがいい、というのが一般の方の発想だと思うんですね。一方で、砂浜っていうのは防御されていない場所で、それを両方一緒に考えていらっしゃるんですか?
宇多:なんて言うかな、要するに、津波でも波でもいいんですけど、コンクリートの厚い堤防を張り巡らしてね、鉄壁の守りを固めればいいという、そういう思考はあまり私、賛成しないんです。
というのは、自然っていうのは非常にうまくできていますから、むやみやたらに人が海に出て行かないで、ある程度の緩衝帯っていうかな。余裕を持てばおのずといいバランスができると、そういうふうに私は思ってんです。そういう点から、何ができて何ができないかっていうことを、現場に立脚しながら区分けしてくというのが、私の仕事になっています。
高橋:じゃあ、ここでいったんコマーシャルです。コマーシャルの後に東日本大震災の被害について、いろいろ詳しくお伺いしたいと思います。
(CM)
高橋さん:「科学朝日」。本日のゲストはこの方、財団法人土木研究センター常務理事の宇多高明さんです。
宇多:よろしく。
高橋:よろしくお願いします。
大震災の後、早速、現地の調査に入られたそうですが、いつ頃から入られたんですか?
宇多:4月の10日ぐらいから、延べ2週間ぐらい行ってます。岩手県からずっと南の方へ下って、最後は千葉県まで、何遍も何遍も行ってます。
高橋:そうですか。今回の被害は、各地、非常に大きかったんですけども、特に印象的なのは宮古ですよね。あんなに高い、高さ10メートルの防波堤が無残に壊れてしまったと。それは専門家から見ていかがなんでしょうか。
宇多:やっぱり、想像を絶しますよね。特に岩手県は陸前高田とか、まったくの更地になっちゃうぐらいの波でしたから、「いまだかつてない」というのはまったくそのとおりだと思います。
高橋:そうですね。 で、宮古の現地調査のお写真があるんですね。じゃあそれを見ながら、お話を進めていきたいと思いますが、これは宮古湾の地図ですね。
宇多:ええ。ここの、入り組んだリアス式海岸のへこんだところがありますけど、このいちばん底のところ辺りを調査しました。もちろん、山田とかいろんなところを回りましたけど、今日はここに特徴的な例がありますから、ここをちょっとご覧いただければと思います。
高橋:はい。次の写真は。
宇多さん:これ、「ゆ」と書いてあるでしょ?
高橋:はい。
宇多:この建物の1階は、全部津波で壊れて、2階もないと。
高橋:ああ~、向こう側が見えますね。
宇多:3階になるとガラスがちょっと残ってますから、津波の波の高さはこの程度、来ただろうというのは、容易に想像つきますよね。
高橋:ええ。
宇多:そのときにこれ、実はこの向こう側の方にあった堤防が、ちょん切れてたんです。
高橋:はあ。
宇多:だから、あるべき堤防が崩れちゃって、ものすごい水がここへ突入したっていう場所なんです。順番に見ていただければありがたいんですが。
高橋:はい。
宇多:この高さ6メーター50。これ現地へ行くとね、ものすごい高い堤防です。コンクリートで全部できて。ところが、こんなふうに全部はがれてるわけですね。
これはまあ、津波がここ、ドーッと10メーターぐらいの波がこぼれてきましたから当然なんですけど、ここをずっと歩いて行くと、妙な景色にあたったわけです。ちょっと次、お願いします。
この矢印のとこへ行きますとね、なんか、真っすぐある堤防が、ここ、ないんですわ、よく見ると。
高橋:なんか空間が見えますね。
宇多:ええ。「おや、おかしいな」って。それで我々は、じゃあここまでちゃんと歩いてこうといって、ポールを持って歩いて行ったわけです。そして行ってみると、次のようになるんです。こんな穴ですよ。
高橋:ああ~。
宇多:これ、最初からこう作ったわけじゃなくて、コンクリートのこれは、どれも最低でも50センチ厚の厚さでできているものの中に、土を詰めてたんです。その土が全部なくなって、こっから水が、こっち、陸側ですけどあふれかえってきて、今度は逆に、また海の方に戻ってったっていう大穴なんです。
高橋:ああ~~。
宇多:だから、こういうことが起こっちゃうと、堤防はあってなきがごとしになるわけですね。その典型例ですね。
高橋:堤防っていうのは基本的には、土で高さを作って、その周りをコンクリートで固める。
宇多:伊勢湾台風の時以来、日本国では、海岸の堤防っていうのは全部、海側も、てっぺんも、陸側も、全部コンクリートの覆いを掛けなさいという基準になってます。だから、そんなちょっとの津波来ても、普通、壊れるはずないんですね。でもこれ、何もないんですもんね。
高橋:この、見えてる厚さで、ずっと全体を覆ってたわけなんですね?
宇多:ええ、完全に。このテーブルのように完全に覆ってる。コンクリートの塊ですよね。で、50センチですよ。
高橋:うーん。
宇多:そんなものすごい厚さで、ですけど、こうやって穴が開いちゃったわけですね。
高橋:波の力のすさまじさですよね。
宇多:もっともこのとき、ここ6メーター50ですから、これの上、3メーターぐらいの水流がドッと超えたっていうのは、土木学会の調査なんかでも分かってるわけです。
で、これ(笑い)。笑い話じゃないですけど、コンクリートの割れ目の向こうに海が見えてます。
高橋:はい。
宇多:絶対こういう写真は撮れないはずなんで。ですが実際は、こういうことが起こっちゃったわけですね。
これは同じような、こういうふうに土を詰めて、そこに、こういうふうにコンクリートで覆いを掛けると。で、これ、なかなか作るのに時間がかかるわけです。だから復旧するときに、「はい、じゃあ来月に作りましょう」っていうわけにいかない。そこがとても大きな問題ですね。その間も津波は、「いま、復旧中だから来んのやめた」というふうにはならないから、そこが問題になるわけでね。
高橋:この土も、どっかから持って来なきゃいけない。
宇多:持って来なきゃいけない、そうそう。
高橋:そうですよ。あの山から持ってくるとか。
宇多:そうそうそうそう。だから大変な時間とお金がかかるわけですね。
で、もうひとつはね、これ、よくマスコミで、津波の俎上高(そじょうだか)。波の高さっていう話が出ますけど、現実にどうやって測るかというと、現地、行ってみますとね、ここんとこ枯れてるんですよ、草が。それで、漁網ですとかそんなものが跳び上がってきてるんですね。
で、ここでは海面から10.7メーターの高さなんですけど、この先っちょが。ここ、海面からね。そこまで波がドーンと来たというのが、各地に記録が残されるわけですね。
高橋:それは、水がここまで来たなっていうのを、目で見て判断するわけですね?
宇多:はい。逐一、そういう場所を何十個所も見て歩いて調べるわけです。で、そのことを覚えたうえで、その周辺でどういう被害が生じたかっていうのを調べていくわけです、丁寧にね。 次の画像を見ていただくと、いま来た、11メートル近い波が来たところの、この裏側に、すごい大きな集落があるんですけど、その前にこういう立派な堤防が立ってたんです。で、これ、確か6.5メーターだったと思いますが。
高橋:8.5です。
宇多:8.5か。
高橋:はい。
宇多:8.5メートル、高い堤防があるわけです。ところがここ、ないでしょ?
高橋:ないって、壊れたんじゃないんですか? 津波の力で。
宇多:じゃない、壊れてんじゃないんです、これ。どうも調べてみると。
ここ道路で、で、この集落の目の前をこう守ってるからいいやと思ったんだろう、と思います。
高橋:はい。
宇多:ところが津波は、ここを管理してる人は誰、こっちは道路、なんてことは関係なくて、へこみがあれば津波は突入してきますから、ここから大量の水がウワーッと来たわけです。これ、高さ、すごい量ですよ。
高橋:ええ。
宇多:このビルの1階が全部埋まるぐらいの水量が、ここへ抜けてったわけです。抜けるとどういうことになるかつーと、次の画像を見ていただいて。で、測ってますね。これ、ここ道路。
高橋:ほんと、高い堤防なんですね(笑い)。人がいると分かりますけど。
宇多:はい。ここで突然終わってる。そいで車がいるでしょ? 向こうから我々もこう来たんですが、ここで突然終わってると。
高橋:うーん。
宇多:でもここから、このすき間から、大量の水が手前側に流れ込んできたわけです。いま、彼、立ってますけど、これ高さが、上、4メーターぐらい差があるわけですね。そいでこっち、入ってくるでしょ?
高橋:ええ。
宇多:そうするとどうなるかというと、はい、次。こんなふうに、なだれ込んできた水がここへ。滝つぼ。
華厳ノ滝の滝つぼと思ってもらえば。
高橋:あー、なるほど。
宇多:ここに。そして、電柱が向こうへ向かって倒れてる。ほら。
高橋:はい、はい。
宇多:これ、真上に立ってたのが。
高橋:こっちから向こうに水が流れたと。
宇多:そうそうそうそうそう。
高橋:ここは堤防があるから、正面からは来なかったけれども。
宇多:来ました。
高橋:あ、来た(笑い)。超えて来た。
宇多:来たんだけど、超えて来たんで。家はもちろん浸水してますが、浸水してくるのと、こういうの、鉄砲玉みたく、大砲弾のように飛び込んだのとはわけが違うんですね。
ここ、大穴がありまして、昔からこういう土地じゃなかったわけですよ。ここに立ってたものは粉砕されて、バーンといっちゃった。
で、教訓。所管がいろいろ違うとかどうとか、いろいろありますが、ここに住んでる人はそんなことはどうでもいいことで、水が来ないことがいいことです。津波は来ないことが。
高橋:ええ。
宇多:ところがこういうふうに、堤防の高さがちょっと違うとか、低いとか、そういうのが今回たくさんあるんですね。それ、国民的、市民的視野で、もう一回ちゃんと見て、「おれんとこ、本当、大丈夫かな」ちゅうのを、やっぱり見ていただきたいんですよね。
高橋:うーん。
宇多:それは、人間の方のシステムの問題ですけど、そういうところを見なきゃならないと。
これは高い堤防で守られているところですけど、これ、車ひっくり返ってますよね。
高橋:はい。
宇多:ここ、アパートの2階は何ともないでしょ? ふとん干してますから。
高橋:はい。
宇多:でもここは、ワーッと水がこれで、1階はもちろんやられてるんです。でも、水が流れただけですと、こういう家は流されないですよね。
高橋:なるほど。
宇多:だから、「浸水区域」っていうけど、ヒタヒタとコップの水のように水が来るんじゃないんです。
高橋:ドーンと。ドーンといくと壊れちゃう。
宇多:そう。だからそこんところを、頭、整理した方がいいなあと思うんです。
高橋:同じ高さのものがつながっていたら、ドーンとは来なかったと。穴があるから、そこからドーンと来ちゃうと。
宇多:はい。でも全国、オールジャパン全部、10メートルの塀を作れますか?
高橋:それはなかなか大変だ。
宇多:っていう話になります。
高橋:そうですねえ。
今度は仙台市ですね。仙台市もねえ、ひどい被害を・・。
宇多:うん。ここは、もうちょっと注意深く見る必要があるんですが、ここんとこが仙台市ね、発展してるところ。ここは広ーい、低い土地なんです。高さが海面から2メーターぐらい。もともと、じゅくじゅくした土地で、ここについては南側の方。この相馬港というのが、あるいは、松川浦という港があるんですが、こっち側から砂がゆっくりとここへ流れてきて、たまってできた土地なんです。
高橋:お~。
宇多:で、あんまり砂がうんとないところで、何遍も津波の災害、あるいは波の災害、受けた場所なんですが、今日はこの名取川のちょっと北側の、荒浜地区というのを見てみたいと。
これ、もう全域同じような状態なんで、ひとつ見てもらえば分かると思うんで。
高橋:普通は、川から砂が流れてくるんじゃないですか?
