寺岡伸章
2011年07月20日
猛暑の夏を涼しく過ごすために、南極のお話をしよう。
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)の地震波は、地球の内部を通過して南極へと伝わり、約20分後に1万4千キロ離れた昭和基地でも観測されていた。通常は南極の氷床の変動などを観測している昭和基地の超電導重力計が重力の1,000万分の1の変化をとらえたという。地球全体が揺れた巨大地震であったと改めて思い起こさせる。
南極は人類の理想の大陸と言ってもよい。南極条約において、どこの国の領土にも属さず、資源探査が禁止され、共同観測が歓迎され、観測内容も他国に公開され、各国の観測基地は要望があれば他国の視察団を受け入れなければならない。
しかし、この理想の大陸には各国の戦略や思惑と、先端科学の基地としての利用と活動が交錯しようとしている。
南極の氷床コアは過去の火山活動や隕石衝突の痕跡も留めているタイムカプセルである。二酸化炭素などの温室効果ガスの濃度が上昇し、地球温暖化が叫ばれるようになっているが、氷床コアに閉じ込められた過去数十万年の空気の痕跡を分析すると、二酸化炭素が300ppm以上の濃度になったことは一度もないことが分かっている。現在の380ppmを超える値は、二酸化炭素濃度上昇が人間活動によってもたらされたことを端的に語っている。しかし、大気中の二酸化炭素濃度と地球の気温の関係は単純ではない。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が指摘するように、過去100年の大気中の二酸化炭素濃度と世界平均気温は一見相関関係があるようにみえるが、もっと長い期間でみると、地球の気温は中世の小氷河期を底に上昇しており、近代の人間活動のせいとばかりは断定できない。
また、米航空宇宙局は今世紀になって地球の気温は降下していると発表している。数万年単位で考えると、地球は1万年の間氷期をそろそろ終えて、氷期に向かうとされている。生物の進化は、温暖期に進行し、氷河期に停滞しているため、地球温暖化を一方的に目の敵にするのはどうかと思う。それに数十年後の化石燃料の減耗を考えると、温暖化よりも寒冷期のほうが人間にとって厳しい環境となるであろう。
南極にはロマンチックな話もある。藤原定家は日記『明月記』の中で、1054年の超新星爆発の記録を残している。じつは、超新星爆発の物的証拠も地球上に残されているという。南極の氷床コアの中に爆発の痕跡があるというから驚きだ。
超新星爆発によって発生した強いガンマ線が宇宙空間を経て地球に降り注ぎ、成層圏の窒素と反応して硝酸を生成し、それが南極に落下して雪によって氷床に閉じ込められたというのだ。『明月記』という古典と南極の氷という一見関係のないものが出会った瞬間だ。歴史と科学の融合である。
氷床コアの掘削は日本南極観測隊のみでなく、ロシア、フランス・イタリア連合、中国などの観測隊も行っている。各国の観測隊の観測内容はオープンにするようになっているが、国威発揚やプレゼンスの誇示のために氷床コア掘削が盛んに行われようとしている。さらに、数千メートルの氷床コアの下の岩盤までくりぬいて、地殻を調査研究しようという国も現れており、資源探査を念頭にしているのではないかと他国から疑われているようになっている。
各国の資源探査の激しい競争は南極大陸にも及ぼうとしているようにみえる。
なお、中国観測隊が使用する掘削装置は日本メーカーから購入したものだ。日本企業が開発した氷床掘削技術は海外でも評判がよい。中国の技術戦略は、高速鉄道、自動車、原子力発電などにみられるように、海外の技術の導入、消化・吸収、改良、輸出だ。日本企業は技術を守るとために、日本の得意とするすり合わせ化やブラックボックス化を進める必要があろう。
南極点に位置する米国のアムンゼン・スコット基地には、ニュートリノ観測基地がある。超新星爆発やガンマ線バーストによって発生したニュートリノが南極の氷の水分子の電子と衝突したのを検出器で捕らえるのが目的という。何千メートルの厚さのある氷床を熱水で1~2週間で2,500メートルの深さまで溶かし、検出器を埋め込んである。天然の膨大な氷床を使えるので廉価で観測ができるのが特徴だ。観測基地設置の費用はアメリカ国立科学財団が拠出し、観測は国際共同研究チームが行っている。
ロシアのボストーク基地は厚い氷床の上にあるが、探査データから氷床の下には地底湖があることが分かっている。圧力が高く、地熱のために水が凍らないのだ。地底湖には古代から特殊な微生物が棲んでいる可能性があると世界から脚光を浴びている。
ロシアの観測隊が氷床を掘り進み、あと数メートルで地底湖に到達できるところまできたとき、外国からストップがかかった。地底湖が地上の微生物で汚染したら、せっかくの貴重な資料が損なわれる恐れがあるからだ。
人間は他の惑星における生物やその痕跡に注目しているが、南極の地底湖から意外な微生物が発見されるかもしれない。
南極の天空は澄み通っているため、天体観測の格好の場として期待されており、天体望遠鏡の建設競争が進展する可能性がある。
日本観測隊は昭和基地に1,000本以上のアンテナの大型大気観測レーダーを建設(PANSYプロジェクト)し、対流圏から電離圏の高度領域の3次元風速を高精度で観測する。南極上空は地球の大気の流れのポイントになっているため、プロジェクトへの期待がかかる。
地球上の淡水の7割が南極大陸に氷床として存在する。氷の厚さは最大4,700メートルにも及ぶ。将来、南極の地下資源のみならず水の獲得を巡る競争が繰り広げられる恐れもある。
南極を理想の大陸にしようとした人類の夢が維持されるか、国威発揚や資源獲得競争の対象にされるのか人類の英知が問われようとしている。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください