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【科学朝日】心とは何か?~ダンゴムシから考える(collaborate with 朝日ニュースター、8月25日放送)

朝日ニュースター

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 朝日グループのジャーナリズムTV「朝日ニュースター」は、通信衛星などを利用して24時間放送しているテレビチャンネルで、ケーブルテレビ局やスカパー!などを通じて有料視聴することができます。4月から始まった新番組「科学朝日」は、高橋真理子・朝日新聞編集委員がレギュラー出演する科学トーク番組です。WEBRONZAでは、番組内容をスペシャル記事としてテキスト化してお届けします。

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ゲスト 信州大学助教 森山徹さん

高橋:こんばんは。科学の最先端にひたる「科学朝日」、案内役の高橋真理子です。本日のテーマは「心とは何か?」です。人には心があります。では、その心はどこにあるのでしょうか。昔の人たちは、心は心臓にあると考えました。現代人は心は脳にあると考えていますが、では脳のどこにあるのでしょうか。脳の機能を失った人は、「心がなくなった」といえるのでしょうか。あるいは、脳がない動物には心はないのでしょうか。今回は話題の本、『ダンゴムシに心はあるのか』を執筆された信州大学助教の森山徹(もりやまとおる)さんとともに、「心とは何か」について語り合っていきたいと思います。森山さん、よろしくお願いいたします。

森山:よろしくお願いします。

高橋:この今年4月に出されたばかりの『ダンゴムシに心はあるのか』が話題を呼んでいます。ダンゴムシを通して心とはなんなのかを考察した本書ですけれども、「ダンゴムシと心」というのはなんとも意外な取り合わせですね。

森山:そうですね。読者の方々から寄せられるお手紙とか、それからWEB上のブログで、いろんな方がご意見、載せてくださっているんですけれども、手に取ったきっかけというのが、やはり「ダンゴムシ」、「心」というその意外な組み合わせ。それでついつい、自分の意図とは関係なく手を伸ばしてしまったという方が多いですね。そういったところから、まず本書に近づいていただいた、という人がたくさんいました。 僕自身の場合は、まず心はなんなのかと。あるいは、心とは何かという問題が小さな頃からありまして、それを考えている延長線上に、どうやって考えたことを実験で検証していこうかとなって、その延長線上に、たまたまダンゴムシが現れたという形ですね。

高橋:「たまたま」なんですか。

森山:たまたまですね。初めから狙っていたのではなく、何で表現しようか、何で実験しようかと思っているときに、たまたま目の前に現れたのがダンゴムシだったと、いうことになります。

高橋:そうですか。それではCMを挟んで、森山さんに「心とは何か」についてじっくり伺います。いったんコマーシャルです。

〈CM〉

高橋:「科学朝日」。本日のゲストはこの方、信州大学助教、森山徹さんです。あらためてよろしくお願いいたします。

森山:よろしくお願いします。

高橋:森山さんのダンゴムシの研究は、実は朝日新聞の科学面で取り上げているんですよね。これがその紙面ですけれども、2007年7月9日付けの科学面です。当時、私は科学グループの責任者であるエディターを務めていて、記者から「ダンゴムシで心の研究をしている研究者がいる」と聞いて、それはおもしろいからぜひ科学面に書くようにと言ったんです。ところが記事がなかなかできてこなくて。おもしろさを、限られた紙面でどうやって書くのかというのはなかなか難しいことで、記者は非常に苦労をして、担当デスクとずいぶんやりとりしながら仕上げたんですね。

森山:確かに、初めて記者の田之畑さんがうちの研究室に来ていただいたのは、この2007年の3月で、当時はまだ北海道の、はこだて未来大学にいたんですけれども、まだ函館は雪が残ってるような時期だったんですよ。

高橋:あ、そうでしたか(笑い)。

森山:それで、そもそもお電話いただいたときも、ダンゴムシが心っていうことで、本当に相手にしていただけるのかと思っていまして。約束の日も、雪が残る外の景色を眺めながら、やっぱり来ないのではないかなとか思いながら待っていたんですけれども(笑い)。

高橋:(笑い)。

森山:そうしたら、田之畑さんがひょこっと現れていただいて。それでその後は、大変、熱心にお話を聞いていただいた。実験の話は逐一、もちろん聞いていただいて、それにもまさって、僕がダンゴムシの、ダンゴムシにももちろん興味があるんですけれども、それ以上に、心は何かということにアプローチをしているということを、非常に理解していただいて、その部分についてかなり深く、ですから2時間、3時間、かなり長くお話しさせていただきました。話も多岐にわたりまして、とても、こちらとしてはうれしいというか、分かってくださる方がいるんだという思いをしましたね。

高橋:ええ、ええ。

森山:ただその後、本当に、いつなのかなあ。

高橋:なかなか記事が出なかったんですよね(笑い)。

森山:ええ。雪が溶け、函館にも遅咲きの花が咲き(笑い)。

高橋:はい(笑い)。

森山:そろそろ前期も終わるのかな、夏が来るのかなと。もうやっぱり、それは無理だよなと、「ダンゴムシと心」。田之畑さんにも悪いことをしてしまったなと。

高橋:(笑い)