宇多:ええ。ここは阿武隈川っちゅう川が入ってんですが、ここに入った砂は全部、北側へ流れてまして、波がこっち、南の方から来るんで、砂がこっちへ行きたがる。
高橋:はい。
宇多:で、ここについては、ここからちょうど福島第一発電所ぐらいまで、ずーっと鉛直ながけができてまして、そこから崩れた砂がゆっくりと波に漂いながら流れ込んで行った場所なんです。それがいま、もう流れてこないですから、ここはもう何て言うか、過去にたまった砂があるギリギリの場所なんですね。あんまり増えなくなった場所なんです。そういう低地の話です。
高橋:はい。
宇多:で、これ、1905年。ずいぶん古いですよね。
高橋:古いですね。
宇多:ここの点線のところ。ここが海岸線で、こっちが海ですね。上を海に見てます。
で、貞山堀(ていざんぼり)っていって、伊達政宗が米を輸送するために、北上平野から、関東の方へ米を輸送するために掘った堀なんです。
高橋:お堀、はい。
宇多:で、この堀をあの当時、1590年頃、作れたってことは、もともとあんまり高くない土地だった。あの当時、ブルドーザーありませんから。
高橋:はい、そうですね(笑い)。
宇多:ねえ。そういうのがずっと残ってる場所で、ここの点線のところは松林なんです。ところがこれよく見ていただくと、このポチポチッてあるのは、ここは実は集落があるわけです。
高橋:もう、1905年当時に。
宇多:あった。
高橋:集落があったんですね?
宇多:はい。
で、これ実を言うと、明治29年に津波、来てまして、その後、昭和8年にもこの地域、津波、食らってるんですね。その後で、ここは危ないから全部、松林にしましょうと、どうですかというのを議論したんです。
高橋:はい、はい。
宇多:で、行政が一所懸命やろうとしたんだけれども、土地を購入することができずに、結局、この地域はそのまま残されたと。個人の土地ですから、強制的に取るなんてことできっこないですよねえ。
高橋:うん、うんうん。
宇多:でも結局、残されてて、そいで何が起こったかというと、この地域、守らなきゃしょうがないですよね。だから、ここからここまでを立派な、さっきご覧いただいた、コンクリートの堤防を作りました。正面だけ。
そうすっと、こっから北側とかこっから南側はどういうことになるかというと、人、住んでないですよね。そしたら、そんな大幅な工事をする必要ないでしょ。柵かなんか作っとけばいいじゃないですかと、やったんですよ。
高橋:ああ。
宇多:ところがここは、津波が来てみると、別に正面から敵がいつも来るとは限らずに、からめ手、つまり、横の方からドッとここへ入って来たわけです。で、この集落はほとんど全滅しました。それを見ていただきたいんです。
高橋:はい。
宇多:ね? で、これ立派な、公園のところにある、お手洗いなんですけど。
高橋:あー。
宇多:津波が向こうへ走ってったというのは、これ、高さ3メーター。ここまで土地がありましたから、大穴が角に開いて、向こうへ向かって、内陸へ向かって、津波は流れていったと。
高橋:ふーーん。
宇多:すごい、軽自動車が突っ込んでくるようなスピードで動きますから、逃げようがないという速度で。で、松はほとんどひっくり返りましたけど、何本かは残ってました。
高橋:はい。
宇多:で、その海側に行きますとね、次のようになるんです。これ。
「T.P.」というのは海面からの高さ。6.2メートルの立派なコンクリートの堤防はあったんです。でも、このフェンス、こっち向きに倒れてるでしょ?
高橋:はい。
宇多:だから、ここの上を津波が流れたっていうのは間違いないです。
高橋:はい。
宇多:で、どうなってんだろうって南側に見に行くと、はい、次。
これ、反対を見ると、ここ、津波が超えた後に大穴ができていると。
高橋:ああ~。
宇多:これは2メーターぐらいの穴が開くのは当然なんですけど、それで次。
それの裏側の集落はこういうふうに、土台があるだけ。家がたくさんあったのが、家は全部、完全になくなって、それで、土台もこういうふうに傾いちゃってるという姿なんです。それで次。
で、堤防を見に行こうというんで、歩いて行きました。そうすっとねえ、この堤防は見事に。この左側に集落があるんです。
高橋:こっちは海ですね?
宇多:はい、こっち海ね。すると、集落のちょっと先で止まってたんです、堤防が。
高橋:ああ~~。
宇多:経済行為からすると、そんな松林を守るのは意味ないじゃないかと。
それから、これの前にも「離岸堤」っていって、テトラポッドをパパパパと置くのが5つあったんです。だから二重に守ってたと。しかし、その先を見ると川があるんですよ。何かなと思って。川じゃないと。ここ、もとは砂浜だったんです。大量の津波が中へ入ってって、また戻ってって、ここに川ができちゃったんです。そういう風景なんです。川はとても大きくて、次。こんな、どえらい大きな川になっちゃったんです。
高橋:ええ。
宇多:ですからこれは、いったい、市民が生活してる場があったときに、どこをどう守ればいいんですかということに対してすごく教訓的。ほんとは住まないようにできればいいんだけど、それもできない。じゃあ、住むとして、なんか高いものを付ければいいとか、皆さん、簡単に言う。ゴミでここへ堤防を作ればいいとか言うけど、そんな簡単じゃなくて、本当にすごい力で来ますから。
で、こんなことも、ほんとに瞬時にやってのけちゃうのが津波の力ですから、そこをよく考える必要があるっていう、教訓的な写真だと思います。
次、もう1枚。これ。これは、ここに杭(くい)があるじゃないですか。
高橋:ありますね、はい。
宇多:これ、ここからここまで2メートル。これ、杭の頭が全部、割れて飛んでってしまったんですが、ここの裏側は保安林といって、松林なんです。で、ここのところは堤防がなかったんです。だから、こっから大量の水が飛び込んでいった跡。
だから、何て言うのかな、俗に言う縦割りじゃないですけど、所管が違うとかそんなことで、「いや、これ集落なら、その背後だけ守ればいいじゃない」ってすごい短絡的な発想で守っていた。津波は所管は関係ないですからね。低けりゃ津波は突入してくるっていうことが起こったわけです。すごく教訓。
高橋:そうすると、その前だけ建てるぐらいだったら、全然ない方がまだよかったっていうことですか?