森山:本当に思っていたんですけども。

高橋:はい、はい。

森山:そうした折りに、記事ができましたと連絡をいただきまして、本当に形にしてくださったんだと。時間がかかっているというので、もう十分、どれだけご苦労なさったかということもその時間で分かりましてね。そういう思い出がありますね。そして、やはりこの「心とダンゴムシ」というのを朝日新聞の科学欄の、しかもトップで大きく並べていただいた。これは、科学者である僕なんかもできなかったようなことをやっていただいたというので、本当に感動しまして。それにまた目を止めてくださった編集プロダクションの方が、すぐに電話をくださって。

高橋:そうなんですか。

森山:ええ。それで、本書を書くきっかけが得られたという経緯があります。

高橋:そういうお話を聞くと、本当に科学記者冥利(みょうり)に尽きるというところですけれども。あの記事には、読者からも非常な反響がありまして、大半は好意的なものだったんですけれども、なかには、「こんな研究で心が分かるわけがない」というようなものもありました。それについて、田之畑から連絡を差し上げたんですよね?

森山:そうですね。田之畑さんからも連絡いただきまして、それで私も「うん。なるほど、そうか」と。もちろん、いろんな考えの方がおられる。で、大変、勉強になりまして。ただ僕は、それでも分かっていただきたいなと。何とか、こういう考え方もあるのではないかということを言いたくて、ちょうどあの記事を、確か、朝日新聞のWEBですか?

高橋:そうですね。「科学面にようこそ」というサイトがありまして、そこに、科学面に載った記事をそのまま再録しています。

森山:そうですよね。

高橋:ええ。で、そこに読者からのコメントが付くようになっています。

森山:そのコメントも一つひとつ眺めさせていただいて、それで、ぜひ僕のほうも、せっかくなので返事を書かせてくださいと田之畑さんにお願いしました。そうしたら、いままでそういう例はないけれども、ぜひにと言っていただいた。僕としては、主に心とは何かというアプローチに疑問を持たれる方には、後でまた詳しく紹介させていただきますけども、あくまで僕の考えはひとつの案ですよということを、まず真摯(しんし)に伝えて。それからもうひとつは実験に関してのご質問もあったんで、それに関しては、実験というのはもう、これは、本当にこういう仕事でラッキーだと思うのは、出てくる答えは1つなので。ですから、こういう実験をこういう手順でぜひやってみてくださいという形で紹介させていただいて、そういう形で交流もさせていただいたということがあります。

高橋:あのときお寄せいただいた反論を読んで、私は、森山さんが大変自信を持ってるんだなということを感じたんですよ。で、その理由が、この本を読んで分かったんですね。つまり、あのご研究は国際学会で発表されて、そこで大変高い評価を受け、そういう手応えを感じておられたわけですね。

森山:そうですね。僕としても、先ほどの田之畑さんの話に戻りますけども、どちらかというと自信がないというか、これ、本当に科学として扱ってくださるのかなという思いがずっとあったんですけれども、たまたまベルギーで開催された学会に参加させてもらったときに、そのときは「心」という言葉は、やっぱり英語の問題などもあって、ちょっと怖くてそこまで言えなかったんですけれども、ただ、ダンゴムシの実験を紹介して、自発性ですね。自分から何かをやるとか、あるいは自律性ですね。自分から何かをやり、かつ律する。

高橋:はい。

森山:そういうことを実験でやってみました、ということを、何というか、淡々と説明させてもらったんですね。そうしたら、発表の最中にもいろんなコメントがあったんですけども、わざわざ後から呼んでくださった方がいて。それはベルギーのゲント大学の女性の哲学者だったんですけれども、「ちょっとおいで」と。あなたのやっていることは、そういう自発性とか自律性というのはよく分かるんだけれども、これはやっぱり、心とか意志っていうことと関係ある話でしょうと言われまして。

高橋:ああー。

森山:それで、分かっていただけたのかなというか、通じたっていうか。

高橋:なるほど。

森山:それで、「ああ、そうです」という話になって、そこで少しお話しさせていただいて。それがきっかけで、その会議でまとめた論文集なんかにも取り上げていただいたりとか。あと、ちょうどそれにあわせて別の実験が、比較心理学の国際誌でも採録されまして、そういうことが少し続きまして、もしかしたら世界に向けて、恥ずかしがってないで、ちょっと。本当は恥ずかしいんですけど(笑い)。

高橋:そうですか(笑い)。

森山:言っていけばいいのかなという感触を得たのは確かですね。

高橋:そうなんですね。で、このご本ではまず、「心とは何か」の定義から始めておられるわけですが、これがいちばんの難問でもあると思うんですね。ただ、これを定義しないことには科学の研究は始まらない、というところなんですが。

森山:その心の概念ですけれども、これに関してはまず、「心とは何か」という問いがありますね。

高橋:ええ。

森山:これに関しては、ぜひ多くの人に考えていただきたいのは、「心とは何か」とつぶやいたときに、その問いは、何についての問いなのかと。「心」といっていますが、もしそれが、自分の精神とか、自分の気持ちについてだったらば、それは「私の心とは何か」というふうに問い直してもらいたい。それのほうが、たぶん明確になる。

高橋:はい。

森山:それから、動物の心について考えたいというのがちょっとあるんであれば、「動物の心とは何か」。動物に心はあるのかというふうに、たぶん問い直したほうが、やっぱり明確になると思うんですね。

高橋:はい。

森山:じゃあ、「心とは何か」っていう問いをしちゃいけないかというと、そういうことをいっているわけではなくて、「心とは何か」という問いも成立する。では、そこでいっている「心」って、さっきと同じように、私なのか、動物なのか、何か。それはとても広い一般的なものなわけです。

高橋:はい、そうですね。

森山:ええ。じゃあそれならば、「広い一般的な心」というのを考えないといけない。じゃ、「広い一般的な心」ってなんですか。それはまた戻っちゃって、動物? 虫? 人? ってやっていくと一個一個やんなきゃなんないし、収拾つかないし、極端な話、生きている時間は限られていますから。

高橋:(笑い)

森山:たぶん、そういうことも考えたほうがいいんですよね。

高橋:はい。

森山:ってなると、見落としているのは、それは言葉のはずです。

高橋:言葉を見落としている。

森山:はい。「心」っていう言葉を問題にしているはずなんですね。

高橋:あーー。

森山:はい。それに気づいたほうがいいというか、「心とは何か」って考えてしまったときには、ふだん使っているその「心」という言葉を、もう一回、再考したいという欲求の表れだというふうに、ちょっと立ち止まって考えるといいと思ったんですね。

高橋:言葉を定義するっていうことですね?

森山:そうですね、はい。

高橋:心そのものの定義は難しいけれども、心という言葉で表しているものを定義するというふうに、問題設定を変える。

森山:はい。そもそも、今、高橋さんがおっしゃっていただいたように、「心そのもの」って言われましたけども、それ自体、誰も見たことがない。

高橋:そうですねえ。

森山:ですからそこまで走らずに、何を自分が言っているのかと。それは言葉ですと。じゃあ、言葉、誰か定義をしたかと。それはなかなかいない。じゃあ、そこをちょっと丁寧に見てみようかとなると、じゃあ、日常的に使われている「心」という言葉はいったいなんなのかと考えると、それはやっぱり、自分の中にいるもう一人の自分。「内なる私」というものだと思うんですね。要するに、見えない。

高橋:そうですね。

森山:でも私の一部であって。そして、たまに、「心を込めて」とか「心に誓って」という感じで、相手に渡したり、あるやつを見せたりという表現も使われる。

高橋:使いますねえ。

森山:何を渡したり見せたりしているのか。それは見えないけど、でも「私」なんですよね。

高橋:そうですねえ。

森山:うん。ですからきっと、表面に見えてない内なる私っていうのが、心の言葉の正体であるというふうに僕は思いまして、その「内なる私」っていうのが流通していて、かつ「心とは何か」っていう問題に対しては、それを皆さん、問題にしているはずだというふうに思ったんですね。それでいこうと。

高橋:でもまた、「内なる私」ってなんですかっていう問題になりますよね(笑い)、すぐに。

森山:そうなんですね。で、「内なる私」は何かという問題に、今、なりますと。

高橋:はい。

森山:それに関して、僕は、もしそこで、その後、話が続かなければ、もうやめようと思いました。

高橋:ああああ、はい。

森山:ええ。僕はたぶんそこまでで理解を終わりにしようと。ところがせっかくなので、「内なる私」というのが検証できるのか、実態としてもしかしたらあるのではないかと。

高橋:なるほど、なるほど。

森山:それは試してみないと分かりませんので、それでじゃあ、「内なる私」って、もしかしてそんな小難しい概念だけではなく、あったらどうしようと。よくよく考えてみれば、「あります」という話ですね。たとえば、少し例に移りますけれども、私たちが、先ほども例に挙げましたように、心を込めて何かをあなたにあげますよというときには、「贈り物をあなたにあげたいな」ということを脳の中で考えて、それが体を動かす脳の他の部位に伝わって、それで実際に具体的な行動に移す。「心を込めてあなたに渡します」。

高橋:はい。

森山:ところが、誰しも経験するように、ちょっと極端な例ですけれども、そうしつつ絶対に、たとえば「今日の夕飯、何だったかな」とか、どんなにまじめな顔をしても考えていることがある。それは隠れていて見えない。なぜかというと、どんなに自分の脳の中で、「夕飯なんだろう」と思っても、その後に引き続く行動を抑えているからですね。抑制していると。

高橋:はい。

森山:ですから、あるんだけれども、行動を抑制することによって表に見えてこない。こういう、こちらの白い流れが必ずある。これは人間にもあるし、次に説明しますけども、きっと動物にも虫にも、いろんなものにもあるだろうと思ったんですね。

高橋:ふんふん。

森山:そこで僕はこの、「夕飯なんだろう」と思うような、活動はしているんだけれども行動を抑制することで見えなくなっているのを「隠れた活動部位」と呼びまして、これがまさに「内なる私」の正体ではないだろうかと。もしかしたらこれは非常に幸運なことで、「内なる私」という概念と実際の実態が一致する可能性があると思ったんです。