宇多:あってもなくても同じ(笑い)。
高橋さん:おんなじ。あれだけ強い津波だとね。
宇多:ですから、これが集落だとすると、こういうふうに輪中(わじゅう )のようにするぐらい。あるいはこういうふうに、何列も縦に深い、ちょうど徳川家康公が江戸の幕府をつくったときに、城下町は、道路は真っすぐな道じゃなくて、すべてクランクしたジグザグの道を造りましたね。あれと同じで。
高橋:なかなか入って来れないようにする。
宇多:そうそう。向こうが海が見えて、真っすぐ見えるような道路があるところは、全部、完ぺきにやられてますから、だから幾重にもやるようなことをする必要があって。
だから、がれきの山が10メートルあるから、ここは作ればいい。それはなかなか難しい。っていうのは、川が入ってるでしょ?
高橋:うーん。
宇多:一点の曇りもないような10メートルのものを作るってことが、ほんとにできるかどうかっていう問題もある。だから、そういうんで非常にここは教訓的で。
で、次の写真のように、こういうふうに、荒浜小学校のこれ、コンクリート建てのビルですけど、これ、1回行ってみると、この穴んとこからちょっとのぞくと、ここにゴミがあるでしょ?
高橋:はい、ありますね。
宇多:ここんとこまで、7~8メーターまで波が上がってるわけで、こん中、惨状がひどいもんで、ちょっと見てもらうと、次。
あ、ここまで海面から7メーター。これは地盤が1.5メーターですから、2階建ての屋根ぐらいまで水が来てるわけで、中のぞくでしょ。そうすると、はい次。
こんなふうに、中、車なんか入ってるわけですね。
高橋:ああ~。
宇多:だからここを、「避難場所だ。さあ、みんなで逃げようか」とか言っても、え、どうやって?
高橋:ええ。
宇多:「ほんとにできんの?」っていう。だから観念論はだめなんで、本当に、おばあさんも何分間で昇れるとかいうのをちゃんとカウントしないと、防災はうまくいかない、ということだと思います。
高橋:今度は茨城ですね。
宇多:うん。それで、なんせ、岩手、宮城は1000年に1回といわれているすごい波が来ましたから。
高橋:そうですね。
宇多:そうすると、たとえば静岡とか和歌山。「そんなのはうちの方、来ないんじゃないの?」っていうふうに思うかもしれない。それよりかもっと、たとえば10年に1回ぐらいの、もうちょっと規模は小さいんだけど、よく来るやつのときにどうなんだって話も、質問としてあり得ますね。
高橋:そうですね、はい。
宇多:だから、岩手と宮城だけ見るんじゃだめなんで、ずっと波の小さな方まで、全部調べたわけです。で、ここは、茨城の北部なんで、有名な五浦海岸(いづらかいがん)。
高橋:六角堂が消失してしまいましたね、流されて。
宇多:完全に流されちゃったですね。その場所のちょっと南側のところで、我々はもう一回、海岸のこと考えるときに、反省しなきゃならないところがあるんですよ。
それは、津波を受けるまでに我々日本人が、40~50年に、海岸にどういうインパクトを与えてきたか。その影響が非常にきつく出てるところは、やっぱり津波に対してすごく弱かったんですよ。だからそれは、単に津波を受けたから、「さあ、復旧だ、復旧だ」と言わないで、いったん、我々が過去にやってきたことを、もう一回、「どうなんですか?」っていうのを、ちょっと冷静に見直したうえでやんないとおかしいでしょ?
高橋:そうですね。ええ、ええ。
宇多:その典型例がここなんです。これ、1961年の空中写真って、窓から飛行機で撮った写真なんですが、ここが五浦でしょ?
高橋:はい。
宇多:これ、白く見えているのが砂浜なんです、ずっと。そうすると、この当時、60メートルぐらいのきれいな砂浜が、これ磯原海岸っていうんですけど、ずーーっと続いてたんです。
高橋:60メートルって、幅が60メートル。
宇多:幅が、はい。だから、浜に降りると、夏になると足の裏が熱くて、なぎさまで行くのに、「けっこう熱いよ」ってみんな駆けだした、ああいうイメージ。あれ、日本のどこもあったわけです。
高橋:ええ、ええ。
宇多:ここだけじゃなくて、どこもそう。で、これ典型例。それが、その後、次。2009年、もう最近ですね。そうすると、ここのところに大きな漁港ができて、ここに三角形に砂があるじゃないですか。
高橋:あ、それ、砂なんですね?
宇多:ええ。で、この防波堤というのは、波の静かなところをつくりたい。船が安全に操業したいから。一理あるわけですよ。
高橋:そうですね。宇多:だって、魚、食べたいですもんね。この人たちの願いでこういう港をつくった。でもそのとき自動的に、波の静かなところには砂がたまるんです。
高橋:ああ~。
宇多:その砂はどこから来るかつーと、ハワイの方から泳いでくるわけじゃなくて、このお隣の砂浜の砂が、ゆっくりと静かな方へとこうやって流れてくるわけです。要するに、砂は岸沖(きしおき)方向に動くんじゃなくて、ゆっくりとなぎさに沿って動くってくせがあるんです。
そうしてみると、これ、2009年に、ここはとてもいいビーチが広がったわけですよ。まあ、結構ですよね。
高橋:はい。
宇多:でも、南に行ったら、ありゃーと。「バンザイ、砂浜、全くない」という状態になっちゃってるわけです。
高橋:それはでも、もともとは、どこから来たんですか?
宇多:もともとは、この大北川っていう川があって、そこから、山から流れてきて海に入った。それが左右にまき散らされて、このビーチがあって、さっきの60メートルの浜があったんです。
高橋:でも、こっちをせき止めただけだから、こっちがなくなった原因というのは、また別にあるんじゃないんですかね。
宇多:こっち?
高橋:ええ。そこの砂がなくなったのは、こっちに漁港をつくったことが原因なんですか?
宇多:つくったというよりも、そのコップを私に頂けます?