高橋:ふんふんふん。

森山:これについても、ここでやめてしまってもよかったんですけども、いや、行けるのではないかと。ではこのように、たとえば、これダンゴムシですけれども、動物で考えても一緒で、動物の場合も、おなかが減ったと思うかなんていうことは、もちろん分からないんですが、ただ、たとえば胃袋の中身がなくなったというふうになりますと、必ずエサを探そうというような「動因」が生じるのは間違いなくて、そうするとエサを探しにかかる。で、エサがあればエサを食べる。こういうひとつの、贈り物をあげたくて「心を込めて」っていう行動が起こるのと同じように、エサを探したくなって、エサを見つければ食べる。こういう行動は普通に起こるわけですね。この黒は一緒の意味ですね、黒線は。ただ、物を食べてるときに、ダンゴムシにおいても間違いなく、他の「夕飯なんだろう」に相当する…。

高橋:(笑い)

森山:たとえば、ダンゴムシはお尻にちょっと刺激が加わると、通常、逃げるんですけどね、前に前進して。そういった細かい刺激とかいろんなものが、外界から間違いなく与えられるわけですね。

高橋:ああー、はい。

森山:ですから、いくらエサを食べていても、前進したいという指令を出すニューロン、神経細胞が働く可能性は十分あるわけですね。それを、なぜしないか。ダンゴムシは食べているときに、ちょっと前に行ったりとか、ちょっと下がったりとかということをなぜしないのか。可能性は十分あるんですね。

高橋:可能性って、実際に刺激を受けても動かないんですか?

森山:はい。

高橋:はー。

森山:で、実際に刺激を受けてもしないし、自然界の中ではそういった「外乱(がいらん)」といいますか、余計な刺激が常にありますね。

高橋:普通にあるってことですね。

森山:はい。湿度の変動、温度の変化。それに対していちいち反応していては、おちおちご飯も食べられない。

高橋:それは食べることのほうが大事だからじゃないですかね。

森山:そう思われるかもしれませんけども、自然界っていうのはやはり、僕らが思っている以上に変動がありますので。ですから逆にこちらばっかり気を取られていると、もうちょっと強い刺激。たとえばクモに襲われるとか、ということに関しては逃げるわけですから。

高橋:そうですねえ。

森山:うん。その中間っていうのはね。

高橋:常に判断しているわけですね。

森山:中間のものっていうのは、必ず入力してあるはずなんです。だからそこで出てこないっていうのは、おそらくダンゴムシでも、前進を促すような活動が中であっても、行動は抑制する。

高橋:なるほど。

森山:というのがあってもおかしくない。で、いまの形を図に描くと、この黒い線の部分と、白い線の抑えてる部分というのは形式的というか図としては同じで、間違いなく、隠れた活動部位は対象にかかわらずあるだろう。

高橋:ヒトにもダンゴムシにもあると。

森山:はい。ではそれに関して、これは仮説ですから、あとはそれが本当にあるかどうかをなんとか実証できないかと、いう作業に移っていくということになります。

高橋:森山さんの仮説で特徴的なのは、隠れた活動部位そのものを「心」であると定義されていることですよね。

森山:はい。

高橋:普通、いままでの説明ですと、あるものを抑制しあるものを発現させると。そのコントロールをしているのが心であると。だから、一段上のレベルに心はあって、全体を統括して「これは出してよし」「これは抑制しよう」としているんだっていう説明がこれまでなされてきたように思うんですけども、その階層の違いみたいなことは、森山さんは議論されないんですか?

森山:そうですね。「そうですね」というのは、まずひとつは、出発点が先ほど言ったような、言葉からはじめているということ。今、高橋さんがおっしゃっていただいた、コントロール。たぶんそのときには、やはり人間、脳というのが一般的にあるのかなと。それを代弁していただいたという形だと思うんですけども、まずスタートが違うのがひとつと、あとは、この図式ではやはり上位とか下位っていうのはどうしても出てこなくて、並行になるんですね。

高橋:そうですねえ。

森山:しかもこの場合も、それでも表立ったものと隠れたものはあって、じゃあ隠れた部分が心だったらば、それはそれでひとつの階層で、そういう、隠れる・隠れない階層はあるんですねという形になると思うんですけども、僕はそうとも考えていないんですね。なぜかといいますと、これは、次のモニターは行っていただけるんですか? はい。これも例が変わっただけで内容は一緒なんですけれども。たとえば今度は、隠れた活動部位が表立って、この黒線に白線が変わる様を示すことで、その階層性のなさっていうのを説明します。たとえば今度は、皆さんが外を歩いていたときに、誰か知り合いに会ったと。普通、「よう、誰々」と呼びます。ところがこの場合は、長らく会ってない、10年とか20年とか会ってなかった旧友を見かけてしまった例ですね。そういう、長らく会ってない友達という刺激が入って、人間が、「あいつに声をかけよう」と思って行動を発現させて、実際に「よう、何々」と言ってみる。そのときは同時に、懐かしいなとか、こんなに変わっちゃったのかなとか、いろいろな活動部位が生じるんですけども、そこはあえて普通は出さないと思うんですね。

高橋:ああ、ああ。

森山:たとえば道端で会ったときに、本当は懐かしくて泣いちゃいたいんだけど、あまり道端で、大人になって泣く人はちょっといない。

高橋:そうですね。

森山:それから、「感激ー!」とかって騒ぎたくても、普通は言わない。

高橋:ええ。

森山:という形で抑制されているので、隠れた活動部位として、懐かしいとかいろんなものは、とにかく、こういう形で同じように、階層があるわけですけれども。 ところがいまの場合、旧友で何十年も会ってないっていうと、もしかしたら「よう、何々」と言ったときに、きょとんとされる場合がある、かもしれない。

高橋:はい、はい。

森山:そのときは、声をかけた本人にとっては、普通は、「よう、何々」って言ったら「おう」と返ってくるのが、返ってこないという、一種の、ここには「未知の状況」と書いてますけども、ちょっと「あれ?」って思わせるような状況になる。そうするっていうと、行動が喪失してしまうような感じになりますね。声をかけたのに、いつもどおりの反応が返ってこないと。

高橋:そうですね。

森山:喪失して動きが止まってしまうような場面になってしまうんですけれども、そうすると、いままで隠れた活動部位は、こちらの「よう、何々」っていう隠れてない活動を立てるために、一生懸命、隠れてたんですけれども、行動、止まってしまったので、もうこちらを立てる必要はない。そうすると入れ替わって、ここでいままでの抑圧が解かれて、懐かしいというのから、たとえば大泣きしてしまうというような形で。

高橋:そちらが表に出てくる。

森山:そうです、出てくる。こういった形で、常に階層は逆転する可能性はある。

高橋:あー、なるほど、なるほど。

森山:そういう意味で階層は、あまり僕の中では問題ではなく、かつ、今、少し話が進みましたが、こういった形で心、すなわち隠れた活動部位が表に表出してくると。

高橋:出てくる。

森山:いうことがありうる。

高橋:なるほどね。まあ、抽象的な議論はこれぐらいにして(笑い)。

森山:はい、そうですね。

高橋:おもしろいのは具体的な実験ですので。ダンゴムシの実験なんですけれども、まずはダンゴムシの生態を知るところからスタートさせたということですね。

森山:そうですね。最初のほうで申し上げたように、心とは何かということを考え、少し抽象的なことを詰めていたんですけれども、それで、じゃあ、先ほどのような隠れた活動部位を未知の状況に置いて。

高橋:出てくるかと。

森山:そうですね。出てくるんであったらば、じゃあ何でやろうかと。これを実証しないと、僕の、また動きが止まってしまうので。

高橋:はい(笑い)。

森山:でー、何かと思っているときに、ちょうど、当時の指導教員の神戸大学の郡司先生と話をしているときに、何か装置を買ったんだけども、それで試しどりをするのにいろんな虫を先生が持ってきたんですね。

高橋:はい。

森山:その中にたまたまダンゴムシがいて。僕は始終、何でやろうかって考えていますから、これだと。これならば、思った実験をいつでも、しかも、コンパクトなサイズでできるだろうと思ったんですね。でもう、これしかないと。

高橋:へー。

森山:というのが出会いですね。それから今度は、生態のことも知っていこうと思ったというわけですね。ダンゴムシの生態なんですけれども、皆さんご存じのように、ちょっと触ると丸くなる。石をめくるといる。

高橋:そうですね、はい。

森山:ええ。それでもちろん正解で、かつ、丸くなるので、かなり小さいお子さんなんかにも人気者で。

高橋:そうです、人気者です(笑い)。

森山:ええ。なぜか、大きくなると嫌ってしまいますよね(笑い)。

高橋:そうですね(笑い)、確かに。

森山:それが一般的なんですけれども、実はちょっと知られていないのが、エビとかカニの仲間なんですね。甲殻類という分類ですね。あともうひとつは、虫とはいえ甲殻類なので、昆虫ではないと。

高橋:ああ、はい。

森山:ちょっと図では分かりにくいですけど、7本の足が2列にありますね。ですから。

高橋:合計14本。

森山:14本ありますね。

高橋:はい。

森山:それから、どうやって大きくなるかというと、きれいに脱皮をして大きくなるというのも、意外と知られていない。しかも、脱皮をして越冬できるんですね。

高橋:ふーん。

森山:越冬できるので、なかには数年生きているものがいる。ですから時々、指先、まではいかないですけど、ちょっと大きな個体いますよね。

高橋:ええ、ええ。

森山:ああいう個体は、脱皮と越冬をうまく成功させて、それで大きくなるということになります。それが生態ですけれども、あともうひとつ、行動としておもしろいのは、この「交替性転向反応」。これは、ダンゴムシが直進していて何か物にぶつかると、たとえばこの図のように右に曲がる。そうするとこの壁沿いに歩くんですけれども、この壁が切れたところでは、非常に高い確率で左に曲がる。右ならば左。以降、左の転向がまた自動的に右になり、左になりっていうことを少しずつ繰り返して真っすぐ歩いて行くという行動になります。こういうジグザグの行動を交替性転向反応、あるいは交替性転向といいます。

高橋:で、これを使って実験をされるわけですね。

森山:はい。

高橋:ビデオが。まず説明ですね、実験の。

森山:いまの行動が、たとえば、先ほどいろいろ例を出した表立って出てくる行動ですね。心を込めてとか、「よう、何々」というのに相当する、ダンゴムシにとっての表立っての行動。ぶつかれば、右、左ですね。