高橋:はい。
宇多:これ、砂だとすると、ひとっところに全部集めちゃった。
高橋:はあ、はあ。
宇多:もとは、こう、ほどよくあったのに。
高橋:あの構造物がなければ、ほどよく。
宇多:ほどよくあった。
高橋:ああ~。
宇多:それをこう吸引しちゃうような。
高橋:そういう流れができちゃうんですか。
宇多:できちゃうんです。ですからおっしゃるとおり、水がこういうふうに回るんです。
高橋:ああ、なるほど。
宇多:で、水がグルグル回って、砂はここ置いて。
高橋:それで、そこを取っていっちゃったんですね。
宇多:はい。そういうことなんで。別にこれは、そういうこと意図してやってるわけじゃないですよ、もちろん。
高橋:もちろんそうですね。
宇多:これは、生活している人が安全に安心に、魚が取りに行きたいちゅうのは誠にごもっともなんで。で、それをやっていったんだけど、隣へ「どうなんの」という配慮が足んなかったんですよ。
高橋:うーん。
宇多:そうすると、次のようになりました。こうやって砂がたまったところは。
高橋:たまったところですね。
宇多:ものすごく広いですね。
高橋:はい。
宇多:それが、ずーーっと歩いて行きますと、向こう側の方に見えるわけですよ。こういう風景に出くわすと。
高橋:これ、よく見ます。日本の海岸では、いまこういう感じですね。
宇多:ええ。こういうのを徹底的にやり遂げた国というのは、世界中でたぶん日本しかない。それだけめちゃくちゃなことやったのと、それから、お金があった。これからはどうか分かんないですけど。でも、その後で問題は、これ、まだゆっくりと砂に沈んでくんですよ。
高橋:ああ。
宇多:そうすると、これ全部、公的資金。つまり税金でつくってますから、皆さんも、自分のお給料の一部分がここに入ってるわけです。だから人ごとでおれないわけですよ。
高橋:はい、はい。
宇多:そういうふうに極端な状態になってしまっていたんです、津波の前には。ね? そいで、この地域はつぶさに津波の前から調べてますから、行ってみると、はい、次のようになります。
2009年7月9日。霧の中の消波ブロックがあったんです。これ、2年前ですけど。
高橋:はい。
宇多:それが、次の年になるとこれが沈んじゃうために、次のようになりました。こういうふうに。
高橋:新しいのを上に載せているんですね?
宇多:これ、数えてみたんですよ、丁寧に。これ、全部、番号がついてて。
高橋:へー、さすがお役所ですね(笑い)。
宇多:(笑い)で、840個。
高橋:この白いきれいなやつが。
宇多:はい。で、1個あたり、だいたい20万円しますから。
高橋:そんな高いんですか、これ1つ。
宇多:そうそう。だから1億何千万という。
高橋:えーーーー。
宇多:それがですよ、こうやって積まれていくわけね。
高橋:ええ、下のが沈んじゃうからね。高さはある程度、必要だということで。
宇多:そう。で、後ろ側にこれ、こういう松林があって、立派なコンクリートで守っていたじゃないですか、これ。
高橋:はい、はい。
宇多:2年前ねえ。いや、1年前か。
高橋:はい。
宇多:ここは大丈夫か。まあ、何とかなるなあ。ここに狭い浜もあるし。で、この度、津波が来たわけですよ。行ってみると、はい、次。
そのとこには7メーター55センチ。堤防、5メーター25センチの堤防があって、そいつを乗り越えまして、ここまで来たわけです。
高橋:ええ、ええ。
宇多:その高さは海面から7.55メーター。つまり、この堤防や護岸は海の底に沈んだわけですね。
高橋:そうですね、ええ。
宇多:で、その直後に行ってみるとこういう風景なんですよ。はい、次。
さっきまっすぐ立ってたでしょ。
高橋:ああ~。
宇多:これ全部崩れた。で、これ、裏側にこの排水路。彼が立ってますけど、排水路はまったく真っすぐ伸びてるってことは、地震でグラグラだったらこれも壊れて、これも同時に壊れるはずなんです。これはまったく無傷?
高橋:はい。
宇多:ってことは、ここに大量の水が飛び込んで、コンクリート製の護岸の下から水が抜け出て、壊れたと。そうすっと、また直さなきゃいけないですよね、これ。
高橋:ああ~。
宇多:次、見ていただいて。彼が立ってますけど、この厚さ50センチですよ。トンカチでちょんちょんとたたいても(笑い)、全然びくともするような代物じゃないんですが、壊れた跡を見ると、まるでシーツをお掃除のときにフワフワフワってやったような感じで壊れて。
高橋:このブロックは、なんか無事ですね。
宇多:これが今回の津波の特徴なんです。
高橋:どういうことなんですか?
宇多:このね、ブロックというのは、あまた調べましたけど、ほとんどの地域で無傷でしたね。
高橋:えーー。
宇多:相手にされなかったっていうか、「お前、そこに沈んどれ」と。
高橋:あー。
宇多:軽かった場合は飛びましたけど、ほとんどの例は、堤防や護岸はズタズタになったのに、これは、「え? 僕は関係ないもん」っていう感じで。
高橋:そうなんですか。
宇多:ええ。で、上に載っかってんのは、さっき、去年入れた部分。
高橋:ねえ。新しいやつもそんな。
宇多:ちょっと落っこってますけど。
高橋:そしたら、もしこれだけだったらどういうことになるんですか? やっぱり堤防ないと、全然……。
宇多:だめです。
高橋:役に立たないんですか?
宇多:やっぱり、この上まで昇ってきますから。
高橋:ああ~。
宇多:だから、一部のエネルギーを殺すのにはもちろん効果的だったけど、万全では全然なかったと。はるかにそんなのより高いです。ですから、何、言いたいかというと、壊れちゃったでしょ?
高橋:ええ。
宇多:これ沈んだ。復旧だ、復興だと。すべて元は税金ですよ。無限にどなたかお金を出してくださる方がおられればいいけど、そうはいかないでしょ。
高橋:ええ、ええ、ええ。
宇多:これが積もっていくと大変なことになるんですよね。だけどこれ、壊れたものそのまま放っとけるかというと、これ、どんどん行っちゃいますよね。だから、にっちもさっちも行かない状態がここでは起こったわけです。
高橋:これが、東北の海岸線、全部こういう状態ですよね。
宇多:ええ、そうです。もっとはるかにひどいです。これの跡形もないという。だからその、じゃあ、パッとつくるかっていったって、簡単につくれないでしょ? つくるにはお金が要るでしょ?
それに、ここでは大したことないですけど、国土地理院の方で公表してる地盤沈下の量は、だいたい70センチから、いちばんひどいところで1メーターですがね、そこは全部沈んじゃってますから。沈んじゃったところにこれ、どうやってつくるんだろうっていうのは技術的な問題で、場合によったら、ある範囲は水没した土地をあきらめて、後ろ側。陸側に堤防の線をつくりなおすというようなね、ことまで考えないとならないのかもしれない。
ただ、なにしろ堤防の裏側は個人の所有の土地がほとんどですから、国がね、あるいは県が、強制的にその土地は明け渡してくださいっていう権利はないんです。
高橋:それはそうですね。
宇多:だから、やっぱりよくそこら辺、コンセンサスが得られるように議論をして。特に、ほんとに困難な目に遭っている人と直接、話をするような場がね、僕は必要だと思うんですよね。命令でなんとか、っていう話じゃないと思うんですけどね。
高橋:ほんとそうですよね。復興会議といって東京で議論しててもだめですよねえ。
宇多:ええ。だって、そんな話、僕は聞いてないっていう人があまたいるわけですよ。
そういう、ほんとの、なんて言うかな、本当にひどい目に遭った人たちの、あるいは、そこで生活しなきゃならない人たちの声を、できる限り、現場で議論するとか、公開討論会するとか。あらゆるチャンネルで、そういうことはやっぱりやる必要あると思うんですけどね。
高橋:ほんとにそうですよね。
宇多:それでね、今回どこもかしこもミゼラブルで、もうまいったなという話かなと思ったら、実はね、自然現象っていうのはすごい復元力を持ってる場合があるんです。
それは何かというと、これからご覧に入れるのは、砂粒の大きさがある程度大きいところでは、津波で流されるんだけど、すぐに元に戻ると。ちょっと分かりにくいかも。
高橋:そんなことがあるんですか?
宇多:うん。砂粒っていって、海の砂つっても、小指の先みたいなものから、ほんとにサラサラのものとありますね。
高橋:ありますねえ。
宇多:で、ひとくちに言うと、サラサラの砂は内陸にほとんど飛ばされた、あるいは沖に流された。しかし、小指の先みたいな、つめみたいな小粒の小砂利っちゅうか、礫(れき)は、まったく平気だった。
高橋:そうなんですか。要するに、海水浴場としては、足が痛くていやだなっていうような浜辺は大丈夫で、ふかふかのすてきな浜辺はだめだったと。
宇多:相当にだめだった。足が痛いほど大きくはないんですけど。
高橋:ああ、そうですか。
宇多:もちろん、親指ぐらいの礫のところは全然平気でしたよ。さっき、ブロックが何ともなかったっていうのと同じで、粒の大きい砂利でできた浜はまったく関係ないですよ。
これからご覧に入れるのは、福島県の夏井川っていうところにある例なんですが。
高橋:夏井川っていうのは福島のどの辺になるんですか?
宇多:福島県のそうですねえ、福島第一発電所から南に50キロくらい下がったところで、そこにある川なんです。これは津波が来る前の、今年の3月9日に撮ったんです。
高橋:あっ、現地、行ってらしたんですね? 3月9日に。
宇多:ええ、そうです。2日前ですよね。そうしたらこれ、川が、ものすごい砂がたまってまして、もうとにかく、水が流れないで困ってたんですよ。
高橋:逆に困っていたんですか(笑い)。
宇多:困ってた(笑い)。ところが、はい、次。
これ、3月の12日。つまり、津波、来て、全部なくなったんですよ。一見なくなったように見える。
高橋:ええ。もう海になってますよね。
宇多:そう。ところがこれ、よく見ると非常に浅くて、大量の水が、津波が内陸に飛び込んだだめに、この河口を通して海に戻っていったんですよ。海の水が。
高橋:はい。
宇多:そのときに、ここにあった砂州を、海側に全部ぶちまけたわけです。
高橋:持ってっちゃったんですね。
宇多:持ってっちゃった。ただし、それは太平洋のずっと先まで持ってったわけじゃなくて、多いですから、すぐそばに置いてた。
高橋:ああ~~、そういうことですか。
宇多:ええ。そしたらね、次。そのあと、ずっと追っかけていくわけです。4月5日、行ったときには、もう戻ってた。
高橋:ええ? っていう感じですね。
宇多:でしょう?
高橋:不思議ですねえ。
宇多:これ、うそじゃないですよ。さっきの話とおんなじ。
高橋:これ、日付間違ってるんじゃないですか?(笑い)
宇多:(笑い) ほんとにきれいに戻る。で、行ってみるとね、不思議ですね。次のようになるんです。
これ、ここからここまでが20センチなんです。赤いところが。そうすると、ここに貝のかけらとかあるけれども、1つずつが3ミリとか4ミリ。小指のちょっと先ぐらいのようなものでできてるんです。こういう砂は。砂というか礫というか、小砂利ね。小砂利は、波の力を受けると、私は遠くには行きませんと。
高橋:うん(笑い)。
宇多:ここにおるから、波が来たらちゃんと戻るよっていうサインを出してるわけです。そういうこともよく分かった上で、たとえば、こういう砂、持ってきて、なくなっちゃった岩手のところに砂をつくれば、もうどっかへ飛んでっちゃって、なくなっちゃったっていう話はなくなるわけですよ。
高橋:あー。
宇多:そういう自然の復元力。理屈にあったようなことがある程度できるような時代になってるから、やみくもにね、なんか力ずくって、金さえかければいい、バンザイだっていうのはやらない方がいいんじゃないかなと、僕は思う。やっぱり自然の力って大したもんです。
高橋:すごいですね。こういう礫はあちこちにあるんですか? 探せばあるんですか?
宇多:あります。岩を砕いたやつでも、もちろん同じ働きを。
高橋:じゃあ、作ることもできるわけですね?
宇多:うん、できます、できます。
高橋:そうすると、浜辺に、前のようなサラサラの砂じゃなくって、こういうものを撒くというか、それで回復していけば、ずっと長持ちする浜ができる。
宇多:はいはい。そういう場所も全部調べましたけど、礫というのはすごい安定であるというのは分かりました。で、「うそでしょう」と来るでしょ?