高橋:はい。

森山:これをまず確認する実験というのがありまして、この図のようにここに個体がいまして、2つのターンテーブルがあって、これを回すことができます。で、それぞれにT字の小さな迷路があります。これを見ていただいてなんとなく分かるかと思いますが、ダンゴムシがたとえばこう進行してきて、右に曲がったらば、これをくるりと回して、接続通路を伝わって次のT字。ここでまた、先ほど、もし右に曲がったならば。

高橋:今度は左ですね。

森山:今度は左に曲がる。今度またこう回すということで、これ、手動なんですけれども、これをやってる限り、ダンゴムシは無限迷路に陥ると。

高橋:そうですね。永久的に行ったり来たりするわけですね。

森山:そうですね。こういうことで行動を確かめ、かつ未知の状況ですね。先ほどの「よう、何々」って言ったときに、なぜか拒否されるというか、思い通りの反応が返ってこない。

高橋:うん、そういう状況をつくってやるわけですね?

森山:はい。これがまさにその状況になっていますね。いつまでたっても壁がやってくる。

高橋:なるほどなるほど。で、動画もあるんでしょうか。実際の実験のビデオが出ますでしょうか。あ、これですね。

森山:これが実際の動画ですね。

高橋:あ、いまは左に曲がりました。

森山:左に曲がりましたね。

高橋:今度じゃあ、次、右に行くんですかね。

森山:はい。右に曲がりましたね。

高橋:あ、行きましたね。で今度は、左に行くはずですね。

森山:そうですね、行くはずですね。

高橋:あ、行きましたねえ。

森山:行きますね。

高橋:やっぱり右左、交替に行くんですね。

森山:そうなんですね。で、この右左という行動が、そもそも、なんで右左に行くのかといいますと、たとえばダンゴムシが敵に襲われて逃げていると。で、壁にぶつかりました。左に曲がりました。次、右に行きますか、左に行きますかというときにどちらに行ったらいいかというと、もちろん、こちらに行った方がいいんですね。こう逃げてきたんだったらば、こう行った後、こう行ったらまた戻っちゃいますしね。

高橋:はいはい、そうですね。交替にやった方が遠くに逃げられるっていうことですね。

森山:そういった意味がある。で、そういった意味を、この装置は台無しにしちゃうんですね。

高橋:ああ、そうですね。そうすると、どうなっちゃうんですか?このダンゴムシは。

森山:そうするとどうなるかということが、次のビデオで紹介されると思いますね。

高橋:やっぱり飽きてくるんですかね、ダンゴムシも。

森山:そうなんですよね。普通に考えると、飽きたりとか、疲れちゃったりと思うんですけども、そういうことをやってると、何匹かの個体は、少し分かりにくいんですけども、これ、この壁を登っているんですね。

高橋:あ、登ってるんですか、これ。

森山:登ってるんです。ちょっと見えにくいんですけれども、登って、やがてこの外に逃げ出していくんですね。

高橋:賢いですね。

森山:そうなんです。

高橋:(笑い)

森山:そういった、いわゆる未知の状況において、予想外の行動を発現させることができるということになりますね。

高橋:ええ。

森山:通常、このような壁登り行動は、もちろん抑制されているからこそ、何回も何回もあの迷路をこなすことができるんですけれども、それがわざわざ出てくる。予想外の行動として。

高橋:おお、おお。

森山:これを見たときに、これはやはり、心の表出というのを実験で確かめることができるんだと。

高橋:なるほど。

森山:いうふうに思ったわけですね。しかも、この壁登り行動は、生態学的にも禁止されてるというか、ふだんはとらない方がいい行動なんですね。

高橋:それ、敵に襲われやすくなるってことですか?

森山:そうですね。そういったような意味なんですけれども、通常、彼らは壁を登ることもあるんですね。それはどういうときかというと、たとえば雨が降った後、地面がぬれてビタビタで湿度がとても高いとき。彼らは、自分の体から積極的に水を外に出すというような生理的な仕組みを持っていないので、湿度の低いところに逃げる。それはどこかというと。

高橋:上のほう。

森山:上のほう。

高橋:なるほどなるほど。

森山:こういった、いまのはいいんですけれども、実験の場合はもちろん水浸しではなくて、湿度はせいぜい30から40%。ということは、彼らは、これもふだん見てると分かるんですけど、乾燥にはとても弱いんですね。ですから石の下とか落ち葉の下に。

高橋:暗いジメジメしたところにいるんですね?

森山:いるんですね。それでちょっと地味な動物と(笑い)、いうふうになってますけどね。

高橋:で、別な実験を考えられたんですね?

森山:そうですね。先ほどのはそういう感じで、乾燥した状況でさらに乾燥する壁登りに、というのは論外、という話なんですけれども。で、今度また別の実験を試してみたんですね。今度は、先ほどもちょっと触れました湿度の高い状況。彼らは乾燥を嫌うので、湿度は高いほうがいいんですけど、水は嫌いなんですね。水たまりは。

高橋:ええ、ええ。

森山:で、このアリーナというところが平地なんですけども、それを水の入った堀で囲ってやる。「水包囲アリーナ」ってありますが、こういう未知の状況を与えて、今度はこの状況でも、何か予想外の行動は現れるのかどうかということを試してみました。

高橋:で、どんな行動が現れたんでしょうか。

森山:これはもう本当に単純でして・・

高橋:あ、もう、水はいやだって逃げているんですね。

森山:いやだって、はい。こういうふうに水際を歩く。嫌いだから、水際から離れればいいんですけども、これ、離れられないんですね。この辺にいればいいのに。

高橋:そうですねえ。

森山:これ、なぜかというと、これもどうしても交替性転向でギザギザしていると、ついついここにとらわれてしまうんですね。

高橋:ああー、ええ、ええ。

森山:だから、ずーっといやな状況が続くという未知の状況に陥る。これは15分ほどたったところなんですけど、いま、ここでちょうど。

高橋:あれ、どうしちゃったの。水の中へ入っちゃったんですか?