高橋:ええ。
宇多:じゃあ、次、見てください。
これねえ、鮫川河口といって、それのちょっと南なんですけど、これ、山の台地の上から見下ろすとね、ここのところにすごく大きな砂州があるわけです。これは波で、こういうふうに陸の方に流された跡なんですね。で、グリーンは植物が生えてると。
昔、これは2010年の5月29日に、自分で現地行って撮ったものです。この、あった砂が、ここは実は、細かい砂でできてたんです。それだもんで、津波後は、こうなっちゃったんです。もう一回、戻していただけますかね。
いいですか? この矢印指した、ここにあったこれは、高さが2メーター50センチぐらいの、こんもりとしたお山があったんです。その手前側は、だいたい2メートルぐらいの高さの砂の固まり。それが、細かい砂でできてたために、次のようにポンと。ここにこうあったの、なくなったでしょ。
高橋:ないですよね。
宇多:で、こっち、一部分は残ってるけど、他にも、陸の中へ飛ばされちゃったんです。だから、これはやっぱり、砂粒の大きさによって、津波が来たときに、「僕はあっち行くぞ」。
高橋:(笑い)
宇多:(笑い) 「僕はここにとどまるぞ」というのが、ちゃんとあるんです。だから、そういうのもちゃんと、そのとおり出てきますから、おもしろいです。ね?
国土をつくってる物、物質が、ちゃんと津波に合わせて、「僕はこのルールで行こう」っていうのがあるんです。おもしろいでしょ、これ(笑い)。
高橋:そうですね(笑い)。
まだまだお話、伺いたいですが、ちょっとここで、いったんコマーシャルを入れます。
(CM)
高橋:「科学朝日」。本日は、財団法人土木研究センターの常務理事でいらっしゃいます、宇多高明さんをお迎えしております。
いままで、東日本大震災の津波のすさまじさ、いろいろご説明いただきました。人間がつくった構造物のもろさみたいなもの、ずいぶん感じましたけども、一方で自然の復元力もあるという、未来にちょっと希望を持てるようなお話をいただきました。まだ現地の写真があるようですので。
宇多さん:どれほどひどかったかと。災害がひどかったかという話は、もう、ほとんど聞き飽きてるわけ。これから考えるときにね、既に、岩手、宮城じゃない他の地域も、南海道ですとか静岡とか、あっちの方も心配なわけです。
高橋:そうですね。
宇多:そこにたくさんの方が住んでると。
高橋さん:ずっと、南海地震が起こるということも、ずいぶん言われてきてますからねえ。
宇多:そうですよねえ。で、そこには、ここで見たと同じような堤防が作られているわけです。で、「その堤防って、ほんと大丈夫なの?」っていう辺りがないと、「いや、あるはずだったけど、穴が開いて水が来ました」っていうのは張り子のトラ堤防っていうんですね。裸の王様みたいなの。それは困るんです。
高橋:はい。
宇多:で、そんときに考えなきゃなんないのは、過去に我々は、日本は、いっぱい堤防やなんかつくってきたですね。で、昭和30年代とか40年代につくったものは、どういう構造を持ってるかって記録がもうないんですよ。
高橋:ああ~、はい。
宇多:それで、壊れてみると「なんだこれ」っていう話がたくさんあって、それがこの福島の岩間海岸で見られるんです。意味深長なんで、ちょっと見ていただきたいんです。これねえ、堤防ここに立ってたんです。パチンと割れてこっちの方へ飛んでますよね。
高橋:ああ、そういう状態なんですね、これはね。
宇多:ええ。で、また不思議なことに、ここにあるこの中空三角は、まったく。
高橋:無事。
宇多:「僕は関係ないよ」っていう感じで、これだけが、ここのところから折れて飛んでったんです。で、ちょっと見てください、次。
こういうふうに、だいたい2メートルほどの物が、これ、真横にひっくり返ってんですね、パタンと。
高橋:ああ~~、はい。
宇多:何トンという物が陸の方に運ばれてますが、ここのつくりを見ると、相当古い堤防だっていうのが分かるわけですよ。
高橋:あ、そうなんですか。石がいっぱい見えますね。
宇多:はい。川の、落っこっている石を持ってきて並べてっていう工事。当時、昭和30年代、40年代の初め頃やってたのが分かるわけです。
高橋:そうなんですか。
宇多:通常、これは見られないですよ。
高橋:いまだったらどんなふうになるんですか?
宇多:ちゃんと「型枠」っていってしっかりと作って、そこへミキサー車で持ってきて、コンクリートでがっつり作るわけです。
高橋:じゃ、こんな大きな石は見られないわけですね?
宇多:はい。で、次、見ていただいて。
そうすると、当時はね、ここに木杭(きぐい)が飛び出てますね(笑い)。
高橋:木がありますね、なんだか(笑い)。
宇多:これ、当時は、何て言うんですかね。セメント工場でコンクリート作って、ミキサー車で持ってきてワーッと作っちゃうようなそういう工事じゃなくて、「手練り」っていって、ちょっとずつ板枠を作って、作ってったんです。
高橋:あ、現場でね。
宇多:はい、現場で。「現場打ちコンクリート」っていうんだけど。そうやって作ってったわけですよ。
だけども、それ、できた暁には、いまあるのとほとんど見た目わからないです。そんなやつが、あまたあるわけです。そうすると、こういう木杭で守ってたってな話は、壊れてみないと分かんないわけですね。
高橋:え、これ、もともと木杭を入れて、その周りにコンクリを。
宇多:コンクリートを打って、鉄筋も入れずに。相当、古いやつで。
コンクリートってのは、40~50年たつと老朽化してだめになるわけですね。クラックも。
高橋:はい。
宇多:そういうやつがあまたあるわけです。その、どこがまずくて、どれがいいかっていうことが混然一体となってて、これを管理している皆さんは、最近の行政は、5~6年たつと書類を全部捨てちゃいますから。どういう履歴でその家が建ったのっていうのが分からないで、家を補修できますか? そういう状態なんです。
高橋:はあ~。怖いですねえ。
宇多:怖いですよ。そいでいて、宮古の例のように、8メーター50の立派なコンクリートがすっぽ抜けて、大穴が開いてるわけです。っていうことは、「いま我々の住んでるとこ、ほんと大丈夫なの?」って質問が、当然来ますよね。
高橋:そうですよねえ。宮古の堤防は、こういう古いのではないわけですね?