森山:あり得ないことが。そうなんですね。

高橋:あらららら。

森山:このような感じに、積極的に水に入って、で、どこまで映していただけるか分かりませんが、実は対岸まで渡るんですね。

高橋:あーあーあ。

森山:もちろん、対岸を知っているとかそんなことは言いませんけれども、僕が言いたいのは、従来、入らないところを、未知の状況では…

高橋:予想外の行動が出てくる。

森山:はい。という現象が、このような簡単に実験でも現れる。

高橋:ふーん。そうすると、その未知の行動が出てくるっていうことは、心が現れたってことであるっていうのが、森山さんの解釈になるわけですね?

森山:そうですね、はい。

高橋:他にもいろいろ実験されたんでしょうかしら。

森山:そうですね。今度は、いまの実験の改訂版のようなものなんですけども、先ほどの実験で、水に入ったというのはなかなか画期的ではあるんですけれども、ただ、ひとつの考え方として、それすら実は隠れた行動ではなくて、長くああいうことをしていれば、水に実は入って泳ぐんだというのが、本当はダンゴムシのなかに入っちゃってるのではないか、そもそも。

高橋:もともとプログラムされているものではないかということですね?

森山:はい。そういう反論ももちろんあると。じゃあ、本当にそうなのかということをどうやって確かめればいいだろうと思いまして、そのとき僕がやったのが、とにかく仕組みとしては同じで、アリーナがあって水があると。

高橋:はい。

森山:ただこのときは、アリーナではなくて、もうちょっと厳しい通路ですね。通路があって、通路の中にも外にも水がある。ちょっとこういう厳しい状況にすれば、より早く泳ぐかなと。ところが、それではすまないのであれば、この真ん中に「障害物」ってありますけど、こういう、ほとんど一見意味がないような、自然界のダンゴムシにとっては小石のようなものを置いてやったんですね。

高橋:はい。

森山:もし、水に入るっていうのはプログラムされてるんだったらば、ここでも入っちゃうんでしょうけども、そうでなければ新たな予想外の行動として、この障害物を使うような、利用するような、予想外の行動を出すために利用するようなものが出てくるのではないかと。

高橋:ふーん。

森山:これも全然仮説ですけども、でもこれはやってみるしかないということで、試してみたんですね。

高橋:はい。そうしたら?

森山:そうすると、これが実際の実験の場面でして。

高橋:これ、なんで白いんですか? ダンゴムシは。

森山:これは、赤外線を当てている関係上、白くなっていますね。そうするとこのように、これが先ほど言った障害物なんですけれども、これに。わざわざこれを感知して登る。

高橋:あ、登ってますね。

森山:ええ。こういう行動が30分ぐらいすると現れるんですね。

高橋:へー。

森山:はじめは水包囲アリーナと同じで、この辺りをずーっと歩いてばかりなんです。

高橋:ええ、ええ。

森山:ところが、30分ほどするといまのように、この突起物。障害物を利用して、登って、伝い歩くという現象が出てくる。それはすなわち、もちろんそれも予想外の行動ですね。かつ、そうすると、水に触れて歩かなくてもいいと。

高橋:伝い歩きをしていればね。

森山:はい。何て言うんですかね、付加的なものも少し見られたという実験ですね。

高橋:こうしてお話を聞いてると、確かにダンゴムシにも心があるという気分になってきますが。まだまだお話伺いますが、いったんここでCMを入れます。コマーシャルです。

〈CM〉

高橋:「科学朝日」、本日は信州大学助教の森山徹さんをお迎えしています。ダンゴムシに心はあるのか。それを確かめるために、ダンゴムシに次から次に過酷な状況を与えていると(笑い)。

森山:はい(笑い)。

高橋:こういう実験をされているわけですけども、他にもなんか、ひどいことをされたようですが(笑い)。

森山:いえ(笑い)。いろいろな実験をしているんですけれども、少し細かいところで、先ほどから画像で触覚、アンテナが盛んに動いていましたけども、ああいう外界を探るためのアンテナにも、少し未知の状況を与えてみようかと思いまして、これにチューブをかぶせるという実験をしてみました。

高橋:ふーん。

森山:それの画像がこちらでして、これがアンテナでして、これは麻酔をかけずに、少し個体を柔らかく押さえてピンで留めて、テフロンのチューブをすっとはめる。と、のり付けしなくても、細かい毛の働きによってしっかりくっつくという形になります。

高橋:ああ、なるほど。そうすると、人間が目隠しされるような感じでしょうか。

森山:そうですね、そのような状況になりますね。そうすると行動が大幅に変わってしまいますね。

高橋:ダンゴムシは視覚はあるんですか? 目は見えるんですか?

森山:目は、明暗ぐらいが分かるといわれています。

高橋:ああ。で、この状態で歩かせるんですか?

森山:はい。これがまず、何もチューブが付いていない、いわゆる普通の個体なんですけども、白い床があって壁がある。

高橋:ここ壁なんですね、よく分かんないですけど。

森山:そうですね。ここは壁になっていまして。これ、上から眺めています。

高橋:壁を触りながら、動いているわけですね。

森山:そうですね。盛んに触覚で触って。

高橋:そうですね、触っていますね。

森山:非常にスムーズに動いていきます。ところが、これがチューブを付けた後の個体で。

高橋:ああー。

森山:やった本人も、のり付けもしていないしいいだろうと思ったんですけど、あまりにも動かなくなってしまって。

高橋:ええ。

森山:ちょっとこれは、やり過ぎたかなと反省を(笑い)。

高橋:(笑い)これ、片方にだけ、チューブ付いているんですか?

森山:これは両方ですね。

高橋:両方に付いているんですか。

森山:はい。

高橋:本当に目隠しされたっていう感じですね。

森山:そうですね。ところが、ものの10分から15分もすると、だんだんだんだんスムーズに歩き出して、ひしゃげていたような触覚がちょっときれいなわん曲になって、探れるような形になってスムーズに歩くという形に。

高橋:そうですね。スピードも出てきましたね。

森山:はい。変わっていくという、このような形で、また予想外の行動をちゃんと出すということも見られていますね。

高橋:予想外の行動を出すのはいろいろ確かめられましたけれども、それが心といえるかどうかっていうのはね、いまだに納得できないような気分も、ちょっと残るんですよね(笑い)。

森山:はい。

高橋:普通に考えると、人には心があると。それから、チンパンジーやイヌやネコにも心はあるだろうと、誰もが感じてますよね。

森山:うん。

高橋:だけど、トカゲはどうか、カエルはどうか、魚はどうか、虫はどうかって考えていくとね、だんだんちょっと怪しくなってくるんですけれども。

森山:そうですね、はい。

高橋:タコを使った研究もされているんですよね?

森山:少し前にはなるんですけれども、タコの研究もやりまして。タコは非常に賢いので、いわゆる迷路実験をやったんですね。そうすると、スムーズにゴールに行けるようになるんですけれども、おもしろいことに、ゴールにスムーズに行けるようになると、またスムーズじゃない動きが出てくるんですね、なぜか。

高橋:はーん。

森山:これは、これこそ予想外。こちらにとっても予想外。彼らにとってもたぶんそういうことは、こっちは迷路と思ってるんだけれども、きっと未知の状況というのを察知して出してきた予想外の行動だろうと思いまして、また新たにダンゴムシのような感じで、ちょっと違った、ちょっとまたつらいような状況を与えてやる。

高橋:はい。

森山:そうするとまた新しい解決方法をタコが導くということを、ちょっと抽象的な説明ですけど確認していますね。そういった形で、やはりダンゴムシだけではなく、軟体動物でも見られる。というような形で、いろんな動物で、僕が最初に言った定義のなかでの心の探り方を展開しているということになります。

高橋:確かに、未知の状況をつくってやって、そのときに予想外の行動が出るかどうか見ていくと、こういう実験であれば、あらゆる動物についてできますよね。

森山:それは僕がいちばん望んでいることで、やはり心ということを考えたときに、「人間にはあって、では他の」ではなくて。そういった広げ方ではなくて、思考のなかで詰めていって「内なる私」というのが出てきたときに、じゃあ、それはどこでも適用できるのじゃないだろうか、という形で、あとは検証という形で広げる。それで、心とは何か、プラス、動物にはどこまで心があるかというようなものに関しても、自然に回答が与えられていく。そういった方法を展開しているところです。

高橋:そういう、新しい研究手法を編み出したという点では、すごく画期的なご研究だなというふうにつくづく思うんですけれども。

森山:ありがとうございます。

高橋:そういう研究手法って、これからどんどん広がっていきそうなんでしょうか。

森山:たとえば、こういった予想外の行動というのは、新しいものをつくる。たとえば「創発(そうはつ)現象」なんていう言葉がありまして、そういった研究と密接な関係を持っていくと思いますね。

高橋:「創発」って、創造性の創に発するという言葉で、日本語ではあんまり使わないんでね、なじみのない言葉ですけれども、英語で「emergence」ですね。生命とは何かとか、心とは何かっていうのを考えるとき必ず出てくる言葉で。

森山:はい。

高橋:ただこれ、私のこれまでの理解だと、創発現象だと言った途端にもう、これまでの分析的な科学の手法では扱えないものだっていうふうに考えられていた、と思うんですけれども、そこを科学の手法で解き明かしていこうっていうのが、森山さんのお立場なんですよね?

森山:そうですね。そういった形で、これからもいろんな動物を使って試していきたいなとは思っています。

高橋:本当に、期待しております。

森山:ありがとうございます。

高橋:これからもどうぞ頑張ってください。

森山:はい。

高橋:「科学朝日」、本日はこの辺りで失礼いたします。