宇多:じゃない。もうちょっと津波に対して、がっつり作ったわけです。
高橋:でも、それでも、あんなふうに穴が開いてしまうっていうことは、ちょっとすごい無力感にとらわれちゃうんですけども。
宇多:そう。だからこそ、1列で完ぺきにやるぞという考えはうまくいかない。二重、三重に、縦に深いっていうんですかね。波に対して緩衝帯を持つような設計をしたらいいんじゃないかなあと、僕は思うんです。
それで、やっぱり、1枚で完全にやろうというのは、津波の力がすべてこの一点に集中しますね。
高橋:はい。
宇多:でも、前に砂浜があって、堤防があって、後ろに相当な松林があって、そうやって池があって、ちょっとした砂丘みたいなものがあってっていう、そういう、縦に長い、岸沖方向に。そういうものであれば、相当に津波も疲れちゃうわけですよ。
高橋:そうですね。
宇多:本来、海岸の近くの土地っていうのは、そうやってやるのが筋で。あんな空いてる土地もったいないとか、すぐそうなるわけですよ。100年に1回しか来ないんだったら、んじゃ、99年間使えばいいじゃないですかと。ところがその次の日、作った次の日に来るかもしれないんです。
そのときにやっぱり、国土の海岸線付近の土地を、皆さんのコンセンサスで、どういうふうにしたら生命、財産を守れるか。使っちゃだめよというんじゃないんで、使い方も工夫して、そこでなんか仕事をするのはいいんですが、いざっていうときには逃げられるような、そういう、縦に深いようなものにつくりかえていく。
それにはやっぱりコンセンサスが必要だし、いま、所有権設定されていますから、「何言ってる。うちの畑があんのに」という方も当然おられるんで、そういう人たちの土地をどうするか。水に沈んじゃった土地もあるので、そんなものを、たとえば法律を立てて。頭ごなしにね、「あなた、出て行きなさい」っていうようなやり方じゃなくて、つぶさに、それぞれの地域の実情をみて。
地盤沈下も、70センチいっちゃったところもあるだろうし、いろいろですよね。それに合わせて、もうちょっと地に足のついた具体的なやつを、しっかり議論したうえでやってく必要あるんじゃないかなと思います。
高橋:ほんと、そうですよねえ。いろいろ法律が、ものすごく複雑に絡んでいるんですよねえ、この海岸地域っていうのはねえ。
宇多:そうです。
高橋:だから、今回は特区っていう話も出ていますけれども、そういうのを早く政府が設定して、地元にとっていちばんいい方策ができる、そういう環境づくりをねえ、まずやってほしいですよね。
宇多:そうですよ。各省庁の予算がいくら増えるとか減るとか、そういうことではなくて、そのおじさんが、あるいは農家の人が本当に、「僕んとこは、ああ、よくなったねえ」というふうに思えるようなものこそが求められてんで。ねえ。
高橋:復興に向けての大事なことがいっぱいあるのに、そういうことをやってない、いまの政治の現状というのを見ると(苦笑)、ほんとに情けないですよね。他にやることたくさんあるのに何やってるのかっていう。ちょっと、ついつい怒ってしまいますけど(笑い)。
宇多:僕は一介の技術者だから、政治家じゃないんで、ただただ言えることは、できる限りこういう、多くのリアルな情報を皆さんにお知らせして、それぞれで考えていただきたい。
それは、老いも若きも、お母さんもおじいちゃんも、みんな知る権利があって。というのは、海岸は国民の共有財産なんです。どこも、総理大臣のものでもなんでもない、みんなの財産なんです。だから、みんなの財産で海岸があって、そこに我々、狭い土地に住んでますよね。命、賭けてるわけですよ。ってことは、やっぱりその状況を、それぞれに分かる形でね、情報をちゃんと、「こういうことなんです」というふうにやっていくのが筋かなと。
高橋:いろんな立場の人が一堂に集まって議論しないと。やっぱり、漁業やってる方は漁業やってる方の立場があるし。
宇多:そうそう。
高橋:そうじゃない、町に住んでる方が、海岸はこうあってほしいっていう思いは、どうしても漁業やってる方とは違ってきますよね。
宇多:その場合、それ「合意形成」っていうんですが、ひとつの単独の、なんか集団と、それと見合った行政の間の話し合いだけにしていくと、結局は縦割り行政に戻ってって、予算が増えるだけなんです。で、トータルで見るとバランスが悪いと。だからやっぱり、そういうときは一堂に集まって。
高橋:そうですね。
宇多:で、異論を唱えて結構と。たとえば、「お前らのようなことをやったら、私らの魚を捕る場所がなくなる」。そういうことははっきり言うんですよ。
高橋:ええ、そうですね。
宇多:で、言った中で、「じゃあ、そうは言ったって、皆さん、この地域を生活しながら守っていくにはどうしたらいいか」っていうとこで議論をしていくとね、知恵が出るってものですよね。それは、日本人は昔から、江戸時代から、ずーっとずーっとやってきた民族だと思うんです。だからもう一回、そういう。
高橋:いつの間にか忘れてたんですね。
宇多:そう。なんか経済合理性ばかり考えすぎて、堤防作りゃいいだろうと。そう短絡的に言うのはおかしいと。
だから、いまやっぱり、文化そのものに対して、エネルギーの問題も置いといて、それとは別に、我々の国土に対して、生きてきた、この土地を利用してきた。それはどうしたらいいんだろうっていうの、あまりお金お金と言わないで、ずーっと考えて、来し方行く末を考える必要があると思うんですよね。
高橋:そうですよね。で、そういうやり方を東北がうまく編み出せば、それが他の地域にもどんどん広がってって、合意形成のとり方の見本ができる。
宇多:そうです。何も東京が指令してじゃないです。
高橋:そうですよね。東北発でね。
宇多:そうです。それぞれの地域の、ちいちゃな集落かもしれない。でも、この集落をどうやってやってこうかという。
それが、いまの被害を受けた方々の時代に出来上がんないかもしれない。ただし、それでもやっぱり10年、20年かけて、次の子どもの世代まで引き継いでやっていこうと。それこそが、ふるさとをもう一回、ほんとの意味でね、復元することになると思うんですよ。
高橋:そうですね。はい。
今日は、東日本大震災を受けた後、日本の海岸をどうする、というお話を伺いました。宇多さん、どうもありがとうございました。
宇多:どうもありがとうございます。
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